第三十四幕 「閃き」
わたしにとっては…どうってこと無い無駄な事
あなたにとっては…得難くかけがえのない事
「だって…知らなかったんだ。」
「はー…不思議ですねぇ。数字と図形って面白いかも。」
ローナの簡単な授業を受けていたリリスが感心したように小首を傾げている。『ピティクスの定理』と『リグリッドの証明』の説明を幼少時のメイと同じ方法で説明してもらっていた。
「こんな奇跡みたいな一致を小さな子が発見しちゃうなんて、メイ様はすごい子なんですねぇ…。」
唸りながらひたすらにメイを褒めちぎるリリス。
リリスもやっぱり地頭が良いみたい。すぐに定理の意味するところと、幾つかの証明方法を理解した。
「本当に…あの子は凄いんです。10才になる前には私の知識では追いつけない速度で『数覚』の才能を伸ばしてゆきました。その頃には村の者たちにもメイの数字の強さが知れ渡り、森林と木材の管理や道具・加工機材の改良、効率的な木材の加工手順の考案、他にも色々と村の産業に貢献してくれたのです。」
遠い日々を思い出すかのように懐かしさに思いを馳せるローナ。
ふと彼女の視線を追うと書斎の窓へと向けられており、遠い空が夕闇に沈もうとしている頃だった。
僅かに差し込む夕日で、目にはうっすらと涙が光っている。
もうまもなく、再び村は闇に包まれる。
「セレナ様…わたしたちはどうやればメイの目を覚まさせることが出来るのでしょう…。眠ったままのあの子にどの様に接してやれば…。」
しびれを切らしたかのようにリックが切り出してきた。
真剣な眼差しで、縋り付くような声が耳に残る。
だから私は話すしか無い。
たとえそれが『可能性の話』でしか無いとしても。
「…メイ様は野盗共からの暴力に心身が壊れてしまわないように、精神を防護壁のようなもので覆ってる。
その様な状態と言えます。
人は過度なストレス環境下に居ると本能的にそれから逃れようとします。物理的にその状況から逃れられない場合は精神を守ろうとするのです。
メイ様のように精神の防殻によって自身の精神的固有結界を構築し耐える。
仮想人格を形成して使い分けることによって、負荷の担当分散を図る。
精神修行の果てに強靭な精神力を身に着け、如何なる心身への負担をも跳ね除ける。
古来より人は耐えることによって精神の安寧を得る手段を模索してきたと聞いております。
宗教…女神ルミナスへの信仰を支柱に、日々の生活の試練に耐えるのも同様の事だという学説もあります。土着信仰や自然崇拝もその一端であり、生を全うするための精神的支柱となる場合が多いです。
そして…これらの精神の保全手段に共通して言える事。
『人の精神は如何なる外的要素による受動的な回復が望めない。』
…という事です。
壊れてしまった心を癒やすには…途方もなく長い時間を掛けて、その方の心の拠り所や支柱を探し出す。広大な海岸の砂浜から希望の一粒を探し出すような…途方もない作業。
そしてその希望の一粒を丁寧に丁寧に育むのです、小さな赤子が未熟な五感をもって世界を感じ取るように。
その方の拠り所や支柱となる事柄を中心に、その方の思い出や五感に語りかける事によって…培われてきた記憶が呼び起こされて再びその方の精神と五感が世界との交わりが可能となる。
そういったお話で御座います。」
つい数時間前にローナに説明したことを、今度は丁寧に噛み砕いて説明する。
「リック、私はあの子が目を覚ますように。あの子が好きだった数学や自然科学のことを全部あの子に読み聞かせようと思うの。あるいは、あの子の好物だった料理をいっぱい作ってあげて香りを楽しませてあげたいの。可能であれば食べさせてあげたいわ。」
ローナが強い意志を宿した眼差しをリックに向ける。
「うん…そうしてやる事がメイの為になるのは、なんとなくですけど理解できました。でも…外からの刺激を受けても深い眠りから覚めないような状況の人が、読み聞かせたり、臭いや味に反応するんでしょうか…?」
ハーセル夫妻は二人共優秀な方だ、すぐに何をすべきか、何処に問題点があるかを理解してくれている。
「人の五感は、たとえ深い眠りの状況下でもしっかりと働き続けているのはご存知かと思います。
特に記憶に深く直結する要素として挙げられるのは『匂い』と『味』、記憶を呼び起こすのに有効なのは『風景』と『音』だと言います。
懐かしい匂いと味が深い記憶を呼び起こす。
聞き慣れた環境音や心地よい音楽がなつかしい情景を描き出す。
あるいはこれら全てを同時に行うことで様々な感覚を励起させ、それが最も人の記憶を鮮明に蘇らせる物と言えるでしょう。
ですが我々には…人の精神、意識に干渉し強化・弱体化する魔術は存在しますが、記憶に干渉し影響を及ぼす魔術を持ちません。どんな属性のどの様な系統魔術を持ってしてもそれは叶わないのです。
そして女神ルミナスより授かりし奇跡の力、わたくしの『理力』も例外では無いのです。
これらは『人の記憶』を司る脳という器官が複雑すぎることと、記憶を構成する要素がいまだ解明されていないことが主な理由でしょう。」
ハーセル夫妻は真剣な表情で頷いた。
「しかしながら、人はとある特定の手段を用いて記憶の整理や励起を行っているというのをご存知ですか?」
私と、私の知らない知識が持ち得る最後の希望。
私は唯一の希望の正体を話し始める。
「…人が持ち得る特定の手段で…記憶の操作が可能な…。」
リックとローナが考え込む。
「…。」
リリスも何かを考え込む様に虚空を見上げた。
「実は我々は個人個人がその様な技能を持っています。性能や効率、頻度なんかは人それぞれでしょうけれども。」
誰もが必ず行う事。
「…記憶の整理…。」
「…励起…。」
「…。」
呟きながら、考え込む二人。
小首をかしげるリリス。
「脳に存在する膨大な情報を、身体を休めてる間に整理する機能。」
寝てる間に、誰しもが無意識化で行う記憶の整理整頓。
「…身体を休める…。」
「休む…休息…?」
「…!」
お?リリスが先に気づいた?
凄い目を見開いて驚いた顔してる。
「寝ている間に脳が知覚する不思議な現象。」
リックとハーセルの為に最後のヒント。
「「!」」
夫妻は同時に気づいたようだ。
「「夢!」」
そして二人共、口を揃えて正解を答える。
「あ゛ー!!」
リリスが立ち上がって妙なテンションで叫ぶ。
あれ、そんなリアクションするような答えだっけコレ。
「そ、そうです。メイ様に夢を見させる事で…記憶の整理や励起を狙い、それを呼び起こすのが好物や興味のある事柄で…。」
私が答え合わせのため、説明をしようとするが…。
「あー…。」
リリスが泣きそうな顔をしている。
夫妻も答えを得たことより、リリスのリアクションに驚いて固まってる。
「リリィ様…?どうかされ―」
そこで私も固まった。
「あ…。」
リリスとの会話。
今まで彼女が話してくれた自身の事と今の彼女のリアクション、幾つかの情報が繋がって。
私の脳裏にとある仮説が閃いた。
まさか…
ねぇ。
ウソでしょ。
こんなことって―
さて、セレナの閃きとは?
ファンタジー好きの皆様ならもうおわかりですね?
ご意見、ご感想おまちしてます。




