第四幕 「少し遅い目覚め」
救いを求める者は必ずしも報われぬ
しかし救われた事を信じ喜ぶものは
必ず心に良き糧を得る
いずれ潰える命だとしても、それは人生においては有益である
「だから、あの人が選んだこの道は救われてなきゃいけないんだ…」
目が覚めて瞼がぱちりと開く。
背後で寝ているリリスの寝息以外は部屋の中は静かなものだ。
しかし外からは活気ある村人たちの気配が感じられる。
たぶんもうとっくに朝が過ぎて大分経つのだろう。
首を少しもたげて薄暗い部屋を見回すと、鎧戸から差し込む光が部屋を静かに舞うホコリを煌めかせていた。
光の角度から既に日が昇り切りつつあることを知らされる。
部屋の温度もすっかり上がっているようで、秋も始まろうという季節にしては心地よい暖かさを覚える。
今日は随分天気が良さそうだ。
起き上がろうと上体を起こし、全身をくまなく撫ぜていく肌触りの良い布の感触に思わずびっくりしてしまう。
何事かと自分の体を確認して一糸まとわぬ姿に二度驚く。
そうだった…。
私は夢見の世界にリリスによって誘われる際に全裸に剥かれたんだった…。
しかも何の下心も無く、何の良心の呵責も無く。
ほんと怖。
夢見の世界での交流を思いながら、楽しそうにウキウキと私の衣類を剥いでいくリリスを想像したら背筋に寒気が走った。
「う…ぅん……。」
小さなうめき声が聞こえた直後、私の腰回りに手が添えられた。
まさぐる様に私の肌を這い回る手の動きに再び背筋を何かが駆け抜ける。
「ひぅっ!」
思わず小さく息が漏れた。
恨めしい視線をリリスに突き刺すが、当の本人は凄く良い顔で寝ている。
当然ながら彼女も全裸。
白いシーツに褐色の肢体。
コントラストにより彼女の肉感あふれる躰が存在感を強烈に浮き彫りにしていて酷く官能的だ。
首にはかつて『対の指環』を通していた銀色のネックレスが輝いてる。
スヤスヤ安眠ワイルド淫魔め。
ふと彼女の背中側に視線を移すと、スツールの上に水の張られた桶と手ぬぐいが有るのに気付く。
ベッド脇のナイトテーブルには私が脱ぎ捨てた上着やスカート、肌着や下着が全て綺麗に畳まれて置いてあった。
そこで昨晩の夢見でリリスが私の世話をしてくれた話をようやく思い出す。
「…ふ。」
そんな小さなため息が一つ、自然と私の口から笑みとともに漏れた。
私は静かに腰の縛めを解くと、そのまま滑るようにベッドとシーツの間からスルリと抜け出した。
しっかりとした造りの床板と上品な絨毯の上をなるべく静かに歩く。
とすとすと全裸のまま自分のショルダーバッグが置いてあるローテーブルへと向かいバッグの中から替えの下着や肌着を出す。
そういえば…濡れてしまった私の旅装は今どうなってるのだろう。
後でマーサに所在を確認しなきゃ。
着替えながらそんな事を考えていると…ベッドの方でもぞもぞと何かが動いている。布が擦れる音と共に何かを探るような動きで蠢く。
「あぇー…?…せれなわぁー…?」
間延びした間抜けな間合いで紡がれる言葉がリリスの口から漏れている。
「こっちよ、リリス。」
肌着に袖を通しながら私は声を掛ける。
ピタリ、と動きを止めたリリス。
彼女はたっぷり数秒を置いた後、おもむろにムクリと上半身を起こした。
寝ぼけていたわりには起き抜けは良さそうな動きだ。
眠たそうな顔のまま部屋をゆっくりと見回し、私が立っている方を向いてピタリと首をとめる。
「……おはようございます。」
「おはよ。よく寝れた?」
「…はい。」
「そ、じゃぁ着替えて下行きましょ。お腹へっちゃった。」
「はーい。」
ようやく脳に血が回ってきたのか回復しつつ有る反応速度に安心した私はショルダーバッグから予備の上着とスカートを取り出す。
スカートを穿いて上着に袖を通し、髪の毛も留め具で簡単に纏めてしまう。
簡単な身支度を終えてリリスを見ると裸のリリスがベッド脇に立ったまま何やらスーハースーハーと深呼吸している。
何してんだろ。
裸で体操?
「そういえば、リリス。あなた着替えとかは?」
やたらと軽装で荷物もなく、ベルト脇に付けたやや大きめのサイドポーチ以外何も持っていないことを思い出す。
いくらなんでも、あのポーチに予備の着替えを仕舞うのはムリだろう。
借りてた衣類をもう一度着るのかな?
「あ、ご心配なく。これが有ります」
そう言うと目を閉じて両手を軽く広げ、自然体でゆるく構えるリリス。
そのまま集中するかのように再度大きく息を吸ってとめると。
彼女の首元にかけられている銀色のネックレスから、膨れ上がるようなマナの波動と共に暗い紫色の光が迸る。
光は首元から彼女の身体を包み込むように足元まで一瞬で身体を這っていき、そのまま弾け飛ぶように霧散した。
後にはやや地味なローブに暗赤色系のレザーベストとショートパンツの姿になったリリスが立っていた。
出会った時と似たようなファッションではあるが、色合いは前は黒紫っぽかったかな?
「おー、そのネックレス、魔具だったのね…あまりにもシンプルなデザインだから気づかなかったわ。」
「はい。顕現化の魔術は苦手なので集中しないとマテライズ出来ないですけど…、このネックレスにはいくつかの衣類と旅道具が登録されてます。」
装備品や道具の魔具化と顕現化、マナライズとマテライズ。
魔術師や魔導士が杖や様々な魔術道具などを魔術によって魔具化することを代表に、様々な物質を魔力化して登録するのをマナライズ。逆に元通りに物質化することをマテライズ。
ある程度の魔術の才能を必要とするが、魔導士の称号を得るには必須の技能だ。
万物に宿っているマナと思いに干渉し精霊の助けを借りて魔導感応性の高い物質に封入する。代表的なのは高い品質の魔力結晶や白霊銀、それなりに希少な宝玉や金属を使いアクセサリなどにして身につけるのだ。
リリスのように衣類や道具を魔具化することも出来るし、高度な魔術を封入することも出来る。
そしてこの魔具の技術を発展させ、より工学的に制御できるようになったのが魔導工学。意図に沿った術式を編み込んだ木材や金属を加工し、機能的な動きや作用を持った道具を作り上げる技術。
簡単に言えばそんなところである。
「宝石の類のが無いのを見ると…、まさかソレ全部白霊銀で出来てる?」
恐ろしいことを思いついたが聞かずにはいられなかった。
「はい、正解です。」
凄く嬉しそうな顔で返事が返ってきた。
「わー…それだけでひと財産じゃない、そのネックレス。」
白霊銀は非常に魔導感応性が高く加工もしやすい、武器・防具・装飾品・道具ありとあらゆる加工品への適正が高い金属。
その有用性の高さゆえ、それなりの採掘量があるにもかかわらず同量の金よりかなり高い価値を有する。
「えへー、父からの贈り物で私の宝物の一つです。」
自慢げに見せびらかしつつドヤ顔で誇らしげ。
「売ったら幾らになるんだろ…。」
「そんな事したらいくらセレナでも本気で嫌いになりますよ。」
ギッと強い視線を投げつけてくるリリス。
「冗談よ。私は顕現化の魔術なんて使えないから欲しくもならないし、高額品に対する様式美的な反応をしただけ。安心して。」
「そうでしょうねー……セレナはたまに意地悪です。」
「さ、下に降りてベンやマーサ達に挨拶してきましょ。お腹も減ったから酒場の方で何か注文したいわ。」
むくれ顔で非難の視線を送ってくるリリスを軽く流しつつ私は部屋の扉を開いて廊下へとでた。
「ほら、行きましょ。」
そう言って笑顔でリリスを手招きする。
「もう…。」
呆れ顔のあと諦めがついたのかリリスは大人しくついてきてくれた。
二人並んで階段をおりてフロントロビーに向かうとカウンターにマーサが居た。カウンター内にある椅子に座りながら手芸の刺繍をしているようだ。
私達の足音に気づいて手を止め、椅子から降りて立ち上がりマーサは静かに私達を待ち構える。
やがて私達がカウンターの前までたどり着くと。
「おはよう御座います。聖女セレナ・ルミナリス様。従者リリィ様。
よくお休みになられましたでしょうか?」
優しい笑顔を浮かべて私達を一礼で迎えてくれた。
「おはようございます、マーサ様。おかげさまでよく眠れました。
疲労もすっかり取れまして、感謝いたします。」
私もまた姿勢を正し、思いを込めて返礼する。
「おはようございます、マーサ様。とても快適に過ごせました。」
リリスも私に続いて一礼した。
「勿体ないお言葉にございます。ハーセル家のため、ひいては私たちの村の為に心身の犠牲をいとわずに尽くしてくださったこと…村の一員としてお二人には感謝してもしきれません。」
「女神の導きに従い、己の身命に恥じぬ働きが出来たのであれば我々としても幸いです。…そういえばマーサ様とローナ様は親しいようでしたが…もしや。」
「はい、ローナは私の従姉妹にあたります。ルミナス学術院で供に学んだ仲でもありまして、グリーンリーフ村の開拓事業団に一緒に参画した同期でもあります。学生時代から共に切磋琢磨してきた者があのような境遇に貶められた時は…本当に身が引き裂かれる思いでした。」
近親者で友人だったのか。
実は緑葉亭の一室でメイの治療中、ずっと励ましの言葉をかけていたのを理力の聴力強化で聞いていた。
姉妹かなと思うくらいには深い仲だと感じていたが。
「セレナ様たちがローナとメイを救いに行くと仰って下さった時、私の胸中に灯った希望の光の暖かさ……救い出してくださった後も必死に家族に尽くしてくださった姿。私は永遠に忘れません。」
そういって目にうっすらと涙を浮かべながら万感の思いを込めマーサは再び深々と礼をした。
「私たちの行いが皆の希望になったことを女神ルミナスの徒として、心より嬉しく思います。」
そういって祈りの所作をもって応えた。
リリスもまた静かに倣う。
マーサは深く礼をしたまま私の言葉を受け取る。
小さく「オゥミナ」と呟いた後、すっと顔を上げた。
「さぁ!セレナ様、お腹が減っていらっしゃいませんか?ベンが万全を期して待ち構えております!どうぞ酒場でお好きな料理をご注文下さい!全身全霊をもって御もてなしさせていただきますので!」
そういって朗らかな笑顔の宿屋の女将に戻ったマーサは酒場の入り口を掌で指し示した。
「はい!実はもうお腹がペコペコでして!ご厚意に甘えさせていただきますね!さ、リリィ様もいきましょ!」
私もまた聖女の仮面を外し、年相応の態度で声をあげてリリスに向き直る。
彼女がちょっと驚いた顔をしている。
マーサも少し驚いた顔をしたが直ぐに満面の笑みを浮かべ、目じりを少し拭うのであった。
魔法少女の着替え的なアレ
ある種の無敵時間
っょぃ




