第二十七幕 「時の瞳」
匂い。
音。
景色。
触れ合う温もり。
「思い出。とっても大事な、記憶。」
最初は黒一色の世界だったと思う。
地に足つく感覚もなく、寝ている感触は背中になかった。浮遊感も圧迫感もなければ開放感もない。
何も無い世界。
ああ、死後の世界って在るんだ。
そんな事を思った。
随分と……何も無いんだな。って。
そんな事も感じた。
私は死後の世界を恐怖したことはなかったし、私たちの宗教観に死後の裁きのようなものはなかった。他の宗教にそういうものはあるって聞いたことはあっても、それが私たちに関係があるのかも興味なかった。
私は自分に罪があると思ってるから。
もしそうならば死後にその罪を裁かれるのかも?
くらいには思ったけど。
私にとって「今」が大事であり「過去」も「未来」もどうでも良かったはずだった。
そう言い聞かせていたはずだった。
あの日……旅で立ち寄ったシルバーハートの飯屋でティガやミアと、どの程度ここに滞在して稼ぎをどの程度蓄えようかとか、越冬の為にいい働き口があれば春先まで滞在しようか、とかそんな話をしていたと思う。
運ばれてきた料理で話が中断され、皆で仲良く食事を始めた。
私の記憶はそこまでだ。
次の瞬間、私の感覚は『膨大な過去』と『膨大な未来』に塗りつぶされた。
私の『眼』が暴走していることはすぐ理解した。
『先見の瞳』なんて呼ばれる『高貴なる白』の氏族が持つ未来視の能力。
通常であればこれは先を見通す予知眼として機能する。よっぽど高機能であってもおぼろげな未来を幾つか予想できる程度だ。
私の目は違う。
右目と左目で色の違う私には未来だけでなく過去も見ることがあった。
ただしそれはすごく中途半端な時間軸のこと。遠い未来も遥か彼方の過去も見ることはできない。
だから私は自分の息子を失うことを予見できなかったし。
ミアが過去にどんな不幸に見舞われたか知ることはできなかった。
なんの役にも立たない眼だと思っていた。
まぁ3人で旅をしながら生きていく上で役立つシーンは何度もあったけど、その程度のちょっと便利な眼だ。
そんな私の『眼』が見せた「誰かの過去と未来」「何かの過去と未来」「何処かの過去と未来」「世界の過去と未来」「何者かの過去と未来」「膨大な過去と未来」数え切れない過去と未来。
なぜ暴走したかはわからないし、食事していたはずの自分が直後にこうなった理由はわからない。
体験したことのない異様な状況。私は努めて冷静であろうとしたが、自分の感覚が曖昧になっていくのを理解した。
座っていた座席の感触、料理の味と匂い、見えていた二人の姿、食事処の内装、聞こえていた喧騒、二人の声、匂い。
全部がぐちゃぐちゃになってゆく。
忘れたりしたわけではないが、あまりに無秩序で無制限の情報が流れ込んでくるせいで圧倒されてしまい、記憶が曖昧になる。
暴走する『眼』をなんとかしようと制御するも無駄だった。
仕方なく私はその膨大な情報をなんとか理解しようとすることにした。これが『眼』の権能によりもたらされた物であるならば、私たちにとって重要かもしれない。
なぜこんな事が起きたかも識ることができるかもしれない。
そのように考えたからだ。
まぁ結果としてそれは無意味だったけども。
幾度となく繰り返され様々な場所と誰かの目線で知らされる膨大な過去と未来は「とある一つの事象」を示唆していた。
「世界の崩壊、その繰り返し」
見たこともない世界と社会が見たこともない文明を発展させ、見たこともない衣装や見たこともない道具をもって見たこともない生活をしている。
やがて見たこともないような恐ろしい兵器によって見るも無惨な結末を迎え滅んでゆく。
私が知るどんなにすごい魔術よりも苛烈な事象。
一つの兵器が一瞬で数十万の命を消し飛ばす。
たった一つの船が放つ光が星を一撃で粉々にする。
獰猛な悪意が人々を狂わせて化け物へと変容させ地獄を作る。
世界を滅ぼそうとする者が指の一振りで大地をえぐり飛ばす。
見えない何かに身体を蝕まれ、次々と世界中の人が死んでゆく。
正義に狂った大勢が、脇目もふらずに凶行に走る。
絶望に沈んだ大勢が、己の命をも省みず復讐へ邁進する。
何処の世界のいつの時代のことかもわからない。
見たこともない『世界』がそこにはあった。
これが私たちの知る世界の過去か未来かもわからない。
そんな膨大な量の『世界』をみていた。
その非現実的な景色は私を狂わすことはなかったが。
陰鬱な気持ちにさせるには充分だった。
やがていろんな世界の滅びを見ている内に、一つの事に気付く。
時折感じる懐かしい気配。
ひどく悲しげで、不安げな声。
陰惨な世界の終わりの節目節目、いっとき訪れる静寂の時に。
ティガとミアの声と匂い。
私はそれに気付いた瞬間に信じられないほどの不安に襲われ、それと同時に希望を感じた。
もう何日間こうしているかわからないけども、確かにまだ私は生きていて、まだ二人が私のそばにいるかと思ったからだ。
だから諦めずに『膨大な過去と未来』に耐え続けた。
何時間なのか、何日なのか、もしかしたら何年もかもしれない。
構わず私は耐え続けた。
……だが、その事象の洪水も止まってしまった。
そして同時に、初めて何も感じない暗闇が訪れた。
ああ……私は死んだんだな。
そう思った。
地に足つく感覚もなく、寝ている感触は背中になかった。浮遊感も圧迫感もなければ開放感もない。
何もない世界。
死後の世界があってこんなだとは意外だった。
わりと心安らぐのだ。
まぁついさっきまで膨大な量の世界の終わりを見ていたせいもあると思う。
アレに比べれば無すら優しく感じる。
遺した二人の事は気がかりだが……いつか訪れる時が今だっただけ。
二人も助け合いながらこれからも生きて欲しい。
そんな無責任な事を考えた。
さて、私はこの先はどうなるのだろう。
ずっとこのままかな?
それは流石に狂うかもな。
なんて考えが頭をよぎった瞬間。
肌に何かが触れた。
すぐ理解した。
だって
愛しい二人の懐かしい香りと声がしたから。
愛しい二人の懐かしい感触がしたから。
だが何も見えない。
そこにそれがあると感じた。
もう一度会えるの?
僅かな希望にすがろうとした。
だがそれも、ほんの一瞬だった。
次の瞬間、私は奇妙な場所に居た。
白い大理石のような巨大な柱。
継ぎ目のない大理石の床材。見たこともない植物が生い茂る庭園、水音。不思議な滝。天までそびえる無限。雲海と星たち。大きな月。
随分と……綺麗で、不思議な所だ。
風も感じず……匂いがしない。
生き物の気配もない。
何かに呼ばれた気がして、ふとそちらを見る。
柱が立ち並ぶ先に石畳の道が続いている。
こちらに来いということかしら?
夢見心地で道を歩くと、庭園の緑が途切れて道だけになる。
道の先には同じ石材の建物。なんて呼ぶかは知らないけども、人族の貴族が庭園にもってそうなアレ。
建物の中にテーブルと椅子があり女性が座っている。
綺麗な人。
何故か私はそのまま歩き続け、そこに向かった。
建物にたどり着き、石段を上がり、席に腰掛ける。
席の真正面にいる金髪の綺麗な女性。
「お疲れ様。お茶でもどうぞ。めしあがれ。」
「あの……」
「大丈夫よ、ぬるくしてあるから。貴女の舌でも平気。」
「そうではなく……ここは……?」
「待ち合わせ場所よ。貴女を迎えに来るから、お茶でも飲んで待ってなさいな。そんなにはかからないわ。」
「はぁ……。」
柔らかな笑顔で淡々と答えてくる女性。
「あの、えっと。シャル・ペーテルシアンと申します。」
「あら、ご丁寧にどうも。私はディダと言います。」
「あの、ディダ様。ここは……いえ、私はいったい?」
「安心して。死んだりしてないわ。ちょっと問題に巻き込まれて寝ていただけ。それも聖女が解決し従者が皆を連れてくるわ。」
「……はい……」
だめだ、わからない。
寝ていたってことはアレは夢?
あんな実体感の伴う世界の滅びの数々が??
いや、夢や幻覚のほうが私としてはありがたいが、『眼』が見せたものだというのは感覚的に確信が持てる。
「貴女が見た世界の事。無闇に喋らないほうが良いわよ。狂人扱いされるのが関の山だから。」
あれ。
この人私の考えてることが解る?
『サトリ』の手合か??
「どうしても話したかったら、これから来る聖女と従者に相談なさい。彼女達ならなんとかするわ。」
「あの……あの世界は……私が見たものはいったい……。」
「それについて私の口から語ることはないわ。言った通り、聖女と従者に相談してちょうだい。」
吐き捨てるでもなく、突き放すでもなく、柔らかな笑顔で淡々とそう告げるディダという……なんだろうこれ。女神?
「…はい。」
私はそう答えるしかなかった。
所在なく手を彷徨わせ、ふとテーブルの上のカップに目が留まる。
仕方なくお茶を一口すする。
なんか、数年ぶりに何かを口にしたような感触に思わず顔が綻ぶ。
「美味しいです。」
「それは何よりね。目覚めたら一杯ご飯食べて元気になりなさい。」
「あの……えっと。はい。」
普段、あの二人のまとめ役としていろいろ仕切っているのに、なんだかこの人の前だと調子が出ない。これがカリスマってやつだろうか。
そんな事を考えながら、お茶の香りと味を楽しむ。
なんとなくだけど、もう安心なのかもって思った。
それだけで随分と気が楽だ。
その時。
私の正面から風が吹いた。
真正面に座る女神から私の方へ。
建物を通り抜け二人を通り抜け、私の背後に続く道へと向けて。
優しい風が通り抜けた。
背後から懐かしい声がする。
なぜ夢見で味の情報が!?
鋭いね。
ディダはリリスの権能を間借りできる。
つまりリリスの知覚を流用できる。
つまりシャルとリリスは疑似べろty
……やめとこ。
真面目なシーンだったわここ。




