第四十八幕 「復元」
懐かしい音がする。
懐かしい香りがする。
懐かしい景色がみえる。
大きく息を吸い込み、全身で懐かしさを味わう。
「ただいま。」
「なんかもう…言葉が出ないわ。」
「圧巻。で、合ってるんでしょうか。やー、私も何を言って良いのやら。」
私もリリスも語彙力が機能してない。
体感でかれこれ30分、私達は目も眩むような光のただ中に居た。
私達を全天で囲っていた千兆個の光達は、今や一つ一つが恒星のように輝く大きな光となっている。
もはや明滅の頻度など認識できないスピードで繰り返されてるのだろうと思うしか無いくらいに輝き続ける力強い光が前後左右上下共にから私達を包む。
別にあれから何かメイとやり取りがあったわけではない。
リリスの夢見によるシーンにも変化があったわけでもない。
相変わらず私達はメイの脳をモデル化したニューラルネットワークの光の中に居て、ふよふよと浮くように佇んでいた。
そして、当の本人。
メイは淡々と…いや嬉々として己の記憶の逆算に励んでいた。
最初こそ、彼女の記憶の光が繋がってゆき弱々しい光が復活してゆく様子は感動的であった。
メイ自身も徐々に記憶が蘇ることで安堵し、家族や知人の情報を思い出したことに心の底から喜んでいた。
しかしまぁ、なんというか。
今となってはただただ待ちぼうけ。
やれることが無くなってしまった。
今の彼女の『脳力』だと、記憶の逆算はただの作業。
らしい。
メイ曰く―
ズタズタにされた記憶の断片をリリスの『夢見』によって認識し、パズルのように組み合わせる作業中らしいのだが、それを私の『理力』によって処理能力を強化されたメイの脳は、彼女の『数覚』によって効率的に分類と分析を行われ仮想の記憶と断片的な記憶の照合によって正否を検証。
最小構成単位から秒、分、時、一日、一週間、一ヶ月、一年間の時系列を順序よく並べたら、後は自身の数学的知識の習熟順序との整合性によって最終的な記憶の順番を決める。
…うん、何いってんだこの子は。
「ごめんねぇ。自分なりに作業の効率化も並行して検証してるんだけど…どうやらこれ以上の効率化は無理みたい。」
ちょっと残念そうにとんでもない事をサラっといっている。
「これ以上あなたの脳が活性化して光が強くなったら、私達光によって狂うかもしれないから止めて。」
そう思わせるのに充分な光の中。
「セレナ、それはあり得ないですよ。私の夢見によって実質的に精神は制御下に有るんですから。セレナが狂いそうになったらちゃんと隔離します。」
すこしズレた事を言う主導者。
そういう意味では無いんだが…。
まぁリリスらしいっちゃらしい。
「この光の強さについては私にはどうしようもないから。ね。」
それもアイツのせいだから仕方ない。
「さっき言ってた記憶の最小構成単位ってどれくらいのモノなの?」
ふと疑問に思ったことを口に出す。
「時間的な長さの話? それなら、1秒を1000分割したような感覚かな。正確な長さなんてわかんないよー?」
「それはまた随分と刹那的な…。」
「セレナ、人の記憶は大体そんな物なのです。思い出の景色を瞬間的な映像として記憶し、それを経験や思考によって補完して情景として思い出す。記憶の主体は本当に一瞬の出来事を思い出として刻んでるに過ぎません。」
「そーゆーもんなのね。んで、メイはその数千分の一秒の記憶のパズルを順番に並べ変えて合ってるかどうか検証し続けてる訳だ。」
「そーゆーことだ。ね。」
「私の夢見の魔法は有る種の自動処理なのに対し、メイの作業は完全に手作業による記憶の整理整頓です。正直…気が遠くなります。」
「そーゆーものか。ね。」
「メイって幾つになるの。」
「今年で二十歳だよー。」
「じゃ、概算で6307億2000万個のパズルだ。」
「ひぃ。」
「それはちょっと単純計算が過ぎるかなぁ…。
個人的な体感としては復元してる記憶はその約7割だよ。」
「ろくせんさんびゃくおくのななわり。」
リリスがまた混乱している。
夢見の維持はちゃんとしてね?
「どちらにせよ狂気的よ。」
溜め息が漏れる。
「その楽しい数学的分類法と時間的整合性の検証もまもなく終了だ。ね。」
「楽しい…ねぇ…?」
「ふふふ、セレナも頭は良いのだろうけど、数学的整合性に対する快感については理解が及ばないみたい。ね。」
「数字なんて必要な値を求められれば充分よ。」
「未知の事象を分解し分析し再構築し再検証し基本数式を構築する。こんな楽しいこと無いんだけどなぁ。」
「あなたのソレを普通と思わないように。」
天才め。
「解ってるよぉ。」
きっとローナに耳にタコができるほど言われてるんだろう。やや煩わしそうに返事をするメイ。
「判りました!だいたい4400億個です!」
大分遅れて状況を理解したリリス。
「そうそう、ソレくらいのパズルをだいたい6万回位いろんなパターンで並べ直して検証してたの、今最終チェックをしてるとこなんだよ。ね。」
「ろく…まん?」
リリスの目が点になって動きが止まった。
「メイ、止めて。これ以上リリスを混乱させたら夢見が崩壊しかねないわ。…リリスも余計なこと考えなくていいから。」
「ゔゔ…」
唸るな。
「ごめんごめん。ほんともうすぐ終わるから。整合性のチェックが終わったら…リリスに見てもらえば良いのかな?」
バツの悪そうな顔でペロっと舌を出しながら、メイは作業の終了が近いことを告げた。
「たぶんね。」
リリスはちゃんと見れるのかな…。
焦点の定まらない視線を泳がせ震える指を曲げながら再度計算を頑張っているリリス。
是非本来の役割に邁進してもらいたいものだ。
ふぅ。
と、私はこの夢見空間に来てから何度目かの溜め息をついた。
その溜め息の直後、まばゆかった全方位からの光が突如として勢いを弱めた。メイの脳の活性が通常レベルにまで落ち着いたのだ。
熱のない太陽の様な光は、澄み切った夜空に輝く優しい光のように力強く煌めきだす。
千兆個の星たちは一切の欠けた場所のない満天の星空となって、私達を静かに照らした。
「ふわぁー」
リリスが実に間抜けな感嘆を漏らす。
「これが…メイの完全な脳。って所かしら?」
私も流石に舌を巻き、なんとか反応をひねり出した。
「何をもってして完全と定義するかにもよるけど、少なくとも私はこれ以上の復元を必要としない。ね。」
とても満足げに自分の脳を表す光達を見つめる。
再び理力によって自身の視覚と思考を強化し、メイのニューラルネットワークモデルを観察した私は安心する。
『知らない知識』が教えてくれた脳の形状と構成。
そこから推察される神経ネットワークが構成する脳の情報網。
彼女の脳は完全に再構成され、記憶の整理と復元が完了している。
そう確信できるくらいに、光の立体多層構造情報網は『脳の貌』だった。
「リリス、メイの記憶を診てあげて。」
ぼうっとしてる場合ではない、最後の目的を果たさなきゃ。
そう思って私は主導者に事態の進行を提案する。
「…あ。ッハイ。」
完全に呆けていたリリスは私の声で正気に戻る。
わたわたと姿勢制御をしてメイへと向き直り
「んんッ。えー、ではメイさん。これから復元されたあなたの記憶を確認させていただきます。」
改めて記憶を覗く許可を得た。
「なんで敬語か。ね。」
そういってメイは目を瞑ってどうぞと言わんばかりに胸を張る。
「んでは、失礼して。」
そう言いながら、リリスはメイの頭に両手を添えた。
「…。」
リリスは集中するかのように目を瞑り、しばらくそのまま動かない。
「どうか…な。」
やや不安そうな声。
「…凄いです。こんなに綺麗で整合性の取れた人の記憶は見たことがない。というか…記憶の量も膨大です。人族の脳がここまで大量の記憶を有している所を見たことがないです…。」
心の底から感心して、我を忘れて評価を零す。
リリスのバカ。
いらん事言ったぞ今。
「…特に不自然だったり変な所は無いってことかしら。」
フォローの意味は有るかは疑問だが、私は話を進めさせる。
「はい…とっても綺麗な…記憶です。」
うっとりするかの様な声でリリスが答えた。
「…そんなに褒められると照れる。ね。」
目を瞑ったまま、やや紅潮した頬を笑顔で歪ませるメイ。
「…メイ?もう不安はありませんか?」
急にリリスの声が、真剣味を帯びてメイに問いかける。
「…そういうのも判るんだ。」
メイは感心したかのように答えた。
「えぇ、夢見によって記憶と心を覗くのは…いろんなことが見えてしまいますので。」
申し訳無さそうに、しかし優しく語りかけるリリス。
「すごいねぇ、リリスは。計算じゃどうにもならない所にまで、ちゃんと手が届くんだ。」
「メイ。大丈夫ですよ。今、私達と見ているこの世界は、あなたの記憶やセレナの力を借りて私が描いている幻覚のような世界なのは確かです。」
小さな子供に諭すような柔らかな口調でリリスは話す。
「うん。」
「なので貴女がまだ囚われの身で薬物によって都合の良い幻を見ているなんて事は決してありえません。だから怖がらなくても大丈夫。」
「…うん。」
そういう事か。
メイはまだ怖いんだ。
夢見の世界自体、自分が薬物によって壊れた脳が生み出した幻覚じゃないか、自分はまだ最悪な状況下にいてとっくに壊れてしまったんじゃないか。
そういう思考が拭えずにいる。
無理もない。
「安心して、メイ。貴女はちゃんと目覚めるわ。」
そう言ってリリスはきゅっとメイを抱きしめた。
あまりにも自然な流れで抱き寄せるもんだから、メイも無抵抗。
「ほら、セレナも。」
そう言って手招きするリリス。
「んー?どゆこと?」
なんとなく予想はついている、でもここは一つ抵抗をしておこう。
「もう目覚めの時が近いんです。この場合は現実と同じような姿勢を取っておくと夢から覚めた時の違和感や疲労感無く目覚められるんですよ。」
そーゆーもんなんでしょね。
まぁ確かに、夢から目覚めて現実との乖離が酷いと混乱するかも?
「そういう事なので、私も失礼するね。」
そういって、私はふよふよとメイに近づき彼女の左側から抱きつく。
「…つまり、現実での私達は…こんな風に仲良く並んで寝ているわけだ。ね?」
黙って目を瞑っていたはずのメイはいつの間にかこちらを交互に見つめている。流石に恥ずかしそう。
「ちょっと3人ではベッド狭いのでそれなりに抱きついてますよ。」
なんでもない事のようにさらりと言ってのけるリリス。
「まぁ…そこは別に構わないけど。ね。」
やけに聞き分けの良いメイ。
「…目が覚めたら状況をちゃんと確認して落ち着くことね。」
私は諦めたので覚悟済み。
「…? どういうことかな…?」
私の一言が腑に落ちないメイが別方向の不安に気付く。
「大丈夫ですよー。私達が仲良く寝てるだけですからぁ~。」
不安にさせないように、ほんわか優しい雰囲気で言うリリス。
そうだね、寝てるだけだね。
ほぼ全裸でね。
―不安。
無いと言えば嘘になる。
ふと気付くと、身体を何かが包んでいる感触を覚える。
素肌を優しく撫ぜる何かが触れている。
「さ、二人共。そろそろ目覚めるとしましょう。」
「はーい。」
「よ、よろしく。ね。」
いつの間にか全身を包んでいた感覚は…揺り籠で優しく揺られながら母に撫ぜられるような…そんな感じがした。
「夢見の目覚めはいつの間にか訪れますので…
力を抜いて気を楽にして目を瞑っていて下さい。」
「はーい。」
「うん。任せる。ね…。」
リリスの声が少し遠く聞こえる。
夢の中で眠くなるって変な感覚。
「次に目を開けたときは、現実です。
…あちらでまたお会いしましょ。」
「…はーい。」
「…うん。」
何か甘い香りがする。
とっても懐かしい、落ち着く香り。
「ね。ふたりとも。」
「「…。」」
「ありがとう。ね。」
―でも、もう独りじゃない。
Tips(読む必要は無い)
メイの脳力の計算概要メイの記憶再構築プロセスを基に、処理した数値と計算式を表示します。設定は以下の通り:メイの年齢: 20歳
1年の日数: 365日(うるう年を無視した概算)
1日の秒数: 86,400秒 (24時間 × 60分 × 60秒)
1秒の分割: 1,000分割(記憶の最小単位)
処理対象: 総記憶の7割
処理時間: 30分 = 1,800秒
並び替え回数: 6万回
並び替えアルゴリズム: O(N log₂ N) を仮定(クイックソートなどの効率的なもの)
基本計算(ピース数と速度)総ピース数 (N_total):
計算式: 20 × 365 × 86,400 × 1,000
結果: 630,720,000,000 個 (約6,307億2,000万個)
処理対象ピース数 (N = N_total × 0.7):
計算式: 630,720,000,000 × 0.7
結果: 441,504,000,000 個 (約4,415億個、テキストでは約4,400億として丸め)
ピース処理速度 (pieces/sec):
計算式: 441,504,000,000 ÷ 1,800
結果: 245,280,000 ピース/秒 (約2億4,528万ピース/秒、科学表記: 2.45 × 10^8)
並び替えを含む詳細計算(操作数ベース)並び替えを6万回実行した場合、各並び替えの操作数は O(N log₂ N) で近似。各操作は比較・交換などを表す。log₂(N):
計算式: log₂(441,504,000,000)
結果: 約38.68
1回の並び替えの操作数 (ops_per_sort):
計算式: 441,504,000,000 × 38.68
結果: 約17,078,979,830,938 (1.7079 × 10^13 操作)
総操作数 (total_ops):
計算式: 17,078,979,830,938 × 60,000
結果: 約1,024,738,789,856,278,000,000 (1.0247 × 10^18 操作)
操作処理速度 (OPS: Operations Per Second):
計算式: 1,024,738,789,856,278,000,000 ÷ 1,800
結果: 約569,299,327,697,932 操作/秒 (約569兆 OPS、科学表記: 5.69 × 10^14)
これらの数値は、メイの脳が魔法(理力 + 数覚)で強化され、人間脳の限界(推定10^11〜10^14 OPS)を大幅に超えるスーパーコンピュータ級の処理能力を示しています。
宇宙猫




