第二十三幕 「ロビーにて」
ぬれてにあわ。
良いことの様に聞くけど、あれって取るのも大変でさ。
しかもいらんモンまでくっついてくるのも有る。
世の中良いことだけじゃないってこと。
「だからこそ、いついかなる時も油断せずしっかりと周りを見るのだ。」
宿泊施設『白銀の安らぎ』の支配人はこっそりとバレないようにため息をついた。
時間は深夜3:30を過ぎたところ。
いま、宿泊施設の受付ロビーは突然の事態に慌ただしくなっている。
治安管理局の者達が複数名乗り込んできたうえに、獣人族を引き連れたうえ獣人族の病人を乗せた担架も運び込むというのだ。
急にもほどがある。
普段から治安管理局の臨時拠点として扱われる秘匿契約のことがあるため、大概のことには応じる準備が整っているのだが……深夜もすでに過ぎ、そろそろ早朝に向けての頃だというのに……管理局はいつもながら大変な思いをさせてくれる。
二二〇三号室に宿泊している二名が政府関係者だとは察していたが、まさか治安管理局の上級管理官だとは思わなかった。
いつもの『政府承認済み特別徴用許可書』を渡されたときは、おもわず少々げんなりしてしまった。
あんなにいっぱい人がなだれ込んできて、これが出されたということは、間違いなく「これから色々と大変なことが起きる」からだ。
まぁこれがあれば本件によって発生する費用は、経費込みで全額請求分が政府から支払われる。余剰追加請求分も通るからいいけども。
そんなことより、いま重要なのは。
二二〇四号室に宿泊した三名が本件の関係者であり、そしてその一人が……あの『聖女セレナ・ルミナリス様』だということだ。
このことが判明した時は従業員一同を緊急招集したほどだ。
何が起きてるのかさっぱりだが、何が起きても対応できるようにしなければ。いずれにせよこれに十全に対応できれば当施設の名声は他店の追従を許さない輝かしい物となり。叩き起こした従業員にも特別手当ががっぽり出せる。店も丸儲けだ。
濡れ手に粟って奴だ。
頑張らねば。
そんなことを考えている宿泊施設の自分の横で、聖女様の従者が慌ただしく、従業員たちに指示を出している。
でっかいな、この人。
色々と。
背とか、太ももとか、……オホン。
「はい、そうです。たっぷりのお湯とシーツとタオル。洗濯物をまとめておく籠もお願いします。え、料理のメニューですか?あー、えっと消化の良くて栄養たっぷりでー、すぐに用意できるものがいいです。シンプルな肉料理とかチーズとか乳製品をつかった料理とか!あ、パンはみっしりと詰まった甘いヤツが良いです!……はい!とにかく10人前以上です、20人前は……多分大丈夫ですけども……いや、一応10人前を優先して20人前の方も準備までしておいてください、必要であれば追加注文します。」
二二〇三号室の2名に、二二〇四号室の3名、運び込まれた一名と付き添いの一名、管理官4名で合計10名。
ということだろう。
まぁ全員分としてもちょっと多すぎる注文だと思うけど。
ていうか追加も10人前かよ。
大食い多すぎない?
支配人と料理人と管理人は全員同じ疑問を考えつつも従者の声に耳を傾けている。
ルームメイドやら女給やらは駆けまわり、料理人やら管理人はメモを取りながら彼女の指示に質問を返したりする。
「料理が出来たら二二〇四号室の入り口に待機させておいてください。あっ!そうだ、鍋!でっかい寸胴鍋!それも一つ欲しいです!」
鍋?そんなの何に使うんだ??
みたいな反応をする関係者たち。
それでも聖女の従者リリィはお構いなしに話を進めている。
こういう時は先方のいう事にしたがっておけばいいのだよ。
「施術中は絶対に部屋に入らないでくださいね!聖女様の治療には色々と作法や手順があって、他者の介入は患者にとって危険です!よいですか?」
なかなかの剣幕でまくしたてる彼女に、関係者たちは疑問を引っ込めて頷くしかない。
「じゃあよろしくお願いしますね!何かあっても此方からドアを開けない限りは待機で願います、呼んでいただければ出ますので!」
そういって彼女は忙しく階段を駆け上がろうとする。
「あ!」
声を上げて立ち止まる銀髪の女性。
「忘れてました!塩と水!一応、準備しておいてください!!大き目のポットか飲料用水差しと調味料用の塩はー……小さいツボくらいの量で!」
それだけ言うと彼女は階段を駆け上り、二階廊下の奥へと消えてゆく。
塩?…と水?
塩水じゃなくて?
聖別して破邪の儀式にでもつかうのかな?
聖灰じゃなくて??わからん……
従業員一同は各々疑問を浮かべつつも行動に移す。
誰も文句は言わない。
何せ政府所属治安管理局と救国の英雄『救済の聖女』様のお達しだ。
今日は仕事上がりにうまい飯と酒にありつける。
支配人を含めた従業員一同、真剣に作業に取り組みながらも頭の中ではそんなことを考えている。
ふと支配人は、ロビーの片隅にこちらを見つめている人影に気付く。
目立たない服装で顔はローブで隠れている。
ああ……情報屋の連中か。
こいつらの相手もせにゃなるまい……何せ聖女がらみだ。
喉から手が出るほどに情報を欲してるのだろう。
……さて、諸々を明かすべきか明かすべからずか。
これは当施設の信用と、明日に関わる問題だ。
まぁ、答えは決まってるが。ね。
そう考えながら支配人は「フン!」と鼻息一つ。
腕を捲りあげ、胸を張りながら。
ロビーの片隅にいる人物へと歩み寄っていった。
同時刻ころ、二二〇四号室内にて。
支度をしている私を目の前に、ティガとローザが待ちぼうけを喰らっている。ふたりとも所在なさげで周りをきょろきょろしながら落ち着かない様子だ。
「ティガさん……これから一体なにが始まるのでしょうか……。」
「さぁ……あたしもなんもわかんないんです……たぶん姉の治療をしてくれるんだろうとは思ってるんですが……ローザお嬢様は何も聞いてないんですか?」
こそこそと控えめな声で会話している二人。
私を気遣ってか、聞かせないようにか。妙な気遣いをしているようだが丸聞こえだ。
「いえ、私もミア様の調査協力の為に自ら付いてきただけでして……てっきりすぐに取り調べが始まる者かと思ってたら、ここで待つように言われてしまいまして……困惑しております。」
「えっ、ミアの調査??」
「はい、まだ見つかってないのが心配で……私が話したことや知ってることが何かの役に立つんじゃないかって……」
「え、えっ?だって、ミアは……」
あ、そこら辺の説明がまだだったわ。
あぶね。
「そのことについては私が説明するわね。」
私は着替えを中断し、聖女モードをやめて素の口調で語り掛ける。
二人が「あれ?」みたいな顔をしてこちらに注目する。
「ローザ、騙し討ちみたいなことになったけどゴメンね。とある事情でミアの存在を貴女の父君に知られたくなかったの。理由については後で説明するわ。ミアは隣の部屋で待機中、私のツレがこの後すぐ連れてくる手はずになってるから待ってて。」
「……はい…?」
ポカーンとしているローザ。
もう何がなんやら。って感じだ。
ティガはスンスンと鼻を鳴らして部屋の匂いを嗅いでいる。そして、隣の部屋の方をみて小首を傾げる。
さしずめ「だってミアの新しい匂いがこの部屋からするよね??つい数時間前までいたようだけど……隣にいるのはちょっとわかんなかった。」と、いったところだろう。
確信と疑問とほんの少しの不安と期待。って感じだ。
『対の指環』の効果で、現時点でこの部屋は結界化されている。
指環をしていない二人にとって、今は恐ろしい程静かなだけの部屋だ。室内にある時計の音くらいしか聞こえてないはず。
そのせいもあって二人はやけにそわそわして落ち着かない。
「ふぅ。」
『理力』も『纏燐』も使わずにゆったりと着替え終えた私は、ようやく一呼吸おけたと言わんばかりにため息をついてみせた。
ちなみに時間稼ぎの意味も込めてのこと。
「さて、じゃこれからのことを説明しておくわね。」
私は施術用に選んだ楽な着こなしの部屋着を翻しながら、再度二人へと向き直る。
「あ、はい。おねがいします!」
「あの、聖女様……その、差支えなければお答え頂きたく……。」
待ってましたと言わんばかりのティガと、目が点になったままのローザ。
対照的で面白い。
「私の口調のことなら気にしないで。これが私の素よ。聖女としての振る舞いでずっと喋ってたらめんどくさすぎて眠くなっちゃうもの。」
細かいことは気にならないティガと、礼節を気にして緊張しっぱなしのローザ。
まさに正反対の二人だね。
「……」
「あたしはこっちの聖女様の方が好きだな。」
やはり呆然とするローザと、ちょっと嬉しそうなティガ。
早くも状況への適応速度に差が出てる。
「セレナでいいわよ。聖女様とかはお出かけ用の私に向けて言ってくれる?私としてはもっと気軽に接して欲しいの。いいかしら?」
「あい!」
「……はい。」
「ありがと。じゃぁ説明するわね。これから行うのはまずはシャルの治療ね。私の能力……俗にいう『女神の奇跡』と呼ばれる治癒能力を用いてシャルを治すの。今連れのリリスが色々と手配しているから、準備が整うまで少し待ってね。」
姉の治療からと言われて、ティガの表情がパァっと明るくなる。
ローザも心底ほっとして胸を撫でおろしている。
……はぁん、なるほど。
そういうことだったのか。
話している間のローザの心音と呼吸を聞いていた私は妙に腑に落ちてしまう。疑問の幾つかが氷解した。
「ね、ローザ。」
「は、はい!」
唐突に自分が呼ばれて跳ね上がるローザ。
「そんなにかしこまらないでくれるかしら……。まぁいいわ。ちょっと聞きたいのだけど、貴女はミアに聖女の話をした?」
「え、あ……はい。王都からの御触れで『救済の聖女』の噂で街が持ちきりだって話を家の者が話していたので……もしかしたら聖女様ならシャルさんの病を治せるんじゃないかって。そんなことをミアさんに……。」
うん。やっぱりだ。
ミアが私のことを知っていたのはローザが家人たちの噂話を聞いて、そこから彼女を通してミアに伝わった。
多分容姿とかに関しても話題の内容にあったのだろう。
「ふふっ。」
私は思わず笑ってしまう。
やっぱり彼女は我侭な箱入り娘なんかじゃない。
大好きなミアを気遣い、そのミアの大切な家族の事を気遣える子だ。たとえ再び自分が孤独になろうとも。ミアの幸せを願ってシャルの回復を心から願っているんだ。
あの脂デブの娘とは思えない程、心の底から他人を思える素敵な心の持ち主。まぁ、ちょっと世間知らずな所はあるかもだけど……
在り来たりな我侭お嬢様なんて想像していた自分が恥ずかしいくらいだ。
「あの……私、何かご無礼を……?」
いまだ理解の及んでないローザは戦々恐々といった具合。
「いいえ、何にも。ちょっと色々考えていてね。貴女に不満なんて一切ないからそんなに縮こまらなくていいわ。ていうか口調。」
「あ……は、はい。すみません。」
「じゃー、ローザお嬢様がミアに教えてくれて……ミアがセレナを連れてきてくれたってことになんのか?」
何かを考えるような仕草をしていたティガが口を開く。
おう、さすが獣人族。
秒で距離が縮まった。
いいね。
「そうなるわね。お手柄よ、ローザ。貴女の何気ない言動が、ミアに行動を起こさせた。そして今があり、おかげでシャルは助かるわ。」
ローザの顔が驚きに染まり、ティガは満面の笑顔になる。
「ありがとう!ローザお嬢様!!」
ティガはそういって隣に座っていたローザに抱きついた。
「ひゃ!」
予想だにしていなかった行動に思わず悲鳴を上げるローザ。
「うぁ、ご、ごめんなさい。あたし、嬉しくて……」
彼女の反応に、慌てて身を引くティガ。
可愛い妹分の命を救ったのは隣の人物だ、と言われれば思わず抱き付いたって仕方のないことだろう。当の本人がぜんぜん実感がないこともあるが驚くのも当然といえば当然だ。
「あ、ううん。大丈夫です。ちょっと驚いただけ……私も実感が全然ないので……。聖女様にそんなこと仰られても……そんな、私はちょっと話しただけですし……。」
「えへへ、よかった。ごめんね。」
照れ笑いするティガ。
何やらいたずらガキっぽい雰囲気あるね、この子。
「ねぇ、ローザ。口調。」
とりあえず私は頬杖ついてすねるような仕草をしてみる。
ローザとは信頼関係を築いておきたい。
無理やりにでも。
「あ。す、すみません。ついクセで……。」
ローザが顔を赤らめて俯いてしまった。
「ローザお嬢様はいーっつもそんな感じだもんな。あたしも礼節は姉にいろいろとたたっこまれたからわかってるけどさ、堅っ苦しくてニガテだった!」
からから笑いながらティガがローザを励ますように覗き込むティガ。
うーん、良い性格してんね。
「ティガさん……笑わないでください……それに、まだシャルさんが助かったわけではないのですから……!」
気恥ずかしさの中に、まだ安心できないという不安を残したままのローザ。
彼女は自分の不安をぶちまけるかのようにティガを戒める。
おや、現実主義者。
「まぁ……そりゃ、そうだけども。でも……」
「でもって…!不安じゃないんですか?あんなに重体のシャルさんがそんな簡単に治るだなんて……あまり楽観的になったら……!」
「ほら、ローザ。あんまり興奮しないで。」
疲労と心労が積み重なった彼女の顔。眠れない程の不安と焦燥感は彼女の精神を苛む。
「!……も、申し訳ありません!決して聖女様のお力を疑っているわけではなく!!……あの、私は安心するには、ま、まだ早いのではと……!」
自分の言動の無礼さに気付いた彼女が驚き狼狽える。
隈のある目元は歪み視線が泳ぎ、呼吸が乱れてしまう。
まぁ……言ってしまえばローザにとって私は、ぽっと湧いて出た聖女でしかない。
今の心身の疲弊により情緒不安定な彼女にとって……伝聞や噂話を聞いた程度の存在だ。その聖女がいるからといって手放しに信用と安心を得られるかといえば、そういうわけにもいかないのだろう。
「ま、ローザの言わんとすることはわかるわ。」
そういって私は立ち上がり、部屋に備え付けられた化粧台へと向かう。
そして、そこに置いてある手鏡を持ち出す。
「これで自分の顔をみてみなさい。」
そういってローザに手鏡を渡す。
「……酷い顔です。」
鏡に映った瞬間の自分をみて顔をしかめるローザ。
決して薄くない目の隈、不安に怯え歪んだ眉。乾いてしょぼくれた目。
荒れつつある肌や唇。
ミアが彼女の元を離れてから二日と経っていない。
だが彼女をみれば心身の疲弊がいかほどか良くわかる。
そしてこれはローザがミアのことをどれほど心配しているかの証明でもあるんだろう。
「はい。じゃ、目を瞑ってねー。」
私はそう言いながら彼女の隣に立つ。
「あの、いったい……」
何が起きるのか理解できず狼狽えるローザ。
「あー、なるほど。ローザお嬢様、大丈夫だから目を瞑って。」
ティガがいたずらっぽい笑顔でローザを促している。
どうやら私のやりたいことを察したようだ。彼女もついさっき体験したからピンときたのだろう。
「は、はい。」
ローザがおずおずと目を瞑ったのを確認した私は、彼女の目の前に手をかざして理力を行使する。
代謝を高めて局所的に休息をとったのと同等の効果を彼女の顔に施す。
「はい。もういいよ、目を開けて鏡でもう一度見てみて。」
そう言われて目を開け、手鏡を覗き込んだローザの目が驚きで丸くなる。
心身の疲労がありありと現れていた顔が、さっぱりとした表情になっている。
「部分的な治療だから、身体の方は十分な睡眠と休息と同等ってわけじゃないけどね。私の治療は人の自然治癒能力を意図的に高めることで行われるの。シャルも同じよ。人体が持つ本来の生命力を急速に高めさせて治癒するから、病気が進行するよりも早く、患者の体にある毒素や患部を身体の外に出しちゃえば病気も治せるの。」
目をパチクリさせながら自分の顔を見つめたままのローザ。
おー。と感心した表情のティガ。
「私もさっきセレナに治してもらったんだ。……泣き腫らした目とか、鼻水で詰まった鼻とか。ほんの1~2秒でだよ?凄いよね。」
そう言って再びローザを覗き込みながらティガがフォローしてくれる。
「確かに、シャル姉さんのことは心配だけど……なんとなく、セレナはウソついてないって判るんだ。だから、任せてみようって思ってる。」
彼女を安心させようと、あるいは自分に言い聞かせようとしながら。ティガは頷きながらそう言った。
「どうかしら、少しは納得してもらえたかしら?」
私はなるべく柔らかい笑顔を意識してローザに問いかける。
「ね?きっと、だいじょうぶ。」
再びティガがローザを覗き込み、諭すように語りかける。
「はい……わかり、ました。」
小さく頷きながら彼女も答えた。
確信を得たわけじゃないだろうけど、今ので落ち着くことはできたのだろう。ローザをみてティガは嬉しそうに笑った。
ま、これで多少は信じてくれるでしょ。信用も得ないうちから、これからやることを見せて卒倒されても困るからね。
何事も順序が大事。ってね!
経営って大変だよね。
宿泊施設なんて特にそうじゃない?
「いろんなお客様」がいるからね。
経営リスクと要客リスク、何事もバランスだよねぇ
ん?時事ネタではないよ。
「常にそう有るべき」だよ。




