第二十一幕 「補給」
何かを犠牲にしなければ何かを得られない。
何かを得るためには何かを諦めなければいけない。
「私は、この選択で何を失うんだろう。」
「セレナ様?フィンです。ベンが…緑葉亭の主人が料理ができたとの事で…既に部屋の前までお持ちしてます、いかが致しますか?」
やや訝しげな口調でフィンが声をかけてきた。
無理もない、指輪の結界により中から外への音は遮断されているため、今の今まで一切物音がしない状態だったのだから。
「承知いたしました。少しお待ち下さい。」
セレナはそう言って益々気怠くなってきた身体を引きずりながらドアへと移動した。鉛のように重たい体が自身の消耗を痛感させる。
理力使用後の消耗具合としては、体験したことの無い気だるさ。
今まで数多の兵士の傷を癒やし、一度に複数名の致命傷を修復したこともあるはずなのに…メイの生殖器官を治療した時の消耗が異常すぎる
皮膚や筋肉、骨や各種臓器を同時修復するのに対して、たった一つの器官を修復しただけで比較にならない消耗具合だ。
…仮説は立てられる…生命の連鎖の根幹たる母胎。「個」の重要度で言えばさほどでも無いかも知れないが「種」の重要度で言えば最重要であろう。
でもソレだと変かな…奴等の睾丸をぶっ潰して治した時は消耗は全くなかったし…他に考えられる理由としては…。
「セレナ様?」
フィンが再び尋ねてきた。
「ごめんなさい、今開けますわ。」
いけない、余りにもボケっとし過ぎて思考が余計な方にそれていた様だ。
部屋の扉を開くと心配そうな顔をしたフィン、その後ろにリアムが居た。
セレナの顔を見るなりギョッとした表情になる。
「せ、セレナ様!お顔が真っ青です。大丈夫ですか?!」
フィンが珍しく狼狽えている。
今まで割とクールな感じを貫いていたと思うけど、人の事になると豹変するタイプなのかな。
「大丈夫ですわ、すこし消耗が予想以上だったので気分が優れないのは事実ですけれども…食べ物で補給すればすぐ回復いたします。」
すこし投げやりな口調になりながら答える。
「それならば良いのですが…それで、料理はこちらに。」
そう言ってフィンが身を引くとリアムが押す大型のワゴンに大量の料理が載せられている。
分厚く脂身たっぷりのステーキに、大量のチーズが香ばしく大きな根菜が覗いているグラタン、キラキラとシュガーバターが輝いている巨大なパン。
どの料理も5~6人前はある。
すごい良い香りがして食欲をそそる。
お腹がきゅうと音を鳴らす。
「ベンが一度に料理できる最大量を作ったと言ってましたが…セレナ様、これ一人で食べるんですか…?」
リアムが唖然としながらワゴンの上の料理を眺めている。
「はい、頂かせてもらいます。緑葉亭のご主人は…どちらに?」
「厨房で片付けをしているようですが…。」
リアムがカウンターの奥に視線をやりながら答えた。
「ならば『同じ料理を同じ量、もう一度お願いします。』とお伝え下さい。それで恐らく足りると思いますので。」
我ながら割ととんでもない事を言っているとは思う。
「お、同じ量を?!だっ、大丈夫なんですかソレ?!」
振り向きざまに素っ頓狂な声をあげてリアムが叫ぶ。
フィンも目を剥いて驚いている。
「それと、大きなボウルか鍋を借りてきていただけますか?」
スルーして次の指示を飛ばす。
いちいち説明する気は無いと言った風の態度と視線をリアムに突きつけた。
「えっ、あっはい、行ってきます。」
そういってリアムが小走りで厨房へと走っていった。
「セレナ様、この量を本当にお一人で…?」
「えぇ、大変美味しそうで助かりますわ。」
フィンは大分引いた顔でセレナを見つめる。
青い顔で額に汗を浮かべながらズレた事を言っているが…どうやら目は本気のようだ。
「食べ過ぎは…あまりよろしくないのでは。」
「そこは、工夫いたしますのでご安心を。」
「…はぁ…。」
全くもって腑に落ちない様子のフィン。
その時厨房の方から豪快な笑い声が聞こえてきた。
まもなくリアムが大きな鍋を抱えて戻ってくる。
「セレナ様、鍋をお持ちしました。料理の追加も伝えてあります。ベンの奴、驚いた後に大笑いしてましたよ…。」
「まぁ、笑うしか無いな…。」
リアムとフィンは顔を見合わせた後、セレナに向き直る。
「鍋はこの大きさで大丈夫ですか?」
両手に抱えているのは20人前は作れそうな大きなスープ用寸胴鍋。
「十分かと。」
「それで…この鍋で一体何を…?」
セレナは受け取った鍋を持ったまま大型ワゴンの傍へと移動した。
大量の料理をじっと見つめた後、小さな溜め息を一つ。
「ご主人の折角の料理を普通に楽しめないのは慚愧に堪えない心持ちですが…こうします。」
セレナは床に大鍋をおいた後、皿を手に取り中身を次々鍋へと放り込んだ。
淡々と一人で謎の作業をするセレナ。
リアムとフィンが呆然と眺めてる。
リリスも似たような顔で背後から覗き込んでる。
全てが鍋に収まるとセレナは鍋に両手をかざし魔術を行使した。
鍋の中身がゆっくりと中で動き出し次第に速度を上げて回り始めてゆき料理たちが次第に形を崩してゆく。
音もなく回り続けていた料理達はやがてどろどろの液体になってしまった。
「これは…風のマナで料理を刻んでるんですね…?」
フィンがやや青い顔をしながら状況を尋ねた。
なんとなくだがこの後の展開を察しているのだろう。
「もうちょっと水気がほしいですね。」
フィンの質問を無視してセレナはそう呟くと、水のマナを行使する。
中空に顕現したきれいな水がたぱたぱと鍋に注がれた。
再び風のマナを行使し鍋の中身をぐるぐると撹拌する。
やがてセレナは魔術の行使を止めた。
鍋の中には完成したであろう大量の形容詞し難い液体。
「あまり行儀のよろしく無い事をしますので、この事はご内密にお願いしますね。」
にっこり笑顔で一言、見たこと喋んじゃないぞ。と釘を刺す。
無言で頷くリアムとフィン。
「では、頂きます。」
そう言ってセレナは深呼吸をした後、キリッと覚悟を決めた表情をすると、ガッとデカい寸動鍋の取っ手を掴む。
決して軽くは無いであろうソレをヒョイっと軽々持ち上げると、鍋の縁に口を付けて傾けた。
そのままゴクゴクと豪快な音をたてながら、形容しがたい液体を喉へと流し込むセレナ。量が量なだけに奇っ怪極まる風景が暫く続く。
「「ひぃ」」
リアムとフィンが同時に悲鳴をあげる。
顔が真っ青、体もたじろいでいて文字通り引いている。
「セ、セレナ…さま…。」
リリスも完全に口をあんぐりと開けて目の前の壮絶な光景を見つめる。
「な、なるほど…風のマナで料理を刻み水のマナで流動食にしてしまうことで噛む手間を省いて飲み込みやすくしてしまうのか…なんというか、すごい光景ですね…。」
フィンが何とか感想をひねり出す。
リアムは相変わらず引いてる。
…まぁソレだけじゃなくて消化と吸収のプロセスを助ける意図もあるんだけどね。それは多分「知らない知識」。
セレナはそんな事を思いながらひたすら鍋の中身を飲み込んだ。
やがてセレナは鍋から口を離し、空になった鍋をゴンと床に置く。
「…ごちそうさまでした…。」
やや据わった目で口元を拭いながら完食を告げるセレナ。
礼節とか作法を超越した食事が無事終了した。
セレナの腹がぽっこり膨れてる。
むしろアレだけの量を一気に摂り込んだ割には可愛い膨れ具合。
「では、施術の続きをしてきます。食器と鍋の返却をお願いしてもよろしいですか?」
すこし血色の良くなった顔に笑顔を造りリアムとフィンにくるりと向き直るセレナ。
ビクリと身を硬直させて更に引きながら二人はこくこくと頷いた。
ソレを見届けたセレナは張り付いた笑顔のままメイの寝ている部屋へと颯爽と歩いていった。
床に置いてある空のデカい寸動鍋。
空になった数々の皿が載った大きなワゴン。
姿の見えなくなったセレナが消えていった扉の開いたままの部屋。
リリスとリアムとフィンが、揃った動きで圧倒されたように遺された壮絶な戦いの残滓を見つめていた。
「リリィ様ー?来てくださいましー?」
やや圧のある口調の呼び声が聞こえてビクリと我を取り戻す3名。
リリスは黙って一礼するとあわあわしながら部屋へと駆けてゆく。
「セレナ様って、本当に凄いですね…。」
ぽそりと呟くフィン。
「怖かった…なんか今までで一番怖かった…。」
震える声で呟くリアム。
おい、聞こえてるかならリアム。
人を化け物みたいに…覚えておけよ?
継戦状況下における補給の重要性
補給の効率化と規格化について
レーションって効率化と保存性と携帯性に優れたモノって改めて認識した。
味や見た目?
ハハッ、なにそれ美味しいの?
美味しいほうが良いよね…。




