第九幕 「保安所にて」
あの時の恐怖を忘れられない。
目の前に居た何かは聖か魔か…一つだけ確かなことは、私ではこれに勝つことは出来ない。
「だからって全てを投げ出せぬ立場なのは理解しておるが、な。」
メイには何処に行くか告げずに緑葉亭を出た。
あの奇怪な好奇心の塊と珍妙な貞操観念を併せ持つ彼女が何処に行くのかを知ったら絶対に話を一緒に聞かせろと言うに決まってる。
世間一般にも自分を不幸に陥れた相手と話をしたいという連中は少なからず居るだろう。でもそれは理解しようとする行動ではなく復讐的な意味合いが強かったり、本当に理解しようとしても徒労に終わる場合が殆ど。
そこに来て彼女の場合は純粋な好奇心、あるいは相手の心情や立場を理解し受け入れた上で更に建設的な方法は無いかと一緒に真剣に模索する手合だ。
そういうのは被害者の役目じゃない!
価値観の多様性というのは際限なく変化を見せるのが世の常だが……彼女の価値観が世間に受け入れられる日が来るのかと思うと、自信がない。
まじ変なやつ。
嫌いでは無いけどさー。
そんな事を悶々と考えながら、私はリリスと並んで村の保安所へと向かっていた。
一昨日の夜、3人の男の尊厳を粉砕したことに加え、翌日にはその残党を詰め込んだ建物である。
「元気にしてるかなー。」
沈んでゆく気分を高めるために、心にも無い戯言を吐き出してみる。
「セレナ、あの人達が元気にしてたら今度はどうする気ですか。」
若干引きぎみな口調でリリスが反応した。
「どうもしないわよ、大人しくしてる限りは。」
「それは良かったです。あの経験を経て未だセレナに立ち向かう勇気が有る人物は……多分勇者になれます。」
ほっとしたかのように息を吐きながら軽口を言われた。
「蛮勇ね。」
ふとレオンの顔が浮かんだが、引き合いに出すのは止めにした。
リリスが見ていたかは判らないが、少なくとも彼女の父君に止めを差したのは彼だ。無駄に話題に上げてリリスの心をかき乱す必要も無い。
「それに、その場合…私が化け物か何かになるのだけれども。」
「……当たらずとも遠から…いーったい!?スネ蹴らないでください!ウソですごめんなさい!」
言うようになったわね、この子も。
嬉しくて足が震えるわ。
「ま、正直な所…そう間違ったことを言ってないと思うわ。自分でも人外な存在だと思ってるし、無事に本当の人外からの助けによって運営されている力だと知れたわけだし。分類的には化け物に近いかも。」
洞窟を出る時に、グリムヴェインに言われた言葉を思い出して自嘲気味なセリフが口から零れ出た。
「大丈夫ですよ、セレナは『理力』を正しく人のために使えてます。よしんば、それが間違った使われ方をしてセレナが化け物になりそうになったら私が頑張って助けますので。」
私の稚拙な愚痴をリリスは何の恥ずかしげもなく否定し、あまつさえ受け入れ助けると言ってくれた。
少しだけ恥ずかしかったけど、嬉しさで表情が歪む。
顔を見られないようにリリスと逆側を向いて歩いていると、建物の影に見覚えの有る馬車が見えた。いつぞやの夜に領主たちが乗ってきていた馬車と、いけ好かない諜報員…じゃない、旅商人の兄ルーカス・ロームの馬車だ。
じゃあ馬車が止めてある隣の建物がトマスの言っていた西の詰め所か。
保安所の近くなのは有り難い。
グリムヴェインとの話は多分長くなる。色々と聞きたいことが有るから是が非でも口を割らせたい。……物理的な意味ではなく、ちゃんとした対話でね?
多分だけど彼は重要な情報を握っている。
根拠…というのは無いのだけれど、グリーンリーフ村の獣害と急激な治安悪化は不自然なのだ。グリムヴェインはそれに関連する情報を持っているのではないかと期待している。
自分語りを嫌う寡黙な男の心を氷解させるのは難しいだろう。とは言え彼に対して部下達のような『粉砕を前提とした交渉』の効果は期待できない。
それに…個人的にもやりたくない。どうしても彼が悪人に思えないからだ。
野盗の頭領としての責任は不問にはできないけれども、それを差し引いても彼が纏っていたマナとソレ以外の情報から読み取れる彼の人間性は……止めとこう、今考えたって答えは出ない。
それも、きっともうじき解る。
そうこうしていると保安所が見えてきた。
入口の脇に立哨代わりの村人が立っている。
「リリス、さっき緑葉亭を出る前に言ったこと、忘れないでね。」
「はい、わかりました。……ただ、本当に大丈夫ですか?」
「そこは『村に大恩ある聖女の願い』でゴリ押しよ。」
「まぁ…それで大丈夫だとは思いますけども。」
リリスにはあらかじめ『対の指環』の効果範囲を調整して、野盗連中を範囲内に入れるように意識しながら動くよう指示を出した。
こうしておけば指環を貰う前の私と同じ様に、限定的な遮音性を得られる。
『閉ざされた小部屋の結界』が装着者以外の在室者が対象となるかが不明な為、最大直径10mの円2つを最大限活用して音の遮断領域に彼らを留めるのが狙いだ。それを可能にするためには部屋に私達と野盗連中以外が居ると困難になる。
監視役か、同行を名乗り出る人物が居たらなんとか排除せねば。
平和的に。
なるべく。
「こんにちは、お役目ご苦労様です。」
私は立哨の村人に対し、自然な笑顔を意識し語りかける。
「これは聖女セレナ様、ようこそおいでくださいました。」
待っていましたと言わんばかりの歓迎ムードを滾らせながら、村人は即座に反応し深々と礼をしてくれた。
「領主様からの言伝は聞いております、どうぞお入りください。」
そう言って村人は何の問答もなく我々を室内へと招いてくれた。
会ったことは無い…と思うけど、昨夜の簡易集会に居たかも?
とにもかくにもスムーズに事は運びそうだ。
人払いについても杞憂だったかも?
入口に入ると簡易的な受付があり、来室者の名簿が置いてある。その名簿の端に突っ伏した男性が一人、すやすやと寝息を立てている。
おや?この男性は…。
たしかあの時に居た人で、腰を抜かした方の男性だ。
「ティム。起きろ。お客さんだぞ。」
立哨をしていた村人の男性が寝ていた彼に声をかけた。
ティムってゆーんだ。
「う…ん?」
「すみません、今朝からコイツ緊張しっぱなしで変に疲れてるみたいで。」
「お客…さん?一体だれが………。」
ティムと呼ばれた男性は寝ぼけ眼をこすりながら顔を上げて、私と目が合った瞬間ピシリと固まった。
「一昨日ぶりでしょうか?ごきげんよう、ティム様。お疲れのところ申し訳ありません、拘留中の野盗たちへの面会をお願いいたします。」
私は彼を怖がらせないようになるべく自然な笑顔で挨拶した。
「………。」
固まったまま返事がない。
「ティム?おい、どうした。」
相方の妙な反応に心配する村人。
「ティム様、どうかされましたか?どこかお加減の悪い所でも?」
そういって私が少し前に出ようと体を揺らした瞬間。
ガタン!!
彼ははじかれる様に椅子から立ち上がり、反動で後ろに椅子が倒れる。
「はい!いいえ!大丈夫です!ちっ、ちち治療の必要はありません!!大変申し訳ありませんでした!もももう大丈夫です!!」
私の目を見ようとせず中空を凝視しながら直立不動で叫んだ。
何かに怯えるかのような青ざめた顔と震える口は明らかに何かに動揺しているのが見て取れる。
まぁ私に怯えてるんだろうけど。
失礼しちゃうわー。
「ティ、ティム?どうしたんだ、本当に大丈夫か?」
いよいよ心配になった彼が手を伸ばそうと動くと、またも彼はピンと体を伸ばして声を張り上げた。
「はい!!ティム・ウィローと申します!村では林業と保安要員を担っております!健康です!治療の必要はありません!」
だめだこりゃ、寝ぼけてる。
きっと私という恐怖の対象?が来所するのを事前に聞いたせいで極度の緊張状態が続いてたのだろう。
目が覚めて急に目の前に警戒対象が居る状況が理解できず混乱しているのかもしれない。
「ティム様。あまり怯えられては聖女様に失礼ですよ?早く面会手続きをお願いできますでしょうか?」
いよいよ見かねたのか、従者としての振る舞いを演じているのか。珍しくリリスが口を開いて事を進めようとしてくれた。
「ひぃ!? もも申し訳ありません!! コッココココ此方に記入を!お願いいたしましゅ!」
鶏か。
「承知いたしました。」
そういって私が台帳に記入するために近づくと、ティムは距離を取るように後ろに飛びのいて背中を壁に打ち付けてしまう。
「おい、ティム。いい加減にしろ!聖女様に失礼だぞ!」
「あっ!」
しまった、みたいな顔して更に青ざめるティム。起き抜けの恐怖から正気に戻り己の無礼な振る舞いを理解してさらに恐怖する。
かわいそう。
「ティム様は一昨日の私の野盗に対する振る舞いに少々思うところが有るだけですわ、お気になさらず。……えーとお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
ティムにまっとうな対応が期待できない事を悟った私は、もう片方の男性に話を振る。このままじゃ埒があかない。
「あ、大変失礼しました。マーク・リードと申します。ティムと同様、村の労働力として日々を過ごし、時折こうして保安員を担っております。」
「お初にお目にかかります、マーク様。女神の導きと新たなる出会いに感謝を。日々の暮らしを守る者たちへ女神の慈愛と祝福が有らんことを。」
そういって私は会釈しつつ祈りの所作を行った。
「オゥミナ。女神の導きに感謝を。」
そういって彼もまた返礼をしてくれた。
どうやらこの村の方々は殆どルミナス教徒なのかな。
昨晩の即席で行われた簡易集会でも、殆どの人が祈りに応じていた。
まぁティムみたいな恐怖が先行する普通の人もいるみたいだけど。
「さ、これでよろしいでしょうか?」
私とリリスが名簿に記名を終えると、私はマークの方へと向き直る。
ちなみにリリスはちゃんと「リリィ」と記名してる。
しっかり者だ。
「…はい、問題ありません。ありがとうございます。」
顔面蒼白で直立不動のティムに替わり、マークが台帳を確認する。
「それと、野盗の首領グリムヴェインとの面談を希望いたしますので準備をお願いいたします。王都から来る審問官のお話は聞いていらっしゃるかと思いますが、その前に個人的にもいくつかお話を聞きたいもので。」
「委細承知しております。領主様からの許可もすでに出ておりますので…、ご希望であれば護衛として私が同行いたしますが?」
一応、通例として犯罪者の面談には保安員の同行が義務づけられている。しかし今回は逆に此方の意図を汲んでくれた領主が言い含めてくれているのだろう。体裁を保つために確認はしてくれているが。
ティムが「お前マジか。トラウマになるぞ。」みたいな信じられない物を見るような視線をマークに投げかけている。
私は彼の視線を流しつつマークへ笑顔を向けて応える。
「お気遣いありがとうございます。大変申し訳ありませんが、私と首領のみで部屋をご用意願います。従者のリリィ様も同行いたしますし、保安要員は不要です。」
「承知いたしました。」
彼もまたティムの視線を流しつつ私へと笑顔で答える。
よかった、事は無事進みそうだ。
そうして私とリリスは保安員マークの案内により、面談用の部屋へと案内された。
牢屋区画の隣に併設された堅牢な作りの小部屋、扉も分厚く硬い木で作られており黒光りする金属で枠組みや板張り補強されている。
冷たい雰囲気が立ちこめたシンプルな作りの部屋。
私たちが部屋へと入るとマークは振り返り、扉をガチャリと施錠した。
彼に促されて中央のテーブルに備え付けられた椅子へと座る。
リリスは監視員席へ。
「では、グリムヴェインをお連れしますね。」
そう言ってマークは奥の扉を開けて部屋を出た。
あの扉は牢屋区画へとつながっており、この面談室も含めて安易に脱出できないような構造になっているのだろう。
一昨日の晩に3名を説得した時も牢屋区画へ入るためには二つの鍵付き扉と鉄柵の鍵付き扉を通った。
この村も他の村や町同様にしっかり保安設備が活用されている。
私はそんな室内を見回しながら思考を巡らせた。
魔術が体系化され一般的に普及した人族の村や町は、犯罪者に対する準備は徹底されている。よほど小規模な集落でもない限り国から保安設備の建設は義務づけられており、建設費用も全額補助される。
魔術緘口錠についても国家が製造・管理しており犯罪者への装着は魔術の才能の有無に限らず厳しく義務付けられる。
保安員の質に関しては…戦闘力や魔術の才能を含めて完全とは言えないだろうけども、リアムやフィンの様な領主付きの手練れ騎士やルミナス王国軍駐留部隊による定期的な各村や町への巡回と街道警護が連日行われている。
王都や都市部を含め、軍による治安管理は完全とは言えなくとも十全を期していると評価できるのがルミナ大陸における防犯事情だ。
そういう意味でも、実は野盗という存在は王都周辺では珍しい。
なぜグリムヴェイン一党がグリーンリーフ村の近郊にアジトを構えられたのか。そもそも魔獣被害が一定の頻度で確認されている森に危険を承知でアジトを構えたのか、それがいつから行われていたことなのか、誰の手によって?連中が自分で資材と道具を用意して?いや、現地で見た限りアレは確実に人の手と道具による長期間で掘ったものではない、土属性の魔術使いによる地形掘削によるものだった。野盗の中に使い手が居た?
不自然な現状をまざまざと語る違和感。
情報が足りないがゆえに纏まらない思考に苛立ちがつのる。
彼の口から何かが得られればいいけど…。
そんなことを考えていたら、奥の扉が再び開いた。
入室してきたマークの後ろには手足に金属製の枷をはめられたまま悠然と歩くグリムヴェインの姿があった。
さあ、いよいよだ。
可哀想なので出番を増やしてあげました
そしたらもっとかわいそうに…




