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救済の聖女のやり残し ~闇と光の調和~  作者: 物書 鶚
第一章 第二部 魔導工学と魔獣
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第六幕 「黒い手帳」

知りたい。

未知なる世界、知識、体験、経験。


この世に有るありとあらゆる物は私の才能で解明できるかどうかを知りたいのだ。

だって思いつくことを我慢なんて出来ない。


「だから、遠慮なんてしてられない。」


マーサと話し終えた私達は廊下の奥へと向かった。

宿泊部屋が並ぶ廊下ではなく、作業場区画へと続く従業員用通路の方だ。


私達の旅装がどうなっているかと彼女に質問した所『この廊下を抜けて干場に向かえば判りますよ。』と、にこやかな笑顔で言われた。


なんか…ちょっと含みが有ったのが気になる……。



廊下の両脇には洗濯室やリネン室、台所や事務室が並んでおり一番奥の倉庫と食料庫を抜ければ勝手口へとたどり着く。

裏方とは言え手の行き届いてる広めで綺麗な廊下、マーサの気遣いの細やかさが見て取れる。


各部屋の扉の前を通り過ぎ、これまた少し大きめの勝手口へとたどり着く。

大きなサイズの荷物も搬出入できるように広く構えられた扉だが、(かんぬき)が有るのみで簡素な造りの扉だった。

既に半開きだった勝手口の隙間から外を覗くと、大量のシーツやタオルが風でゆらゆらとはためいているのが見える。


私は扉を開いてリリスと二人で外へと出た。

秋口の涼しい風が全身をやさしく撫ぜてゆく。大量の白い布が思い思いに揺れていて目がチカチカしてしまう。


そんな干場をぐるりと見回してみると、ひっきりなしに動く白い布達の隙間から一人の人影が見えた。


簡素な木製のスツールに腰を掛けて本を読んでいる。

脇には同じく簡素な造りのテーブルが備えられており、読書をしている人物は時折テーブル上に置かれた書類に何かを書き込んでいる。

随分と真剣に作業に没頭しているようだ。


私とリリスは揃ってお互いを見つめ、思わず笑顔をこぼす。


特に口裏を合わせるでもなく私達二人は気づかれないように、静かな足運びで作業中の人物へと近づく。



会話できるほどの距離へと私達が近づいたにも関わらず、作業中の彼女は気づかない。よっぽど高い集中力をもって計算に臨んでいる様だ。


時折吹く風に長い亜麻色の髪がなびくのも気にしている様子はない。


相変わらずだ。



「何を読んでるの?見た所、数学関係じゃなさそうだけど。」

いつまで経っても気づいてくれない様なので、諦めてこちらから声をかけた。


「んー、ちょっと知見を広めようと思って。ね。」

生返事で本から目線を動かそうとしない。


「『物流と…兵站(へいたん)による戦術論』? ですか?」

リリスが腰を折りつつ覗き込むように身体を捻り、背表紙を覗き込んでいる。随分と器用な体勢なことだ。


「そ。面白い式を思いついちゃって、ちょっと変数が足んないから色々しらべてんの。」

そう言って書類にまた何かを書き込む。

書類かと思ったのは何枚かの白紙を紐で纏めただけの簡易ノートだ。


「ていうか、メイ。あなた私達に気づいてたわね。」

彼女の反応、呼吸や心音を聞いてみたら妙に落ち着いてる。


「えへ。バレた?」

ようやく手を止めたメイは悪戯っぽい笑顔を向けてくる。


こんにゃろ。


「というか、メイ。メガネしないで大丈夫なんですか?」

夢見の彼女がメガネをしていたことに気づかなかったリリスが、今度は逆に違和感を覚える。

夢見で会った彼女の姿がリリスにとって普通になった今、裸眼で読書や書き物をしている姿は違和感になるのだろう。


「それなんだけどさ、セレナに教えてほしいんだけど。ね。」

メイはそう言いながら本に栞を挟んでパタリと閉じ、テーブルに本を置く。


「私、凄い目が悪かったんだけどね。今はメガネ無しでよく見えるんだ。」

そう言って私の顔やリリスの顔、そして遠くの方を眺める。


まるで遠近いずれの視界も勘違いでなく今も変わらず良好であることを確かめるかのように。


「私から『理力』による治療を受けるとよく有ることなのよ。後天的に発症した疾患や身体的傷害、古い傷なんかが回復することは。特に今回の様に急速に『毒抜き』をした時や全身の傷を癒やしたときにね。」

私はくりくり動くメイの瞳を覗き込みながら話す。


「私の治療は人間が本来が持ち得る自然治癒力を局所的・包括的に超強化・促進することで実行される物なんだけれども。今回のメイは高濃度の薬物中毒を治療するためにかなり凄いサイクルで貴女の新陳代謝を促進させたわ。

結果として貴女の身体を構成する最小単位は、ものの30分で半年以上の期間分刷新されたことになるわ。」

私はメイの質問になるべく判りやすく噛み砕いて答える。


リリスの目が点になってる。

まだ理解できんか…この子は。


「つまり、セレナの治療によって私の細包(さいほう)は体中真新しくなってしまって、いろんな身体の不具合が良くなった。今回は私の視力が回復したってこと?」

メイが私の話を理解し的確な反応を示す。

さすが天才。


「そ、貴女の若さなら色々具合が良くなった状態になってるはずよ。視力だけじゃなくて小さな頃からの生活習慣による姿勢の癖、食生活による栄養のバランス。不規則な生活による肌や内臓への負担とかね。」

そういった後、メイの肌に目をやる。


「あー、どうりで。なんかもう生まれ変わったみたいに体の調子は良いし、気持ちは軽いし。視界はスッキリハッキリ。ママの作ってくれた朝食の味がすっごく美味しく感じて…私また泣いちゃったもん。ね。」

そう言ってメイはちょっと遠くを見るように視線を動かし、一つだけ小さくため息をついた。


「ま、しばらくはちょっと違和感が有るかもしれないけど。そのうち刷新された()()も身体になじむ……。」


ちょっと待って。

細胞(さいほう)』?


私の既存の知識に生物の最小構成単位の知識は無い。私が知っている知識は『知らない知識』が身体の再構成の為に教えてくれたディダによって過去にもたらされたものだ。

少なくとも私が知るこの社会において、生物学や医学に関する知識で細胞の存在に関する記述を見たことも聞いた事もない。


魔術の進化に伴い精霊の助けによる治療や魔術的に調合された霊薬の存在により、この世界におけるたいていの傷病は「なんとなく」治ってしまう。

故に、医学の発展は乏しい。

生物学者は動物学も植物学にも存在しないわけではないが、魔獣という予想不可能な進化を遂げる異形の存在が種の分類を困難にしているために体系分類的な学問すら未発展だ。


この2つの要因故に生物の最小構成単位に関する研究が進んでいない。

でもメイはソレを知っている。


「ねぇ、メイ。貴女『細胞』なんて言葉どこで知ったの?」

リリスの質問を無視して私は疑問を口にする。


「え? …あ、そっか。」

彼女が何かを思い出したかの様にポンと手を叩く。


「知ってたと言うか、私が勝手にそう呼んでるの。ていうかセレナも知ってるんだ?あの小さな包の事。」


「小さな包?」

リリスが小首を傾げながら尋ねる。


「えっとね、メガネのレンズで物がおっきく見えるようになるの知ってる?拡大鏡ってぷっくりしたレンズだと結構大きく見えるんだよ。ね。

で、私は拡大鏡を色々持ってるんだけど、ある日2つ使うと更にでっかく見えることに気づいてね?いろんなレンズでいろんな物を大きく見て遊んでたの。

リリスは知ってる?水の中とか、人の肌とか。結構色々生物がいるんだよ。すんごい小さいのが。ね。こんど見せたげる。


んでね、私その頃には百科事典でいろんな動植物の存在に興味を持っていて生物の大きさについて算出するのにハマっていて。さ。

その時につねづね疑問に思ったことがあってね『生物を構成する最小単位』についてなんだけど。

計算においても単位の統一や最小構成単位や共通構成単位を揃えての計算っていうのは凄く大事なことなんだけども、生物を理解するに当たって正確な構成単位の算出には最小単位を知る必要があるなーって思ってて。その複合拡大鏡でいろんな物を色んな方法で拡大しまくってみてたの。砕いて水で溶いたり、薄く切ったり、光を当てたり、煮たり、焼いたり、蒸したり。そりゃもう色々試したんだけど――」


饒舌も饒舌、超饒舌。

話が止まりゃしない。


リリスの目が点から虚ろに変わってゆく。

きっと情報の処理が追い付かなくて脳がパンクしてるんだろう。


彼女には申し訳ないけども、個人的にはメイの話に興味津々だ。

この子、数学の才能だけじゃ無い。

数学的に世界を解明するほどの観察力と洞察力、それを調べるための発想を持った子だ。


本当に凄い天才なんだ。



「―とまぁ、そんなこんなで私が個人的に開発した複合型微細拡大鏡によって植物の葉から細かな包みの様なモノを発見したわけよ。

そこからも、自分の口内粘膜やら涙やら、動物の血液やら肉片やら色々なものを観察したの。知ってる?植物と動物の『細包』って構造が違っていてね―」


なるほど、細かい包みで細包。


ていうか、まだ止まらんか。

流石に独自に顕微鏡を開発し生物の小単位を発見したのを知れれば良い。


そろそろ止めなきゃね。


「メイ。それくらいで勘弁してあげてくれるかしら?そのまま続けるとリリスの脳が焼けこげちゃうわよ。貴女の研究に関する報告はしかるべき機関のしかるべき学者達に呈示してちょうだい。」

そういって私はリリスの方に目をやる。


したり顔で講義を続けていたメイも「おや?」と言わんばかりの顔でリリスに目を向けた。


真っ赤な顔で難しい表情のまま内容を理解しようと頑張っている。


リリ凄。



「わぁ、ごめん!そこまで難しい内容を言ってるつもりはないんだけども?!」

メイはメイでナチュラルに煽りよる。


止めてあげてメイ。




「んで、セレナ達の要件は?」

テーブル周りにスツールを並べて座り、そろって干された洗濯物を眺めながらメイは私たちに訪ねてきた。


「マーサにね私たちの濡れてしまった旅装の所在を聞いたらこっちに案内されたのよ。メイはわかる?」

ようやく本来の目的へと話が移った事に安堵しつつ、私は要件を伝えた。


「あー、先に干されてた女物の衣類の事かな?セレナ達のだったんだ。」

心当たり在り、思い出すかのように中空に視線を漂わせたメイが応えた。




「今どこに?」


「そこ、テーブルの下の(かご)の中だよ。私が取り込んで畳んどいたよ。」


「ありがとー。」




そういって私はスツールを引き、テーブルの下にあった籠へと手を伸ばそうと覗き込んだ。


樹皮で編まれたシンプルな作りの洗濯籠の中に畳まれた衣類がいくつか入っている。私の旅装らしき布と、リリスの着ていた衣類らしき布が見えた。

どうやら間違いなさそうだ。



その籠の隙間に革製のベルトと革製のサイドポーチが仕舞われていたのを発見し私の心臓が跳ね上がる。


マーサの手によって洗濯済みであろう私たちの衣類同様に、おそらく革製品向けの手入れがされ光沢が蘇っている革のベルトとポーチ。


そのポーチの蓋は開いており、中身は見当たらない。



「……ねぇ、リリス。あなた…腰につけてたサイドポーチはどうしたのかしら。」

私は体温が下がるのを感じながら、大事な質問を投げかけた。


「…え?」

ぽけーっとたなびく洗濯ものを眺めていたリリスがハッとしたかのように表情を取り戻し、直後に自身の腰に手を伸ばしてまさぐる。

とうぜん彼女の腰には何もない。


数秒後、みるみる内に表情が青ざめ硬くなっていくリリスを見て私は察した。


「ねぇ…リリス? …あなた、手帳はちゃんと手元に有るのかしら。」

よくない考えが頭によぎる。


「……。」

すでに目には涙をいっぱい貯め、真っ青な表情のまま口を戦慄かせながら無言で首を振るリリス。


ウソでしょ、この子。

父親から託された大事な手帳を……ちがう、今はそんなことを考えてる場合じゃない!


最悪なのは……!



「ね、二人とも。手帳ってコレの事?」


そういってメイは上着のポケットから厚めの黒い手帳を取り出した。



最悪なのは…、第三者に手帳の…()()()()()()()()()()()()()()


そうですね、メイはマーサの従姪じゅうてつ

「いとこめい」とも読みます。


たまたまだぞ?

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