第二十三幕 「解毒」
誰かのために必死になれることは凄く良いこと。
でも誰かのために自分を犠牲にすることは良いことだろうか?
「あなたの信念のために、誰かが泣くことが有るのを忘れないで。」
「何も叩くこと無いじゃないですか…。」
少し涙目で自分の頭を擦っているリリス。
「ちょっと小突いただけでしょ、大げさな。」
冷ややかな視線でじっとりとセレナが睨んでいる。
「ちょっと正気を失っていたのは認めます…でも、あんな凄い光景見せられたら誰だって私のようになっちゃうじゃないですか…。」
「はいはい。事が済んだらリリスのお腹も凹むように手を貸してあげるから。今はメイの治療に専念なさい。」
呆れた顔で事態の収拾をつけるべくセレナが魅力的な提案をした。
「ほんとですか!」
「ほんとほんと。」
「約束ですからね!!」
「解ったから…さぁ始めるわよ。」
喜色満面で破顔するリリスを横目に、セレナは再びメイの傍らで構える。
「はい!」
凄く良い返事でセレナの左に並ぶリリス。
まったく…緊急性が無いだけで彼女は相変わらずのっぴきならない状況下にいるというのに、緊張感が足りてないのでは…?
ここら辺も魔族との文化の違いなのだろうか。
口にすることは無いが、やや辟易しつつもセレナは改めてメイの身体をチェックする。
内外の傷の治療を済ませ、今もなおリリスの闇魔法の術中にあるメイの状態は一見すると非常に安定しているように見える。
しかし彼女の身体は未だに薬物の影響下に有り、通常であれば五感で得られる全ての情報が過剰で激的なノイズとなって自身の精神を苛んでいたはず。
麻酔の無い世界において知覚の遮断を行わずに外科的治療を行えば、それは彼女にとって未体験の外部からの刺激…新たなる拷問となって彼女の精神を更に追い込んでいたに違いない。
リリスの闇魔法『冥魂の揺籠』によって強制的な昏睡状態にある限り、その懸念は無用となり安心して肉体的な治療を施すことができる。
基本的な魔術の素養しか有しておらず実践レベルの魔術を行使できないセレナにとって、精神干渉系の魔術を行使できるリリスの存在はこの上なく有り難い。
…さっきはあんな態度をとったけど、心から感謝している。
そして「対の指環」の存在。
リリスの話が事実であり、その効果の最適化が行われているのであれば…今現在のメイの状況は何かしらの干渉を受け精神安定化が行われている筈だ。
昏睡状態にある以上、その変化を観測することは出来ないが…リリスの父君が魔族たちを諌めるのに使っていた実績を考えれば劇的な効果を望めると思ってよいだろう。
完全に安定した呼吸と脈拍、血色の良くなってきた肌艶。
薬を抜いていないにも関わらず、健康的かつ安静な様子を維持できている…
血中に残留しているであろう薬物の影響が有ってなお、彼女の脳が正常な働きを可能にしていることの証明。
総合的に判断すれば全ては是となり良い状況下にあると信じられる。
この状態なら理力によってメイの代謝を超促進させることによる身体への負荷にも彼女の精神は充分耐えてくれるはずだ。
セレナは自身の思考と五感を理力で強化し、メイの身体を慎重に触診しつつ並行して状況判断を行った。
「リリス、『冥魂の揺籠』の術式崩壊までの時間は大丈夫?」
「…大丈夫です、魔術強度の減衰は感じられません。」
目を閉じながら自身の行使した魔術の術式強度を確認するリリス。
魔術を行使すると精霊との接続により、魔術行使時とのマナ濃度変化を本能的に感知する事ができる。
行使した術式に込められたマナ濃度の低下は即ち術式の崩壊の始まりを意味する、術式が崩壊する速度は条件によって様々だが…少なくとも完全に意識が断絶されているメイは魔術に対する能動的な抵抗をすることが出来ないため、術式強度の変化を見逃さなければ状況は継続して安定させることが出来るはずだ。
「わかったわ、取りあえず今はそのまま術式崩壊のチェックを継続しててくれる?魔術強度の減衰が確認され次第、魔術の再行使によってメイの知覚遮断状況を維持してね。」
「了解しました。」
「ありがと。…じゃあ始めるわよ。」
セレナは目をつぶり、再びメイに対して理力を行使する。
先ほど同様、彼女の周りに淡い光の粒子が溢れ出しセレナの全身を巡りだす。全身に光を纏わせながらセレナは両手を伸ばし、右手はメイの心臓付近へ、左手は右脇腹から下腹部間へと掌をかざす。光の奔流はセレナの全身から腕を巡り掌へ、掌からメイの全身へと次々淡い光の粒子が吸い込まれていく。
まずは全身の血管強化と心臓の強化により血流を劇的に早める。すべての臓器への血液循環を早めながら肝臓への代謝強化を行い、彼女の血中および各臓器に残留している薬物を急速に酵素分解させる。
理力によるエネルギー譲渡により、代謝によって失われた水分や栄養の補給も並行して行うのを忘れずに、健康への影響を最小限にとどめた。
併せて交感神経への干渉を行い全身の汗腺を活性化。体表部からの残留薬物排出も同時に行わせつつ腎臓も強化し、全力で薬物のろ過を強制させた。
やがて、脱力しきったメイの自然排尿により、股間にあてがわれた布にじわりと濃い色の染みが広がってゆく。強化されたセレナの嗅覚に通常の尿とは異なる少し生臭い香りを感じさせた。
すこし目を開け、ちらりとタオルの状況を確認する。
…これなら無事薬物の排出が行われていると判断して良いだろう。
脳内に発生した「経験のない知識」が裏付ける現状を強化された五感で確認できたことでセレナは施術が順調であることを確信できた。
「セレナ、メイさんからの魔術抵抗がほんの少し活性化したように感じます。もしかしたら意識が強くなってるかも知れません。」
さらにリリスから朗報が告げられる。
「いい傾向ね、リリスは魔術の再施行をお願い。その後はタオルの交換に移って…その後は彼女の意識が戻る兆候が有れば再施行を繰りかえしてくれれば大丈夫よ。」
目をつぶったままリリスに指示をだしながら施術を継続する。
循環を安定させるためには持続した施術を行う必要がある。不用意に流れの緩急をつけると思わぬ負荷が血管や内臓に発生しかねない。
ここからは私の体力と気力が勝負の鍵だ。
「任せて下さい。セレナも…頑張ってください。」
少し心配そうな口調のリリス。
多分、施術中の私を見たのだろう。
自分でもはっきり判る。
額から滲んだ汗が絶え間なく頬を伝ってるのを。
背筋にも大量の汗が吹き出て服が肌に張り付く。
彼女の生殖器官を治療した時と同様、普段の理力による身体強化とは段違いの消耗を感じることが出来る。
これは内臓機能への干渉と活動強化は理力を大量消費するのか、あるいはメイに残留している薬物の影響により内臓の干渉に無駄な理力消費が発生しているのか。
…だめだ、今は彼女の治療に専念しなくては。
事象に対する対処と並行思考はわたしの癖なのか、どうにもいつの間にかやってしまっている。
集中しなきゃ。
―どれほどの時間が経過したのだろう、体感としては数時間が過ぎ去った様に感じられる。
もはや滝に打たれたかのように全身汗でぐっしょり。
さっき大量に食事して得られた内在エネルギーも、既に飢餓感となって枯渇の兆候が顕著になりつつある。
「せ、セレナ。大丈夫ですか…?さっきよりずっと顔色が悪いです…。」
本気で心配そうなリリスの声が耳に届く。
「…リリス、わだじ…ケホッ。…わたしが施術を始めてどれくらいの時間が経過したかしら?」
喋りだそうとしたら想定外にかすれた声が出て少し咳き込む。
「…30分位です。ねぇセレナ、少し休みましょう?声がガラガラですし、汗もさっきと比べ物にならない位かいてます。」
30分…たったそれだけでこれ程消耗したのか…。
「…その前に、彼女の尿の色や臭いを確かめてくれる…?」
「最初の頃に比べたら変な臭いは完全に消えました…普通の臭いです、色も最初はびっくりするような濃い琥珀色でしたけど…今は殆ど透明です。」
そこまで聞いてセレナは安心したかのように理力の行使を解いた。
「よかった…何とか保ったみたい…ね。」
そういって目を開け、リリスの方を向こうとした時。
膝から力が抜けて、かくんと体が崩れてしまった。
「セレナ!」
リリスが悲鳴のような声を挙げながら、咄嗟にわたしの受け止めて身体を支えてくれた。
意識ははっきりしてるのに体が言うことを聞かない。
…ちょっとやり過ぎたかな…。
なにかに集中しすぎて失ってはいけないものを失う。
熱意って凄いよネ
良い意味でも悪い意味でも…




