第五幕 「ゴキゲンなブランチ」
空を見上げた。
あそこには境界がない、領地がない、万人に接する時の違いがない。
ただひたすら何処までも続く同じ空間があるだけだ。
日が差し、風が吹き、雲が流れ、雨が降る。
でも忘れてはいけない、時に空は荒れ狂う嵐となる、吹き荒れ凍てつく吹雪となる。
あの恵みあふれる空は、時には我々の命を奪うのだ。
「まるで、あの子のようだね。」
ぐうぅ。
眼の前のテーブルに並べられたゴキゲンなメニューに私のお腹が早うせいと自己主張をし始めている。
太陽のように輝く黄身は半熟で分厚いベーコンが添えられたベーコンエッグ
ほかほかと湯気を立てるいい香りのポタージュ
新鮮な葉野菜に彩り鮮やかな野菜が様々に盛られたオニオンサラダ
キラキラと砂糖が輝きバターの香りが立ち上がるブリオッシュ
ジャムの瓶もいくつか並べられており色鮮やかだ
美味しそうな朝食の数々に口の中で唾液があふれる。
隣りに座っているリリスも目がキラキラして口は半開きだ。
ヨダレ垂れるぞ。
私が垂れそうだからな!
「さぁ召し上がって下せぇ、足りなきゃおかわりも有りますんで遠慮なく注文してくだせ。」
最後にバスケット山盛りのパンをテーブルに置いたベンが満面の笑顔で言い放つ。
まってました!
「はーい。いただきます!」
んぐっと唾を飲み込み、元気よく挨拶を済ませるとぱっとカトラリーを手に取る。
初手はベーコンエッグ、分厚く歯ごたえの有りそうなその恵体は最大級の自己主張をしている。放って置くことは難しい。
フォークを刺し、ナイフを添えると弾力のある感触。だが手を引けばスルリと刃が通る。同時に溢れ出す脂の香りに鼻腔をくすぐられる。
口に運んだ直後から香ばしい薫りが口から鼻に抜けてしっかりとした燻製と熟成を経たベーコンだと判る。噛む度に絶妙な塩味と脂、旨味が口に広がり思わず頬がほころぶ。
隣に控えるぷるりとした白と黄のコントラストによりテカテカと輝く目玉焼き、彼らには特に何もかけられてはいない。私は迷わず黄身に軽くナイフを突き立てると、そこからトロリとした黄身がこぼれる。程よい大きさに切り取った白身でその黄金色の流れを手早くすくい取るとそのまま口に運んだ。
シンプルながらも濃厚な味わいが舌を撫ぜていく。
旨し。
ベーコンエッグを半分ほど堪能した私は次にサラダへと手を伸ばす。
そばに置かれたドレッシングの入った小さなポットを傾け、ボウルに盛られたサラダへ回し注ぐ。オイルのテカりと瑞々しい野菜の輝きが一体となって宝石のように輝いている。刻まれたトマトや色とりどりのパプリカが綺麗。
中央には真っ白なスライスオニオンが盛られているが、私がかけたドレッシングのオイルが白を別の色に染め上げていく。
緑の葉野菜ステージの上で演劇でも行われているようだ。
演者たちはフォークによって一緒くたに私の口へと運ばれシャクシャクと音を奏でている。甘さすら感じる新鮮な野菜のみずみずしさと、酸味の効いたオイルドレッシングの共演が爽やかな味わいとなって喉へと抜けてゆき口の中が大喝采だ。
ぶらぼー。
三番目に狙うのは黄金色に輝くポタージュ。
立ち上がる湯気が煮詰められた濃厚な野菜の味わいと香ばしいスパイスの薫りを届けてくれる。
スプーンで適量すくい取り、口元へと運びスプーンを傾ける。
ちょっと熱かったけどそのまま流し込んでしまう。ほんのひと掬いのスープから信じられないほど濃厚な味わいと素敵な香りが口中へと広がってゆく。
あー、これ好き。
大好き。
掬う手がとまんない。
私は口の中でスープの余韻を楽しみながら次の作業へと取り掛かる。
眼の前に並べられたジャムの瓶から中身を掬い取り、空いている皿のフチへと混ざらないように間隔を開けながら並べる。
赤いいちごジャム…、黄色のオレンジジャム、紺色のブルーベリージャムに、淡い黄色のジャムはレモンかな?
そして……実は気になっていた事がある、この信じられないほど淡い空色のジャムは何だろう。…青い…果物?…野菜? 正体がわからん。
煮詰めて作るジャムがこんな綺麗で淡い青が出せるもんだろうか…。
味を楽しむために順序よく瓶から掬っていた手が思わず止まってしまう。
ベンがニヤニヤしている。
「あの…ベン様。この綺麗な青いジャムはいったい…。」
「食べてみてくだせ。大丈夫、ちゃーんとあまーいジャムですけぇ。」
正体を教えてくんない。
いじわるです。
私は好奇心に負けて瓶からひと掬い皿に移す。
まるで絵の具を垂らしたパレットのように、白い皿の上に色とりどりのジャムが並んでいる。淡い青が放つ異彩が凄い。
「セレナ様の目の色と似てますね。その青いジャム。」
リリスが私の躊躇を見て面白そうに話す。
確かに、私の淡い空色の目と良く似ている色だ。
ジャムを準備し終えた私はバスケットからブリオッシュを一つ取る。
焼き立てのパンからはまだじんわりとした熱が指へと伝わり、同時に甘い香りがバターの香ばしさと共に鼻へと届く。
手で割くと再びほわっと湯気が立ち上り、焼き立てのパン独特の香りが立ち込める。私はコレ、大好き。
手頃な大きさにちぎったパンでジャムを掬い取り、順番に味を楽しむ。
そしていよいよ最後に青ジャムへと手を伸ばし掬い取る。
白いパンの中身に淡い青が…すごい異質なコントラスト。
そういえば青い食品って……思いつかない。
ともあれ、私は意を決して頬張り、もぐもぐと咀嚼した。
途端に口の中に広がる甘さと酸味。
でも香りが独特。嫌では無いけど不思議な味わい。
んん?これは……?
「…りんご?…のジャムですか?コレは。」
飲み込んだ後、いまいち実感の得られない私は首を傾げながら答える。
「えぇ、正解ですな。良いリンゴを育てるためにはまだ青いリンゴを間引きするんですがな。すてっちまうのも勿体ないちゅうことでジャムにするんですが、やっぱり酸味が強いし他の果物に比べると甘みや色味が薄くってですなぁ。ちょーっとソレだけじゃぁダメだ、となるわけですわ。
まぁジャムですけぇ、砂糖も足すんですがリンゴの酸味とのバランスが良くないんですわ。んで、ハーブを加えて香りを足すことで自然な感じに出来ないかなと色々試したら、良い具合の香草が有ったんですが、なーぜか完成品が青くなるんですわ。
まぁでも、ほら『青りんご』ちゅうのもありますけぇ、青いリンゴのジャムってのは面白いんじゃないかな。と、村でつくっとります。」
それは青の意味が違う…。
つまりコレは摘果した実を無駄にしないようにするために生まれたジャムなのか。まぁ面白いジャムなのは間違いない。
変だけど。
「不思議なリンゴジャムですねぇ…。私はコレの味好きです。」
そう言ってリリスはたっぷりと青いジャムが乗ったパンにかぶりつき、ニコニコしながら咀嚼している。
ひぇ。
「従者さんはお気に召したようで何より。ワシも好きなんですがな。まぁ好みは人それぞれちゅうことで。さ、どんどん食べてくだせぇ。」
そういってベンはニカニカしながら厨房へと下がっていった。
ま、ベンの言うとおりだ。
不思議ジャムはさておき他の料理は絶品だもの、楽しませてもらいましょ。
ポタージュはおかわり決定!
その後、私達はシンプルながらも美味しい遅めの朝食をリリスとたっぷりと楽しんだ。食後にはハーブティーも出してくれて、爽やかな香りを楽しみながらゆっくりと腹ごなしをしていた。
満足げな顔のリリスを眺めながらお茶を楽しんでいると。
背後からギィと扉が開く音がした。振り返ると酒場の入口の方から男性が一人入ってきた。
おや、アレは…
「おはよう御座います、セレナ様。お食事中に失礼いたします。
マーサからお二人がお目覚めとの連絡を受けまして、私も領主からの言伝が有りましたので伺いました。ご無礼をお許し下さい。」
そう言って深々と一礼した。
ルミナス北方森林地帯領地伯、セドリック・グリーンヴェイル子爵の執事、名前は確か…
「おはよう御座います、トマス様。ご無礼だなんて、お気になさらず。食事も終えましたし、今は食後のお茶で一息ついておりました。」
そういって私は会釈をした。
「お気遣い有難うございます。」
そう言ってトマスは静かに微笑んだ。
一昨日の夜は厳格な印象を覚えたが…、あれは領主に対してだけなのかな。
「それで、トマス様。領主様からの言伝というのは?」
私は要件を尋ねた。
「はい、セドリック様より伝言がいくつか御座います。」
そう言うとトマスは姿勢を正して喋りだした。
「一つは『本日の夕方、館にお越し頂き今回のハーセル家の件に関するお話をお聞きしたいのと、魔獣の件についてご相談が有る。是非夕食会も兼ねてお越し頂きたい。』との事です。
もう一つは、収監中の野盗7名についての情報です。
王都より審問官と護送用の馬車、連行と護衛の憲兵数名が夕方までに来るそうです。夜間簡易的な取り調べが行われ、明日早朝にでも出立となると思われますので…。
『もし何か有るようでしたら、ソレまでに用事を済ませていただきたい。』
その様にセドリック様が仰っておりました。」
なるほど、報告と相談。
そして野盗の沙汰に関する連絡。
やっぱり伯爵は聡明な方だ。
私同様にグリムヴェインに何かしら思う所が有るのだろう。接触の許可と機会を与えてくれるようだ。
「承知いたしましたわ。館へのご招待を受けさせていただきます。夕方前には色々と用事を済ませます。」
私はそう答えた。
「領主に代わり感謝いたします。
では、迎えの馬車を待機させておりますので、用事が済み次第お越しください。私も時間まで村の西門近くにある詰め所にて馬車共々待機しておりますので、何か有れば。」
そういってトマスは再び深々と礼をした。
「委細承知いたしました。」
私も再び返礼する。
「では、一旦失礼いたします。」
そう言ってトマスは踵を返すと、酒場の入口から退出した。
「…この後はまた色々と用事が出来たわね。」
トマスの退出後、私は呟いた。
「グリムヴェインさんとも会うんですか?」
何かを察したかのようにリリスが尋ねてきた。
「うん、ちょっと話を聞きたいの。」
私は答えた。
「……夢見で調べたりしましょうか?」
リリスがちょっと含みのある感じで提案してくれた。
「ううん、今回は良いよ。彼が喋りたいことだけを聞きたい。」
夢見の力で彼の記憶を除けば簡単かもしれない。
でも、それは違うと思った。
なんとなくだけど…。
あと、デカいおっさんにリリスが添い寝して夢見に誘うのは…個人的に何か嫌なので避けたい。
「良かった。あの方の夢に入るのは何か嫌なので。セレナに同行してもらうのも申し訳ないですし。」
ほっと一息つくリリス。
リリスも嫌だったようだ。
正直な感想に思わず笑ってしまった。
ってか危うく私も巻き込まれるところだった。
あっぶな。
「さて、じゃぁ食事も済ませたし。早速動くとしましょ。」
そういって私は椅子から立ち上がる。
「はーい。お供します。」
そういってニッコリ笑顔を向けてくるリリス。
彼女が立ち上がった所で奥からマーサが食器を下げに来た。
ちょうどいい、私達の服の事きいとこ。
そうして私は満腹感と満足感に満ちた顔でマーサへと話しかけた。
さぁ、今日も忙しいぞ。
頑張ってベンが料理したゴキゲンな料理。
頑張って描写した。
頑張って腹減ったぁ




