第一部 ~幕間劇~ 「王の執務室にて」
人の思惑とは不思議。
何かのために行動するのに表立ってそれを行えない
誰かを思って行動したことが裏目に出ることも
「あなたがしたいこと、私に出来ること。」
静かな廊下を一人の老齢の男性が歩いている。
ピッタリの黒服で身を包み、老いを感じさせないピンとした姿勢に滑るような歩調で音も立てずに歩いている。
一見無表情なその顔には深い皺が刻まれているものの、目には力強い意志が宿っており全体に纏う雰囲気には迫力すらある。
彼は王宮の一角にある扉の前まで来ると、誰が見てるでもないのに非常に規律正しい動きで左を向く。
扉の前で止まり、流れるような手つきでドアノッカーに手を伸ばすと「コンコン」と小気味良い音が廊下に響く。
「誰か。」
「私でございます陛下。」
「セバスか、入れ。」
「失礼いたします。」
キィと小さな音をたててドアがあけられる。
ドアノブの音がしない。よほど手入れが行き届いているか、あるいは男の手つきが洗練されているからだろう。
「もう夜明け過ぎか。」
「左様でございます。…結局夜会の後もお休みになられなかったのですか。逸る気持ちは判りますが、ご無理をなさらぬようお願い申し上げます。」
「思いのほかヴィクトルと話が弾んでな。これが終われば一旦休むとする。」
「お呼びになられた件でございましょうか?」
「そうだ、早いほうが良いと思ってな自国と他国への触れの内容を考えていたのだ。」
「セレナ様は今朝方夜明け前に発たれた様です。」
「ははっ、あの娘も大概に気が短いな。」
「そのようでございますな。姫殿下もお見送りから帰られた所でして、少し休まれております。少々派手に泣いていらしたようで。」
「…アメリアとセレナは姉妹のようだったからな…。」
「おいたわしい限りでございます。」
「…立場とは煩わしいものだな。セバス。」
「人は生まれを選べぬ生き物故に。…王は王の、姫には姫の。
聖女にもまた聖女の立場があります。」
「ままならぬな。」
「左様で。」
エリオット王は目の前の書類を手に取り、中身を確認する。
ふん、と一息つくと。
「さて、私は王として聖女のために触れを出すわけだが。
セバス、お前にも見ておいて貰いたくてな。」
そういって王は持っていた書類を執事長に向けて差し出す。
「拝見させていただきます。」
一礼の後、両手で書類を受け取ると懐からモノクルを取り出して眼窩に嵌め込んだ。ススっと目が動き書類全体を舐めるように走り抜ける、もう一度上から今度は確認するかのように要点を把握する執事長。
「どうだ。」
「宜しいのではないでしょうか。内容も対象国も問題無いかと。
ただ東方大陸での伝播はどうされるおつもりですかな。」
「エルフ領については致し方あるまい、ブリッジポートにまで連絡が通ったらそこで使節を選定し、彼らの氏族に遣わす。」
「そこまでが限界ですかな。」
「で、あろうな。南方諸国に関しても聖女の殉教の対象には成らぬと踏んでのことだ。あそこには今回の討伐任務では訪れておらんし、そもそも問題らしい問題の情報も流れてきておらん。」
「そうでございましょうな。」
「それで、セバス。」
「はい、何でございましょう。」
「聖女の監視には何名付けた?」
「取り敢えず2名でございますな。
機動力のあるローム兄妹を配置いたしました。行商人を装わせておりますゆえに、旅先での再会も問題無いかと思っております。予備隊として各地の支部に1~2名の選定をしておくように命令は伝達済みにございます。
何か有れば現地での協力体制を保てるように、との内容で。
セレナ様は準備もなさらずに夜明け前に発たれたので妹が先行し初動調査、兄の方は諸々の物資を荷馬車に手配している所でございます。」
「ふむ、ならば問題なかろう。何か有れば直ぐに知らせるように。」
「指示済みにございます。」
「流石だな、セバス。」
「恐縮にございます。」
「よかろう、では引き続き聖女の監視と援護を、偽装は徹底し行え。
その書類内容も各所への通達は任せた。」
「承知いたしました。…お休み前に何かお飲み物は?」
「っふ…夜会で言ったであろう、秘蔵の一杯を既に用意してある。」
少し楽しそうに、エリオットは答えた。
「左様でございますか。お目覚めはいつ頃に?」
「すまんが昼過ぎまでは頼んだ。余も昨日から働き詰めで少々疲れた。長めに休むとする。諸々任せたぞ。」
「御意に。」
執事長は書類を小脇に持つと、深々と礼をする。
エリオット王はそのまま立ち上がると執務室に併設された寝所へと向う。
王の姿が見えなくなったころ、セバスもまた扉へと向かう。
また音も無く扉が開き、小さくキィと音を立てて扉が閉まると執務室は無人になった。
—併設された寝所、天蓋付きのベッドの横に備えられたテーブルと椅子。
エリオットは盃に年代物の酒を注ぎ、一口呑む。
まろやかな味わいと洗練された香り、そして強い酒精が身体を抜けていく。
ようやく一息つけた、と深く大きく息を吐き出す。
そしてエリオットは思う。
如何に聖女が望もうと、為政者としてそれを完全放置することはできない。万が一彼女になにかあった時、何も対応が取れない事や後手に回る事は避けねばならない。それが出来ない王など無能でしか無いからだ。
王は指導者として腹芸や二枚舌を使わねば務まらない。
本音と建前を使い分け、ありとあらゆる事態を想定し最悪に備えて手を打ち続けねばならないのだから。
そして聖女セレナはそういった対応を必要とする重要な存在なのだ。
他の英雄もまたその随一の才能は得難き存在だが、勇者や大魔道士は他にも居る。今後も恐らく我が国からも排出されるだろう。
しかし聖女は違う。
あの奇跡の技、過去に例は無く、有史以来の絶対的唯一。
彼女を失うことは有っては成らない。
まして他国の手に渡ることなど…
それに、恐らくだが彼女自身にも秘密はまだあるはずだ。
それを探り、見極め、判断する。
それが私の仕事だ…
そう思ってエリオットは盃の中身をまた一口飲み込む。
しずかな寝所には外からの光が僅かに差し込み、すでに日が昇っていることを示していた。
差し込んだ光でわずかに煌めく小さな塵が舞うのを見て
彼の胸の内には理由もなく謎の焦燥感が募りエリオットは不安に駆られる。
再び盃を口にし、中身を飲み込んだ。
無音の室内に自分の嚥下する音が嫌に大きく響いた気がした。
セレナが王都を発って、少しした頃の出来事である。
私もほしいです、一家に1セバス。
老齢の紳士より、若くてかわいいsy
やめよう、この話は良くないことになる。




