第十三幕 「儀式と宴」
目に焼き付いた景色
記憶に刻まれた惨劇
魂を染めた黒い感情
失われた得難き幸福
「もう、変えられぬ未来。」
(※今幕はR15相当な残虐な表現を含みます。苦手な方は飛ばしてください。)
誰かが叫んでいた。
それは自分の声かもしれない。
耳を切り裂くような慟哭がいくつも響いていた。
目の前で起きている事が何なのか、直ぐに理解した。
それなのにどこか非現実的な風景の様に感じられて体が動かなかった。
これでは駄目だ。
そんな言葉が、すぐに頭に思い浮かんだ。
反射的に体が動いて駆けだす。
皆一斉に続く。
急な山道を転がるように下ってゆく
危ない、なんて考えは無かった。
そんなのどうでもよくなる様な絶望が頭の中を支配している。
どうして、こんな事に。
視界の端に映っている悲惨な景色。
何度見ても変わることの無い風景。
どんなに強く願っても変わらない現実。
どんなに必死に叫んでも帰ってくることの無い返事。
きっと遠すぎて声が届かないだけだ。
死に物狂いで山道を下りきった。
すぐ目の前に広がる惨状。
再び叫ぶ。
「誰かァ!」
「返事してくれェ!!」
「オォーイ!皆ァ!」
泣き声交じりで叫んでも返事は無い。
「親父ィ!お袋ォ!!」
迷子の子供が情けない声をあげるように、両親を探す。
「とおちゃーん!ねぇちゃーん!!どこだぁー!!」
肉親を探して金切り声をあげる声。
「ラディー!!にいちゃんだー!!返事しろぉー!」
唯一の肉親を探し大声を張り上げる。
返事は無かった。
さざ波の音と……バチバチと何かが燃える音だけが聞こえる。
頬を涙が伝う。
無茶苦茶に走ったせいで息が苦しい。
鼻水でうまく息ができない。
口で大きく短く、ハァハァと肩を上下させながら呼吸する。
自分の息の音がやたら大きく聞こえる。
うるさい!皆の声が聞こえなくなるだろう!!
突如、前から強い風が吹く。
風にのって嫌な臭いが襲い掛かってくる。
鼻水で詰まってしまってうまく機能しないはずなのに、強烈な異臭が鼻を突き抜けてゆく。
鉄臭く生臭い香り。
焼けこげた肉の香り。
びくりと体が反応し、風上に視線が集中する。
崩れた家屋の向こう側から、火の粉が舞っているのが見えた。
家々の中央にある広場の方だ。
「広場だ!」
ガレットが叫んだ。
皆が同時に駆け出す。
風にあおられて炎が大きくなった家屋を避けながら、回り込むように目的地を全力で目指すが足が上手く動いてくれない。
疲労と不安で呼吸が上手くできない。
すぐ近くの場所なのに、やたらと遠くにあるように感じる。
燃え盛る家屋を通り過ぎ、広場が見える場所へと全員がほぼ同時にたどり着いた。
そして全員がほぼ同時に広場へと目を向ける。
―俺の目に映る景色に
目の前の景色に足が止まる
呼吸も、心臓も
なのに手が震える
なのに足が震える
歯がガチガチと鳴る
締め付けられるような恐怖が一瞬にして身体を支配する
思い出したように息をする
浅く、短い弱々しい呼吸
何かに気づいた俺の心身は全力で最低限の生存を模索しようとする。
「ウソだ…。」
誰かが呟いた。
広場の中央には建材の様な木々でやぐらが組まれている。
くべられた木材が盛大な炎を上げて火の粉を散らしている。
その炎に照らされて、妙な影が揺らめいている。
よく見えない。
ふらふらとした足取りで近づく。
立ち上る炎の周りには何本もの杭が立っていた。
それは家の柱だったのだろう。
根本や側面には木組みの溝の跡が見える。
その木材が乱雑に削り出されて杭のようになっていた。
杭の先には、何かが貫かれて垂れ下がっている。
それらは
腹が割かれてはらわたが引きずり出され、それが首に巻かれているロラン。
四肢が捥がれて、股間から口まで串刺しのエヴァ。
ロランの割かれた腹からは茶色いウェーブの長い髪が見える。きっとあれはリア姉さんのだ。身体は…どこだろ?
デリックおじさんの体は縦半分に割かれて杭に巻き付けられている状態で炎に炙られている。半焼けのひげ面がこっちを向いていて直ぐわかった。
杭の先端には全身が肉団子状に丸められている奥さんのノーラさん。顔がちょっとだけ見える。恐怖と憎悪に見開かれた青い目が見えた。
茶色い長髪がまだ燃えずに残ってるのは…ハンク義兄さんだな。彼の体は腰から下が無い。多分やぐらの中に黒焦げで見えている下半身みたいなのがそれかな?サラ姉ちゃんの体は肉が丁寧にそぎ落とされたみたいに骨が見えている。顔は相変わらずきれいだ。
あれはベン…かな?体に漁師の誇りを表す刺青が見える。頭は首から上が無い。だからたぶん、隣に突き立てられている杭に刺さってるのがリラ。
ベンと同じく頭は無いけど、ところどころに褐色の肌が残ってる。胸や太ももなんかは無くって、大部分はむしり取られてる様だ。
股間から垂れ下がってる紐はなんだろ…垂れ下がった紐の下に頭だけない小さな小さな身体が横たわっている。
あのやや白めの肌はトムのものだろう。炙られて焦げてるけど、他のより元の白さが判る。トムに抱き着くように縛られているのはクララさん?
ふくよかな身体からは炙られて浮き出た脂がジュウジュウと音を立ててる。
なんで二人の首は挿げ替えられて刺さってるんだろう。
その横に有るのは全身の皮が無い、やや細身で小ぶりな身体。
あの身長と体つきはたぶんウィンディかも?
胸から腹にかけて縦に割られて肋骨が開かれていて、内臓がすっかり無くなっているのは多分オーウェンさん。四肢の内右足だけ膝から先が無いが先端に義足用の金属が見えるし。同じように右足が無い状態で焼けこげているが、ぎりぎり女性の体つきだとわかるのは多分グレースさん。あの人は背が高いからな。なんとなくわかった。なんで右足無いんだろう?
そしてエリーちゃんのちっちゃい体には杭の代わりにオーウェンの義足と…よくわからない長い棒状の白いのが突き刺さっている。二本の短めの杭替わりの棒は、ギリギリ小さな体を支え切れるくらいには安定して地面に刺さってる。やっぱり右足は無い。
あれは…ガレットの父さんかな?名前はなんだっけ…ゴルグさんだっけ?
すげー漁師で、どんな海の生物にも立ち向かう勇敢な人なんだよな。
杭に首だけ残ってる。身体は、多分あっちに投げ捨てられてる爪痕と噛み傷だらけの強そうな体。デカい魚を解体する用のデカい刃物を握りしめたままだ。
エド爺ちゃんとローズ祖母ちゃんは首だけの状態で、まるで祭壇に捧げられられているかのようにローテーブルに添えられていた。
二人の首の間にあるミンチ状の赤と白のモノはなんだろ。
そしてやぐらの中に雑に放り込まれている二本の柱には、もう骨と皮だけになっている二体の躯。
残ってるのは…物知りアルド爺さんと、産婆のマールさんかな。
ただでさえ骨と皮だったってのに……。
あれ?ガレットの姉ちゃんの…ソーヤさんは見当たらないな?
それと…マイルズの唯一の肉親である妹のラディも居ない。
あっ、デリックおじさんとノーラさんの子供であるモリスもだ。
受け入れがたい景色を理解しようと。
何処かに希望は残ってないのかと、俺の目と頭はギリギリの所で正気を保っていた。
諦めるな。
希望を捨てるな。
俺はおぼつかない足取りでふらふらと立ち上る炎の周りを歩き、現状を確認する。
ガレットは膝をつき身体をうずくまらせて、こぶしを握り締めて地面を殴りながら汚い言葉を吐き散らかしている。
シェインは呆然と立ち尽くしている。うつろな視線はベンとリラの方へ向けられており、時折リラの下の小さな躯へと視線を落とす。
代わる代わる移ろう視線は焦点が合っていない。
マイルズは妹の名前を弱々しく呼びながら、近くをうろついている。
大きな体をふらつかせながら、涙声で呼び続けた。
サイルは絶望に塗り固められた顔で涙を流しながらオーウェンやグレースの身体をなんとか炎から取り出そうと四苦八苦している。すでにエリーちゃんの身体は取り出しており、彼の手や身体は煤で汚れている。
ドニーは膝を着いてへたり込んでいる。
彼のすぐ目の前にはトムとクララとウィンディがそのまま焼かれている。
ドニーの衣服や足元にはさっき食べた魚がぐずぐずの状態で吐き散らかされていた。
状況を一通り確認した俺は、最後に浜辺の方へと視線を向けた。
少し前から気づいていた、俺の恐怖の理由。
目に映るのは海から続いている無数の足跡たち、此方へ向かっている物と海へと向かって行く物。
あまりにも沢山ありすぎて、何体分なのかは判らない。
だが何の足跡かは明白だ。
鋭い爪と、デカひヒレのついた指でベタベタと無様に歩いている。やたらと歩幅は大きく、足跡自体もバカみたいにデカい。
海魔族。
よく見れば、そこらに散らばっている刃物や銛、ゴルグさんが持っているデカい刃物には青紫色の液体がこびりついてる。
地面にも汚らしい色合いの体液がいくらか散らばっているのが見える。
俺たちが岬で異変を感じて戻ると決めて、森を抜けるまで多分2時間は経っていない。
たったそれだけの時間で、この集落は海魔族によって壊滅したのだ。
抵抗はしたのだろう。
銛や雑多な刃物で。
だが結果は明白。
反撃むなしく、即座に一方的に蹂躙されたのだ。
そして、これが行われた。
何のためらいもなく、何の遠慮もなく、嬉々として、宴のように。
絶望と怒りと恐怖を滾らせるための、魔族による残虐なる食事。
負のマナを濃密に愉しむために、奴らの趣向によって多様に施される暴虐の狂宴。
小さな頃に、物知りアルド爺さんに一度だけ聞かされた魔族の食性。
幼少の記憶に刻まれた忘れようもない怪談。
それを証明するかのように目の前に繰り広げられている、理解の範疇をはるかに越えた意味不明な風景。
爺さんの言っていた事を思い出して、その意味を理解する。
急激に胃液が逆流するのを感じた。
口を押えながら上半身をまげて下を向く。
―駄目だ、堪えろ。
俺は耐えるんだ。
もう、俺が一番年上だ。
皆が不安になる。
そう思い、必死に耐えていたら鼻の方に少しだけ流れたみたいで、粘膜がひり付いて痛みを覚える。匂いも最悪だ。
むせかえりそうになりながら、一生懸命鼻から呼吸をして痛みと匂いをなんとかしようとした。
鼻水を飲み込んじまったけども、逆にそれのおかげで痛みと匂いが和らぐ。
そんなことをしていたら唐突に。
―臭いがした。
嗅いだことの無い。
生臭い生き物の匂い。
デカい海獣の匂いをキツくしたような。
不快で、不潔で、吐き気を催す。
心の底から恐怖を呼び起こすようなにおい。
シェインの言葉が頭をよぎる。
弾かれる様に頭をあげて風上を見た。
仲間たちも気づいたようだ。
視線が一点に集中した。
目線の先には浜辺、無数の足跡がある波打ち際。
そこには一体の異形が立っていた
全身は深い緑の鱗で覆われていて、手足は巨大な爪とヒレ
体高はゆうに3メートルを超える巨体
口は大きく裂けており、人の頭などひと噛みだろう
鋭い牙がずらりと並び、汚いよだれが垂れている
ひしゃげた顔にまん丸の目玉が二つ
ギョロリと並んでこちらを凝視している
俺達は動けない。
眼の前に在る化け物が、何かを理解したからだ。
両手には何かを持っていた
いびつな形をした丸めの物体
表面にはみっつ穴が開いており、すべては虚ろに空いていた
穴からは赤い液体か何かが滴っている
下からは節くれだった白い何かが垂れ下がっており
ところどころにピンクの肉がこびりついていた
まだ脊椎が繋がったままの、人の頭部だ
眼球を失い、青白い舌がダラリと垂れている
俺達は動けない。
眼の前にある何かが、誰なのかを理解したからだ。
「ソー…ヤ…ねぇちゃん…?」
ガレットの震える声が聞こえる。
海魔族の右手に握られた赤毛の女性らしき頭部に
彼の視線は釘付けだ
「ラ…ディ…。」
マイルズが立ちすくんだまま、
海魔族の左手に掴まれた金髪の少女らしき頭部に
彼の視線は向けられる
「ゲヴェァ、ルゥヴォユデュジェデゲルテパ。」
水音を孕んだ不快で意味不明な鳴き声が聞こえる。
「ギェァッゲェァッ!ヴォアジェ!ヴォァージェ!」
肩を上下に揺すりながら、裂けた口が大きく歪む。
わら……ってる…?
その直後奴は
手に持っていた
右手の女性の口に
青紫の長い舌を這わせて
ダラリと垂れた血の気のない舌に絡めると
ブチリと引き千切り
口へと運び
グチャグチャと咀嚼した
「やめっ…」
奴の舌が縮まる直前、ガレットが呟く。
続いて奴は
手に持っていた
左手の少女の口に
青紫の長い舌を這わせて
ダラリと垂れた血の気のない舌に絡めると
プチっと引き千切り
口へと運び
グチャグチャと咀嚼した
「嫌だ。」
奴の舌が少女の口にねじ込まれる時、マイルズが呟く。
ゴクリ。
デカい喉が嚥下によって蠢く。
「ヤーヴィ…。」
奴は目を細めて上を向く。
俺の中にどす黒い怒りが沸き上がり一瞬でソレは溢れでた。
「ゲヴェァ、ルゥヴォユデュジェデゲルテパ。」
(やっぱり、俺だけ戻って正解だった。)
「ギェァッゲェァッ!ヴォアジェ!ヴォァージェ!」
(へへっ!おかわり!おかわりー!」
「ヤーヴィ…。」
(うめぇ…。)
超適当。




