第十八幕 「ルーカス・ローム」
わたしがこうしたい事、あなたがそうしたい事
交わる事の方が稀なんだと痛感する
だから誰かと何かが合うと嬉しくなるんだ
「でも結局はそれだけ。それが何度も起きることが奇跡のような事なんだ。」
目を覆うような惨状の娘を見た母親はただただ泣き崩れていた。
自責の念に苛まれ、ひたすら「ごめんね。」と謝罪を繰り返す母の有り様を見てセレナはやりきれない気持ちになる。
頭の中で巡る経験の無い知識がこの状況の未来を告げている。
短期間に大量の薬物を投与されて、慰みものにされた彼女の身体と
心がどうなってしまうのか…。
そんな事にしてたまるか。
必死になって手は無いかと考え続けた。
頭に浮かぶ方法は即効性と確実性に欠けていて今すぐ実行する事をセレナにためらわせる。けれども他に方法が思いつかない。
どうすれば良いんだという無力感に苛まれる。
「セレナ様、早く彼女を村に連れて帰りましょう。」
リリスが真剣な眼差しでセレナに話しかけてきた。
はっとして我に返る。
「そうでしたわね…彼女を治療するにしても、落ち着いた環境が望ましいです。こんな所で考えても仕方が無かったですわね。」
考えるのは一旦やめよう。
今は事態の収集が先決だ。
「リアム様、フィン様。野盗共の運搬をお願いできますか。彼女は担架を用意して私達で運びます。」
「おい、聖女様よ。」
グリムヴェインが声を掛けてきた。
「あいつらの腰を先に直してやってくれ、そうしたら俺が二人を担いで付いていく。」
手足が縛られているため顎で指し示しながらグリムが言った。
「お前そんなこと言って担いだまま逃げる気じゃないだろうな。」
「それなら俺の足にでもロープを結わえて持っておけ。あいつらを背中にくくりつけてくれてもいいぞ。」
ジロリと睨んできたフィンを鼻で笑うようにグリムは答えた。
なるほど、確かにグリムの体格なら男二人くらい軽々と運べるだろう。
実に名案だ。そう思ったセレナはスタスタと二人の男の方へ歩いていく。
手をかざし理力を行使する。
男たちがうめき声をあげるが目を覚ます様子は無い。
歪な形に盛り上がっていた腰椎が何とも言えない音を出しながら元の形へと戻っていく。
「おぉ…。すげぇな、本当に治るのか。」
覗き込むように見ていたグリムが感嘆の声を漏らす。
「かの極寒の死地においては、半身が千切れた兵を治したこともございます。骨の一本や二本、造作もございませんわ。」
「あまり想像したくない光景だな。」
「あの激戦の地においては日常的な出来事でしたわ。」
「…そうか。」
何かを考えてるような、複雑な表情をしていたグリムはやがて立ち上がると手下の男たちの所へと向かう。
「おい、結局こいつらをどう運ぶんだ。」
リアム達へと振り返りながらグリムが問いかけてきた。
「少し待て、テーブルを解体して担架を作っている。」
そう言いながらフィンがひっくり返したテーブルの足をリアムが風魔術で切り落とした。運びやすいように持ち手も切り出しているようだ。
「リアム様は風のマナの使い手なのですね。」
リリスが鮮やかな手つきに感心しながら見ている。
「攻撃系統ばかり修めた直情型ですけどね、剣と併用して騎士として戦うには充分かな、と。」
器用に風の刃でテーブルを加工しながらリアムが応える。
言う割には見事な手さばきであっという間に持ち手を切り出した。
加工を終えた二人はテーブル板にそこらに有った毛布を敷いて慎重に娘を移した。
「よし、じゃぁ野盗二人をお前に…って」
「どうした、行かんのか。」
気づけばいつの間にかグリムは左肩に二人共担ぎ上げ終えている。
「お前、縄を!」
「先に背負っただけだよ。こんな細い縄、力だけで千切れちまう。この状態が気に入らないならさっさと縛ってくれ。」
フィンが首領の勝手な行動を咎めるように声を荒げたが、グリムは事も無げに言い放つとめんどくさそうな顔をする。
「フィン様、もういいでしょう。グリム様は逃げる気など毛頭ないようですわ。たとえ逃げ出しても、次の瞬間には私に蹴り飛ばされてます。」
「そういうことだ、早くその娘を村まで連れていきたいんだろう。」
「貴様、のうのうと…。」
フィンは納得がいかないと言った風にグリムを睨みつける。
「フィン様、まずはこちらの方の安静が先決です。嫌疑はお収め下さい。私が先行いたしますので。リリィ様はお母様についてあげてくださいませ。リアム様とフィン様で彼女の運搬をお願いします。グリム様は私についてきてくださいませ。」
これ以上手間をかけない為にも、場を仕切ることでさっさと状況を進めてしまおう。そう思ったセレナはフィンを制しつつテキパキと指示を出す。
一同はセレナの指示に従いそれぞれの位置につこうとするが
「聖女様、私は大丈夫です…どうか娘に付いて歩かせて下さい。」
涙で腫らした目で母親が懇願してきた。
「…お一人で歩けるのですね?」
「はい、お願いいたします…。」
そう言って母親はよたよたと担架へと歩み寄り、横たわってる娘を見て再び顔を悲しみで歪ませる。
「…行きましょう。」
そう言ってセレナは歩き出した。
母親に掛ける言葉が思い浮かばず、不甲斐ない自分への苛立ちばかりが募る。今の娘の惨状を目の前にした母親に、どんな励ましなら救いになるのだろう。
そんな事を悶々と考えながら洞窟の外へと向かう。
リアムとフィンが担架を揺らさないように慎重に歩いている為、必然的にセレナとグリム達は後続の5名との距離を開くことになる。
途中、木戸の所で寝転がっていた門番はグリムが黙って拾い上げる
大の男を3人軽々と担ぐ姿をみてセレナは思わず零した。
「グリム様、その膂力がお有りなら我々を打ち倒し逃げるくらいの算段はあるのでは?」
「心にもないこと言うんじゃねぇよ、あんな化け物じみた動きをするお前がいるのに勝算なんてある訳無いだろうが。」
嫌味ったらしく言ったら化け物と言われた。
酷い言い草だが、もっともな話でもある。
「自分一人だけでも逃げられるかも知れませんよ。」
「そんな事したらこいつらが可哀想なだけだ。」
そう言ってグリムは抱えている男たちを揺すってみせた。
野盗の首領とこんな話をして、自分は一体どうしたいというのか。
自分の後ろを歩く野盗の首領が、どうしてもただの悪人に思えない。だったら何故こんな状況が生まれてしまったのか。納得できない現状に答えを求めてセレナはつい口走る。
「その哀れみを何故あの娘に向けてあげられなかったのですか。」
答えなど分かりきっている無意味な問いに。
「俺は身内を助けるために道を選んできた。それだけだ。赤の他人を救う義理は無い。」
吐き捨てるように言い切るグリム。
「…ならば一つだけお答え頂けませんか。」
「…何だ。」
「なぜ娘の方を手下の慰み者にして、母親を守ったのですか。」
「守った訳じゃねぇよ。…娘のほうが助かる可能性が高いと思ったんだ。手下どもに無茶されても…助けが来て開放された後、時間をかければ回復するかもするかも知れない。そんな無責任な賭けをしただけだ。」
「…そうでしたか。」
そこまで聞いてセレナは考えることをやめることにした。
なぜグリムヴェインという男が野盗の首領らしからぬ行動をとるのか、考えても答えは出ないし相手が答えてくれる事は無いだろうと判断したからだ。
洞窟を抜け、滝の脇道をくぐり抜け外へと出た所でセレナは目の前に予想外の光景が広がっていることに驚く。
「セレナ様!ご無事でしたか…!」
エミリアとフェデルが待ち受けていたのだ。
声を張り上げながらホッとした顔のエミリアがフェデルから降りてきてセレナの方へ駆け寄ってくる。
「エミリア様、いらしていたのですか。」
セレナは立ち止まって大きな声で答えた。
「やはり心配になってしまって!」
そういって近寄ろうとしたエミリアは滝の影から出てきた男を見て身構え、態度を固くした。
「セレナ様!後ろの男はまさか!」
自称商人とは思えない気迫で誰何するエミリア。
「ご安心を、エミリア様。この者に抵抗の意思はございません。」
予想していた反応にセレナは間髪入れず答える。
「誰だか知らんが殺気を向けんで貰えるか?確かに俺はこいつらのボスだが今はただの荷物運びだ、暴れたりはせんよ。」
そう言って立ち止まったまま声をあげる。
滝の音がうるさくて会話がしづらい。
「エミリア様、フェデル様のところまでお下りください!ここではお話もままなりませんわ。それと囚われの方々も生きております!後からこちらへいらっしゃります!」
「し、しかし…!」
―しかしもへったくれも無いでしょう、貴女すっかり旅の行商人の設定を忘れてやしませんか。
そう言いたいのを我慢してセレナはスタスタと前へとでる。
「本当に大丈夫なんですね?」
自分の前に来たセレナに再び尋ねたエミリアにセレナが答える。
「暴れたり逃げようとしたら私がなんとかします。それよりも、どうやってこの場所へ?村の方の案内…ではないようですが。」
セレナはちらりと、エミリアの後方にある離れた場所の木に目をやった。
「えっと…セレナ様達が朝早く発った後しばらくして、私居ても立ってもいられずフェデルと村を出たのです。それから…南下して森を抜けてから川を遡ればたどり着けるだろうと思って。それで…少し前にここにたどり着きました。」
何かを思い出すかのように一つ一つ言葉を紡ぐエミリア。
「そうでしたか…、ご心配をおかけしました。」
「いえ…ご無事で何よりです…。」
「で、俺は近づいてもいいのか!」
まだ滝の所で待機していたグリムが声をあげる。
「どうぞ!こちらへきて下さい、グリム様!」
「ぐ、グリム様?野盗の首領なのでは?!」
状況が掴めず困惑しっぱなしのエミリアが複雑な顔をしている。
グリムはエミリアを無視してセレナの近くまで歩いてきた。抱えあげた手下どもはそのままだ。
「説明は後にいたしましょう。それよりも…急いで馬車の手配をお願いできませんか?囚われていたお二人は命に別状はございませんが、娘様の方が深刻な状態です。」
今は時間が惜しい、彼女のためには一刻も早く。そう思ってセレナがエミリアに依頼した所で後ろから声がした。
「それならば僕の方でお力になれるかと。」
先ほどセレナが一瞥した木の陰から男が一人、スッと身を曝した。
「…どなたでしたでしょうか?」
胡乱げな目を向けるセレナ。
「あっ。紹介します、セレナ様。私の兄で共に行商人をしております、ルーカスと申します。えーと、村を出発してすぐに合流できまして着いてきてもらったんです。」
「お初にお目にかかります、聖女セレナ・ルミナリス。エミリアの兄、ルーカス・ロームと申します。以後お見知りおきを。」
そういって彼は恭しく礼をした。
「初めましてルーカス様。女神の導きと新たなる出会いに感謝を。」
そういって祈りの所作を捧げるも、少々訝しげな表情のままだ。
「どうして木の陰に隠れてらしたのですか?」
「兄は少々慎重派といいますか…おく…ゆかしい所が。」
「エミーが猪突猛進すぎるんだよ。代わりに僕は慎重にならざるを得ないの。ていうか今、臆病って言いそうにならなかった?」
飄々とした態度の細目の男、エミリアと目元以外は似て無くはないが…
少々軽薄な印象をセレナは抱いた。
「言ってない!っていうか猪突猛進って何よ!」
「そのままだけども?後先考えずに、いっつも突っ走るじゃん。」
「い、いつもじゃない!」
唐突に始まった仲睦まじい兄妹のやり取りを見てセレナは溜め息を付く。
「仲良くお喋りは後にしてくださいませ。ルーカス様、馬車をお持ちなのですね?」
真面目な顔でルーカスを見つめながらのセレナに対し。
「えぇ、色々荷を積んではいますが。病人含めて何名かは乗れますよ。魔導工学による走行補助付きの立派なヤツです。少し川を下った所に停めてありますよ。」
自信満々といった風に、やはり少々おどけた態度だ。
「それは助かります。お一人は運搬時に些かも揺らすことができない状況ですので。本当に、女神の導きに感謝いたしますわ。」
やや調子の強い口調と厳しい目を向けるセレナ。
「あ、あの?セレナ様?兄が何か…」
セレナの棘のある物言いに当惑するエミリアはおろおろしだした。
「兄ちゃん、後ろ手でショートソードに手を添えるのは止めてくれ。ずっと殺気を向けられても俺は仕方ないが、聖女様がお怒りだぜ。」
突如グリムが言い放った。
「えっ!」
エミリアは驚いて振り向く。
「おやま、お気づきでしたか。」
ぱっと両手を広げてみせ、肩をすくめながらとぼけるルーカス。
グリムの言う通りだ。
彼は姿を現してからずっと、左手を後ろにやり半身の姿勢を保って抜き手を見せないようにしながら自己紹介をしていた。
「俺はそういうのが判る位には手練れではあるんでな。」
「それは恐ろしい。おくゆかしい私は警戒せざるを得ないです!」
あくまで自分は悪くない。そういった態度が透けて見える。
「ルーカス!セレナ様の前で無礼な真似をしないでください!」
「そうは言うけど、現状だと何か有ったときにまともに戦えそうなのは僕だけでは?」
そういってグリムを見つめる。
「セレナ様は魔王討伐隊の一員ですよ!ルーカスよりよっぽどお強いのですから無用な気遣いです!」
場を収めようと躍起に成っているのかエミリアが必死だ。
「エミリア、それは違う。」
すとんと不真面目な顔が失せて。強い口調でぴしゃりと、ルーカスは言い切った。
「例え聖女様がここの誰よりも強くて、一瞬で彼を制圧できる実力者だとしても。それは僕らが油断して良い理由にはならない。いつ如何なる時においても最悪を想定し動く。そう教えたはずだよ。」
明らかに険のある眼差しでグリムを見つめながら、冷たい口調のルーカス。
「う…。」
エミリアが縮こまってしまった。
「ふん。」
ルーカスの隠そうともしない殺気を鼻であしらい憮然とした態度のままグリムは相変わらず手下を抱えたまま動かない。
「…ルーカス様、そろそろお話を進めてもよろしいでしょうか?」
真剣な表情のままセレナが場の流れを制する。
少しの間、無言で硬い表情を保っていたルーカスだったが
「もちろん!エミーと二人で旅の行商人をするなら慎重に慎重を重ねていついかなる時も!ローム兄妹の心得を言っただけです!」
突如として、またも飄々とした態度でおどけてみせた。
はぁ、と今日何度目になるか判らない溜め息をついてセレナは滝の方を見た。ようやく洞窟を出れた後続が滝の脇道を歩いてくるところだった。
事は上手く進んでいる様に思える。
だが問題は次から次へと湧いてくるのだった。
人の思惑が交錯するのが社会
良きも悪しきも悲喜こもごも
世界って複雑。




