一章 第一部 エピローグ
誰かの心に火が灯る
その火は瞬く間に燃え広がり大きな炎となる
だけど、その火はどんな火なんだろう?
勇気?義憤?復讐?憎悪?裁き?残虐?
「俺はこの身に宿る火を正しく使えてるのだろうか…」
日付も変わったというのに、ハーセル家の屋敷前には村人が多数押し寄せていた。皆一様に涙を流しながら笑顔で一家を取り囲み、抱き着いたり手を握ったり、思い思いに喜びを分かち合っていた。
村の発展に多大なる貢献し、村の中核を担っていた人物に突如として訪れた不幸は村民たちにも大きな影を落としていたのだろう。
その不安が過去のものとなり、その原因も取り除かれたとなれば喜ばぬものなどいない。
ハーセル夫妻と目覚めたメイが再開した直後、様子を見に来たグリーンヴェイル領の護衛騎士であるリアムとフィンは状況が大きく進展したことを知ると、二人は踵を返しオルウィン村長の元へ知らせに走った。
そのまま村のみんなに一家の無事を触れ回るとグリーンヴェイル子爵の元へと報告に行くと言い、愛馬とともに村の外へと夜道を駆けていった。
明日にでも子爵は再び村を訪れて、今回のあらましを確認しに来るだろう。
平和だった村に突如として訪れた悲しみは今や見る影もなく、村の日常は取り戻されたと言っていい。
大きく焚かれた篝火と無数の松明に照らされながら、沸き立つ村人たちの影は祭りで踊りあかしているかのように絶え間なく揺れ動き、深く大きな森に揺らめいている。
まるで闇夜にぽつりと輝く焚き火の様な、少し頼りないが確かな導きと希望を持った灯と影がそこにはあった。
セレナとリリスは歓喜にどよめく村人たちを少し離れたところから笑顔で見守りながら佇んでいた。
「素敵な光景ですね。」
リリスが柔らかな笑顔でつぶやく。
「貴女が居なければ見れなかった光景よ。」
セレナは何の含みもなく素直な気持ちでいった。
「違います、セレナと私が居たから見れた光景ですよ。」
リリスもまた何の臆面もなく言い切った。
「…そうね、貴女の言うとおりだわ。」
そういって聖女は満足げな笑顔を浮かべる。
その時、村の皆にもみくちゃにされながら笑顔を振りまいていたリックは手を大きく掲げて皆を制すると声を張り上げた。
「みんな!聞いてくれ!」
沸き立っていた村人たちの騒めきは収まっていく。
「ありがとう、みんな。私たち一家が今こうして皆と居れる事をこんなにも喜んでくれたこと。また無事に皆と一緒にこの村で暮らしていけることを心から誇りに思う。」
リックは感謝を述べ、村の皆への敬意を伝えた。
「そして、皆に改めて紹介したい方がいる。
妻ローラと我が娘メイを野盗から救い出し、死にゆく定めだった私を女神の奇跡によって完全に癒してくださった。
それだけではない!
途方もない暗い闇に晒されて沈み切ってしまった娘の心を救いあげてくださったのだ!」
村人たちは深くうなずきながら輝きと熱を宿した視線をリックに向ける。
「皆もうわさは聞いているだろう。
此度の大戦を終わらせるためにたった5人で魔族領「極寒の死地」へ赴いて任務を果たした英雄たちの一人、『奇跡の抱擁』の聖女様は再び世界を救う旅へと歩みだされ、この村に訪れてくださった。
そして我がハーセル家を理不尽な闇から救い出し、この村に希望を取り戻してくださったのだ。
ああ、なんと慈悲深い救いと導きの担い手!
噂に違わぬ神々しき女神の使い!」
興奮したかのような気勢と大げさな身振りでリックは話す。
「どうか皆にもそのお姿を見てもらいたい!
さぁ!聖女様!そしてその供柄の方も!
どうぞこちらへ来てください!
皆に貴女を紹介させてください!」
リックはそう言い放ち、セレナたちに向き直ると最敬礼の姿勢を取る。
村人たちも興奮気味な熱い視線をセレナ達に送る。
それを見たセレナは仕方がないといった風に小さく息を吐くと。
「行きましょう、リリィ様。」
そういって村人たちへと歩み寄る。
「はい、セレナ様。」
リリスもセレナについて歩きだす。
ほどなくして、セレナ達が村人のそばへとたどり着くとリックは最敬礼の姿勢を解き、片膝をついて跪こうと身を屈めた。
「感謝いたします、聖女セレナ様、従者リリィ様。」
村人たちも各々それに倣おうと身を屈めた。
「リック様、跪く必要はありません。村の皆さまもそうです。
どうか楽にしてくださいまし。
私は信仰の徒であり、女神の導きと救いをあまねく世界に伝える事を身命とする者。人の上に立つ者ではなく、あなた達とともに歩むものです。」
「いいえ、聖女セレナ・ルミナリス様。
我々は貴女への最大限の感謝と敬意を示す方法をこれ以外に持ちません。」
リックはきっぱりと言い放つ。
ローナとメイも、村人たちもまた膝まづいている。
「…承知いたしました。では我々もこういたしましょう。」
そういってセレナは身を屈め両膝をついた。
リリスもセレナの斜め後ろに位置取り、少しの遅れもなく同様の姿勢を取った。
村人たちが騒めき、リックとローナが驚いている。
メイは静かな笑顔でそれを見ていた。
「セレナ様、我々にそのような…。」
リックがやや戸惑いながら喋りかけるが―
「お静かに。皆さま、そのまま姿勢を低く。
此度の事を…女神への祈りと感謝をもって心に刻みましょう。」
凛とした声が闇夜に響いた。
聖女と従者はそのまま何も言わずに祈りの姿勢を取った。
村人たちはハッとして各々が祈りの姿勢を取る。
篝火と松明の燃える音だけが聞こえる。
そして、誰も喋ることなく静寂が訪れた。
しばらくした後、聖女は朗々と祈り始める。
「我が信仰の象徴と、救いと導きの標たる女神ルミナスよ。
我を導き、この村へと歩ませていただいたことに感謝いたします。
いまだこの世に巣食う闇が、その身を食い破り魂を貪る前に我が小さき手が届き…再び祈りと信仰の日々を取り戻せたことに感謝いたします。
正しき心と守られるべき平穏が皆の内に取り戻せたことを感謝いたします。」
聖女は女神の導きに感謝し、自らの身命を果たせたことに感謝する。
いつの間にか村人たちも両膝をつき、皆祈りを捧げていた。
「暗き闇に身を染めた罪人たちは女神の光によって捕らえられ、正しき裁きを受けるべく静かに罪過をかみしめております。
女神の言葉と光が彼らを照らし、その身に相応しき道が訪れることを我々は静かに待ちます。
どうか我々の心を清め、穏やかにしてください。
此度のことを正しく心に刻み、闇とともに歩む勇気を与えてください。」
捕らえられた罪人が正しく裁かれ、自分たちの心に不要な闇が残らぬよう平穏で居られるように願う。
村人たちから呟くように同意の言葉が漏れる。
「光の道を歩むために、正しい闇を背負う覚悟をお与えください。
闇の中を歩むために、小さな光を見失わぬ強さをお与えください。
光に目が眩まぬように、静かな闇を持って我々をお守りください。
闇に目が曇らぬように、確かな光をもって我々を導いてください。」
ルミナスの教えにある最初の句。
光と闇とともに歩む教え。
「慈悲深い導きに、限りない感謝と祈りを捧げます。」
「オゥミナ。」
結びの句をもって聖女の祈りは終わり。
ともに祈る者たちは口をそろえて強く同意をしめした。
聖女は祈りを終えると静かに立ち上がる。
しかし誰もが動こうとはせず、聖女の次の言葉を待つ。
「祈りは捧げられ、女神は聞き入れてくださるでしょう。
女神の導きが私を使わし、ハーセル家とこの村に救いをもたらした様に、皆の心に燻る闇が燃え上がることなく、穏やかな明日を迎えられることを私は信じております。」
これは聖女から村人への説教であり訓告。
「誰もが望まぬ悲劇は女神によって癒されました。なればこそ憎しみと悲しみはここで断ち切られ、罪人はあなた達の手から離れます。そして、女神と司法によって正しく裁かれます。」
もう、あなた達は闇におびえて震える手で武器を取らなくてよい。
「さぁ、立ち上がりもう一度喜びを分かち合いましょう。寝床へと戻り闇とともに安らぎ、ふたたび朝日を迎えましょう。」
明るい声で聖女は皆を促した。
うなだれていた者たちは頭をあげ、立ち上がると互いに顔を見合わせた。
今度は静かに抱き合い、また手を握り合う。
静かに穏やかに喜びをかみしめた。
即興の礼拝により、村人たちの憎悪は予めたしなめられた。
捕らえられた罪人たちへの暗い思いは洗い流され、村人たちはまたひと時の平穏な未来を約束される。
聖女のもとへと一人、また一人と感謝と思いを伝えに村人たちが訪れる。
皆不安だったのだ、周りに闇が蔓延ることが。
その闇が自身のうちに宿ってしまうことが。
でも、これでまた普段の暮らしを明日からすることができる。
安心したかのように村人たちはハーセル家へ挨拶と言葉を送り各々の家へと帰っていった。
皆が家へと帰り、屋敷の前にハーセル一家とセレナ達だけが残った。
少しだけ意気消沈しているリックにセレナは歩み寄る。
「セレナ様、私は…」
「わかっております、リック様。今のあなたにその気が無くても、誰かの心にはあったかもしれない事なのです。それが誰かの心にあると思ってしまったらあなたの心にも再び燃え上がったかもしれないのです。
だから私は祈りました。
あなたと皆の心に正義の炎が燃え上がらないように。
すべてを焼き尽くしてしまわぬように。
あなたと皆がその炎に焼かれてしまわぬように。」
優しく諭すような言葉。
「はい。」
リックは素直にセレナの言葉に同意する。
「しかし、どうかその炎を絶やさず、正しく身に宿してください。
あなたが将来、村の皆を導くときに。
その炎は導きの灯の一つとなるはずです。」
「…はい!」
強い意志と覚悟を宿した瞳は、再び光を取り戻す。
セレナはローナに向き直る。
「ローナ様、此度の事はあなたの心に深い傷を残した事でしょう。どうかこの先あなたが歩む道が穏やかであることを祈ります。
しかし再び試練の時が訪れても怯えないでください。
あなたは母として強く在りました、勇気と意思を奮い立たせて自ら立ち上がったことを思い出してください。」
「女神と、貴女様の導きによるものです。心から感謝しております。」
すこし憔悴した雰囲気だが、瞳は強く輝いている。
「それと、しばらくの間はしっかりと静養なさってくださいね。」
すこし心配そうな顔と声でセレナは声をかけた。
「はい、そうさせていただきます。」
ローナは素直に答えた。
最後にセレナはメイへと向きなおった。
「メイ様。此度のあなたの身に降りかかった事、理不尽の限りについて忘れろとは申しません。あなたはそれに立ち向かい、守るべきを守り、耐えがたきを耐えました。すごいことだと思います。
そして一度は大事なものを失ってしまいながらも、自らの才能でそれを取り戻しました。通常では考えられないような、奇跡といっていい出来事です。
あなたがこの先どのような道を歩むかは私にはわかりません。
どうか此度の事が貴女の中で正しく糧となり、貴女を強くしてくれることを私は心から望みます。
そして、貴女の才能と貴女の意志がよき未来へと向かうことを女神とともに祈っております。」
優しい声でセレナは言った。
「ありがとうございます、セレナ様。
今回の事は私の中でしっかりと受け止め、次なる試練への糧にします。
セレナ様とリリィ様の助けがあって私は今ここに立っています。
だから私も誰かを助けられる様に、自らの経験と才能を磨くことを目指したいと思いました。
どうか女神と共に、私の行く先を見守ってください。」
あんな目に遭いながらも、メイの瞳は強い力と希望を宿していた。
セレナは強く頷く。
「最後に、グリムヴェイン含む野盗一味についてですが。
明日か明後日には王都から護送部隊がグリーンリーフ村へと到着する予定です。今朝領主様が王都へと早馬を出しているので、遅くともそれくらいになるかと思います。
…私は今回の事件に深くかかわった者として、陛下と司法への陳述書を添えるつもりでおります。
当事者として、ハーセル家の皆さまから何か在りますでしょうか?」
セレナは言い聞かせるように語る。
ローナとメイは、リックの方を見る。
リックは少しだけ考えた後。
まっすぐな目を向けて口を開いた。
「いいえ、我々のすべては女神ルミナスと聖女セレナ様によって救われました。だから、彼らの事もお任せいたします。」
そう言い切った。
ローナとメイはほっと息をつき、安心したようにリックへと身を寄せた。
「承知いたしました。聖女の名において、我が身命に恥じぬよう。女神の使いとして正しく在ると誓います。どうぞ安心してくださいまし。」
そういって聖女もまた、まっすぐと力強い眼差しを一家に向けた。
こうして、大森林に拓かれた小さな村『グリーンリーフ村』に降りかかった大きな不幸は、聖女の手によって正しく導かれ救われた。
人が抱える闇はどこまでも深く暗い。
ゆえに人はどこまでも堕ちてゆく。
そしてあまりにも容易く伝播し、いつの間にか心に根を張り蔓延る。
そこから救われた者たちの心も例外ではない。
セレナはそれを決して忘れない。
せっかく救った物が暗い闇に虜になってしまっては意味がない。
だから油断などしない。
勝利と救いの先にこそ、人は傲慢と復讐に染まりやすい。
だからこそ丁寧に最後まで気を払うのだ。
それに…
まだこの村には看過できない問題が残っている。
ほかにも次から次へと湧き出る疑問と課題。
どれ一つ、おろそかになどしない。
そう心の奥底で覚悟を新たにする。
緑葉亭へと向かう道の途中。
隣を歩くリリスをよそに。
救済の聖女は思いを馳せる。
つぎのやり残しに思いを馳せる。
平和な村に突如として起こった不幸
彼らは元凶に強い恨みの炎を燃やし
不幸の元を破壊し尽くした。
その先に「元の平和」は有るのかな?
だから彼女は祈ったんだと思う。




