第二十六幕 「後押し」
頑張れば自分の力で何とかなる事を試練とは言わないのかも。
自分の持てる全てを賭して、それでやっとギリギリで壁を超えた時。
それが成長の礎となるんだと思う。
「それが誰かの助けであっても、自分の新たな可能性だとしても。得難いものには違いないから。」
「本当に大丈夫ですか?セレナ…。」
「うん、もう大丈夫。まだお腹はぺっこぺこだけど、症状は塩水である程度改善されたし、理力で身体の調律は済ませたからへーき。」
マーサが持ってきてくれた女性物の衣類に袖を通しながら私はリリスとおしゃべりをしていた。
「でも…生命力が枯渇した状態で、さらに理力を使ったんですよね?」
「んー、自分に対する強化とか治療では消耗って殆ど感じないんだよね…自分の体を知り尽くしてるから、というか自分で良し悪しを感じながら行使できるから最適化されているっていうか…うまく説明出来ないけど。」
「そう…なんですか?」
「こればっかりはわたしの感覚のお話だから、ね。」
結局あのあと、直ぐに自分一人で立てるくらいに回復した。
死人のようにぐったりしていた少女がわずか2~3分で回復し、まだ血色の戻りきってない青白い顔でフラリと立っているのは中々にホラーだったらしい。
リアムは信じられない物を見るような目で立ち上がる私を見て怯えていたし、フィンは部屋に入るなり「うわぁ!」と普通に悲鳴をあげた。
二人とも失礼な。
思わず生気の無い恨めしそうな視線を送りながら、着替えたいので出ていくようにと冷たく扱ってしまった。
後で謝罪せねば。
「セレナはさっき生命力を使い切ってしまったから倒れちゃったんですよね?」
「んー、厳密には違うよ。たしかに今回は自分の生命力を消費してメイの治療に充てたけど、使い切っちゃったわけじゃないの。メイの代謝を促進させるにあたって必要な栄養と水分を理力によって譲渡しつつ理力によって代謝を超頻度で行わせた。それが想定以上の消耗に繋がったのは事実だけど。」
「セレナが倒れた時、まだ生命力は残ってたんですか?じゃあ何故あんな急に倒れるような事に…。」
そっか、脱水症状という概念がわたしたちの世界には無いんだっけ。
魔術で水を顕在化できるわたしたちの生活においてそうそう起こり得ない事象だし。
「リリスは水を一週間飲めないのと食事を一週間摂れないの、どっちのほうが辛い?」
「え?えーと…水を飲めないほうが、辛い…?」
「…なんで疑問形なのよ。」
「魔族は飢えに強いと言いましたが…、実はかなり渇きにも強くてですね。割と数週間水分を取らずに平気な種だったりします。」
「…やっぱり種としての格というか、生存効率の格が違うわね…。」
「えへへ。なので人の暮らしや野生動物の生き方で考えてみました。」
「ありがと、的確な検証対象の選択に大助かりよ。」
やっぱ魔族は凄い生命体だということを呆れるくらい認識する。
「ってことはもしかして、セレナは体の水分が無くなって倒れちゃったんですか?」
「理解も早くて嬉しいわ。つまり…理力の行使には少なからず集中や思考による身体への負担があるの、コレは生命力の消費とは別個のわたし個人にのみかかる負担ね。理力を行使するにあたって必要な知識の構築と、理力による超常現象の履行、それらを制御するための集中。これらを行うことでも私の身体ではわずかだけど生命力消費が行われるわ。」
「ということは、メイさんの治療にあたって全ての負担がセレナに高い水準で集中したために想定外の体調不良に陥ってしまった?」
「そんな所よ。」
「なるほど、判りました。」
何か決意めいた表情で、握りこぶしを結びながらリリスは応えた。
厳密に言えば『相応の消耗は想定はしていた。』
でも、薬物の除去を完遂するにあたって必要な代謝に必要なサイクルの数が『想定以上に膨大だった』のと『想像以上にコストが高かった』のは予想外だった。
やっぱり私の理力の行使という経験上にあり得ないレベルの負荷が今回の治療に発生していたと考えるのが妥当だ。
それが何なのか検証したいところだけど…今はそれどころじゃない。
「…あと。リリス。」
大事なことを伝え忘れてた。
「はい、なんでしょう?」
「あなたの服まで汗でびしょびしょにしちゃって…ごめんね。」
私の大量の汗で濡れてしまった彼女。
マーサが幾つかのサイズの服を持ってきてくれたから、丁度よいとリリスも着替えていたのだ。
あの時リリスはびちゃびちゃになるのも構わず私をしっかりと抱きかかえてくれていた。
脱水症状で言うことを聞かない身体をふんわり優しく包んでくれてる様な、凄い安心できる心地よさを思い出して、何故かむず痒くなる。
「いえいえ。抱っこされてたセレナはあかちゃんみたいで可愛かったですよ。」
にんまり笑顔で想定外の返事をされた。
なんか顔が熱くなってきた。
くそう。
「と、とりあえず。これでメイの体内から薬物は除去出来たはずよ。残るは彼女の精神…心の方をどうするかだけど…。」
なんだかリリスを直視できなくて、くるりとそっぽを向きながら話を切り替えることにした。
でもコレはずっと考えていた事。
彼女の両親には言いづらいことを。
リリスに聞いておいてほしくて。
「これに関しては…正直言っちゃうと、わたしの理力でどうこうできるのか…全然方法が思い浮かばないのが現状よ。ここまでの治療は『対の指環』のお陰でメイの精神を安定させながら間違いなく完遂できたと言えるけど…。この先、彼女の意識を…心をどう取り戻したら良いのか…。」
喋っていてどんどん語気が弱くなってしまう。
ずっと不安に思ってたことをリリスに吐き出す。
無限の星たちが複雑に絡み合う彼女の頭の中の宇宙。
恐らく彼女は、自身の身に降りかかる理不尽から心を守るため。
薬物による五感の鋭敏化で、情報の洪水のような状況に耐えるため。
自ら心を閉ざすことで精神を守ろうとしたのだ。
身体の治療を終え、薬物も抜いたけど彼女が目覚める様子は無い。
大量の薬物による急性中毒が引き起こした複合的な精神障害。
これを治療するのは時間をかけた慎重な治療が鉄則。
理力による強化や代謝促進によってどうこうできる物ではない。
ここまで私を引っ張ってくれた『知らない知識』と理力の可能性。
彼女の脳を活性化させる事は出来ても、どんな結果が生まれるか予想出来ない以上、不用意に理力を行使するのは危険だ。
ここまで全力を尽くして彼女を救うために頑張ったけど…。
悔しいけどここまでなのかな。
頭の中で思考がぐるぐるして言葉が続かない。
彼女に背を向けたまま俯いていると、不意に背中に柔らかい感触を覚え、続けざまに腕でふわりと抱え込まれてしまった。
リリスの腕だ。
「大丈夫ですよ、セレナ。やれること全部やったならメイさんのご両親だって感謝してくれるはずです。…一度、一緒にお母さんにメイさんのことをお伝えしましょう?きっと不安の中でずっと待っているはずです。」
抱きかかえながら私の頭をあやすように撫でてくるリリス。
リリスの振る舞いが自然すぎて、なんかもう慣れてしまった。
「…それが良いかもね。うん、そうする。」
「はい。」
彼女の言う通りだ、やれることはやった。
「ねぇ、リリス。」
「はい?」
「…支えてくれてありがと。」
「…はい!」
だから背中を押してくれた彼女には感謝を伝える。
「それと、もう一つ。」
「うん?」
それと、ずっと思ってたことも。
いっそのこと聞いてしまおう。
「…なんでずっと全裸なの?」
「…人族の服は下着やら肌着やら重ね着やら何やら、色々あってややこしいんだもん。」
だもんて。
服をひっくり返したり裏返したりしてたのはそういうことか。
「手伝ってぇー。」
「はいはい…。」
「えへへ。」
どうやら言葉づかいにもだいぶ気を配ってくれてるようで。
彼女の積極的なスキンシップと気遣いは、素直に嬉しく思う。
やや脱力しながら彼女の着替えを手伝っていたら。
『グギュゥ』
と、私のお腹が豪快に鳴いた。
ええい、間が悪い腹の虫め。
リリスもあったかい笑顔でこっちを見つめないで!
追い打ちママみ。
大事な事なんです。
ほんとに。




