第三十一幕 「穏やかな目覚め」
不思議な目覚め
とても長く寝ていたはずなのに
心地よい目覚めといつもの朝のような……
彼女がいなければ成し得なかった目覚め
「本当に不思議な存在。」
目が開く。
いつもと違う香りが鼻をくすぐる。
ちょっと獣臭い汗の匂い。
嗅ぎ慣れない幾つかの人の香り。
別に嫌な匂いではないのだけれども、いつもの香りを求めて匂いの方へと自然に体が向きを変える。
そして、寝返りをうてばすぐ目の前にはいつもの香り。
私は彼女の胸に顔を埋めて思わず深呼吸をする。
「ぅん……」
香りの主が私の呼吸を擽ったがって身を捩る。
私は構わず彼女の乳房に顔を埋めたまま、やや寝ぼけた頭の覚醒を待つ。
「セレナ……くすぐったいです。」
目を覚ましたリリスが私の背に腕を回して抱き寄せてきた。
「おはよ。」
「……おはようございます。」
「……リリス、ちょっとじっとしてて。」
「?……はい。」
挨拶を返してくれた彼女の顔をみて。私はちょっと驚いてしまう。
リリスの鼻から血が出てる。
「……頭痛とかそういうのは無い?平気?」
「え、はい…?」
「そ、なら良いわ。」
私は理力を行使して勘でリリスの身体を調律する。
いつも自分にやっている調律を基本に、緩めにリリスの体調を整える。
「わ…なんですか。」
「あとでちゃんと鼻の中洗ってね。」
唐突に顔に淡い光を受けてやや面食らうリリスだが、私は大事にすることもあるまいと適当にはぐらかす。
「は、はい。……??」
釈然としない様子のリリス。
やっぱり、ちょっと話くらい聞いておこうかな?
『本当に体の調子は平気?夢見で色々大変だったんじゃないの?』
思念会話に切り替えて話の続き。
『んー……取りあえずは大丈夫です。ティガとミアちゃんの戦闘訓練の時はちょっと大変だったかも。それと、ミアちゃんが最後に凄い攻撃を繰り出した時……あの時、何が起きたかも解らなくって、何故か数秒間頭が働かなくなっちゃって。ちょっと夢見の維持が危なかったかもしれません。』
『あー……あのミアの行動処理で負荷でもかかったのかな。』
『もしかして、私の身に何か起きてます?』
『鼻血が出てるわ。ちょこっとだけみたいだけど。』
『わ。ほんとですか。』
リリスがもぞもぞと動いて鼻を押さえる。
すでに乾いて止まっているから問題は無いのだろう。
『ミアがほんの一瞬、音の早さを大幅に超えて……雷化したかのような亜光速になったの。そのせいで貴女の夢見の処理に瞬間的にすごい負荷がかかったのかもしれないわね。』
『あー……そういうことか。……というか、あこうそく?』
『光よりちょっと遅いくらいってこと。本当に刹那のひととき……攻撃の一瞬だけだけどね。』
『凄い……んですよね?』
『私の全力よりちょっと早いくらいよ。』
『ひぇ……セレナより早い!?』
『ま、本人は無我夢中だったみたいだし。まともに運用できる力じゃないわ。下手に常用しようものなら、自身の身体と周りの地形が保たないもの。』
『良くわからないけど、ミアちゃんに凄い才能があるってことですよね。』
『そんなところね。雷のマナの適性もあるかも。』
『5大属性の適性を無視して、複合属性の適性を発露……ですか。』
『ミア自身が言ってたわね、魔術の才能はからっきしだって。それが突然才能開花。猫人族の潜在能力の成せる業といえば……納得いく程度にはあり得そうだけども。』
『ティガさんの戦闘もすごかったですもんねぇ……あれで本気出して無いんですよ、彼女。』
『判るんだ、あなたにもそういうの。』
『夢見の権能で見る限り、彼女にはまだ余裕がありました。アレですよね?『獣化』がまだ手札に残ってるから油断してたんじゃないですか?』
『私もそう思う。それだけミアの成長が彼女の予想の範囲外だったってことなんだろうけどね。』
『ミアちゃん頑張ったんですねぇ……』
『それを言うなら貴女もね。お疲れ様、リリス。』
そういって私は上体を起こしてリリスの頭を撫でる。
『えへへ、ありがとうございます。』
嬉しそうな笑顔で撫でられる彼女の素直さがとても可愛らしい。
「そういえば……4人は……」
振り返って他の面々の様子を確認する。
シャルを中心に寄り添うように寝入っている4人。
いつの間にか彼女の上にうつ伏せで抱きつき、乳房に顔を埋めるミア。
そんなミアを優しく抱きしめながら、寝息を立てているシャル。
二人を抱きかかえるように、添い寝しているティガ。
反対側には控えめに身を寄せ、ミアの頭に手を添えているローザ。
仲睦まじいことで。
思わず笑顔を零しながら私はリリスをまたいでベッドから這い出る。
4人とも私の動きに反応することはなく、すやすやと寝ている。
まぁ、起きるまでは寝かせておこう。
『私は外の連中に治療の成功と今後のことを軽く話してくるわ。』
『はい。私もちょっと洗面所で鼻をみてきます。』
私は手早く衣類を着込む。そして軽く手ぐしで髪を整えて、部屋の出口へと向かう。
ドアを開ける前に壁の時計をみると、時刻は10時を回った所。
5時間弱は夢見にいたことになる。
扉を開けて廊下に出ると、サウリスが女給と話をしていた。
二人の立ち位置の距離がやたら近い。
「あら、聖女様。おはようございます。」
「おはようございます。サリウス様。」
私が聖女スマイルで挨拶をすると女給が慌てて彼女と距離をとる。
顔が赤いぞ、何しとったんだ。
「と、いってもじきに正午ですが……治療の方はいかがでしょうか?」
そんな反応を楽しむかのような笑顔を向けるサリウスは平然として話を進めてくる。
「一切合切つつがなく。シャル様は無事に回復されて、いまは寝てらっしゃいます。ティガ様もミア様もご一緒に、仲睦まじく。」
「ローザ嬢はどうですか?」
「彼女も今は安眠されております。3姉妹とご一緒ですよ。」
「あら。羨ましい。私も混ざりたいものですね。」
「皆さまは全員夜通しでしたか?」
彼女の軽口をスルーしつつ、状況を尋ねる。
「いいえ。交代制で仮眠はとれておりますので、特に警護に問題はございません。」
「管理人の方は?」
私が女中に向き直り問いかけると、彼女はピッと姿勢を正して答える。
「当管理人は今現在、席を外して店の業務の方に対応中です。ご用名であれば私が承ります。」
まだ少し赤い頬のまま綺麗な礼を交えつつ応えてくれる。
「そうね……昼過ぎには皆を起こしますので。軽い食事を用意して頂けますか?そのあと少し話をしたいと思うのですが……管理官の方々はどうされますか?」
「ご一緒したいところですが……食事は遠慮させていただきましょう。皆さまのお食事と身支度を終えてから、そうですね……14時に二二〇三号室にていかがですか?」
「承知いたしました。そのようにしましょう。では、食事の支度の方はよろしくおねがいたします。」
「承りました。正午以降のお越しに合わせて準備してまいります。食堂は1階東側にございますので、皆さまでそちらへ。」
そう言って再び深々と丁寧な礼をした女給はこの場を離れた。
「警護中。問題や不審な動きは無かったですか?」
女給が居なくなった頃に、私はサリウスに再び尋ねた。
「周辺警戒含め、概ね問題はありませんでした。外が少々騒がしくはありますが。今現在、当施設は貸し切り状態とさせていただいておりますので。」
「外が?」
「昨晩の騒ぎで聖女の存在を知った住人や商人が若干名押しかけております。」
「ああ……それで。」
聖女を一目見ようとか、商機に目ざとい連中が何ぞ企んでいるのだろう。
「問題……無いのですね?」
「ええ。建物の入り口にすら入れませんので。」
「ご配慮に感謝いたします。」
「いえいえ。」
彼女がにこやかな笑顔を返してくる。
「では、また後程。」
そう言って私は一礼の後に部屋の扉へと向かう。
「あ、そうでした。聖女様、一点だけご報告が。」
扉を開けようとした私をサリウスが引き留める。
「はい、何でございましょう?」
「ローザ嬢に会いたいという方が一名。少し前からいらっしゃっております。」
「……ボロス邸の家人ではなく?」
「はい。老婦人の方で、彼女の親族だと名乗っております。御付きの方もつれずに一名だけで。」
……老婦人。
シャルが見たというローザの未来に現れる老婆だろうか?
親族ということは祖母?
ならば会わせた方が良い気がする。
「わかりました。そうですね……食事前の11時30分頃に二二〇四号室へ通していただけますか?」
「承知いたしました。こちらで安全確認と身分照会は行っておきます。」
「よろしくお願いいたします。」
私はそういって再び一礼すると、今度こそ扉を開けて中へと入る。
部屋に戻ると、ローザが起きていた。
上体を起こし、ベッドの上で裸のままだ。毛布で胸などは隠しているものの、どこか上の空といった感じ。
「おはよう、ローザ。よく眠れた?」
「あ……はい、おかげさまで。」
全身に纏っていた疲労と焦燥感は消え、気の抜けた感じの声で彼女が答えてくる。どうやらすっかり体調も良くなったようだ。
「何よりね。少ししたら食事にしましょ。既に手配はしてあるから、正午頃までには支度をするつもりでね。」
「はい……ありがとうございます。」
返事はするものの動こうとしないローザ。
「……まだ夢見心地って感じね。」
「……夢ではないのですよね……?」
ローザは視線を落とし、すやすやと寝ている姉妹たちを見つめる。
「ええ。安心して。彼女はちゃんと目を覚ますわ。」
「……よかった。」
彼女はそう呟くとポロポロと涙を零す。
『夢見』を経て、目が覚めた。そして、シャルの安らかな寝顔をみてようやく確信を得られたのだろう。張りつめていた緊張と不安が途切れ、安心した彼女は堪え切れなくなってしまったのかもしれない。
だが未だ不安と迷いのマナを纏ったままのローザ。
自身の親がしでかしたことへの引け目と同時に、彼女が内に抱える何か覚悟めいた思いについては未だ正確なことはわからない。
それでも罪悪感の一角が取り払われたことで、彼女の纏う雰囲気は幾分かましになったと言える。
「さ。貴女も一先ず顔でも洗ってきなさいな。」
私はそういってワゴンからふわふわのバスローブとフェイスタオルを取って、ローザに手渡す。
「はい。そうさせていただきます。」
彼女はそう返事をした。そして姉妹たちを気遣うかのように、ゆっくり慎重に、そろりとベッドから抜け出し、バスローブを羽織ると洗面所へと向かった。
彼女が洗面所へと入ると、ローザと入れ替わるようにリリスが出てくる。
「よかった、ローザさん。だいぶ元気になったみたいですね。」
「うん。顔色はずっと良くなったわ。」
「でも……まだ彼女からは不安と迷いの香りがします。」
「それもいずれ何とかなるわよ。」
「だと……いいですけども。」
リリスは心配そうな顔でため息を一つ吐き出す。
今は気にしても始まらない。
それよりも、この後もいろいろと用事がありそうなわけだし。
いい加減、皆に動いてもらわなきゃ。
「さ、そういうわけだから。そろそろ貴女達も起き上がって、身支度しましょ。」
私はベッドで丸まっている彼女たちに声をかける。
「バレてましたか。」
シャルが目を開けてヘテロクロミアの瞳で私を見つめてくる。
「起きるタイミングがなかなか見つからなくてさぁ……んー。」
のそりと身体を起こして四つん這いで伸びをするティガ。
「んャ……ミァまだ眠いのャ……」
眠たげな眼のまま、シャルの胸から顔を上げるミア。
「だなぁ。あたしも……結構寝たはずなんだけどなぁ」
今度は首をコキコキと回しながらティガがミアに相槌を打つ。
「ティガ達はいっぱい運動しましたからね。そのせいかもです。」
夢見の主は寝ながらにして運動したという不思議な状態であることをさも当然のように告げる。
「あたしらの寝汗が凄いのはそういうことか……変なの。」
「姉たん……毛づくろいして欲しいのャー。」
「あらあら。まだ甘えたりないのミア?」
「あたしはすげー腹減った……ご飯食べたい。」
急ににぎやかになった室内に、朗らかな空気が満ちてくる。
「だめよ。これから色々用事があるんだから、ちゃんとお風呂にはいりましょ。シャルも治療後そのままだから、ちゃんと綺麗にしなきゃ。」
猫人族独特の身支度が始まりそうな気配を察した私は、彼女たちを諫める。
「「「えぇー……お風呂は嫌です。」だわぁ。」だャ……。」
私の提案に、仲良く三人そろって不満そうな声をあげた。
シャル……あんたも風呂嫌いか……
そろいもそろって、つくづく猫だねぇ……
寝ながら筋肉痛になることが有る
関節にも痛みが
いや、これはろうk……
やめよ
誰も幸せにならん




