第三十三幕 「彼女の才能」
天才っていうのは、誰かに才能を見出されたから存在できる。
と、するならば才能を見出されなかった天才がいるのでは?
「天才であれ、秀才であれ、凡才であれ。大事なのは気づくこと。」
※このお話には仮想の人物による類似した用語がでてきます。ご注意を。
ハーセル家の家屋はグリーンリーフ村の中でも比較的大きく、他の家より立派な作りをしていた。リックが商売で上手くいっていることを示すには充分な威厳を放っている。
玄関へと続く石畳の通路を歩いていると、大きな窓のある部屋が見える。窓から覗ける部屋はひと目で機能的な造りをしていて、会議室か何かを彷彿とさせる形をしていた。
きっと村の人達と会合や相談をする時に使うのだろう。
リアムとフィンの肩を借りる形で自宅まで何とか歩いてこれたリックは屋敷の玄関を開くと先に入りローナが彼らに続いた。
私とリリスが立派な作りの外観をまじまじと眺めていると。
「セレナ様、リリィ様。どうぞお入りください。」
こちらに向き直っていたリックとローナが、私達を招き入れてくれた。
「お邪魔いたします。」
私が小さく礼をしながら玄関をくぐると、2週間誰も住んでいなかったであろう屋内に独特の乾いた臭いが漂うのを感じる。
「マーサが言ってたわ…私達が居なかった間、ずっと我が家の手入れをしていてくれたの…村の奥様方と交代制で。」
「本当に…皆には世話になりっぱなしだな…。」
ハーセル夫妻が久々の我が家を見回しながら感慨に耽っている。
人気を感じない空気がただよう割に室内はキレイに清掃が行き届いており、綺麗な無人の屋敷という稀有な状況が異彩を放っていた。
「さぁ、お二人共。メイの部屋は廊下の突き当りです。」
リックが指し示した先、屋敷を左右に両分する大廊下の突き当りに両開きの大きな扉が見えた。
まだ成人前の女性が個人的な私室にしているにしては異様に豪華な鍵付きの扉。
ローナがいつの間にか取り出した鍵束から一つを選び出し、ガチャリと鍵を開けた。
しっかりした造りの両開き扉が開かれる。
「どうぞ。」
脇に控えたローナが左手で指し示しながら入るように促す。
「「わぁ…。」」
私とリリスは部屋に入るなり揃って感嘆を漏らす。
一見すると大きな書斎。
正面に大きなワークデスクが鎮座しており、大量の書類や幾何学的な立体物が並んでおり、机の背後には大きな窓。
左右には壁と一体となった大きな書棚がそびえ立っており、大量の書籍が所狭しと並んでいる。
右手の書棚の一角は間仕切りになっており、向こう側の小部屋には簡素ベッドがちょこんと有る、ベッドの近くにある大きな棚には何やら立体図形や模型…何かの実験装置のような器具類がゴチャゴチャと雑多な物がひしめき合うように収められている。
移動式の黒板も見える。板面にはごちゃごちゃと文字が書き殴られているが遠くてよく判らない。
これは…女の子の部屋というより、研究者の部屋だ。
「これは…すごいですね。」
思わずリリスが言葉を漏らす。
「まるで学者様の研究室ですわ。」
私も思ったままを口にした。
「元は私の仕事関係の書籍や趣味で集めていた本があるだけのシンプルな書斎でした。」
そう言いながらリックは書棚の傍にあったリーディングチェアにリアムとフィンに支えられながら座った。
「小さい頃のメイは毎日この部屋に入り浸り…興味のある書籍を読み漁って、適当に床で寝たりするものですから。ソファを置いてやったんですが。ある日『寝室と移動するのが面倒から部屋をくれ。』なんて言ってきましてね…粘られて明け渡してしまったんです。」
懐かしい日々を思い出すかのように遠い目をして語るリック。
「いざ部屋が手に入ったら自分でいろんな物を持ち込んで、あれよあれよという間に…気がつけばこの有り様です。年頃の女の子の部屋とは…お世辞にも言えない部屋でしょう?」
ローナもまた、遠い目をして少し残念そうな表情で語る。
「…書棚を拝見させていただいても?」
私が許可を得ようとすると。
「どうぞ、全て自由にご覧になってください。」
リックは二つ返事で応えた。
「私はお茶などを用意いたしますね。お二人共どうぞごゆっくり。」
そう言ってローナは一礼すると退室する。
「フィン、ローナを手伝ってやってくれ。俺はここでリックを見てる。」
リアムが一言指示を出すとフィンは無言で頷き、ローナを追って退室した。
相変わらずの阿吽の呼吸。
そんな彼らを尻目に、私は巨大な本棚に並ぶ書籍の背表紙に目を走らせる。壁一面に並んだ書物達のタイトルだけを流し読みしながら、メイの世界を確認してゆく。
様々な数学者による算術研究書、代数学の入門書から参考書籍であろう複数の巻。数理的解析入門書、研究書籍。『原論』と銘打たれた大きめで分厚い本にならんで解説書が複数並んでいる。他にも確率論に関連した書籍群、統計学解説書、研究書。ルミナス総合学院における理数科設問集。初等計算問題集。力学に関する書籍、解析書、解説書。建築学に関する解説書。精霊力学における魔導研究論文の書籍。魔導工学に関する新興解析諸書群。
他にも理数系関連書籍があれやこれや。
雑多で多種多様な書籍がずらりと。
別の棚には百科全集、哲学書、天文学書、歴史書などがシリーズごとに綺麗に分類されていた。
書棚の一角は彼女の研究ノートであろう書類やメモ帳がぎっしり。
書棚の分類は比較的丁寧に行われており、索引代わりかただの衝立か幾何学的な立体模型が幾つか配置されている。
間仕切りの向こう側に見える小部屋の棚も見せてもらった。
基本的な立体模型に混ざり、複雑な正多面体や奇妙な立体模型。
一番下の棚には大量の積み木が入っている箱が見える。
黒板に書き殴られている文字は…たぶん何かの数式なんだろう。
数学に対してなんの造詣もない私には意味不明な文字列。
―なるほど…これらが意味するのが、ハーセル夫妻が言っていたメイの「才能」か…。
メイの年齢は…多分私より2~3歳上。
彼女がここにある書籍をすべて読んでいて…その上すべて理解しているとすれば…恐らく彼女は―
ふと振り返って、私同様に本棚を眺めていたリリスを見てみると。
難しい顔をしながら背表紙を眺め…徐ろに手に取った書籍を適当に開いて解読を試みている。数秒後…全力で首を傾げ、丁寧に本を戻した。
まぁそうなるよね。
私なんか中身確かめる気もしないよ。
リリス凄い。
私は「ふー。」と息を吐きつつ目を瞬かせながらリックに向き直る。
「セレナ様は中身をご覧にならないのですか。」
ちょっと可笑しそうに、そして誇らしげにリックが聞いてきた。
「タイトルを読んだだけで頭痛がしてまいりました。中身は読まずともどんな事が記されているか予想できるくらいには既知の言葉が並んでおりましたので…。」
すこし大げさに首を振りながら答える。
「さすがは聖女様。知識の幅も広くていらっしゃる様ですね。…何、私も幾つか目を通したことは有りますが、基礎素養すら形になる前に匙を投げました。私の商業に必要な数的知識のはるか先を行く複雑怪奇な数字の世界ですので。」
「これがメイ様の才能の一端。ということですね。」
「あの子は世界中の数学者が生涯を掛けて立証した理論を、肌感覚で理解して算出する才能を持っています。あの子自身がそれを『数字を感覚だけで理解する』つまり『数覚』と表現しております。
いつだったか…あの子はこう言っていました。
『私の頭の中に思い浮かんだ数式は別に無から生まれた訳じゃないわ。自然に有る現象を数学的に表そうとしたらこうなるんじゃないかな。っていうのを組み合わせてるだけ。もちろん既存の学者の理論によって実証・補強されることは有るし、私の思い違いだった式も有ったけれども。今まで私の『数覚』に大きなズレは無かったよ。』
ここにある書籍の殆どは、あの子の頭の中の数式を検算するための資料だそうです。」
やや呆れた様子を持ちつつ、だがやはり誇らしげにリックは語った。
「メイ様は…ここの書籍をすべて読破されているのですね?」
「えぇ、殆どは2,3回読んでいるそうです。読み返すことで時折新たな発見を見つけることが有るのだとか。」
「それは…想像以上ですね。」
そう言って私は再度室内の書籍群を見回す。
私達を他所に、リリスが別の書棚から本を取り出しては眺めて首を傾げてる。眉間のシワが酷い。
まだやるか。
リリ凄い。
「…他にも王都に仕事で赴く時には必ず付いてきて王立図書館に入り浸りです。そして帰りには気になった本が手に入るようであれば全力でお強請りされるのが…それが私とあの子の日常でした。」
最後の方は声が震えている。
つまり…彼ら一家は昔から幾度となくグリーンリーフ村と王都ルミナスを行き来しており、その道の途中で今回…。
「大丈夫です、彼女は目を覚ましますわ。」
私は揺れる瞳がわからないように、もう一度書棚を見回しながら拙い言葉を吐き出す。
「この部屋を見て彼女の性格を想像いたしました。メイ様は…きっと賢く論理的思考と現実的な理論を好む実証有りきの方なのでは?」
「そのくせズボラで無頓着で…お茶一つ淹れられない子です。」
いつの間にかローナが入口に立っていた。フィンがティーセットと茶菓子を載せたワゴンを運んでいる。
「研究者肌、と言われる方ですね。」
「本当にそのことばかりに没頭して…別のことには一切興味を示しませんので頭を悩ませておりました。」
ティーポットを湯で温めながらローナが話し出す。
「あの子は言葉を話すより先に、数字と図形を理解し私達にそれを示してました。
ベッド脇の棚に積み木が有ったのをご覧になりましたか?
この村では木材加工の端材を使った大小さまざまな形の積み木を村の子どものおもちゃとして与えるのが習わしみたいな所があるのです。
私達もまたあの子におもちゃとして、柔らかくて軽い木材の積み木を与えました。
普通の子であれば積み木の遊び方は『触れて嗅いで、舐めたり食んでみたり。積んだり、投げたり、適当に並べたり。』色ごとに分けたり、形ごとに別けてみたりするのは賢い子だと言われるような玩具です。
でもあの子が…。
まだ一人で立って歩けない年齢だったメイが、積み木を使って図形の相似性や数式の実証を行っていたんです。
…セレナ様は『ピティクスの定理』をご存知ですか?」
「直角三角形において、直角を挟む2辺の平方和が斜辺の平方に等しくなる。三角法などに用いられる基本数式ですね。」
有名な定理だ、シンプルで好き。
「はい、過去の数学者ピティクスが提唱したとても簡素ながら美しい数式です。この数式は様々な図式で定理を実証することが出来ますが、あの子はそれを積み木を並べて様々な三角形の相似性をもって検証していたのです。
最初は、ただの偶然かな何て思ってたのですが。あまりにもあの子が何度も同じことを色々な形で試すものですから…私、気になって色々な長さの毛糸を与えてみたんです。
あえてバラバラに、でも定理を実証できるように幾つかの紐を同じ長さにして。
そしたらあの子、紐の長さごとに整理をした後に複数本ある毛糸を選び、それを使った直角三角形を形作ったその一辺を四角くしたんです。
最後に全ての糸の長さを比べて…ピティクスの定理を実証できる組み合わせを見つけた時に凄いはしゃいでて。
あの子は定理の証明の一つ、『リグリッドの証明』をやってのけました。
私は驚きと歓喜に打ちひしがれました。
そこからは私の知識における色々な数式や図形を平面で立体で検証できるような遊び方で試させたら次から次へと解いてしまうのです。
…そのうちメイが数詞や言語を用いて私と数式の共有を出来ないことを不満に思ってるのに気付いて…。
慌てて言葉の勉強を教え始めたのです。」
すこし頬を紅潮させて、嬉しそうな顔で。
お茶を淹れ終わったローナはローデスクにカップを並べた。
「どうぞ、お茶が入りました。お召し上がりください。」
「ありがとうございます。」
そういって私はローデスク近くのロングチェアに腰を下ろす。
「ローナ様は…もしかして過去に教師をされておりましたか?」
「流石セレナ様。ご慧眼に御座いますね。ルミナス総合学院の初等科から中等部を担当しておりました。幼児科の資格も持っております。」
なるほど、林業が主産業の片田舎で数学的天才が産まれた下地は有ったのか。
「言葉と文字、数字と数詞を3~4才の頃に理解したメイは、そこからはもう止ることを知りませんでした。
リックと私の持っていた本を読み漁り、そこに数式や図形を見つけると、ひとしきり紙に書き写して自分で検証したあと拙い発音と手先で私に『これ何―!』って聞いてくるんです。
私も初等科に満たない子供に感覚的に数字と図形を理解させる困難さを知ってましたので、言葉と数を知ったあの子の吸収の速さには驚くばかりでした。
興味のない分野の学問も、数字や図形が絡んでくると途端に興味を示しました。6才になる頃には建築学や自然科学における黄金比、フリクト幾何学の相似性に興味を示し、百科事典をねだって来たんです。」
可笑しそうに思い出し笑いをするローナ。
「アレは失敗だった。部屋に居ながら世界の他分野を知ったメイは外へ飛び出しそこらの動植物を観察したり、村の木工所で飛び回っていた。
ひとしきり満足するまで暴走しっぱなしだった。村の皆は微笑ましく見守ってくれていたが…あれはかなり迷惑をかけた。」
申し訳無さそうな顔で苦笑するリック。
リリスが『数学と図形』というタイトルの本を凝視している。「ピティ…クス…ピタ…ピトー?」なにやらブツブツと呟きながら。
そうそう、それに多分載ってるよ、ピティクスの定理。
勉強熱心だなぁ。
リリ凄。
「リリィ様、お茶が冷めてしまいますわ。こちらへいらしてくださいませ。」
私はそう言って彼女を呼ぶ。
パッと顔を上げてこちらを見たリリスが。
「あ、そっか聞けば良いんだ。」みたいなピコーンって顔をした。
…おいこら本を持ってくるな。
仕事と暑さで停滞する執筆。
でもずっと話は練ってたので!




