第十六幕 「野盗アジトへの潜入」
誰かを守らなければならない事で力を満足に振るうことが出来ない。
きっとそれは煩わしいことなのかも知れない。
でも誰のためにも振るわれない力などに意味など有るのだろうか?
あなたが一人で生きていける存在ならそれも良いだろう。
「わたしは守られる存在である事に甘んじては居られない。」
明け方のまだ薄暗い頃、緑葉亭の受付前でセレナとリリスは人を待っていた。昨晩の話し合いの後、ささやかな食事会を皆で過ごし英気を養い、翌朝には野盗の拠点へ討伐隊を送り込むことになっている。
人選は少数精鋭、セレナと子爵の護衛騎士二名。リリスもルミナス教徒として聖女様の傍を離れないと食い下がり、同行を認められた。
子爵が放った「かの地から帰還した討伐隊の一員にとって野盗など物の数でもあるまい、リアムとフィンも露払いに徹せよ。」の鶴の一声で決まった。
自称、一介の商人であるエミリアは参加するつもりは無いらしい。
まぁどうせ仕事があるからフェデルといっしょにこっそり付いてくるのだろう。どうやら子爵も事情を知っているのか察しているのか、エミリアにやたらと仄めかしていたし。
…諜報員としてどうなんだろうとは思うけど、まぁいいか。
そんな事をセレナが考えていると、受付カウンターの奥から主人が出てきた。少々眠そうにみえる。
「おはようございます、聖女様。疲れの方は大丈夫ですかい?」
昨晩の料理対応に加え、今日の仕込みなども有ったのだろう。それでもこちらを気遣ってくれるのは本当に人の良い方なのだろう。
「えぇ、ご主人のお料理のお陰ですっかり元気です。お忙しいのにお手間を取らせてしまって…申し訳ありませんでしたわ。」
セレナは感謝と謝罪を述べ、静かに頭を下げる。
「いえいえ、お気になさらんでくだせぇ。元より料理が好きなもんでね、女房にも宿屋の方は任せっきりだ。酒場の仕込みも無事に終わったし、何の問題も無いでさぁ。」
気の良い主人はニッカリと笑うと、また胸を叩いてみせた。
「こちらの宿屋だけでなく酒場もやってらしたのですか?」
リリスが疑問に思ったことを口にする。
「へぇ、緑葉亭は元々酒場の名前で。ほら、カウンターのあっちにある扉。アレの向こうは酒場へ抜ける廊下になってるんでさ。昨晩は魔獣対応の緊急増員とかで酒場も客が殆ど来なくて暇だったんでね。」
カウンターの奥には両開きの扉があり【酒場】と書かれた札が見える。
「では、無事救出が終えて帰ってこられた時には祝勝会で是非そちらへお邪魔いたしますわ。」
セレナがにっこりしながら言うと。
「…聖女様、どうか二人のことを頼んます。リックは襲われた時の傷で動けねぇし、奥さんと娘さんを失って絶望しちまってます。あいつに希望を見せてやれる可能性があるんなら村の皆強力は惜しまねぇはずだ。」
ずっと人の良い笑顔だった主人が突如として真剣な顔で話した。
「村の人間じゃぁ野盗を相手するのは危険がでけぇ。勿論、村長は王都の役所に応援は頼んだっつてたけど、この森を捜索するのは難しいってのは皆が察していたんだ。悔しいけど、それが現実だ。
…この先がどういう結果になるかわかんねぇけども、たとえどんな結果が待ち受けていようがこのままじゃいけねえ。」
悲観はせず、希望は失わない。しかし現実をしっかりと受け入れている。
「…身命を賭して、必ずやお二人を連れ帰ると誓いましょう。」
そんな宿屋の主人に対し、セレナもまたいい加減な答えはしなかった。
ちょうどその時、宿屋の入口が開いて昨晩の騎士の内一人が入ってきた。
「おはようございます、セレナ様、リリィ様。お迎えに上がりました。」
「おはようございます…そう言えばお名前を伺っておりませんでした。」
昨晩、宿屋で護衛を担当していた騎士の方は解散の去り際に名乗っていたが…たしか『リアム・ヴェルン』といったか。
「名乗りの機会が得られず遅れてしまったことをお詫び申し上げます…グリーンリーフ領地伯セドリック・グリーンヴェイル子爵に仕えております。近衛と供を担っております、フィン・バーグと申します。」
ルミナス軍式敬礼を交えて彼は挨拶をした。
「よろしくお願いします、フィン様。女神ルミナスの導きと新たなる出会いに感謝を。」
セレナもまた祈りの所作をもって挨拶を返す。
リリスもそれに倣い自然に所作を行っている。
「連れが外で待っています、準備の方は宜しかったでしょうか?」
敬礼を解き出入口へと向き直りつつフィンは尋ねてきた。
「はい、問題ございません。参りましょう。」
「よろしくお願いします。」
セレナとリリスもまた出入り口へと向かった。
入口の外へ出ると、宿屋の前では昨晩の宿や護衛を担当したリアムがニ頭の馬と共に待機していた。
太陽も昇りきっていない薄暗い森にあるグリーンリーフ村の朝。
静まり返った村の宿屋前で、四名は少しの間だけ会話を交わすと静かに頷き合い二人の騎士はそれぞれの前に少女を乗せて朝もやの中に消えていった。
宿屋の店主だけがその後姿を不安そうに見送っていた。
二頭の馬は30分ほど南へと下り、途中から獣道のような細い通路に入った。ギリギリ馬が通れるくらいにしか枝払いは済んでおらず、ぱっと見ただけでは森の木々にかくれて道と気づきづらい様な場所であった。
リアムは「村人が川へ向かうときに使う道で、あまり他所では知られていない。」という話をセレナにしてくれた。
なるほど、この道ならば野盗たちに気づかれずに森の中から件の場所へ接近できるのであろう。
「少し離れた所で馬を降りて水場までは徒歩で接近します。大規模な伐採などされていなければ滝の直ぐ側まで木々や茂みで姿を隠しながら近づけるはずです。」
抑えめの速歩でカポカポと木々の間を移動しながら、リアムが予想される現場の状況を説明をしてくれた。
「承知しました。引き続き案内よろしくお願いします。」
「お任せ下さい…ところでセレナ様は戦闘の心得については如何程の腕前でいらっしゃるのでしょうか…?」
リアムが少々不安げな表情で尋ねる。
当然と言えば当然だ、目の前に居るのは『聖女』であり『少女』だ。話で聞いたであろう大の男を3名戦闘不能にしたり尋問したり、熊の魔獣を斃したといわれても手段が判らなければ参考にならない。
「口で説明するのは少々難しいですわ…。端的に、今目の前にいる小さな女の子は『極寒の死地』を単独生存できる程度には戦闘力が有る。そういう認識で居てくだされば問題ないかと思います。」
「それは…事実でしょうけれども、そうなると我々よりも強いという現実を何も見ずして受け入れるのは困難と言わざるを得ないですが…。」
腑に落ちない表情のリアム
「仰ることはご尤もです。ですので私のことは構わずリアム様とフィン様はリリィ様の護衛を最優先して頂けますか。」
苦笑しながらも自身の安全は気にしなくて良いことを伝える。
「納得は…出来ませんが、承知はいたしました。しかしセレナ様はルミナスにおける重要人物と言って差し支え無い方です。決して無理はなさらぬようにお願いいたしますね。」
「無理はしないとお約束しますわ。それに、恐らく長引くことは無いかと思います。」
尋問の時同様、さっさとケリを着けると宣言したセレナの顔は決意に満ちており、いささかの気負いもない様だ。
「ならばよいのですが…っと、そろそろ到着です。」
そういってリアムは後方のフィンへと合図を出した。
森の向こうからは滝の音らしい物も聞こえる。
「馬は繋がずここへ待機させます。我々は徒歩で移動し滝周辺の状況を探る所から始めましょう。声も姿勢も低くお願いします。フィン、お前は殿を頼む。リリィ様はフィンに背後を守らせて離れないようにお願いします。」
「承知しました、フィン様よろしくお願いいたします。」
リリスはそう言ってフィンへ向き直り頭を下げた。
「はい、必ずお守りしますので離れぬように。」
少々無愛想な感じではあるがしっかりと目を見て話してくれる。
「セレナ様は私に追従していただいて…お守りする必要は無いとのことでしたが突出するのはお控えいただくようにお願いします。」
「えぇ、無策に飛び込むようなことはいたしません。ご安心を。」
セレナは笑顔で頷く。
「…では、ゆっくり近づきましょう。」
そう言ってリアムは先行した。
少しづつ滝の音が大きくなり、木々の隙間から水煙らしきものが見えてきた。思っていたより大きな滝の様で、空気も段々と水気を帯びてきている。
滝の音もしっかり聞こえている。
これなら多少の音でも紛れてくれるだろう。
木々が途切れる少し手前の深い茂みに身を潜めつつ滝つぼ周辺を伺う。
一見すると人影は見えないが…なるほど、確かに滝の裏に行けるように不自然に岩が抉られている。歩哨が歩いている様子もない。
「どうやら当たりのようですね…。しかしここからでは中の状況が探れません、場当たり的な対応は避けたいのですが…仕方ないですね。」
リアムは状況と手札を確認したうえで最善を模索しようとしている。
「内部の状況を把握したいのは山々ですが…確かにあの通路を通って滝裏に行くのは遭遇の可能性が高すぎて危険ですね。せめて入口付近の状況だけでも確認できれば…そう、例えば姿を消して探ることでも出来ない限りは。」
セレナはリアムの意図を汲み取ったのか、後半の語調を強めてわざとらしくアピールする。
そう言いながらセレナはリリスに目配せをする。
リリスはセレナの視線に気づき「えっ、指環使うの?」といった具合で左手を見せながら驚いた顔をこっそり隠した。
「リアム様、フィン様。あちらの対岸に見える太い幹の影に人影が居ませんか?」
間髪入れずにセレナは護衛騎士達の視線を明後日の方向に誘導した。
「! どちらですか。」
「リアム、姿勢を上げるな。落ち着け。」
そういって二人の視線が完全にリリスから外れたのを確認したセレナは二人に気づかれないように左手でシッシッと合図を送る。
セレナもリリスの方に視線を送らない。
「…セレナ様、何処にも人影は見当たらない用に見えます。」
「俺にも判らん。セレナ様、どの木の幹ですか。」
「ちょうどあの大きな岩の奥にある大きめの幹です…動く影が見えたように思えたのですが…。」
セレナは二人の意識をあさってに固定させたまま、リリスの気配を探った。どうやら意図を汲み取って斥候に向かってくれたようだ。
…やっぱリリスは頭の回転が速いな。
「だめです、セレナ様。注視してましたがそれらしい人影は…。」
「俺もだ…リリィ様は何かみえました…か…」
フィンが振り返りリリスに声をかけようとして目を見張る。
―ちっ、気づくのが早い。
「セレナ様!リリィ様が居ません!」
フィンが低い姿勢のまま身構える。
「!? フィン、お前リリィ様から目を…!」
「お二人共、落ち着いて。リリィ様なら大丈夫です。彼女は隠匿の使い手でございます。姿を消して状況を確認しに行ってもらいました。」
「まさか!いやしかし…こんな昼間に…可能なのですか?」
「気配が消えたことすら認識できなかった…何かの魔術なのかこれは…。」
―だよね、そういう疑問が産まれちゃうよね。
認識が阻害されている事に気づかれると面倒だな…だったら。
「少々特殊な道具を使っております。彼女自身が高度な魔術師というわけでは有りません。方法を明かすことは出来ませんが…ご安心頂いて結構ですので少しお待ち下さいませ。」
こうなってはある程度真実を明かしてでも待ってもらう方がよいだろうと判断したセレナは二人に情報を明け渡す。
「なんと…魔具や魔導具の類でしょうか…驚きの性能だ…。」
「高密度な魔術行使の気配は無かった…はずだ。道具の効果なら納得は出来るが俺はそんな道具は知らん…すごいな。」
―ぐぅ、やり辛い。本当なら二人だけで充分だったと思うけど。
村からの護衛を連れて行かないわけにはいかないだろうし、こういう時が本当に手間だな…リリス早く戻ってきてー。
「彼女なら入口付近の状況確認だけして戻ってくるはずです。そんなに時間は掛からないはずですわ。」
二人は気も漫ろで滝の方を見つめている。
しばらくして再びリリスの気配らしき空白の違和感を捕らえたセレナはその気配を目線だけで追い、自分たちの背後へと回るように小さく手招きをした。二人がまだ視線を戻してないことを確認してからセレナは小さく頷いてリリスに合図を送った。
「…おまたせしました、セレナ様。」
指環の効果を解くと同時に小さく声をかけるリリス。
「「!?」」
一切油断していなかったはずなのに背後からいきなり気配が現れ、同時に姿を現し喋りだしたリリスに二人は本気で驚いている。
「こっ、これ程とは…。」
「一体どうやって…興味深い…。」
「方法を明かすことは出来ません…どうかご理解を。」
リリスは淡々と二人を制すると話を続ける。
「それよりも中の状況をお伝えしますね…滝の裏手近くには人影は有りませんでした。入口から通路が奥に続いており木造りの扉が有り、見張りらしき男性が一名確認できております。
私が確認したのはそこまでです…見張りをなんとかすれば更に奥まで気取られずに進めるかと。」
リリスは偵察結果を簡潔に述べるとセレナの方を見た。
「お二人共、鎮圧系魔術は使えますか?」
「フィンが『灼魂の焔』を使えます。扉が有るなら視覚的に露呈することも無いので最適かと。…いけるな?フィン。」
「あぁ、問題ない。効果値を浸透速度に振れば声も出さずに無力化できる。」
「それならば大丈夫でしょう。運悪く露見したとしても私がなんとかいたします。10人程度の野盗であれば単独制圧可能ですわ。」
「…にわかには信じがたいですが…承知しました。リリィ様、偵察ありがとうございました。後はお任せ下さい。」
そう言ってリアムはリリスに会釈した。
「はい、お役に立てて何よりです。後はよろしくお願いします。」
少し照れくさそうにリリスが答えるた。
「では、行きましょう。」
そういってリアムが立ち上がり滝へと向かう。セレナがそれに続きリリスとフィンが後を追う。
リリスの言葉通り滝の裏には人影は無く、洞穴がぽっかりと口をあけていた。人が充分立って歩ける高さで自然窟とは言えない人為的な掘削で出来た洞窟であることが見て取れた。
リアムが静かに中を覗き込むと木製の門の手前に男が一人立っていた。所在無さ下に立ち尽くしており、仲間が3名も帰ってないことを危惧している様子は無い。
リアムは振り返り、無言でフィンへとハンドサインを送る。
彼は魔力を練りながら前へと歩み出て、手を前へとかざし魔術を行使した。
男の足元から蒼い焔が立ち上がり、無数のヘビのような形に変わる。男の身体を這い上がると次々と身体へと吸い込まれていった。
「…ッ!?」
男は足元の蒼い光に気付き身構えるが、既に体内へと入り込んだ焔が神経を灼いていく感覚に一瞬戸惑い声を出すのを遅らせてしまった。
すでに上半身へ入り込み、喉元へと食らいついていく蒼い無数のヘビは完全に男の身体を麻痺させてしまった。
リアムは素早く駆け出し麻痺した男を音もなく制圧すると、手早く魔術緘口錠を首にはめ猿轡を嵌め、ロープで捕縛してしまった。
セレナはその間に木戸へと身を寄せ、扉に耳をつけて中の様子を探る。
聴覚を理力により強化し、音による索敵を行う。
扉の向こうに人の気配が無いことを確認すると、無言で護衛騎士に視線を送り頷いて見せた。
見張りの無力化を終えたリアムは頷き返し、目の前の扉を押す。
鍵も無い簡素な造りの木戸は「ギィ」とやや軋ませながら開いた。
扉の向こう側も通路が続いており緩やかに左方向へ曲がりつつ奥へと続いている。壁掛けの松明が申し訳程度の照明として備えられており、通路の奥の様子は判らない。
リアムがこの後はどう対応したものかと逡巡していると。
突如としてセレナが立ち上がり先行して歩き始めた。
薄暗いせいでよく見えなかったが、その顔は険しく、ギリリと歯を食いしばる口は怒りが溢れていた。
「せ、セレナ様?」
突如として豹変した眼前の少女に唖然としているリアム。
「おい、リアム。止めないのか!」
フィンは焦ったように指示を求める。
そんな二人を無視してスタスタと歩き続けるセレナを見て、何かを察したリリスは落ち着いた様子で。
「大丈夫です、お二人共。セレナ様を追いましょう。」
そう言ってリリスも歩き始めるのだった。
リアムとフィンは顔を見合わせた後で慌てて二人の少女を追った。
いよいよ悪が裁かれます。
油断なく、一切の手抜きもなく。
でも、悪を引き立たてる為の罪もまた明かされます。
遠慮なく、一切の手抜きもなく。
不快に感じると思った方は、その時点で次のお話は飛ばしてしまうのも手かも知れません。




