第十一幕 「村の宿屋」
遺された物、残された者
託された意志、任された未来
重圧に感じることはあるけれども
「少しずつ進むしか無いなら、それで良い。」
宿屋の主人は喜色満面で一番良い部屋を用意してくれていた。
「聖女様が泊まった宿として箔がつく。」
だそうだ。
軽い食事で良いから用意できないかとセレナが尋ねたときも二つ返事で了解してくれた。
「お代も結構ですから!」
そう言っていそいそと奥へ下がっていった。
セレナがカウンターを覗き込むと宿帳には記入が一つだけ
どうやら宿泊客は自分たちだけのようだ。
ところで部屋はどこに有るんだろう?
宿屋の主人は喜びのあまり、部屋の案内を忘れてやしないか。
セレナとリリスがどうしたものかとキョロキョロしていると。
「すみません、お待たせしてしまって。」
そういって奥からパタパタと一人の女性が駆けてくる。
「主人が腕によりをかけるといって厨房に入ってしまって…
お部屋へは私がご案内します。」
そういって妻であろう女性が先に立って歩く。
「どうぞ此方へ。」
そういって歩き出そうとした彼女へ
「お待ち下さい、もしかしたら直ぐ後に村の外へ出かけるかも知れません。あまり凝った料理をご用意頂かなくても大丈夫ですので…。
簡単に摂れる物をご用意頂けませんかと、お伝え願えませんでしょうか?」
セレナはそう言って彼女を制した。
「え?聖女様、こんな時間に一体どこへ向かわれるのですか?!
この森は猛獣も魔獣も徘徊するような所です、夜に出かけるのは危険すぎますよ!」
突然何を言うのかと風に振り向く
「…門番の方から、奥様と娘様が攫われた方のお話を聞きました。
私達もここへ来る道中で野盗に襲われたのです。」
はっとしたように彼女の顔が曇る。
「ご安心を、野盗は撃退し捕らえました。村の方々に引き渡し対応していただいてます。…ただ、彼らの口から隠れ家と囚われの身の存在を示唆する言葉を聞いております。ですから早馬を領主様と村長様の下へ向かわせて対応を急いでいる所なのです。」
「! ではまだ彼女たちは…!」
「…わかりません。でも一刻も早く彼らの隠れ家を見つけ出して、囚われの者達を助けたいのです。」
「そうでしたか…。しかし、やはり夜にこの森を進むのは危険です…。」
複雑な表情の彼女にセレナは続けた。
「少なくとも、領主様か村長様どちらかが戻られたら、捕らえた野盗達から情報を聞き出す必要が有ります。それまでは私も休むつもりは有りません、ですので何れにせよ料理の件はお伝え願います。」
「なるほど、判りました…。お二人をご案内したら主人に伝えます。」
そうして二人は彼女に案内され2階の奥部屋に案内された。
「では、失礼します。食事の件は主人に伝えます。
…こちらへお持ちしてよろしかったですか?」
「はい、お願いいたしますわ。」
「それとお二人分でよろしいでしょうか?」
そう言いながらリリスに目をやる。
「そうでしたわ。実は早馬を出していただいた方なんですが…。
途中から野盗の運搬をお手伝い頂いた行商の方でして、彼女の分もご用意いただきたいのですが。」
「わかりました、では三人分ご用意しますね。」
「はい、よろしくお願いいたします。」
やり取りを終え、セレナとリリスは部屋に入り中を見渡す。
「わー、広い部屋ですね。セレナのお陰で一番いい部屋に無料で泊まれちゃうなんて、とってもありがたいです。」
「聖女という立場がむず痒くなることも有りますが…、こういった恵みがあると感謝せずには居られませんわ。リリィ様?お気遣いに感謝しなければなりませんよ。」
唐突に口調を崩したリリスに、少し口調を強めて反応するセレナ。
「あっ、そうだった。まだ言ってなかったですもんね。
ごめんなさいセレナ、うっかりしてました。実は指環にはまだ別の機能があるんです。この部屋のように四方の壁と天井と床、閉じられた場所だと結界のように働いて遮音性がほぼ完璧になるんです。」
ついうっかり、そんな顔をして照れ笑いを向け申し訳なさそうなリリス。
「…なんなのよこの指環…ほんとにどうなってるの…。」
一瞬で状況を理解したセレナは早々に聖女モードを切る。
「しかもこの結界はなんと!」
「こちらからの音を外に漏らさない上に、外からの音はしっかり聞こえる。とか言うんでしょ、どうせ。」
事も無げに言い放つセレナ
「えぇ…。なんで分かるんですか。」
「じゃないと意味が無いからよ。」
「? よく解らないです。」
「私だってよく解ってないわよ。ほんと…これって何の意図で造られた指環なのかしら…。」
「じゃなくって、なぜ遮音性が一方向である事に意味があるんですか?」
「視覚的に中や外の状況がわからない場合、音が双方にとって重要な判断要素になるからよ。」
「えーと?」
「…追跡者がドアの外に居たとして、中の様子が確認できないなら次は何をするかしら?」
「聞き耳をたてます。」
「そうね、なんとか中の情報を探ろうとするわね。あるいは中に居るかどうか確認するために声掛けやノックをするわ。その時に中の音が聞こえないとどうなるかしら?」
「えぇっと、ノックをしても中から反応が無ければ…無人かと思って勝手に入ってきてしまう?」
「正解よ。この場合に音を遮断するという機能は危険を高める可能性が上がってしまうわ。視覚的な情報隠匿を行える指環の性能としてはちぐはぐになっちゃう、だったら音の遮断も一方向であるべき。
そういう考えね。」
「はー、なるほど…言われてみればその通りです。視覚と聴覚を隠匿してくれる指環くらいにしか思ってませんでした…。」
「察するに、リリスはずっとこの指環をつけて情報収集の為に単独行動をしてたんでしょ?一人で居るなら会話もしないし、勿論存在が発覚しないように潜伏に便利って認識で留まるのは当然よ。でもこれが『対の指環』であることと、個室内で結界化することには別の理由が必要になると思うのよ。」
「えぇー、そんなことまで判るんですか…。ちょっと怖いです。」
「そこは私も確認したいことだったんだけど、リリス。貴女、ルミナス教徒としての祈りの所作に違和感が殆ど無かったわ。偽装とは思えないくらい完璧な振る舞いだった。
いったい何処で覚えたの?信徒として潜伏とかしてた訳ではないでしょ?」
「あ、本当ですか?えへへー、ちょっとうれしいです。」
「理由を言いなさいよ。」
「理由って言うか…、単に人間社会に潜伏していた期間が長かったもので…ルミナス教徒の方々を観察する機会も多かったのです。」
「ふーん、なるほどねぇ。ということはリリスが調べてたのは主に人間の文化的側面かしら?」
「はい、父の手伝いでやっていたのは主に書籍の収集と文化の調査です。政治的な情勢や軍事に関する情報収集は優先度が低かったですね…。」
「…やっぱりお父様は戦争をしたい訳じゃなかったのね。」
「そうですね…。父は自分を魔族としては強い方では無いと言っていました。それでも同族のためになると信じて研究に打ち込んで、遺跡の研究や未知の言語解読を進めることが魔族の救済に繋がると確信を得ていたようです。そのために必要な情報が魔族以外の文明の理解だとも。」
「そうだわ、忘れてた。貴女のお父様が研究をまとめた手帳。アレにはどんな事が記されているの?」
「あ…、それの事なんですが…。」
そういってリリスはサイドポーチから厚めの手帳をとりだしてセレナに差し出す。黒い革表紙のシンプルな装丁だ。
「中を見て良いのね?」
「はい、是非確認して下さい。」
「ありがと、見せてもらうわ。」
そういってセレナは黒い手帳を開いて見る。
およそセレナの知識にない文字列がびっしりと書き込まれている。
ページをめくって他の内容も確認してみたがたまに記号や図形らしき挿絵がある程度で全く読めない。
「これは…私には読めないわね。もしかしてこれが魔族の文字なの?」
「実は…、これ私にも読めないんです…。」
「まさかこれ。お父様は独自文字か暗号文で情報を記したの?」
「おそらくそうなんです。」
「これは困ったわね…、私暗号や言葉遊びは苦手なの…。」
「そう、でしたか…。私もそういった技法の造詣は浅くて、何度も読み直してはいるのですけどさっぱりなんです…。」
「うーん、これに関してはじっくり時間をかけて取り組む必要が有りそうね。少なくとも使用されてる文字列の一覧作成と単語や文節の洗い出しが必要よ。」
「そうですね、少しずつでも解読できればと思ってます。」
「誰かに無作為に相談するのも難しい状況だしね、時間を掛けて取り組みましょ。情報が揃ってからでも遅くは無いはず。これは貴女に返すわ。」
そういって、セレナはそっと手帳を閉じリリスへ返す。
「はい、ありがとうございます。」
そういってリリスは手帳を受け取ると、しまわずにジッと手帳を見つめる。
「…父は、これを私に託すことに不安はなかったのでしょうか。
もし解読が出来ずに無駄になってしまったらとか、第三者に渡ってしまう危険性とか、いろいろ考えたはずです。私は父の意志を継ぐことが出来ないのが…、自分の無知が不甲斐ないです。」
すこし悔しそうな表情ともどかしそうな口調は彼女の胸の内を語っている。
「でも貴女は行動したじゃない。」
セレナは迷いもせずに返答する。
「何もかも捨てて一人敵地に潜み。可能性を賭けて私を尋ね、私を信じてくれた。そしてそれは正解だったはずよ。少なくとも貴女を信じている仲間が増えたんだもの。
それに、どうしたら良いか解らないのは私も同じよ?でも諦めずに二人で進めば必ず道は拓かれるわ。」
何の根拠もないはずなのに、何の迷いもなく力強く応えるセレナ。
「…はい!ありがとうございますセレナ!」
「楽観するわけじゃないけど、まだ二日目よ?あまり焦ることよりも、目の前の事を楽しんだり解決したり、たまには休んだりしましょ。」
「はい!わかりました!」
「あと敬語、これも頑張ってなおしてね?」
「それは長い目でみてください!なにせ20年近くこれだけなので!」
「…ぐっ、そうなるのね…。ぜ、善処してくれればいいわ…。」
「うん!」
どうやら全く出来ないというわけではなさそう。
そう思いながらやれやれとした顔でため息を付くセレナと
心新たに決意をみなぎらせるリリスだった。
独自研究のキー情報を暗号化することは良く有る
ということにすると楽。
後々好き勝手できるからね!




