第二十八幕 「ローナ・ハーセル」
まだ手が届く。そう信じられるなら、手を伸ばす。
それが今、私に出来ること。
「手を伸ばさなかった事を後悔したくないから。」
「メイ様のお体は完全に治療いたしました。私の身命を賭して、女神の名にかけて御息女の身体は健やかにございます。」
「…。」
「しかし、メイ様は未だお目覚めになられておりません。…長きにわたり耐え難き理不尽に晒され続けた彼女の心は…未だ閉ざされたままに御座います。」
「あ…。」
再び母親の顔が悲しみに歪む。
目から光が消え失せてしまう。
「私の…力では、私が持ち得る癒やしの力では彼女の心にまで手を差し伸べ救い上げることが叶わないのです…本当に申し訳ありません。」
「あぁあああああ!」
彼女は悲痛な叫び声を上げながら床に伏してしまう。
「あぁ…メイ…どうして、どうしてこんな事に…。」
嘆きが部屋に響く。
「お母様…!お気を確かに!」
「私がっ!私などが無事で!メイが、何故あの子が!!どうしてあの子の代わりになってやれなかったの!母親の私がどうして!!!」
もはや慟哭となった彼女の思いは止まらない。
自らの頭を抱え、握りしめた拳には頭髪が絡みつき引きちぎらんばかりだ。
「お母様!」
止めなくては。
そう思った瞬間、私の脳内に「知らない知識」が浮かび上がる。
私は身を捩る彼女に両手で抱き付いて理力を緊急行使する。
あふれ出た光の粒子が包みこんだ彼女の頭部へと吸い込まれた。
彼女の脳に干渉し、脳内物質の分泌を促す。
ガンマアミノ酪酸、セロトニン、オキシトシン、エンドルフィンを強制的に分泌させ極度の興奮状態を抑制、彼女の思考を落ち着かせ弛緩させ呼吸を落ち着かせ軽い放心状態へと導く。
分泌量は控えめに、過剰分泌は彼女の精神に悪影響だ。
「あ…。」
ふっと母親の全身から力が抜けた。
まるで脳に直接冷水をかけられたかのような異常な自身の鎮静を認識し。
文字通り頭が冷えたのだろう。
「聖女様…私は…!」
「解っております。子を思わぬ母など有りましょうか。無事を祈らぬ親など居るでしょうか!私は若輩なれど母の愛を尊敬いたします!子を守れぬ事を悔いる貴女を尊敬いたしております!」
両の手に力が入る。
「…だから、貴女自身を責めないでくださいませ。」
「しかし、これではメイが…あの子が、あまりにも哀れです…!」
落ち着きは束の間だった。
直ぐに彼女の語気が上がる。
なんてことだろう。
私は彼女の脳に干渉し続け、鎮静のための脳内物質を放出し続けているのに、彼女はそれを押しのけるレベルの精神抵抗を感情の発露で抗い続けているのだ。
娘への愛なのか、彼女の後悔の念なのか。
母の想いの強さに圧倒される。
このまま彼女の感情をめちゃくちゃにしてしまってはダメだ…!
「落ち着いてください!」
だから私は叫んだ。
「絶望しないで!今は目を覚まさなくても、時をかければメイ様は必ず目を覚まします!そのためには貴女が、母親がしっかりしなくてはならないのです!どうかお気を強くお持ち下さい!私も力をお貸しします!希望を失わないでください!」
両の手で彼女の頭を掴み、こちらを向かせ、まっすぐ母親の目を見つめながら。
「っ…!」
息を呑んだ母親は目を大きく見開く。
自責と後悔にうろたえる瞳が揺れている。
だがそれもすぐに変わった。
「あの子は、いつか目を覚ますのですか…?」
希望と覚悟の光が宿ったのだ。
「…はい。いつになるかは解りません。一週間なのかひと月なのか、一年なのか、どれほどの期間になるのか。正確には判りません。
それでも毎日、彼女に語りかけてあげれば。頭を撫でてあげれば。好きな料理の香りを嗅がせてあげれば。朝日を浴びさせてあげれば、真昼の日差しで温めてあげれば、夜風に当ててあげれば。
彼女が過ごした日々を形作る『何か』を彼女の心に届くまで、虚ろな目に見せてあげれば、聞かせてあげれば、肌に感じさせてあげれば、嗅がせて、味あわせてあげれば…。いつかは必ず。」
「あの子の…好きな事や、好物を…ですか?」
まっすぐ私を見つめながら尋ねる。
「そうです。メイ様の心を囲う壁を、彼女の日常を形作る『何か』で少しつづ砕いていくのです。」
「あの子の好きな…。」
揺るがぬ瞳が光を強める。
私を見つめていた視線は動かぬまま虚空を見つめ、何かを思案している。
「人の心を成す芯のようなもの、生きがい、目標、興味でも趣味でもなんでも。彼女の心の壁を揺さぶることが出来るものであれば。」
「…。」
彼女は黙ったまま目を伏せてしまった。
「…お母様?」
不安になった私は声をかける。
「聖女様。」
次の瞬間、顔を上げこちらを見る彼女の顔は。
「お話は理解いたしました。娘の治療をしていただき感謝いたします。また、メイの心を取り戻す手段、お聞かせ頂きありがとうございます。」
未だ髪は乱れ、涙の跡が残るぐちゃぐちゃの顔は。
「そしてご迷惑でなければこの後、私の家にお越しいただけませんか。」
凛とした気迫を纏い、全て担う覚悟を決めた母の顔になっていた。
「どうか我が家にお越しいただき、あの子の暮らしがどんなだったかを見ていただきたいです。私は母として、あの子の支えになり続けるにあたって、ただの一つの可能性も取りこぼしたくないのです。」
たとえ何年かかろうと、娘のために頑張ると覚悟を決めた母の顔だった。
「もちろんでございます、私の方からも尋ねさせて頂きたいと申し上げるつもりでした。メイ様の心を取り戻す、何かヒントになるようなことが在るかも知れない。いえ、必ず在るはずなのです。」
体中から強張りが抜けきっている。
母親の頭を掴んでいた手から力が抜ける。
「はい、よろしくお願いします。それと…騎士様。」
すっと立ち上がりながら、母親はリアムとフィンの方を向く。
ことの成り行きを見守っていた二人は厳しい顔のまま母親を見た。
きっと彼女の言うことを想定済みなのだろう。
「夫は…リック・ハーセルは今どちらに。」
「リックは村長宅にて怪我の療養中です。お二人が村に戻ったことだけはお伝えしましたが、今どんな状況かは存じ上げません。」
「まともに動けない彼を村長夫人と村の者でリックの面倒をみてましたので…おそらくはそのままかと。」
「…判りました、ありがとうございます。」
深々と一礼をする。
「聖女様、まずは夫の怪我を治していただけませんか?それから二人で娘の部屋へご案内致します。」
顔を上げた直後、くるりとセレナに向き直り続けざまに喋る。
「無論でございます。せめてお母様の状態が良くなれば、リック様の治療に向かう予定でございました。…お母様の、その様子であれば問題ないでしょう。」
「お気遣い、心の底より感謝いたします。」
再び、深々と礼をする。
「ローナ、本当に大丈夫?」
ずっと彼女の傍に控えていた、緑葉亭の女将さんが心配そうな面持ちで話しかけてきた。
年も近い様に見える二人、きっと元より仲良しなのだろう。
「ありがとう、マーサ。もう大丈夫。聖女様が道を示して下さいました。後はそれに必要な事をするだけです。」
「本当に貴女は…凄い女よね。それなら…とりあえず、顔を洗って髪を整えましょう?そんな状態でリックの所に行ったら、彼が可哀想よ。」
「うん、ごめんね。少し顔を洗わせて。」
ふらりと立ち上がったローナと呼ばれるメイの母親と、宿屋の女将マーサは連れ立って歩き出そうとした。
「あっ。」
唐突に彼女は立ち止まり、セレナへと向き直る。
「聖女様。私に光を見せていただきありがとうございます。そして今までのご無礼をどうかご容赦下さい。」
「いいえ。よくぞ立ち直って下さいました。」
緩やかに頭を振りながら、ようやく自然な笑顔がこぼれる。
「…それも貴女様のおかげです。そして名乗りが遅れました。
私はリック・ハーセルの妻ローナ。どうか我が娘、メイ・ハーセルに救いと導きをお願い申し上げます。」
静かに身をかがめて礼をする、表情に迷いは無い。
「ルミナスの敬虔なる徒、セレナ・ルミナリスと申します。女神ルミナスの導きと新たなる出会いに感謝を…奇跡と恵みを信じ、共に歩む機会を与えられたことを光栄に思います。」
「オゥミナ。」
ローナはそういって祈りの所作をした後、再び一礼した後にマーサと一緒に奥へと消えた。
セレナは廊下の奥に消えた二人をじっと見つめ続けている。
「…さぁ、皆様。外へ出る支度をいたしましょう。」
成り行きを見守っていたリリスが声をあげた。
リアムとフィンは互いに見つめ合って頷くと、セレナとリリスに会釈をして外へ先へ出た。きっと先行して状況確認と伝達をしてくれるだろう。
待合所にはセレナとリリスだけが残っている。
「セレナ様…?」
「大丈夫です、私共も支度を。」
セレナの顔からはさっきの笑顔がもう消えていた。
セレナは未だ迷っていた。
状況が好転したわけではないからだ。
あとはもう、やってみるしか無いのだから。
6000文字になりそうなので前話と分割
シリアスオンリーになっちゃった
まぁいいか




