第十幕 「グリーンリーフ到着」
はやる気持ちを抑えるのは大変だ。
期待と不安で押しつぶされそうになる。
「避けられない悲劇は仕方ない、その後どうするかが大事。」
林間道を2時間ほど歩いただろうか。
日が落ちきる前に村の入り口の篝火が見えてきた。
丸太づくりの防壁にしっかりとした門構え。
門番が2名、篝火を背に立っている。
「思ったより早く着けましたね。」
エミリアはホッとしたように零す。
「エミリア様のおかげです、女神ルミナスの導きと新たなる出会いに心から感謝いたしますわ。」
ぐいぐいと巨体を引きずりながらセレナは疲れた様子もない。
「流石に少々疲れました…、何度置いていこうと思ったことか。」
げんなりした表情のリリスはやっとの感じで引いている。
「先に行って村の方々に話をつけてきます。
セレナ様とリリィさんはこちらでお待ち下さい。」
そういってエミリアは駆け出すと門番たちに手を振りながら近づいていく。
「良かったですわね。これで今夜も野宿、という事にはならずに済みそうですわ。」
「口調は維持するんですね。」
少し小声でリリスが言う。
「えぇ、ココからはどこで誰が見ているか。人が多すぎて分かりづらくなるでしょうから…よろしくお願いしますね、リリィ」
「承知いたしましたわ、セレナ様。」
「大変お上手ですよ。」
いたずらな笑顔を浮かべながらもセレナは決して前方から視線を外さない。
きっと周辺警戒も継続しているのだろう。
門の前ではエミリアと門番が話をしている。
時折こちらを指さしながら手に持った書簡を見せたりと、状況の説明をしているようだ。
「宿は大丈夫でしょうか、出来ればゆっくりと休めると嬉しいのですが。」
「これから秋口を迎える訳ですし、乾季になれば伐採の最盛期です。
残暑の時期であれば繁忙期という事もないでしょう。業者や出稼ぎ労働者で宿が埋まる時期はもう少し先のはずですわ。」
「それは良かったです。」
ほっとして肩をなでおろすリリス。
「ふふ、少しいい部屋を取ってゆっくりしたいですわね。」
「それは素敵です。賛成いたしますわ。」
旅の宿場で迎える特別な夜に期待を寄せて、ちょっとワクワクした雰囲気の二人は厳しい殉教の旅に挑む信徒というよりは。
年相応の少女二人に見えた。
そうしているとエミリアが門番の一人を連れて此方へ戻って来る。
「お待たせいたしました、村の者に話は通してあります。
直ぐに賊の引き受けに担当者と男衆が来るそうです。」
先に駆けてきたエミリアは開口一番良い知らせを告げる。
「お初にお目にかかります、聖女様。ようこそ、グリーンリーフへ。
この様な所へお越し頂けるとは…、ええと、どうぞ門をお通り下さい。
直ぐに応援も来ますので、賊の運搬は我々が。」
あとから来た門番の一人が驚き顔で話す。
「感謝いたします。女神の慈愛と祝福が有らんことを。
この者たちは我々に無体を働こうとした無頼漢達でございます。魔術の行使も可能と言っていました。油断なさらぬようお気をつけ下さいませ。」
祈りの所作もそこそこに男3名の扱いに注意喚起をする。
「勿論でございます、金属製の檻も用意されておりますし魔術緘口錠の用意もあります、交代制で見張りも付けることになるでしょうし。どうぞご安心してお任せ下さい。」
「はい、よろしくお願いいたします。
…ところで、村の責任者の方はいらっしゃらないのですか?
少しお話をと思っているのですが…。」
「あー…、申し訳ないです。村長は今外出してまして。
領主様との会合で帰りは夜遅くになると思います。」
「そうでしたか…、あまり遅くにお伺いするのもご迷惑でしょうから…。
明日、何処かでお会いしたいとお伝え願えませんでしょうか?」
「わかりました。お伝えします。」
「お手数をおかけいたします。
…それと、今夜の宿をお願いしたいのですが…。空きは有りますでしょうか?急なお話で恐縮なのですけれども。」
「大丈夫です、繁忙期はまだですので。業者用の宿は充分空きが有ります。使いをやって話も通しておくように手配しているところなので門の中で少々待ってもらえば案内の者が来るはずです。」
「それは…、何から何まで有難うございます。」
驚いて申し訳なさそうな顔をするセレナ。
—だいぶ猫かぶってないかな…。
いや、世間ではこれが聖女セレナなのかな。
なんてことを思いつつリリスはふと思い立つ。
「セレナ様、そういえば魔獣の件は…。」
気になっていた事を口にした。
「…あ!そうでしたわ。この件は先にお伝えしとかなくてはいけませんでしたね。リリィ様、有難うございます。」
「いいえ、私も気になっておりましたので…。」
静かに首を振りながらリリスは答えた。
「魔獣…?道中で遭遇したのですか?!」
慌てたように門番が尋ねてきた。
エミリアも「えっ」という表情で目を見張る。
「はい、王都を発ってから正午過ぎの事でしたから…、一日以上前の話になりますけれども。向かってきた方向は間違いなくこの森林地帯からでした。
最近の魔獣被害はどのようになっているのでしょうか?」
「…残念ながらかなりの増加傾向に有ります。昔は門番も本来なら一人で済ませていたのを、ここ半年前から毎晩最低二人です。
それで…何の魔獣だったのですか?」
「口から頭部、両手足の魔晶化まで進行した熊の魔獣でした。」
「!? そ、それは!まさかっ、黒毛ではありませんでしたか?!」
門番は驚き声を荒げて質問を返してきた。
「いいえ、体毛は焦げ茶でした。しかし体格は5mに達しようかという勢いで、更には粘膜出血も確認しております。」
「ほぼ末期の別個体ですか…。いや、しかし…。」
ホッとしなような、だが険しい表情のままで門番は呟く。
「まさか…、ここでは完全末期の個体が確認されているのですか?」
突如エミリアが話に割り込んできた。
「はい…、もう2年になるでしょうか…。非常に狡猾なヤツで王都にも報告済みの討伐対象登録個体なのですが…。」
「討伐任務対象…、2年も生きながらえてるなら、もうすぐ環境適応種に…?」
「末端の我々門番にはそこまではわかりません…。村長が帰り次第必ずお伝えします。夜勤も増員して警戒態勢を強化しなければ…。
聖女様、そいつはどちらへ逃げたか判りますか?」
「あ、いえ。遭遇した熊の魔獣は既に斃してしまいましたわ。」
「は?」「えっ」
門番とエミリアが同時に驚く。
「あら、言ってなかったかしら…?」
つい先程の会話をうっかり忘れた、とでも言いたげに小首を傾げるセレナ。
「い、いえ。てっきり追い払っただけかと…、斃したとは聞いては…。」
「私もそれは聞いてません…。ま、魔獣に遭遇したという話だけだと思ってましたので…。」
何故かしどろもどろになるエミリア。
「お二人共武装はしてないように見えるのですが…。いったいどうやって熊の魔獣を…、いやそもそも聖女様は戦えるのですか?!」
「それはもう。それなりに手段は持っていますわ。そこの3人を戦闘不能にしたのもわたくしですので。」
事も無げに曰う聖女。
「えぇ…?いったい…何をどうしたら貴女のような少女が…。」
門番は混乱した様子でセレナや野盗達を見つめる。
「そこは、ほら。わたくし魔王討伐隊の一員ですので。
手段は明かせませんけども、色々とありますので!」
はぐらかしては居るが、言う気も無いですよ。といった具合で続ける。
「なんというか…、本当に凄いんですね…。」
エミリアも唖然としている。
きっと脂男を運んでいた記憶を想起しているに違いない。
「あっ、そうでしたわ。これもお伝えしておきます。魔獣化した熊が此方から来た件も懸念事項ですけれども。その無頼漢達が来た方向も少々気になる状況でして。」
「…と、言いますと。」
門番は尋ねる。
「はい。彼らと遭遇したのは王都から北へ向かう街道の分かれ道で休憩中の事なのですが、その時に『西側の森』から現れました。」
「…それは。」
「はい、この村の少し離れた南側から来たことになります。野盗の被害情報はここ最近どうなのでしょう?」
「…つい最近、1件発生してます。」
門番の顔がより一層険しくなった。
「…それはいつの事ですか。」
「つい、2週間ほど前です…。」
—嫌な予感がした。
「被害は。」
「村の関係者が…、行商の帰りの家族が…被害に。」
「…何名無事だったんですか。」
「…旦那は生きてます…、妻と娘は…」
突如、そこに居た数名は何かが通り抜けた様な違和感を覚える。
いや、ちがう。
セレナから何かが膨れ上がったような気迫が放たれている。
フェデルが少し驚いたように嘶いた。
「セレナ…様?」
静観していたリリスが狼狽えている。
「申し訳ありません、わたくしの認識が甘かったようです。」
セレナは野盗達の方を見つめながら言った。
「せ、聖女様?」
明らかに怒気をまとっている聖女の威圧感に門番がたじろぐ。
「大変申し訳ありませんが、領主様と村長様に早馬を出すことはできませんでしょうか?あまり悠長な事を言ってられない可能性があります。」
「あの男たちが何か言っていたのですか。」
エミリアが真面目な顔で尋ねる。
「『攫って根城で可愛がる』、そして『お友だちも居る』とも。」
セレナはエミリアに向き直って即答した。
「それは…つまり。」
口ごもってしまう門番は狼狽えている。
「説明してる場合ではありませんね。
門番殿、ここから領主様の館までは一本道でしたね?」
エミリアが突如切り出した。
「は、はい。村を抜けた先の道を…およそ片道2時間ほどです。」
ハッとした門番が答えた。
「セレナ様、私とフェデルが出ます。
この子なら40分は短縮してみせます。」
そう言いながらエミリアはフェデルの方へ向かう
ちょうど村の男達が野盗を運ぶために門を抜けてきたところのようだ。
つかつかと歩み寄るエミリアに少したじろいでいる。
「これお願いしますね。」
そう言うと、フェデルの背中に積んであった『荷物』を乱雑に下ろす。
「あと、こちらも保管しておいてください。大事な商品なので。」
こっちは丁寧に外して村の男に手渡した。
気圧されてしどろもどろである。
「エミリア様、お待ちを。」
セレナが声を張り上げる。
「聖女様?」
エミリアは何事かと振り返る。
フェデルに跨がろうと鐙に足を掛けながら。
「フェデル様は荷運びで少々お疲れでしょう?」
そう言いながらセレナはフェデルの傍へと近づく。
「そうですけど…、あまり猶予はありません。一刻も早く…。」
すこし苛立つような雰囲気を出しながらエミリアは答えた。
「大丈夫です、私の癒しの力を使うだけですわ。」
セレナは微笑むとフェデルへと手を差し伸べた。
フェデルは既に落ち着いていてセレナへと頭を垂れる。
「! それは…!」
驚くエミリアを他所にセレナは続ける。
「ごめんなさい、フェデル様。驚かせてしまって。」
そう言いながらフェデルの鼻先へと額を寄せる。
フン、と一息。鼻を鳴らして応えるフェデル。
なんてことは無い、そんな気概だ。
「有難うございます、フェデル様。
申し訳ありませんが、もう少しお手伝いをお願いしますね。」
そういうとセレナは目を閉じて権能を行使した。
セレナの周りには淡い光が浮き出るように纏い付き
その光はフェデルの身体へと移り、そして吸い込まれていく。
フェデルは動かないが耳だけがパタパタと忙しない。
光は彼の頭から首、首から胴、胴から脚、脚から蹄へと流れていく。
…30秒ほど経っただろうか。
セレナは目を開け、フェデルから少し離れた。
「どうでしょう?フェデル様。問題はありませんか?」
にっこりしながらセレナはフェデルに問うた。
フェデルは数回、まるで確かめるように足踏みをすると。
「フン!フン!!」
と鼻息を荒げた。
身体を揺すり興奮しているようである。
「ちょ、フェデル??」
手綱を持っていたエミリアが少し慌てる。
愛馬の様子がいつもと違う事に気づいたようだ。
「エミリア様?フェデル様ってとても素直な方なんですね。」
エミリアに向かってにっこりするセレナ。
—あ、これ疲れを癒しただけじゃないぞ。
『ヤってる』ぞ。
そろそろセレナの悪戯癖が解ってきたリリスは素知らぬ顔でフェデルとエミリアを交互にみている。
「あの、セレナ様。フェデルがなんか凄い…。ちょっ、落ち着いて。」
状況が飲み込めてないエミリアが狼狽えている。
フェデルは早く乗れと言わんばかりに手綱を振り回しエミリアを促す。
「ほら、エミリア様。フェデル様が早く乗れって仰ってますわ。」
「えぇ、セレナ様。いったい何を…。」
「エミリア様。…よろしくお願いいたします。」
突如、きっと目を結んで真剣な眼差しでセレナはエミリアを見つめる。
「はい!お任せ下さい!」
エミリアも気を取り戻し答えた。
さっとフェデルに跨がり手綱を握る。
「なるべく急ぎます。セレナ様達は少しお休み下さい。」
そう言って前を向くと。
「ハイッ!」
そう声を掛けながらエミリアはフェデルの腹を押した。
ドガッ!っと蹄が地面を蹴る音が響き、フェデルは嘶くことも無く全力で駆け出した。
「うわっ、ちょ。フェデル!貴女いったい!?」
なんて声をあげながら、エミリアとフェデルがあっという間に門を過ぎて村の奥へと消える。
「凄い馬だ…」
途中から置いてけぼりを食らっていた門番が呟く。
「そうですねぇ。フェデルさんも凄いかも。」
リリスも呆れたようにみている。
「あら、あの早馬に乗れてるエミリア様が一番凄いと思いますわ!」
笑顔でセレナが締めた。
—フェデルさんもエミリアさんも怪我しないといいね…。
リリスの祈りが木々の間に見える残照に溶けてゆく。
最初の脅威、最初の村、被害に遭う村人。
これもわりとテンプレートですよね。
安心して下さい、悲劇も喜劇も手を抜きません。
現実ってこわい




