第二十九幕 「赦し」
誰にだってできることじゃない。
この人だからできるんだ。
だから私も一緒にいる。
この人を信じられる。
「そのために、私の手には力が宿る。」
私は語り続けた。
ミアとの出会いから、今現在に至るまで。
見たこと、聞いたこと、知ったこと、自身してきたこと。
包み隠さず全て。
そしてリリスは夢見の権能を用いて、その情景を実に正確に、綿密に再現してくれた。彼女によって目の前に繰り広げられる景色は、実にリアルで実感を伴う……説得力に満ちた紛れもない現実として、皆の目に映った事だろう。
無論、リリスがサキュバスであり、夢見の権能が彼女の能力であることについては話したりはしなかったが。
それを見た者たちは皆一様に黙し、だがしかし様々な表情を浮かべながら魅入っていた。
ミアが死にかけ、私たちに救われ、泣き叫び、励まされ、導かれ、語り、明かし、奮い立ち、立ち向かうその全て。
そして、なぜそうならなければならなかったのか。
誰によって、彼女たちがそうなってしまったのか。
その首魁たるボロスの記憶と所業を含めた彼女たちに関わるすべてを。
不安げな表情で思い出すかのように見つめるミア。
全てを確かめるように静かな表情で見守るシャル。
呆然とした表情で僅かに口を震わせているティガ。
真剣な眼差しで眉一つ動かさずに見続けるローザ。
各々が胸中に抱く何かを滲ませるかのように、私が語り終えるその時まで。誰一人、口を挟むことなく、感情を現すことなく、ただひたすらに黙って聞いていてくれた。
「……以上よ。ここまでが私が知りえた全て。あなた達が知るべき全て。何一つ包み隠さず、あなた達が関わる何もかもを語ったわ。」
私はそう言って振り返り、四人を見つめた。
ここまで話し終えたことで何が起きるか。
色々な結果を想定していたが、皆の反応は想像以上に落ち着いていたと思えるものだった。
意外。
というほどの印象はなかったが……もっと苛烈で感情的な反応も覚悟していた身としては、とてもありがたい反応。
それと同時に四人ともが、どのように反応を返した物かと思案しているかのようでもあった。
「……お話しいただいたことを心から感謝いたします。セレナ。」
最初に口を開いたのはシャルだった。
「この身に起きたこと。その理由、意味、経過と結果。何一つ疑うことなく真実の物だとして、理解し納得いたしました。」
その口調は極めて冷静であり、穏やかなものだった。
「これを知ったことにより、あなた達には行動を起こす理由が生まれたわけだけども……当然、各々が思う所様々にあるのは想像に容易いわ。」
私はそう言いながら四人の目を代わる代わるに見つめる。
落ち着き払い静かに佇むシャル。腕を組み虚空を見つめるティガ。
シャルに抱きつき不安そうに目を伏せるミア。
そして、私をまっすぐ見据えるローザ。
「別に取り乱して暴れろ、なんて言わないけれども。貴女達はもう少し感情的になっても許される立場よ?どうしてそんなに落ち着いているのかしら。」
私はあえてそう言った。
「では……セレナ様。まずは私からよろしいでしょうか。」
そういって椅子から立ち上がったのはローザだった。
「ええ。もちろん。」
そういって私は彼女たちの前から数歩下がり、ローザに正面を譲る。
彼女はゆっくりと、しかし踏みしめる様な固い足取りで三人の前に歩み出る。そしてまっすぐシャルとティガとミアを順番に見つめた。
何も語らず、ただまっすぐと。
数瞬の後、ローザは静かに膝を畳み、その場に正座した。
静かに息を吸い、ゆっくりと腰を折り、両手を揃えて手のひらで土に触れ、額を地につけて、地面を舐めるように口を開く。
「娘として。父に代わり皆さまにお詫び申し上げます。」
はっきりとした口調で。
迷うことなく話し続けた。
「その身に受けた屈辱といわれなき扱い、筆舌に尽くしがたい痛みと悲しみ。拭い難き不安と嘆き。全ては……ひとえに我が一族の欲が生み出した、不当で無様で浅ましくも無責任な行いによるものでございます。」
シャルは静かにそれを見守る。
ティガもまたじっとローザを見据える。
ミアだけが一人悲しそうな顔をしていた。
「皆様方がいかように我が一族を恨もうとも。何をもってしてその罪の代価を求めようとも。その一切を私は厭いません。」
身じろぎ一つせず、いささかも震えることなく、ただ語り続けるローザ。
「この身の一切をも皆さまに対し、その対価として捧げます。どうか怒りを鎮め、誇り高き皆さまの魂が汚れずに居て下さることを。許されるのであれば……そう望みたく思います。」
そう言い切って、彼女は話すことを止めた。
そうして彼女は、ただ伏して動かず、息を殺して待ち続ける。
しばらくの間、誰もが動かず、口も開かずに、時だけが流れていた。
「顔をあげなさい。」
しかしてやはり、最初に口を開いたのはシャルだった。
ローザは言われた通り顔を上げる。
そしてまっすぐに声の主を見つめる。
裁可を待ち、裁きを望む罪人として、一切の迷いなく言葉を待つ。
彼女は静かに息を吸って、ゆっくりと口を開いた。
「……貴女は……私の家族を思ってくださいました。私の身を案じてくださいました。貴女の言葉がミアに希望を与え、彼女を奮い立たせ、聖女へと導いたのです。貴女の想いが愛しい娘を守りました。だから……私は貴女に感謝しています。」
琥珀色の瞳が小さく揺れた。
「ありがとう、ローザ。私は貴女を赦します。」
シャルはただ静かにそういうと小さく微笑む。
美しく輝く金色と銀色の瞳が、慈愛の眼差しでローザを見つめた。
彼女は小さく息を吐き、再びその頭を垂れ地に伏す。
やがて小さく嗚咽を洩らしながら、安心したように泣いた。
ミアはほっと息を吐くと笑顔になり、抱き付いていたシャルに頬ずりした。そのまま彼女の抱擁を離れ、ローザの元へと駆け寄る。
ティガは難しい顔をしながら、じっと耐えるようにそれを見守っていた。
「シャル。貴女はそれでいいのね。」
私は白い猫人族を見つめ、口を開く。
「はい。私は私の身に起きたことについて、何も憤ることはありません。全てはまだ私の手の中に残っています。失うはずだった物はセレナ様とリリス様、そして愛しき家族と正しき想いによって守られました。」
ひたすら穏やかな笑顔で、彼女は言い切った。
「ならいいわ。私からも貴女自身の考えについて言うことはないわ。」
私もまた、笑顔でそう答える。
そして振り返り、灰の猫人族を見つめ、口を開く。
「ミア。貴女はどう考えるかしら?」
未だうずくまるローザの傍らにしゃがみ込み、泣き続ける彼女の背中を擦っているミアは私の言葉に振り向いた。
「ミァは……シャル姉たんもティガ姉ちゃんも、ローザお嬢様も無事なら、それでいいのャ。」
ちょっとだけ不安そうに、でも精一杯の笑顔でそう答える。
「そう。貴女がそういうなら、私もそれでいいわ。」
私は再び笑顔で答える。
そして再び振り返り、茶虎の猫人族をじっと見つめる。
「……貴女はそれでいいの?ティガ。」
すこしだけ、固い口調でそう問う。
「意地悪だぜ。セレナ。私にだけ……」
そう呟いて、凄く不満げな顔になるティガ。
ミアとローザが顔を上げて彼女を見る。
その顔は、とても不安そうだ。
だがシャルは静かな笑顔のまま、ティガを見つめた。
「ティガ。貴女の優しさがいつだって私たちに向けられていたことを私は知ってます。私が寝ている間、ずっと声を掛けていたことも知っていました。」
優しく諭す様な口調でシャルは話す。
「そして貴女が内に抱える思いは、貴女の物です。だから私はそれを否定しない。だけど、一つだけお願い。」
「……わかってるよ。誰も傷つけたりしない。それは約束する。」
「……うん。貴女がそういう優しい子だってことも私は知ってる。ありがとう、ティガ。私とミアを案じてくれて。」
「……あいよ。」
「ティガさん……私は……」
「ローザお嬢様。そもそもだ、あたしはあんたが悪いなんてこれっぽちも思ってないし、あんたの父親を心から憎んでるわけじゃねぇ。シャル姉が言ってる通り、あたしらは別に何も失ってねぇし、どこも傷ついてねぇ。それは全部元取りだ。セレナのお陰でな。」
ローザの言葉を遮るようにティガが捲し立てて喋る。
「でも……」
「そうだ。『でも』だ。あんたの父親は悪いことをした。人族のルールにおいてやっちゃならねぇことをしたんだ。その罪によってあの男が裁かれることについて、あんたはどう思ってんだよ。」
ローザの顔が悲痛に歪む。
ティガのいうことは正しい。
今回の件が表沙汰になれば、ボロスは間違いなく重罪人として裁かれる。全てが明かされた時にはまず間違いなく彼の組織は法的に解体され、当人は極刑すらありうる。
それは人族が取り決めた法に則った物であり、三人の意思は関係ない。
ティガはそのことを彼女に問いただしているのだ。
「……たとえ、今回の件で父の商会が瓦解し、父自身が極刑に処されようと。それは受け入れるべきことです。私もまたその範疇にあろうとも覚悟しており――」
「ちっげぇんだよなぁ!」
淡々と語るローザの言をティガが荒々しく遮った。
「それじゃあ、あんたを慕っているミアと!あんたたちを許したシャル姉の想いが無駄になっちまうんだよなぁ!」
ガシガシと頭を搔きながら、苛立つ素振りを隠そうともせずにティガが不満を露わにする。
シャルがふっと小さく笑う。
ミアがほっとしたように顔を綻ばせた。
ローザだけは意図を測りかねて困惑した表情だ。
「なー!セレナ!なんか良い手はねーかな!?これじゃ、あたしが我慢してもダメなんじゃねーかなって思うんだけどさぁ!」
手をわなわなさせながら私に向き直り、不器用に助けを求めてくるティガ。
ふ。
おもしれー女だ。
こういう生き方は、私好きだわ。
「そう。あんたはそういう考えなのね。難儀な性格してるわ。」
私は隠すことなく一笑に付しながら歩き出す。
「安心なさい。今回の件はうやむやにする気はないけれども、獣人族に対する罪状に関してはシャルの一存よ。私が治療したことで万事はうまく運ぶし、亜人保護法違反によるローザの父親の罪状は発生しえないわ。」
「でもお咎めなしってのは違くねぇか?ローザお嬢様の覚悟も無駄になるし、なにより今後のボロスのためにもなんねーぜ?」
「そうね。そこはある程度、彼女の父親にもお灸をすえる必要はあるわ。」
ゆっくりと歩きながら話す私をティガが苛立ち紛れに睨んでくる。
「あの……セレナ様……」
「ローザ、貴女の言いたいことはわかるけども。そのことは後でね。」
何か言いたげな彼女が口を挟もうとするが私はそれを一蹴する。
「じゃあセレナはきっちりボロスに代償を払わせるつもりなんだな?」
「そんなところね。」
「ならそれも良い。でもなぁー……でもなんだよなぁ…!」
「貴女の腹の虫がおさまらない?」
「そうなんだよなぁー!」
「面倒な性格ねぇ?」
「あたしは折り合いつけようとしてんだぜ!?」
「でも足りないって思ってるんでしょ?今回の件において諸々の代償が少なすぎる、そうことよね?」
「わかってんだけどよぉ、どうしても納得いかねーんだよ!」
ローザはおろおろと狼狽えてばかりだし、さっき安堵したミアもだんだん不安な顔に戻りつつある。
シャルはいつの間にかディダと一緒にお茶を啜ってる。
呑気なものだ。
リリスはとりあえず静観しつつ、スコーンを食べている。
どっから出た、そのスコーン。
誰由来の味覚のだ?
「つまりティガ、貴女たちは今回のことで失った物はないが、罪の代償については納得がいかない。そうね?」
「……そんな所だね。」
「そう……じゃあこういうのはどうかしら?……今回の件で『大いに成長出来た者がいること』に、ある程度の満足を得る。というのは?」
ゆっくり歩いてきた私はミアとローザの所まで移動してきた。
「成長……? 誰がだよ。」
「そりゃぁ……この子に決まってるわ。」
そう言って私はミアの後ろに立ち、彼女の頭をポンと叩く。
「うャ……。」
「……そのことについて異論はないけど。んな曖昧なモンを得たものとして評価すんのもどーかと思うぜ。」
ミアの手前、表立って否定するわけにもいかないティガだが、まだ食い下がってくる。
「あら。曖昧とはナメたものね?ティガ。」
「…あん?」
「この子、貴女を止める気でいたのよ。」
私はニッコリ笑顔でティガを見つめる。
「……は?」
対してティガの顔は面食らって固まってしまっている。
「ぎャ!」
一瞬で青ざめるミア。
「今回の件で、一番キレるとしたらティガだから。めんどうくさいけど、止められるように準備しておきたいって。ね。」
「せ、セレャ!それはナイショだって!ミァ言ったがャ!」
「ほう?」
ティガの顔がいい感じにピキッてる。
感心:怒りが3:7って感じだ。
ウケる。
「『いざとなったら!ミァがティガ姉を止めるのャ!』って言ってたわよ。」
「なんなんだがャ!その声!?ミァそんな声してないがャ!!」
「ほぉん??」
お、2:8。
「あら、あの子にそっくり。セレナは声真似もできるんですね。」
お母さんがほんわかと感心してる。
「似てますかね?ミアちゃんはもうちょっと高い音では?」
「似てますよー。舌っ足らずな所がそっくり。」
「可愛らしい聖女だこと。」
「あ、あの。皆様……?」
シャル、リリス、ディダ。揃って何穏やかに鑑賞楽しんでんだ……。
ローザが一人狼狽えて哀れだわ。
「そのためにミアの記憶からティガを再現して戦闘訓練までしたのよ?この子。凄く嬉しそうだったわ『ティガ姉がすっごいノロマだがャ!!』って。」
「イギャー!!ミァそんなこと言ってないがャー!!」
「ほおおおーーーん??」
んー、1:9。
「ティガ姉!ミァいってないのャ!!ミァは『思ってたよりもずっとノロくて余裕だったのャ』って言ったのだがャ!!」
「……よし。ミア。ツラ貸せ。久々にヤろうぜ。」
「……ぴぎャ。」
おー、最後はミア自ら。
0:10でフィニッシュ。
「じゃ。貴女達。姉妹仲良くドつき合いなさいな。」
「よーし。ミア。喜べ、手加減なしだ。」
ティガが凄くいい顔でこめかみに血管を浮かばせながら、拳をバキバキ鳴らしている。
さしずめ千尋の谷に我が子を叩き落とすバチギレパパ獅子って感じ。
「嫌だがヤアアアアアアア!!」
さぁ、特訓の成果。
お披露目だぁー。
「え……ボロスお咎めなし…?」
んなわけねーです
人はね、助かったと思った時に一番油断するんです
ふふふふふふふ。
楽しみだ。




