第六幕 「許すこと、許されること」
あなたが望むのなら何度でも
あなたが求めるのなら何度でも
「この温かい気持ちをなんて言うのだろう」
いい感じの熾き火の上で、昨晩とは色味の違う、そこそこに燻された肉が再度炙られている。
既に香辛料も振られていて周囲には良い香りが漂う。
「リリスー、もーそろそろ焼けるよぉ。
こっちきて食べよー?」
ごく自然な振る舞いでセレナはリリスを呼ぶ。
リリスからは返事は無い。
すぐ背後の野原の上でビクンビクンと痙攣している。
「ひっ…ひっ…」と浅い呼吸が聞こえる。
「リリスー?」
すっとぼけた声で再度呼ぶセレナ。
「ひっ…、ひどいですぅ。
わたし悪くないのに…、わだし謝ったのにぃ…。」
さめざめと泣いてる。
「……ちょっと、やりすぎた。」
ぽそりと呟くと、セレナは立ち上がりうずくまるリリスの横に立つ。
「…お腹大丈夫?まだ痙攣してるよ。」
「…笑い過ぎで引き攣って、…痛いです。」
非難するような口調でリリスは答えた。
セレナの方は向いてくれない。
「…。」
セレナは黙ってリリスの脇腹に手をかざすと権能を行使する。
「…。」
リリスも大人しく治療を受ける。
「ごめんね。ちょっとやりすぎた。」
「…ちょっとでは無いと思いますけれども。大丈夫ですよ、怒ってませんから。こうやって治療もして頂いてますし。」
「ごめんなさい。」
「はい、分かりましたっ。もう痛みも引きましたよ。
『理力』ってこんな治療も出来るんですねぇ。」
起き上がってくるりとセレナに向き直ると、にっこりと笑顔を向ける。
「…ありがと。一応代謝を促進させただけだから治療というよりも自然治癒を早めただけだけどね。」
「ちょっと暖かくなって不思議な感覚でした。」
「揉みほぐすって手段も有ったけど。
それをやったら本当に嫌われそうだったし。」
「それは本当にもう許してください。」
「もうしないわよ…。代謝を促進させたから少しお腹へったでしょ?
もう焼けるからお肉たべよ。」
「はーい。」
二人は焚き火の傍に置いた腰掛け用の大きめの石の上に座って肉の焼き上がりを待つ。相変わらずの大分大きな肉塊を熾き火でじっくり焼く。
「豪快な料理ですねぇ。」
ちょっとウキウキした口調でリリスがいう。
「…そういえば、魔族って食の好みはどうなってるの?」
ちょっと気まずくて話題を探していたセレナは思いついたことを口にした。
「…絶対に気持ちのいい話にはなりませんよ。」
「…そう、だったわね。」
また余計なことを聞いただろうか。
「私は、同族の食事の仕方は合わなかったですけれども。」
「リリスはあんな食べ方は嫌いってこと?」
「だいっきらいです。」
「そう…。」
二人とも押し黙る。
魔族の食性には非常に特徴がある。
当然魔族も生き物だから、他の生き物を喰うのだが。
問題は「食い方」の方にある。
魔族はマナ感応性の高い種族と呼ばれており、他の種族より高く多様なマナ適性を発揮することが多い。そして高いマナ感応性は他者のマナをより効率的に自身へ取り込める事に繋がる。
どの種族も感覚的に、あるいは意図的にマナの吸収を行うことで魔力を高めたり回復したりしている。魔族はそれがより効率的に出来る。
そして魔族が「好むマナ」というのは俗に言う「負のマナ」である。
怒り、悲しみ、不安、恐怖、猜疑心、嫉妬、虚栄心や後悔。おおよそ生命が生きている限り必ずと言って良いほど発露する「黒い感情」。その中でも薄暗い、あるいは激情のような黒く濁った感情から発せられるマナを好む。
やがて…それらの負のマナは魔族の体に澱の様に沈み込み溜まっていく。
それらの淀みは身体を徐々に蝕み、結果として魔族の体には他の種族には見られない身体的特徴が発現してゆくのだ。
強い魔族ほどその特徴は顕著に現れ、大きく醜く凶暴で凶悪な形へ変貌を遂げていくのだ。
そして、それは「魔族の強さの象徴」。
戦いを好み、暴力を崇拝する、残虐なる獣。
奴等は「より強くなるため」に「より多くの負のマナ」を求め、いつしか「より濃い負のマナ」を求めるようになる。
四肢を千切り、生きているまま喰らう。
死なないように、丁寧に丁寧に皮を食い、筋肉を食い、骨をしゃぶる。
生きたまま炙り、香ばしい匂いと絶叫を愉しみながら喰らう。
全身の骨を砕き、内出血で黒ずんだ身体を吸い出すように喰らう。
おおよそ理解できない、邪悪で、残酷で、醜悪で、おぞましい景色。
殺して貰えず、生きながらに食われ、痛みと恐怖と怒りと憎悪で気が狂っている他種族を、「人を好んで喰う」のが魔族だ。
口にするのも憚られる地獄のような景色を思い出し。
少し身震いをする。
「…聞いて良い?」
セレナが切り出した。
「はい。」
「リリスも、…人を食べるの?」
「…いいえ、私の覚えてる限り食べた事はありません。物心ついたときには『負のマナ』への渇望の様な物は有りませんでした。
きっと小さな頃から『対の指環』をつけていたからでしょう。
不思議な指環は赤子だった私の指にもピタッと合ったそうです、そして指環は今日まで一度も外されたことはありません。
指環の効果の一つである『負のマナ』に類する感情の抑制。
私が魔族としての外見的特性と文化的特性を持たない理由は、ここにあると思っています。」
セレナは少しほっとして自分の左手薬指を眺める。
「そう言えば、コレ。お父様が付けていた物なのに、私の指にピタっと合ってたわね…。」
「本当に不思議な指環なんです。謎の効果も、自動でサイズが変わる事も。
なにより、この指環をしてると落ち着くんです。怒りや、恐怖や、挫けそうな心も、誰かを恨むような気持ちも。」
「…だからリリスは私を許してくれたのかしら?」
「それも…、有るかも知れません。
この指環は今まで私の色んな感情を抑えていてくれた、黒い感情に餐まれないように守っていてくれた…。ならこの指環が無ければ私はどうなっていたんだろう?そう思うと、怖いんです。私はこの指環が私の指から無くなることがとっても怖いんです。」
「…気をつけなきゃ、だね。」
「はい。」
「…でも、そうなると。ね?」
「はい?」
「さっきの私は…どういう扱いだったのかしら…?」
「というと?」
「…さっきの私は…、リリスの、その…胸の立派な物に嫉妬と怒りに身を任せていたと思うのだけれど…?」
消え入りそうな声で己の罪を告白する聖女。
「…っぷ。」
「笑わないでよ…」
仏頂面になってリリスをじっとりと睨むセレナ。
「あはは!違います!嘲るとかそうではなくって!」
「…なら何なのよ…」
「…くくく。きっと、セレナはこころの底から羨んでは居ないのではないでしょうか?何処かで受け入れてるのかも知れませんよ。ふふふ。」
「…そんなことないもん。羨ましいもん。私だって少しは女らしく大きくなりたいんだもん。」
悲しそうな顔で自身の絶壁を見下ろすセレナ。
「だもんて。ふふ…」
リリスは微笑みながら立ち上がるとセレナの背後に割り込んだ。
「なに?どうしたの?なんで私の後ろに立つの?!
やっぱ怒ってるの?仕返しする気なの!?」
仕返しされるのかと不安になりつつも甘んじて受けるべきかと葛藤しながら怯えるセレナに対し、リリスは。
「ちがいますよー、こうしてやるんです。」
ひょいとセレナを抱えあげると自分の体に抱き寄せ。
そのままセレナが座っていた所に変わりに腰を下ろしてしまう。
リリスとセレナの体格差で、ちょうどセレナの頭の上にリリスの顎が乗っかるような感じで収まっている。
「ちょっと、子供扱いしないでよ。」
「良いじゃないですか、セレナの方がちっちゃいんですから。」
「ちっちゃいって言っても、私少なくとも今年で15になるんだけど…」
「なら私のほうがお姉さんですよー。
私は人間で言うと20才くらいです。」
「魔族と人族の…年齢比は…5:1くらいだっけ?」
「大体それくらいですね?」
「…じゃぁリリスは100年は生きてるのね…」
「そうですよ、人間だったらしわしわのおばあちゃんです。」
「そういう話じゃなくって…」
「? 何が言いたいのでしょうか?」
「私は、…私達は100年連れ添った親子を…引き裂いたんだなって。」
「…まだ言いますか。」
「事実だもの…」
「はぁ…」
「ため息?!」
「…えい!」
リリスは掛け声と同時にセレナを力いっぱい抱きしめる。
「…なにがしたいの。」
「別にー?
おねーさんがちっちゃくて可愛い子を慰めてあげてるだけですよ。」
「やっぱ子供扱いしてる。」
「事実ですもの。」
「ぐぅ」
ぐうの音も出ない。
「…セレナはね、本当に凄く良い子だと思います。自分の特別な境遇に文句も言わず、大人でも耐えられない厳しい任務をこなして。その意味と責任をしっかり考えて、いまもこうして罪悪感に苛まれている。」
「文句は言わないだけで、ずっと思ってたわ。」
「ふふふ、すんごい叫んでましたね。
…自分の中の罪を認めるって大変なことだと思います。たとえ相手が許すと言っても自分の中で許されないと思っていれば、ずぅっとその事に囚われ続けることになると思うんです。」
「そうかも、しれないね。」
「だから何度でも聞いて下さい。不安になったら何度でも私に尋ねてください。その度に大丈夫だよって言います。なんならその度にこうして抱きしめてあげても良いですよ?」
「…ありがと。そうしてもらえると助かる。」
「あら、素直ですね。抱きしめられるのも嫌じゃないですか?」
「…リリスに任せる。」
「んふ。可愛い!」
そう言ってリリスは再び力を込めてセレナを抱きしめた。
「ありがと。」
そういってセレナもリリスに身体を預ける。
「きっと、おっぱいも将来ちゃんと成長しますよ?」
「それはほっといて。」
自然な形で、抱かれている小さな影と抱いているすこし大きな影
その姿は誰かが見たら姉妹か、母子の様に見えたかも知れない。
謎の波動がいよいよ強まっています。
気をつけて下さい、この二人の間に割って入ると死にますよ。
この作品は残酷な表現と危険な関係を描写します。
耐性のない人は諦めて下さい。




