第三十二幕 「諦めない心」
誰が見たって無駄だ
どう考えても無理だ
「だから諦めると?嫌だね、私は最後の最後まであがいてやるんだ。」
「しかし…未だに…信じられません。」
既に衣類を着込んでベッドの縁に座り、虚ろな表情のままリックは呟く。
自分の両手、両足、身体。移ろう視線は潤んだままで遠くを見てるように視点が定まらない。
「あの状況から、私達家族が再びこの村に戻れることになったなんて。」
無意識に左手が右手を手繰り、触れた後安心させるかのように撫でている。
幻肢の後遺症が在るかも知れない。
「私もよリック、二度と会えない事を覚悟していたもの。」
彼の隣に座り身を寄せるローナもまた目に涙を溜めたまま虚空に視線を漂わせていた。
「…でも、これは皆のおかげの奇跡だ。」
リックは力を込めて、戒めるように言う。
「野盗たちに妻と娘が連れ去られた時には、既に私は手足を切り落とされ身体を焼かれていた。死を覚悟した。だが生きていて、ここで目を覚ました…。懸命に私の命を繋いで頂いた村の皆には…正直言うと楽にさせてほしいって…妻と娘を失った私に何を理由に生きろというのだと…少なからず思っていました。」
言葉を選びながら懺悔のように続けた。
村長夫妻も騎士たちも何も言わずに見守る。
「全てが曖昧になってしまった意識の中で…ラナ夫人の懸命な治療、村長が必死に声を掛けてくれていたのを覚えています。」
「『諦めるな。』と…。『私も手を尽くして二人を探している。見つかるまで、再び会えるときまで生き延びろ。』と。あの言葉が無ければ私は私の意志を奮い立たせることが出来なかった。」
「あの時は…私もお前を死なすまいと必死だった。お前の生きる意思を繋ぎ止めるために言葉を選んでられなかった。」
むずかしい顔をしているオルウィン。
全てを失った物に、戻る保証の無い事に縋れ。
あまりにも残酷な物言い。なのかも知れない。
「どんどんと弱っていく貴方を生かすために私が頼んだことです。貴方が死んでしまっては二人が助かったとしても意味が失われてしまう。ただ貴方を生かすためだけに言葉を選ばせなかったのは私です。」
ラナは静かな表情で淡々と話す。
ただ、死んでないだけ。
助かったとしても、ろくに生きることの出来ないであろう身体。
ただ生かされる。あまりにも勝手な振る舞い。なのかも知れない。
まるで庇い合うかのように、それぞれがそれぞれの至らぬ所を吐き出し、伝えきれぬ思いを絞り出そうとする。
だが、こんな奇跡を経ても拭えぬ後悔。
いや、これも互いに思ってるからこそなのか。
「結果として誰一人失われることなく今が有ります。リック様の仰るとおり、これは皆が手繰り寄せた奇跡にございます。」
凛とした響きで、罪を告白する者たちに聖女の声が降り注ぐ。
「しかし、まだ安らぐ時ではありません。辛い記憶とくたびれた身体が魂を鈍らせるでしょう。でも未だ戦い続ける者が居るのです。私の力だけでは救えぬ者が待っているのです。その方を助けるためには皆様の助けが必要です。どうか私に知恵と力をお貸しください。」
そして自分もまた至らぬことが有ることを詫びる。
「メイは目覚めるのでしょうか…?」
リックは不安な面持ちでセレナに尋ねる。
リックには既にメイが治療済みな事、緑葉亭で安静にしていることを伝えてある。
そしてローナに伝えたように、心を閉ざしてしまっていて目を覚ましていないことを伝えた。
妻と娘が助けられた事を本当だと理解した時、彼はまた嗚咽を漏らしながら鳴いて喜んでいた。
そして妻から一つ一つ紡ぐように伝えられた娘の現状を聞いた時も悔しそうにぽろぽろと涙を流していた。
「必ず。」
セレナは意志を込めて強い口調で答えた。
瞳が僅かにだが揺れている。
「そのためにはお二人の力が必要不可欠です。彼女を愛し育てたお二人の言葉と、彼女の中にあるお二人と過ごした日々の強い思い出。貴方達だけが知り得る貴方達だけの記憶。メイ様の閉ざされた意識に手を伸ばすのに唯一の手段にございます。」
セレナは願うように伝える。
そうであってくれ、でなければ本当に八方塞がりだ。
そんな想いがセレナの中で渦巻いている。
だが母親は違ったようだ。
「リック。あの子の才能のこと聖女様にお話して。」
母の強い眼差しと言葉が父の目に向けられる。
「才能…。そうか、あの子が閉ざされた心のなかで何をしているのか…。もしかしたら…。」
ローナの眼差しと言葉を受け、忘れていたことを思い出したリックの目に強い光が宿る。
「うん。私、聖女様のお話を聞いた時に最初に思い浮かんだの。あの子ならそんな状況下でどうするかって。」
「そうだ。メイならそうする。いつだってそうだった。」
母の強い眼差しに触発されるかのように更に強い光が父の目に灯る。
「お二人には…彼女を救う何かに、お心あたりが有るのですね?」
セレナは二人に問う。
「「はい。」」
一切の迷いなく、同時に、二人の口からは確信が放たれた。
「教えて頂けますか?」
縋るような眼差しで聖女が乞う。
「もちろんです。どうか我が家の…メイの部屋へ来て下さい。あの子の全てがそこにあります。」
そういって立ち上がろうとしたリックだが、まだうまく動けない彼はよろめいてしまう。
「リック、無理をしないで…案内なら私が。」
心配そうに気遣うローナ。
「いや、俺も行きたい。メイのことをちゃんと伝えたい。」
悔しそうに拳を握って再び立ち上がろうとするリック。
「なら俺達がリックを手伝う。ローナは彼に付いていてくれ。」
そういってリアムがフィンと共に身を乗り出した。
「そうですね…お二人ともお手伝い願えますか。それと、緑葉亭へ赴いてメイ様をご自宅まで運んでいただけますでしょうか?マーサ様が彼女の身支度をしていてくださっているはずです。」
この場に居なかったマーサは、ローナの連れ添いが終わると『聖女様ご不在の間は私がメイを診ています。』と言って踵を返して宿に戻った。セレナはその時にメイに服を着させるなどして支度をするように頼んでおいたのだ。
「ならばそれは私が。村の者も何人か連れて行こう。」
そういってオルウィン村長も立ち上がる。
「…みんな。」
つぎつぎと名乗りを上げて協力を申し出る姿を見て、リックは再び涙ぐむ。
「まだ終わってない、聖女様が仰ってたとおりだ。二人が揃ってなきゃ。」
「そうだ、リックも俺も二人のために最後まで手伝うさ。」
「皆がお前達の事を心配しておる、何か自分たちに手伝えることは無いか、と。なればこそ村長として手を借りぬ訳にもいくまい。」
そこまで言われた所で、リックは再び俯いてボロボロ涙を零した。
「…ありがとう。」
皆優しい笑顔で彼を支える。
まだ言えぬ身体で、覚束なく震える足で懸命に歩こうとする彼を。
皆労りの想いで彼女に寄り添う。
失意に打ちひしがれても立ち上がり、なんとか手を尽くそうとする彼女に。
さぁ、私も迷ってなどいられない。
次の奇跡のかけらを探しに向かわねば。
もちろん、奇跡が起きなかった事だっていっぱいあります。
でも諦めたら奇跡も起こらないので。
頑張るかー




