第十五幕 「討伐前夜」
物事には因果が有り
因果が巡り幸も不幸も起こり得る
「私の道にある因果とはどんな物なのだろう。その先にある結果はどんな物なのだろう。」
外に出ると、しっかりした造りの要人用馬車が詰め所の前に停車していた。馬車の乗り口付近には男性が三名、おそらく領主と村長と御者だろう。
馬車から少し離れた前後には護衛らしき騎士が周辺を警戒し、油断なく周囲に目を配る様子は否応なしに状況の慌ただしさを物語っている。
一番身なりの良い領主と思われる男性が、詰め所から出てきたセレナ達の存在に気付いた。
「おや、聖女様。尋問の方は終わったのですかな。」
齢は五十位だろうか。穏やかな雰囲気を身にまとい、緊張した状況なのに緩やかな笑顔の男性は開口一番にそう言った。
「お初にお目にかかります、領主様。セレナ・ルミナリスと申します。この度は迅速な対応と書状のご用意いただき、お気遣いの数々ありがとうございました。女神ルミナスの導きと恵みに感謝しております。」
そういってセレナは祈りの所作を混じえつつ挨拶をした。
「これは失礼いたしました。ルミナス王家より賜りし、北方森林地帯の管理を任されております。セドリック・グリーンヴェイル子爵でございます。この度は我が領地へお越しいただきましたこと、光栄の極みに存じ上げます。」
「もったいないお言葉ですわ。セドリック様の柔軟な対応のお陰で、既に彼らから隠れ家の場所を聞き出せております。聡明な領主様の元、壮健でいらっしゃる村民の方々にもとっても良くして頂いておりますわ。」
「いやはや、聖女様のご意向に沿えて何よりです。私自身、魔王討伐隊の面々に心酔している大ファンでしてな。少々舞い上がっておりました。あの書状が早速役立った様で安心しております。」
壮年の終わりの頃ながら少々悪戯っぽい笑顔を浮かべながら領主は言った。
「エミリア殿も早馬の伝達の任、ご苦労でした。…ものすごい勢いであったが…大丈夫かね?」
悪い顔のままエミリアにも話題を振る領主。
何か含みの有る笑顔をしている。
「あぁ…えぇまぁ。セレナ様に癒して頂けたので…。アレがなければ今頃宿屋の待合室で子鹿のように震え続けてたやもしれません。」
少々バツの悪そうな顔をしたエミリアは応えた。
「なんと、聖女様の癒しの技を受けられたか!それは何とも羨ましい…。私もぜひ体験してみたい所だが…あの馬に乗らねばならんのは少々悩む所では有るな。」
はっはっは、と他人ごとのように笑って見せる領主に御者が近づいてきた。
「セドリック様、与太話はそれくらいにして本題の方へ。
あまりゆっくりしていられるような状態ではありません。」
やや険しい顔で主人に対し釘を刺す。
「トマス、あまり言ってくれるな。私とて現状は憂いておるが…慌てて動いて良い状況でもなかろう。…しかしまぁ、執事の言うことももっともだ。すまんが馬車の中に近況の資料を置いたままだった、取ってきてくれるか。」
御者と思っていた男性はどうやら子爵の執事のようだ。
とこぞのセバスとは違った別の老練さを湛えた雰囲気の持ち主だ。
「承知いたしました。」
やれやれといった顔でトマスと呼ばれた執事は馬車へと向かう。
「さて、聖女様。どうやら尋問は無事終え、無頼漢共のねぐらも知り得たようですし明日以降の話し合いを設けたいと思う。場所は村にある私の別宅へご招待したい所だが、急なことで歓迎の用意も出来てないのだが…。」
そう言い淀んだセドリックに対してセレナは
「それでしたら宿屋の待合所はいかがでしょうか?実は宿屋のご主人にお夜食の用意をお願いしてありまして…尋問が終えたら直ぐ戻る手筈になっておりますの。わたくし、宿のご主人のお料理が楽しみでして!領主様さえ良ければぜひご一緒に、是非!」
いい笑顔で、私は腹が減ってるんだと暗に主張する。
「おお、それは僥倖。私もあの主人の料理は大好きでしてな。是非ご一緒させていただこう。」
「では、緑葉亭へ向かうということでよろしかったですな?」
いつの間にかセドリックの後ろには資料の入ったバッグを持ったトマスが立っている。
…緑葉亭って言うのか、あの宿屋。ドタバタしっぱなしで全然見てなかった。ていうか、何で執事ってみんな隠密性に優れてるんだろう。
などとセレナがどうでも良いことを考えていると。
「うむ。緑葉亭なら近いので馬車を使うまでもなかろう。トマスはこのまま付いてきてくれ。…リアム!フィン!」
突如、護衛の騎士に向かって呼びかける領主。
すぐさま近くによってきた騎士の二人。
「お呼びですか、領主様。」
思ったよりも若く二十代後半といった所か、主人に呼ばれても周囲の警戒は解かず片方は相方の不測を補う位置に留まっている。
己の任を理解した優秀な騎士のようだ。
「一時護衛の任を解く。両名にて緑葉亭へ馬車を移動させてくれ。その後一名は宿内にて引き続き護衛を。もう一名は村長とともに魔獣警戒の為に村民との連携にあたれ。選任は話し合って決めてくれ。」
家人に対し的確な指示を飛ばすセドリック。
「はっ、承知しました。」
そう言って両名は馬車の方へと移動していった。
阿吽の呼吸で流れるように動いている。
「村長も会合お疲れであった、すまないがもう少し骨を折ってもらおう。魔獣の件は警戒を厳にし、後ほど対応することとする。今はこちらの問題が優先だ、私は聖女様と話し合いの上で今後の対応を決める。
村長には自警団と哨戒の人員確認を任せる。」
「承知いたしました、領主様。
…どうか、二人の事をよろしくお願いいたします。」
己の分をわきまえ、ずっと静観していた村長だったが顔は非常に暗かった。
深々と領主に礼をすると、重い足取りで詰め所の方へと向かう。
セレナ達とすれ違う時にも一度立ち止まり深々と礼をした。
顔を上げ、悲壮感に溢れた表情でじっとセレナを見つめる。
セレナも真剣な眼差しで村長を見つめ返す。
何も言わず、ただ強く頷いた。
「さあ、聖女様。緑葉亭へ向かいましょう。」
そういって先頭を歩くセドリック。
彼は真剣な眼差しと強い足取りで歩いている。
背中には相応の覚悟を纏っているように感じられた。
宿屋に戻ると奥からいそいそと主人が出迎えてくれた。
領主に気づくと一瞬立ち止まってきょとんとしたが。
「これはこれは領主様、夜分遅くにお疲れ様です。聖女様もお早いお戻りで何よりですな!頼まれていたスープのご用意は出来てますんで、すぐにお持ち出来ますよ。」
すぐさま切り替えて喜色満面の接客である。
「ありがとうございますご主人。それと、領主様とのお話に待合室をお借りしたいのですが宜しかったでしょうか?」
「あー、どうぞどうぞ、ご自由にお使いくだせぇ。今夜は他に客も居ませんで、好きにしてもらって結構ですよ。料理もそちらへお持ちしますんで。」
そういって、またいそいそと奥へ引っ込んでいった。
「相変わらず料理となると忙しいやつだ。」
ふふん、と面白おかしそうに笑いながら領主は待合所へと歩み寄る。
「どうぞ、聖女様はこちらへ。」
大きめのソファを手の平で指し示し先を譲る領主。
どうやら徹底したファンの様で…上座を譲って貰えるようだ。
「ありがとうございます、失礼いたしますわ。」
そういってセレナは上座に座る。
「お連れの…リリィ様でしたかな?貴女もどうぞこちらへ。」
そう言ってニッと笑顔を作るセドリック。
「あっ、いえ。私は大丈夫ですので、お気遣いありがとうございます。」
セレナは別に気にしないで座ればいいのにとも思ったが、それならばと
「…リリィ様、もしよろしければ緑葉亭のご主人をお手伝いして頂けませんでしょうか、これ程の人数の給仕は大変でしょうし…。」
「あ、確かにそうですね。私お手伝いして参ります。」
名案だと言わんばかりにいい顔で厨房へ向かっていく。
「では、セドリック様。私もいってまいります。」
そういって執事も中座した。
護衛の騎士は入口付近に陣取り室内を見回している。
「遠慮をすることもないのだがね。…エミリア殿はどうされるか?」
そういってセドリックは行商人に声をかける。
「えっ?あぁ、いえ一介の商人が口出すような事でも…。」
早馬の一件からちょいちょいボロが出てやしないか、この諜報員。
「ふむ?それもそうかな…まぁよかろう。別にそこらで聞いていても構わんのでな、好きにしてくれたまえ。」
含みのある笑顔を零しながらセドリックは座る。
「はい…。」
エミリアの顔には「やばいかなー、どうしようかなー。」
そんな言葉が顔に書いてあるように感じられセレナはクスッとする。
そんな彼女を尻目に
領主セドリック・グリーンヴェイル子爵と
聖女セレナ・ルミナリスの会談は幕をあける。
「さて、聖女様。現状を整理する所から始めよう。」
「はい、承知いたしましたわ領主様。」
「今現在この村に有る問題は大きく二点だ。つまり獣害と犯罪組織。
獣害に関しては増加傾向に有るものの例年の事であり、これらに対応する備えは既に村にはある。喫緊の問題ではない、と思いたい。」
「領主様、一点だけ確認をさせて下さいまし。この村周辺で環境適応種の存在はまだ確認しておりませんね?門番の方からは昔から黒毛の熊が魔獣化し、討伐任務対象になっている事は聞きました。ですが、それ以外はちゃんとした情報を聞けておりません。ですので、この件についてはそこが最重要点です。」
「その点に関しては王国の冒険者組合からの調査待ち…としか言えませんな。現状、我々が把握している限りでは環境適応種の存在は確認できてはいない。
しかしながら林業を主産業としている我が領においては狩猟や魔獣狩りなど必要最低限しか行っておりません。人手を割いてまで多少手練れの狩人を森の奥に遣って魔獣の餌食にさせる等という愚も冒せぬ訳ですし。」
「理解しております。…ただ、現場の認識として『噂程度の話』でも環境適応種の気配が有れば…それは喫緊の事態と言えなくもない。後手に回るのだけは避けなければならない、それが魔獣という存在ですので。」
「極寒の死地を生き抜いた魔王討伐隊の面々にそう言われると最上の説得力がありますな。」
―野生動物の魔獣化について、もう一つ重要な要素が有る。
「環境適応種」と呼ばれる魔獣の最終到達点。
魔獣化は負のマナによって汚染された生物が、本来あり得ない急激な変異を遂げ、凶暴な害獣と変化することの総称だ。
結果として本来の生命力は一瞬で消費され総じて短い期間でその生命を燃やし尽くしてしまう。汚染が強ければ強いほど、凶暴化は激しくなり、命は短くなる。
しかし、ごく一部に例外が存在する。それが「環境適応種」。
元々の生命力が極端に強い野生動物や何らかの理由で生命力を補給できて長い間魔獣化を維持し続けた場合、それらの魔獣は生物としての安定を獲得してしまい異常なほど長生きしたり異様に賢い生物になる、そして条件が揃えば子孫を残す可能性すら得るのだ。
しかしながら繁殖に関しては必ずしも元の生物の方法に準じる訳ではなく、様々な方法で増殖する。卵生、胎生、感染や寄生、分裂など未だ不明な部分の多い現象では有る為、明確な脅威としての判断が難しい。
そこよりも問題なのは魔獣化した生物が凶暴化するのは極限の飢餓感による食欲の暴走によるものが多く、その旺盛な食欲は単純に生態系に甚大な被害を及ぼす。
当然、人間もその食欲の対象だ。
加えて天井知らずの食欲は、天井知らずの成長を可能にする。
生物的な一定限界は有るものの、より大きく、肥大化と凶暴化と凶悪化、それらを維持するための飢餓感からの食欲…。
そうやって永遠にループする化け物。
それが魔獣の「環境適応種」である。
…魔獣化して長期間生存、というのも正直な所眉唾だ。
何かしらの方法により生存できる環境を持続できる時点で、そいつは既に環境適応種なんじゃないかな。
セレナはそんな個人的な考えを秘めながらセドリックに物申す。
「領主様、確かに高濃度の魔導汚染が常態化した極寒の死地では環境適応種が数多く存在しておりました。しかしながら、彼の地の魔獣は他の生命が乏しい地域における生存手段としての環境適応であり、ルミナ大陸における環境適応種とは似て非なるものでございます。
ルミナ大陸において過去に数度観測された環境適応種の被害は、その豊かな土地で有るがゆえに災害級の被害を出すに至った、れっきとした生物災害ですわ。」
「その通りですな。そういう意味でも油断ならないのが黒毛の熊魔獣という存在ではあるのだが、如何せん情報が足りてないのですよ。やはり現状として出来ることと言えば判明した状況に応じて対処していく、コレしか無いとも言えますな。」
「それもまたごもっともなお話でございますわ。現状として環境適応種の可能性が薄いというのであれば私も納得いたします。ただ、それに関しては後ほどご提案できることもありますので。」
「ほう、それは興味深い話です。」
「ですので獣害については一旦これでということで、後回しにさせて頂いてよろしいでしょうか?」
「よいでしょう。聖女様としては野盗共の根城が現状どうなのかといった方が気になるでしょうしな。」
ややため息混じりにセドリックは言い放つ。
これから目にするであろう惨状を思えば、ため息など否応なく出るだろう。
「あら、領主様。それは誤解ですわ。わたくしは連中の根城が現状どうなっているかこの上なく正確に把握しているつもりでございます。」
しかしセレナは突如として淡々とした口調で言い返す。
「…それは、楽観視はしていらっしゃらない。という意味ですかな。」
苦虫を潰すような顔でセドリックは続けた。
「ええ。仰るとおりです。連中は自らの口から惜しげもなく、人の尊厳を踏みにじる様な発言で己の罪をのうのうと垂れ流し、あまつさえ薬物の使用を仄めかす供述までしています。どこに楽観できる要素など有りましょうか。」
セレナもまた悲しい顔をする。
「…時折、人の業というものが底しれぬ悪意で満たされた地獄の釜の中身の様な…悍ましい何かのように思えます。」
「それでも、手の届く所にある限りは諦めずに救い出す。それもまた人の業です。その希望を無くしてしまったら本当に社会はお終いですわ。」
「…それは女神ルミナスの教えでしょうか。それとも聖女様の持論ですか?」
「どちらでもありません、人が人として持つべき根幹の様なものかと。」
「…身がつまされる思いですな。」
「常に強くあろうとするならば、忘れてはならない。
そう心に刻んでおります。」
「そうあれかし、されど言い難し。叶い難し。」
「オゥミナ…女神の導きが我々の先に有らんことを。」
そういってセレナは祈りの所作をもって場を収めた。
「…して、連中は何処に拠点を構えていると吐いたのですかな。」
セドリックは気を取り直して話題を進めた。
「村の南方、滝の有る水場の、その滝の裏だと。」
「…確かに森林地帯と西方山脈の間には川が有り、村の南部へといたる頃には大きな滝がある水場が一つ存在します。
しかし、滝裏に自然窟などは確認されていなかったと思いますが…。」
「ある程度の土のマナ適正がある魔術使いが一人居れば、岩場の洞窟掘削など大した労力ではないのでは?」
「なるほど…確かに。しかしなぜ森林地帯の南方に根城を…?」
「それはどういった意味でしょうか?」
「グリーンリーフ森林地帯は未だ広大な森林を有する大森林では有りますが、村と私の館も森林地帯の外郭南東部です。つまり…この先森林の開墾が進めば一番最初に拓かれる地域が村の南部です。まして水場の近くなど人が来やすい所なわけで、野盗の隠遁先候補としては余り相応しくないと思うのですが…?」
「そこは野盗達も北方森林地帯に居を構える事が叶わぬ事情が有ったと言うことでしょう。領主様ならその理由に思い当たる節があるはずですわ。」
そう言いながらセレナは未だ出されずに領主の脇に置かれている資料入と思われるバッグに視線を向ける。
セレナの視線を追い忘れかけていた資料の存在を見て子爵も理解する。
「そうか、増加し続ける魔獣目撃情報!野盗達もまた魔獣を避けて最近根城を移動してきたということですな。」
「あくまで予想ですが、筋は通っているかと。」
「いえ、実に納得がいきます。」
「なぜ魔獣が増加傾向にあるかは現地を調べないことにはどうしよう無い事でしょうけれど、それぞれの状況を合わせて考えれば野盗達が自白した場所はそれなりの確度を有した情報だと判断できますわ。」
「ええ、異論はありません。
連中は魔獣を避けて南下し、村や館を防衛線として利用出来る場所に拠点を構えつつ、しかも我が領民に魔手を伸ばしている…心の底から舐め腐った連中だ。明日夜が明けたら早速対処するとしましょう。」
領主は決意のみなぎった顔でセレナを見た。
「はい、必ずお二人を救い出しましょう。」
セレナもまた力強い眼差しで頷き返した。
頃合いを見計らっていたかのように、緑葉亭の主人と手伝いに言った二人が料理を持ってきてくれた。
「さぁさぁ、お二人共一息ついてくだされ。温かいスープと領主様お気に入りの腸詰めを用意しました。皆さんで召し上がってくだせぇ。」
待合所にいい匂いが立ち込める。
「感謝いたしますご主人、とても良い香りですわね!」
硬い雰囲気を払拭するかのように、ぱぁっと明るい笑顔になったセレナは緑葉亭の主人に礼を述べた。
「おぉ、気が効くではないか!わたしはコレに目がなくてですなぁ、この村に来た時は毎度楽しみにいしているのです。」
セドリックも気分を変えるために大げさに喜んでみせた。
「しかし、これが有るとなると…少々物足りなくなってしまうな?」
そういってセドリックは執事に目をやる。
「酒はお控え下さい、明日早くから行動に移すのでしょう?事が済んだら祝の宴席でもなんでも楽しんで下さい。」
ピシャリ、と間髪入れずにトマスに断られてしまう。
「解っておる、言ってみただけだ…。」
口を尖らせてみせたあと、大口で腸詰めにかぶりつく。
「うむ、実に美味い。」
おどけて見せる領主に一同も笑う。
ただひと時、これから訪れる現実を前に。
時間の許される限りは穏やかであろうとする姿がそこにあった。
間が空きました
書き続けたいが月末忙しいのは仕方ない
季節の変わり目で体調不良も。
ままならないですね
ぐぬぬ
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