第七幕 「二人目の友達」
今まで、考えが間違っていたらやり直せばいいと思っていた。
今は、この考えが間違っていたらと思うと怖くて仕方がない。
でもこの答えは絶対に導き出さなきゃダメなんだ。
「たとえ、それで全てを失うとしても。ですよ。」
「勘違いしないでほしいんだけど。ね。」
手に持った黒い手帳をゆらゆらと動かしながら、メイが話し出す。
顔をこちらに向けず、遠くを見たままの彼女からは表情が読みづらい。
「マーサおばさんは宿屋の女将として一流だ。どんな理由が有ろうとお客様の私物を勝手にいじったり、まして中身を探ったりなんかしないよ。あくまでもお預かりしたものは正しく扱い、プライバシーを配慮したうえできちんと手入れをするだけだ。
私に洗濯ものを干すように言ってきた時も、ちゃぁんと釘を刺してきたからね。『勝手にお客様の物を見たり触ったりしないでね。』ってね。」
じゃあなんでソレがメイの手の中にあるんだろう。
宿屋の女将でもない一流の好奇心の持ち主は、なんで手にひと様の手帳をもっているんだろう。
「だから私もちゃーんと言いつけを守って、干してあった衣類を取り込んで畳んだ後、手入れの終わったポーチも籠に一緒にしまったんだよ?」
うんうん、と頷きながら一人語り続ける。
私とリリスは固唾をのんで静かにそれを見守っている。
「ただね、その時にだね。本当に運悪くポーチの中身がこぼれてしまったんだよ。本当に偶然で、たまたまの事なんだ。きっとマーサおばさんが手入れの後、蓋を開けた状態のままにしていたのかもしれない。多分。ね。」
こちらを見ようとせず遠くを見たままのメイ。
口元が可笑しそうに歪んでるように見える。
「そして、これまた偶然でたまたまの事だと思うんだが。厚手の手帳は地面に落ちた際に勝手に開いてしまった状態だったんだよ!」
この子…絶望的にウソが下手じゃないかな…?
ぜーったいに手帳の中身が見たくなって、なんかこう…姑息な手を使って偶然を装ってポーチを開いて手帳を落として…。
「そしたらどうあがいても中身がみえちゃうと思うんだよ!ね?」
で、中を見たに違いない。
「そしたら私みたいなタイプの人間が、あんな内容の中身を見てしまったら絶対に我慢するなんて無理なんだよ!ね?」
そこまで言って、メイはこちらを向く。
てへぺろみたいな、ごめーんねみたいな。
すんごい軽薄な笑顔をメイはこちらに投げかけてきた。
たぶん、これはメイの不安な心をごまかす虚勢。
「……そう。事情は理解したわ。」
私は努めて冷静な反応をした。
隣ではリリスが完全に狼狽えてしまって何をしたらいいのか判らなくておろおろするばかりだ。
今度は私がメイから視線を外し、考え込むように話す。
「貴女の性格を考慮したうえで、事故で見てしまったというなら仕方のない事よ。……それに私たちだって中に書かれている事は知らないの。リリスのお父様が記した物なんだけれども。見ての通り謎の文字で書かれている物だからね。」
ここは一つ、事実を述べて私たちは中身が何なのか判らない、中身とは無関係を装うのが得策。
「だから残念だけど、貴女に中身の事を聞かれても答えようが無いわ。」
その上で予防線を張っておく。
中に書かれていることは遺跡に関する研究内容で間違いない。
でも肝心の中身はまったく知ることができていない。
「申し訳ないけど、貴女の期待に応えるような情報はもってな……」
そういいながらメイの方を向いて私は思わず口を噤む。
メイがすごく真剣な顔で私の目を見ている。
こちらの真意を測るかのような…何事も見落としてなるものかという気迫のこもった眼差しを投げかけてきている。
「そのことについてだけど。ね。」
そういって前置きをした後、じっと私から視線を動かさないままでメイは静かな口調で語りかけてくる。
「一つだけ答えてほしい事があるんだよ。」
本当に嫌な予感。
「噓偽りなく、私の質問に答えて欲しいんだよ。ね。」
これは…言い逃れするのは無理そうね。
「そう……、何の質問かは…色々思い当たるところは有るけれども、それを知ることで貴女は何かを得られるのかしら。」
だから、たった一つの希望を望んで私は答える。
「……そうだね、とても大事なものを得られると思うんだ。」
真剣な眼差しと口調でメイは応えた。
「…わかったわ。嘘偽りなく答えましょう。」
私は覚悟を決めた。
「セレナ…!」
リリスが小さく悲鳴のような声をあげる。
リリスも気づいてしまっているんだろう、元より頭の回転が速い子だ。
今まで自分がメイにしてきたことの異常性、あの夢の世界での特別な出来事。
メイの様に天才的な頭脳を有していなくたって…少し知識が有って、考えれば判ってしまうんだ。
そして、メイの様な知的好奇心の塊である数学的天才が、謎の手帳を目にし興味をもった時に何を行うか。
まったく明白な根拠しかない最悪の予想。
「でも…!」
だからこそリリスは不安で仕方がないのだろう。
当然だ。
彼女の境遇と立場は、ほかの誰とも比べ物にならないほど異質なのだから。
そんなことが露見してしまった事への計り知れない恐怖。
そんなリリスを見て、メイが動く。
「リリス、ごめんね。私はどうしても確認したいんだ。…理由は色々あるけれども、これを知っていないと私はこれから何を信じたら良いか判らなくなると思うから……だから教えて欲しいんだ。」
メイはそう言いながら立ち上がると、二人並んだ私たちの前に来てゆっくり交互に見つめた。
「だけどね、私も二人に伝えておきたい。」
そういってしゃがみ込むとリリスの手を取り、黒い手帳を握らせる。
「メイ…。」
不安な表情のまま狼狽える瞳を揺らしたままのリリス。
手帳を受け取った手は迷いを訴えるかのように弱々しい。
「本当にね、二人には感謝しているんだ。絶望的な状況から私とママを救い出してくれたこと。どうしようもない状況の私を諦めずに救おうとしてくれたこと。あの世界で不安で仕方なかった私を励ましてくれて…抱きしめてくれて、背中をおして、手を貸してくれたこと。パパの体を元通りにしてくれたことだってそうだよ? 本当に全部、ぜーんぶ感謝してもしきれないことなんだ。」
懇願するような、思いが伝わってくれと願うような。
メイの瞳と全身から必死な想いを伝えようとするマナを感じる。
「だから、この質問にちゃんと答えてくれたら…私は二人のことを本当に心から信じて、この先の道を歩めると思うんだ。」
そういってメイは手帳を手渡した手でリリスの手を握った。
ビクリ、と怯えるような仕草で体を強張らせるリリス。
あんなにも他人に対して無垢で無償の母性を向けられるリリスが、自分の事となるとここまで卑屈に怯えるようになるのか。
夢見の中で不安に押しつぶされそうなメイを包み込んだ彼女とは別人だ。
それだけ彼女の中ではまだ他者に自分の正体を隠したい事の証左。
だから、今度は私が動かなきゃ。
そう思った私は一呼吸入れた直後、ガバッっと二人をまとめて抱きしめた。
「「せ、セレナ?」」
二人が声をそろえて驚く。
「大丈夫よ、信じなさい。」
そう一言だけ、どちらへともなく零した。
さらに驚いた顔をしていた二人だったが、しばらくしてお互いを見つめあい互いに少し微笑みあうと、どちらからともなくお互いに額を突き合わせる。
数瞬の後、メイが口を開く。
「ね、リリス。教えて。」
「…うん。」
「あなたは……魔族なの?」
「………うん。」
ほんの少しだけ、ためらうかのような間を開けてリリスは答えた。
「……どうして……私を助けてくれたの?」
驚いてる風でもなく、解っていたかのようにメイは続ける。
「………セレナが…、ううん違う。私が助けたいと思ったから…かな。」
「……怖くないの? 一人で…。」
「……一人じゃないよ。 セレナが居てくれる。」
「…すごいよね、セレナは。」
「うん。」
私は黙って二人の会話を聞くだけ。
「…ねぇ、メイ。 私のことは…怖い?」
「ううん。 怖くない、もう信じられる。」
迷いなく、メイが答えた。
「………ありがとう。」
ぽつぽつとリリスの手のひらと黒い手帳の上に雫がおちる。
「こちらこそ。私たち家族を救ってくれてありがとう。」
手のひらに落ちた涙をぬぐう様に、メイがリリスの手を覆う。
「うん。 私を信じてくれて、ありがとう。」
また手のひらの上に雫が落ちた。
良かったね。
信じてもらえて、信じることができて。




