第十幕 「冷たい部屋の中」
あの日の記憶が蘇る。
いや、忘れたことなどない。
忘れたくても、それは叶わない。
「すべてが変わってしまった、あの日の事。」
ガチャリ。
硬い音を立てて私たちの後ろにある扉が施錠された。
マークが退室し部屋の鍵をかけた音だ。
これでこの部屋は完全な密室。
此方から声をかけなければ誰も出入りはできない。
部屋の中には私とリリスと野盗の首領がいるだけ。
私がリリスに首肯すると彼女は椅子をもって移動し、男の背後へと回った。
彼はじっとしたまま目線も動かず、事の成り行きを待つ。
まぁお話しするだけなので何か事件が起きるわけでもないけれども。
さて、何から話し始めたものか。
私がそんなことを思案していると目の前の男が口を開く。
「その様子だと……もう嬢ちゃんは助かったのか?」
動かぬ目線は私をじっと見ていた。
意外な第一声。
目の前の男、野盗の首領グリムヴェイン。
グリーンリーフ村の豪商一家であるハーセル家が王都へと向かう途中、彼の手下が一家を襲撃。父親に致命傷を負わせ母と娘をさらってアジトに連れ帰り、娘のみを凌辱の限りに弄んだ連中の首領。彼自身は一切の暴力に加担してない可能性が高いが、当の本人はボスとしての責任を受け入れる姿勢を見せている。
……そのちぐはぐな行いは強烈な違和感となって私を悩ませている。
大柄で筋肉質、十全たる膂力を滾らせている目の前の男は心底心配そうな表情を浮かべ身を乗り出すようにしながら、いの一番に私に質問した。
「……ご安心を。女神ルミナスの徒として、聖女の身命に誓い申し上げます。彼女は心身共に問題なく回復いたしました。それと、あなたの部下に致命傷を負わされた父君も…我が女神の奇跡により完全に元通りにございます。母君についてもお二人が無事に回復されたことにより、間もなく心身の平常を取り戻すことでしょう。」
私は彼の目をじっと見つめながら包み隠さず伝えた。
その言葉を聞いた彼は目を見開き瞳を揺らした。
そして椅子の背もたれに体を預けながら大きく息を吸い込み、安心したかの様に長く長く静かに息を吐きながら肩を下した。
「……そうか…、感謝する。」
少しの間を置いて、彼はそう言った。
「なぜ、そうまでして一家のことを心配されていたのですか。」
彼の反応を見届けた私は続ける。
「……正直、父親の事は詳しく聞いてなかった。さらった時に父親は手足をぶった切って焼いた。と、ゴルグとシェイドから聞いては居たがな…、状況的に死んでしまったのかと思って諦めていた。」
言葉を選んでいるのだろう、また少し間を置いてから反応が返ってくる。
当然の成り行き。といえばひどい言い草だが、現実的に考えればそうだ。
という事は、父親の生存については彼にとっても思いがけない知らせなのだろうか。
「小さな奇跡が重なって起きたことです。すべては女神ルミナスの導きによるものです……それによりグリム様の心に安堵が有ったのであれば…それは女神の慈悲でしょう。」
私は彼の真意を探るべく言葉を紡いだ。
「ならば女神の慈悲とやらにも感謝しよう。」
彼はまっすぐな目を私に向け、そう言い放った。
信仰心など持ち得る手合いには見えないが、彼は真剣な顔だった。
「あなたはいったい何を危惧されているのですか?」
彼の心情が理解できず、彼の思うところを探ろうとして投げかけた質問。
「危惧している……そうだな、心配してもしょうがない事だが俺は長い事あいつらを危惧していた。」
「あいつらとは…部下の事ですか。」
「部下…か。周りから見れば俺たちは純然たる無法者で、俺はその首領だからな。」
「違うと仰るので?」
「違わないさ、少なくとも今はそうだ。」
のらりくらりと私の質問に答える彼に、私は少しばかりの苛立ちを覚える。
「……以前も申し上げましたが、私は聖女としてこの件に関わった者として…事のあらましを報告しようと思っております。事態を正確に把握し、事情を鑑みた上で最も正しく適切な処置を施せるように、知るべきことを知るためにこの場を設けております。」
やや語気を強め、意思を籠めた眼差しをグリムヴェインに突き刺す。
「グリム様が己の責を受け入れ極刑を受ける覚悟を決めていらっしゃる事は既にお聞きしました。が、私にはそれが正しい事とは思えません。
貴方は意図的に自分を貶め、罪をかぶることで何かを得ようとしている。そんな風に感じるのです。」
自身の中にある形容しがたい感情を隠そうともせずに不満をぶつけた。
「それがあいつらに残された唯一の救いだ。それが俺の手によって得られる可能性が有るのなら、俺は喜んでその責を負うさ。」
迷うことなく紡がれた言葉。
だがしかし、その口調は諦観と疲労を伴った吐き捨てるような意思を纏っていた。
私の中で苛立ちが膨れ上がる。
「そうまでして救いたい仲間が居るのに何故あなたはあのような事態を放置していたのですか! 殴りつけてでも止めることは貴方にならできたことでしょう!!」
思わず叫んでいた。
彼の背後にいるリリスが驚いた顔をしているのが視界の端に映る。
驚かせてごめん。
…でもね、どうしてもムカつくんだ。
私の中にある信念が、彼の中にあるソレと余りにも乖離している。
何故その思いやりを持つ人間がこのような事態にまで堕ちてしまうのか。
想像できない程の理不尽があるはずの彼が頑なにそれを明かさない事に拭いようのない焦りと疑問ばかりが増してゆく。
「……そうやって怒ってくれる誰かが居たら、こうはならなかったのかもしれないな。」
私の怒声に眉一つ動かさず、しかし間を置いて彼が答えた。
その言葉に私はハッとする。
彼が零した言葉の意味するところを考え、想像したからだ。
「……グリム様はおいくつになられるのですか。」
嫌な記録を思い出す。
自然とうつむき加減になってしまい、彼から視線が外れた。
「そんなことを聞いてどうする。」
頭上から返事が返ってくる。
「お答えください。」
私はそのまま返答を求めた。
「…四十半ばは超えてるハズだ。自分の歳など久しく気にしていない。」
「…出身はどちらでしょうか。」
「……それを知ってどう―」
「お答えください、お願いいたします。」
私は食い気味に彼の言葉を遮り答えを求めた。
「…………覚えてない。若い頃に、そこを離れた。」
たっぷりと間を置いて、彼が返答する。
「…そうですか。」
―あぁ、そうなのか。
そうだったのか。
「……なぁ聖女さんよ。あんたが正しく在ろうとするため、俺の事を知ろうとしてくれる事は嬉しく思う。」
淡々とした口調で彼が話している。
私は彼の言葉を聞いているが……
別の考えが頭の中をぐるぐると巡り、言葉が紡げない。
「……だからな、その返礼という訳ではないが。
…一つたとえ話をしようと思うんだが。」
そういって彼は提案を私に投げかけた。
私はそれを黙って頷き、聞くことしかできなかった。
「そうさな……どう話し始めた物か、こういうことは苦手でな。」
私が頷いたのを見て安堵した彼は、ぽつぽつと語り始める。
視点の違い
意識のあり様
立場の違い
意思の立ち位置
あなたにはどう見えるでしょうか?




