第二幕 「動機」
私を突き動かす私の内なる衝動。
それに不信感を覚えることなど無かった。
「だって、それが私の生きる意味。」
珍しく羞恥心に苛まれテーブルに突っ伏して悶えているリリス。
未だに低く小さく唸りながら両手で顔を覆ってる。
マシにはなったものの、未だ頬や耳は赤い。
褐色の肌が紅潮して赤みを帯びているのって凄い印象的。
今までこの子の事をちょっと勘違いしていたかもしれない。
サキュバスゆえに性におおらかで、あけすけな印象を持っていたが実のところは違うようだ。
知識はあれど経験はなし。
サキュバスとして色々と知っていて、耳年増的に性に対する知識と耐性を有しているが…故に線引がハッキリしているだけであって、いざ性的な行為に自身が巻き込まれると…生娘のような反応をする。
いつだったか彼女の角についての話になったとき、角の貧相さについて無神経にいじった時の反応とかも、魔族的には性的な恥辱に塗れているような反応だったのかもしれない。
逆に性的な意図を有さないと認識しているスキンシップは彼女の中では羞恥の対象とは成らず、むしろ好ましい行為として積極的に行うような事。
そりゃそうだ。
裸同然で触れ合う事への忌避感の無さはサキュバスゆえの感覚。
夢見による干渉で精神を翻弄し、その結果発生する感情がサキュバスの糧になるという事なのだろうから、彼女らにとってアレは食事。
一方的な魂や精神の簒奪という捕食行為。
それに対して、口吸いのような粘膜接触は基本的に彼女たちにとっても性行為って認識になるのか。
そしてリリスは『対の指環』の効果によって淫らな感情への欲求や、それに類する負のマナに対する飢えが存在しない。
結果、奥手のサキュバスという珍奇な存在が誕生した。
私だってそれなりの知識を有した上で恥ずかしいものは恥ずかしいけど、リリスのソレとはズレが生じる。
種族と文化の違いによる価値観の差異って不思議だなぁ。
そんな事を呑気に考えていた。
「…なんでセレナはそんなに平気そうなんですか…。」
恨めしい視線を向けられ恨み言を呟かれた。
私の落ち着きっぷりが納得いかないらしい。
「精神衛生に良くない企みごとの中止は決定されたので問題ないし。サキュバスの貴女がキスごときでそんなに打ちのめされるのを見ていたら、なんか逆に冷静になっちゃった?」
半疑問形。
何の下心もなくハードなスキンシップを強行してきた淫魔が、キスをする事になったら死にそうなくらい狼狽える。
正直おもしろい。
「キスごときと仰りますか…。」
凄く不満そうな顔で睨まれている。
「ウソよ。ごめん。やっぱ私も流石に舌同士を絡ませるのは恥ずかしいわ。」
少し顔が熱いのも事実。
あ、夢見でも自分の紅潮を感じるんだ。
すげー。
「なら良いですけど…。あんまり不意打ちで変なこと言わないで下さいね。私だって恥ずかしいことくらいあるんですから。」
その羞恥心の線引が正直わからんのですよ?
「…でも、ベリーチーズタルトのあの味をセレナと共有出来ないのはちょっとだけ残念かも。でも共有するための方法が恥ずかしすぎるので、やっぱ無理かも。もどかしい。」
複雑な面持ちと心境であろうリリスは悩ましげな態度で悶える。
ここは一つ建設的な提案を。
「別にここで無理に共有することでもないでしょうに…私達の目的の一つが魔都の古代遺跡に向かう事であるわけだし。そのために海路や空路の玄関口であるトレードウィンドに向かうのは必至。なら実際に味わう機会もあるでしょ。」
「そうなんですか?」
リリスがすっと顔を上げると、嫌に真剣な顔でこちらを見つめる。
この顔はスイーツ満喫の機会が得られるという喜びではなく、古代遺跡に対する興味の顔だ。
「貴女のお父様の研究が完了していて、あの手帳にその全てが記載されているのであればソレを元に必要な行動をするのだけれども。実際に書かれている内容は暗号化により不明。それを自力で解決するにせよ、状況の如何に関わらず古代遺跡を訪れることは必要不可欠よ。」
「父の研究内容の確認のため。ですね。」
「その通りよ。お父様の目的である魔族の救済の全容がどのようなものかは判らないけれども…貴女との会話や彼自身の振る舞いや実績の事を判断材料にいれると、武力による支配を望まず平和的な解決方法を見出していたと予想はできるわ。」
「はい、私もそうだと確信しています。父は争いを望まず常に言葉による解決を望みました。血気盛んな同族達に対してもそれは変わらずでしたので…そんな父が心血を注ぎ生涯を掛けた研究が暴力や破壊的なものであるとは…私は思いたくないです。」
トレードウィンドでベリーチーズタルトを食べようという話はいつの間にか彼女たちの真の目的に対する話題へと移り変った。
「そうね、それを確かめるためにも手帳の解読は必要だし、古代遺跡の調査も必須だと思うの。それに…手帳から得られた情報次第では他の場所へと向かう可能性だってあるわ。それが何処のなにかかは判らないけれども。」
「ですね…私もじっくり腰を据えて手帳の解読に取り掛かるのが、まずは先決かと思います。」
「私もそう思う。でも…グリーンリーフ村の問題はメイの事だけじゃなくて魔獣による被害のこともあるわ。私はこれも放っておくつもりは無いの。」
「そういえば、それも残っていましたね。」
恐らく目が覚めた後、再び領主と話す機会が有ればその時に色々と話すことになるだろう。
「リリスには申し訳ないけれども、もう少しだけ私の身命を果たす事を許してほしいの。」
「そんな…気にしないでセレナ。私は貴女が聖女としての務めを果たすことに何の不満もないです。」
「…そう言ってくれるのは嬉しいわ。」
「それに、うまくいえないけれども…私もセレナの救済の手伝いができるのが嬉しかったの。」
「貴女の力がなければ、こうは上手くいかなかった事を考えると。リリスの言葉は本当に心強いわ。」
そういって私は敬意と感謝を込めてリリスに笑顔を向ける。
「…セレナはどうして救済の旅をしたいと思ったの?」
そんな私の目を見つめながら、少し間をおいてリリスが聞いてきた。
「それは、私が人を救う理由って意味で?」
「うん。セレナは厄介事に首を突っ込まずに一人旅を満喫することだって出来るはず。王都や神殿の窮屈な生活から抜け出した喜びと共にね。
だけど貴女は、私のことを救うために声を掛けてくれた。偶然立ち寄った村で起きている村娘の身体と心を救うために命を削ってまでもやり通した。
貴女のここまでの献身の理由はどんな物なのかな?」
そう言って真剣な眼差しを私に向けてきたリリス。
私は少し考える。
なぜこうも私は人を救うことに執着するのか…か。
…正直言って明確な答えなど無い。
私に力があって、それを必要としている人たちが目の前にいる。
私には考えがあって、それを実行可能な状況が目の前にある。
私に機会があって、それを逃せば潰える希望がそこにある。
私は私の目の前で起きたことに無関心で無責任では居られない。
その程度の理由だ。
「…そうね、理由をあげるとすれば。」
私は自分の行動原理の中で一番しっくりくる言葉を選んだ。
「うん。」
興味津々で無垢な眼差しを向けてくるリリス。
「私がそうしたいから。よ。」
これに尽きる。
「…。」
リリスがポカーンとした顔をしている。
「…何か変かしら。」
少し不安になって聞いてしまう。
「ううん、全然。凄くセレナらしいなって思っただけ。金や名誉の為なんて答えは無いだろうなって予想だったし、聖女としての使命とかかなー、なんて思ったけども。」
そういって感嘆と尊敬の眼差しを私に向けてくる。
「…ご納得いただけたなら幸いだわ。」
そう言って目線を外した。
なんともむず痒くてリリスに視線が合わせられない。
視界の端に凄く嬉しそうな笑顔を向けてくる彼女が映る。
照れたり強がったりなどしていないからね。
だからその『かわいいなぁ』って顔を止めて。
手を伸ばして頭を撫でないで!
撫でさセレナ。
かわいい。
3匹くらい欲しい。




