第三十九幕 「ゆめみのちから」
あなたを しるため
わたしに ふれてる
わたしの からだを
あなたに あすげる
「わたしぃ、この瞬間がいちばーんすきぃ…」
「本当にこれで良いのでしょうか…?」
ローナが色とりどりの毛糸の束を握りしめながら不安げに呟く。
傍らにはベッドの上で寝ているメイ。
私達は夫妻が言っていたかつてのメイの私室で、改装された来客用の寝室に詰められていた。
部屋の片隅に寄せられたベッドは一人がゆったり寝られるサイズ。セミダブルという奴だ。
ベッド以外にも簡易的なテーブルセットや収納棚が一つ。
やや小ぢんまりとしてるが一人が寝る分には何の不自由もない部屋。
流石に大人が4人も入ると狭いが…。
母親が握りしめているのは、かつて自分の娘に与え『ピティクスの定理』と『リグリッドの証明』に用いた毛糸を再現するために新たに用意した物だ。
「絶対などとは間違っても申し上げません…。しかし、これらがメイ様にとって掛け替えのない『大事な思い出』である可能性は高いのです。例えそれが幼き頃の記憶であろうと、彼女の記憶の奥深くに眠る『原初の記憶』であり『才能の原点』である筈です。」
わたしは言い聞かせるように真剣な眼差しでローナを見つめながら諭した。
「積み木と毛糸…これがメイの原点。」
「そうです。」
「しかし…何をしても目覚めず、何の反応も示さないあの子に…コレをどうやって用いれば良いのでしょうか?」
リックも同じく不安そうな眼差しを積み木と毛糸に向ける。
「これらを彼女の手に握らせて形と感触を確かめさせるのです。そして語りかけ続けるのです。これを始まりとし、諦めずに試し続けるのです。手を変え品を変え、時間をかけて言葉をかけて。思いを込めて、願いを込めて、心を込めて、愛を込めて。」
出来ることなんてほんの僅か。
あとはそれをどれだけ続けられるか。
「…。」
やはり不安そうに二人とも黙り込んでしまう。
「お二人共、今から弱気になってはいけませんよ。」
酷な物言いだが、言わなければならないことだ。
これからが最も大事で最も大変なのだから。
「…そうですね、今からこんなではメイのためになりませんものね。」
「あぁ、あの子の為に出来ることが有るなら何でもやろう。」
リックとローナの顔に意気が戻る。
これなら大丈夫だろう。
「さぁ、それでは。」
わたしは真剣な眼差しを二人に向ける。
「「はい!」」
ハーセル夫妻がそれに応えるように見つめ返してきた。
時は満ち、機は訪れた。
「…一つだけ思いついたことがございますので試しとうございます、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
わたしはここぞとばかりに、いけしゃあしゃあと申し出る。
「「…。」」
ポカーンとしてる。
いやまぁ、そうなりますよね。
焚き付けておきながら出鼻くじいて、ほんとごめんなさい。
「実は…メイ様の部屋を調べていて一つ思いついたことがありまして。」
まだ夫妻が居る時にね。
「それを今から試してみたいのです。」
試すのはリリスだけどね。
「ええと…」
「それは一体どの様な…?」
ごく自然な疑問を夫妻に投げかけられる。
「少々特殊な方法で、あまり人目に晒したいものではございません。」
裸で上から覆いかぶさるからね。
やばい。少々どころかぶっちぎりで人目につきたくない。
サキュバスにとっては普通らしいけど。
ゼッタイやらせらんないけどね!
何なんだろうね…ほんと。
「今からしばしの時間、わたくしとリリィ様だけで積み木と毛糸を用いて施術したいと思うのです。」
ウソは言ってない。
大事な真実を隠してるだけ!
なんか…言ってて申し訳なくなってきた。
「…聖女様が仰るのなら、大恩有る我々が断る理由などありません。」
「そのとおりです、我々は信じて待ちます。」
ありがたい。心から信頼してくれている。
ごめんなさい、眼の前の聖女は娘を淫魔に差し出そうとしてます。
いや違うんだけど、違わないかもしれないんだけど。
「ありがとうございます。再びわたくしどもに機会を下さることに感謝いたします。」
「どうかメイをお願いいたします。」
「女神ルミナスの慈愛と導きがあらんことを。」
リックが一礼をし、ローナが祈った。
「オゥミナ。女神ルミナスの徒として、成すべきを成します。我が身に課せられた使命、その身命に恥じぬ振る舞いをもって抗い続ける事を約束致します。」
私は祈りの所作をもって返礼し、深々と頭を下げた。
その後ローナは手に持っていた毛糸の束をわたしに託すと、もう一度小さく一礼をした。リックもまた会釈した後、ローナの背を促すように押しながら扉を開け部屋を出た。
リックとローナが部屋を出ていった所で、私は静かに扉を閉め『カチャリ』と鍵をかけた。
「ふぅ~…」
色々な緊張と感情が口から溜め息となって溢れ出た。
「どうしたんですか、凄い溜め息ついて。」
テーブルに置いた箱から積み木を幾つか取り出しながら、リリスが声をかけてくる。
「まぁ、なんというか…メイを救うためとは言え色々と隠し事をしながら話をする流れに少しだけ罪悪感を覚えただけよ。」
手に持っていた毛糸の束を見つめながら答える。
「…そりゃまぁ、これから『私がサキュバスの能力を使ってメイさんの夢に侵入しますね!』なんて言えないのは判りますけどもー。」
私の左側にとことこと歩いてきてベッドの傍らで止まり、手に持った積み木を一つずつ置きながらリリスが物申す。
「別にこれから悪いことをするわけでは無いんですから、そんなに考え込む必要は無いんじゃないですか?」
相変わらず事の異常さを理解していないリリスが飄々と振る舞う。
「そりゃあリリスにとってはそうかも知れないけども。私達にとって『夢見』は未知の領域の話だし、助けるためとは言え全てを伝えずに物事を進めるのは気が引けるものよ?」
わたしも毛糸の束を一旦積み木のそばに置く。
わたしは並んだ積み木と毛糸を見つめながら、再び小さく溜め息をつく。
「むぅ、言いたいことは判りますけども。『夢見』は夢を通して様々な体験を高い品質で知覚させる能力であって、能力自体には何も影響力も持ちませんよ? 後遺症とか術中の不快感なんて一切有りません。」
左側からしゅるしゅると布擦れの音が聞こえる。
「『夢見』によって見せる夢の内容によって相手に何かしらの精神的影響を及ぼし、その後の行動への布石とする。」
講義をするかのように、リリスは私につらつらと語り続けた。
綺麗に畳まれた上着がベッド足元側の隅っこに置かれた。
「悪夢を見せて苛烈なトラウマ刺激を狙うことも、淫夢を見せて身を蕩けさせる様な感覚にすることも、綺麗な風景を見せて朗らかな気持ちにさせることも、悲壮感溢れる絶望的な景色を突きつけて心を折ることも。」
その人が記憶を持つ限り、その記憶がどのようなものであれ、人は思い出に縛られながら生きるものだ。
リリスは様々なケースを話し続ける。
同じ様に布擦れの音がした後、軽く畳まれたロングスカートがシワにならないようにベッドの隅に掛けられた。
「すべてはその後の決め手となる行動へつなげ、目的を果たすための下地づくり。記憶の呼び起こしというのはそういった理由で研鑽されてきたサキュバス族の能力である。そういう話を聞いたことが有ります。」
確かに、個人が記憶を自在に忘れることが出来ない以上、その記憶が深層意識下で重要な根幹を成すのだから、それを利用されれば抗いようのない揺さぶりとなることは信じて疑わない。
その先に決定打となる事象が有れば相手にとって致命的な隙になるのだろう。
短い布擦れの音が何度か聞こえた。とふとふと柔らかく薄手な布で作られた重ね着用の肌着がベッドの隅に放られた。
「きっとそうなんでしょうね…貴女達サキュバスにとっては生きていくために必要な基本にして奥義。連綿と紡がれた唯一の力。
使い方しだいでとても恐ろしい事に使えるのは想像に難くないわ。」
「でも、セレナの言葉が無ければ…私では『この力』で人を救うことに使えるなんて発想、出来なかったかもしれません。」
ちょっとだけ残念そうな口調で、リリスが零す。
髪を結んでいた留め具が、畳まれた上着の上にぽんと置かれた。
「そうね、それは偶然かもしれないけど…でも可能性が高いのであれば気づけた事は本当に幸運なことよ。心の底から良かったと思うわ。」
「はい、私も『夢見』が誰かの助けになるのであれば嬉しいです。」
そういってリリスは私の後ろに立つと、上着に手をかけた。
「ねぇ、リリス?」
私は静かに声をかける。
「? なんですかセレナ。」
リリスも静かに答える。
「…なんで私の服、脱がそうとしてるの。」
「えっ。」
「ていうか…、あなたもう下着以外何も付けてないじゃない…。」
「あ、はい。」
「そうね…、確かに『裸はやめて』って言ったわね。」
「えぇ、ですので下着は残して肌の密着もしませんよ?手を繋ぐだけで我慢します。ちょっと不安ですけど…たぶんなんとかなると思うので。」
「そうね、ちょっと話が通じてない気がするけど、リリスは必要だから脱いだんですよね?」
またあたまがこんらんしてきた。
「えっと、『夢見』は具体的にはサキュバス族の魔力で相手を包み込むことによって行われます。魔力は全身から放たれて自身と相手の空間を魔力によって隔離し、サキュバスの体臭や体温、肌触り、色々な部位との触れ合い。それらの色々な要素が隔離された空間内に満ち、それを相手に感じさせながら夢を通して記憶に干渉し、呼び起こし操作する。
そのためには衣類や距離はノイズや効果の減衰に繋がっちゃうのです。」
「なるほど、じつにごうりてきなりゆうがあるのですね。」
思わず両手で自分の顔を覆った。
手の平に熱を感じる。
うぅ、生々しいよぅ…。
「で、もしかしたら指環の魔術最適化でセレナも一緒に『夢見』に入る可能性があるのであれば、セレナも同じ様に下着になってもらって私の魔力で包むほうが良いのかなって思いました。なのでこの後メイさんも脱がそうかと思っていたのですが…」
「うんうん、たしかにそのかのうせいはありますね!」
私は両手で覆ったままぶんぶん頷いた。
風に触れる耳が温度差を訴える。
絶対に耳まで真っ赤っ赤だぞこれ。
「ですので、取りあえずセレナから脱がせました…んですけれども。」
「うん、りゆうはわかった。ちゃんといみがあってすごくあんしんした。」
声が震える。
「あ、よかった。じゃ脱がせますね。」
「違うよ!良くないよ!!事前に説明と許可は必須だよぉ!」
私はものすごい勢いで振り返ってリリスを見つめる。
「わっ、セレナ…顔も耳も真っ赤じゃないですか。そんなに恥ずかしかったんですか?!」
「恥ずかしくないわけがないと思われていらっしゃらない!?」
「だって治療の時、メイさんの裸だって見てるし…着替える時にお互いの裸みてるじゃないですか…私達…。」
「そうでしたね!でもなんかね!もう色々前提とシチュエーションが変わっちゃっててね!同じ感覚ではいられないの!」
ええい、伝わらない!
「えぇー…、別に私達これから性行為するわけじゃないんですよ?」
「わー!ななまましい!」
くそう!噛んだ!
「安心してセレナ、絶対に変なことしたりえっちな事したりすることは有りませんから。」
すごく柔らかくて優しい笑顔で目を細めながら。
私の頬に両手を沿えながら目を覗き込まれた。
この子の言ってることとやってることの温度差がヤバい。
このままではマズい。状況を打開する案を考えなくては!
ていうか…あれ?私の意識が変に偏りすぎてるのかコレ?
ちちちがうよね!?
これから裸同然で女3人でベッドに並んで寝て手を握りながら夢で混ざるかもしれないとか!別に同性愛者でなくても相当恥ずかしくない!?
しかもセミダブルに3人は必然的にそうとう狭いよね!ギリギリだよね!?手を繋ぐだけとか言ったけどほぼ確実に肌も触れるよね!?触れ合っちゃうよね!?
指環の最適化で夢に同行できれば幸運かもしれない位に考えていただけなのに、事前の想定が甘すぎたせいなのかとんでもないことに巻き込まれつつあるのは私が悪いのかな?!
いくらリリスにその気がなくても私これは凄く恥ずかしいんだけど!
羞恥心に揺れる視界がボヤける。
あれ、もしかして私恥ずかしすぎて泣いてる?!
「わぁ!?な、泣かないでセレナ!」
そう慌てるように言いながらリリスは私の頬に添えていた両手を肩に回すと、一気に抱き寄せた。
私の身長だとちょうど顔の高さがリリスの胸の所になる。
そんな事は考えてもいないのか知っててわざとか。その豊満な乳房に私の顔を埋め、強く抱きしめてくる。
「泣かないでください、セレナ。本当に大丈夫ですから…。」
わ、すんごいやわこい。
あといいにおい。
たいおんのあたたかさとふれあうと、よくわからないけど…とっても…。
なんだろ、このかんかく…。
すごくなつかしいかんじ?
ほやんと。
なんか あたまがとろけて おちつく。
せいこう の かくりつ が あがった!
やましいことなど無い
なので君らは服を脱がんでも良い
私もだ。




