第二十二幕 「安堵と覚悟」
疑ってはならない。何が有ろうと。絶対。
あの人は私の大切な家族。
失望してはならない。何が有ろうと。絶対。
あの人は私の唯一の肉親。
「お願いします、女神様。どうか、救いの手を……!」
『セレナ。きこえますか?』
シャルとティガを連れて幽閉されていた部屋を出ようとした、その時。
リリスからの思念通話が届く。
明るく弾んだ思念。
『聞こえるわ。証拠の方はどうかしら?』
彼女の思念の雰囲気から聞かずとも判る。
だが聞いてあげるべきだよね。
『ばっちりです!保存場所も盗難対策も問題なく対処できました!きっちりと証拠を確認できましたし。ノウズさんとイエスタさんも証拠の複写と複製もしっかり終えたみたいです。今、魔具か何かでルーカスさんとエミリアさんに報告してませんか?』
予想通り、嬉々として饒舌な思念を送りつけてくるリリス。
私がローム兄妹へと視線をむけると、二人が携帯型魔導通信用の魔具へと意識を傾けている所だった。二人とも私を一瞥すると、良い顔で力強く頷いて見せる。
うん、バッチリだね。
『二人とも確認できたみたいね。これで主目標は全てクリアよ。』
『はい!……それで、あの。』
急に思念の調子が落ちる。
『どうかしたの?問題発生かしら?』
深刻ではなさそうなものの、いいづらそうな雰囲気。
『ミアちゃんが二人のことが心配で気が気じゃないっていうか。さっきから懇願するように私を見つめてきてて……正直、辛いです。』
ありゃま。
そりゃまぁ、二人の無事を一番心配してるのはミアだ。
当然っちゃ当然だ。
だが、ここでミアの存在を連中にバラしたくない。
『わかった。先に馬車で待ってて、なるべく早く戻るようにするから。』
『はい、お願いします。』
やや切なそうな思念を最後に会話が途切れた。
おそらくリリス達は、まだ2階の執務室だ。
そしてそのだいたい真下がこの部屋。
自分の仕事場のすぐ下に『誰かを閉じ込める部屋』があるのは趣味が悪い。
秘密の直通階段とかありそうだよね。
きんも。
まぁおかげで5mの範囲に届いたのだけども。
「セレナ様、この薬品は……」
ルーカスがベッド脇の薬瓶に視線を落としてる。
「はい。おそらくシャル様に使われていた物かと。そうですね?ティガ様。」
私は不安そうに佇んでいる彼女に問いかけた。
「あ、はい。ボロス様に言われて……姉が発作を起こしたら与えておくようにと……」
答える彼女は「何故そんなことを?」といった腑に落ちない表情だ。
そりゃそうだ、ルーカスの顔は険しく怒りに満ちている。
私だって似たような顔だろう。
治療薬の確認をする顔じゃない。
彼女にとっては姉を救うはずの高価な薬。
私たちにとっては彼女を殺しかねない下劣な薬。
ティガはこれが麻薬入りの毒物だとはしらない。
そして今はそれを教えられない。教えたら何がどうなるかわかりゃしない。
「一部を証拠と見本として持ち帰れますか?瓶そのものはここへ残しておいておきたいです。その上で服用させていた証拠としてここにあったことも記録したいのですが。彼に勘違いをさせておけるかと。」
「なるほど、問題ないです。」
「名案ですね、我々にお任せを。」
そう言ってルーカスとエミリアは再びバングル型魔導具を起動させる。
取り出した小さな細い瓶に薬液を採取し、見慣れぬ魔導具で状況を記録する二人。
キン。という小さくて甲高い音と共に部屋が一瞬だけ照らされる。
それを色んな方向から繰り返すエミリア。
これはアレだな。
グリーンリーフ大森林の違法ゴミ捨て場を調査していた時、ヴァルド隊長率いる特務部隊が使っていたのと同じ魔導具。前も記録装置だろうなぁくらいにしか思ってなかったけど……一瞬光るのは……たぶん暗い所ではちゃんと記録できないとか、はっきりと対象を写し取るため。
つまりコレは一瞬で情景を切り取って記録するような魔導具なんだろう。
便利な魔導具だ。
ちょっと欲しいかも。
あとでルーカスにきいてみよ。
「証拠の確保、保存完了です。」
「こちらも。記録完了。」
「承知いたしました。ティガ様、私の後ろについて歩いてください。お二人には先頭と殿をお願いしたく。」
「私が先頭を。エルディア、後ろは任せる。」
「では私が殿ですね。担架の運搬も私が、警戒と同時に行っても問題ありません。セレナ様とティガ様はルークリウスの後ろに続いてください。」
流れるような意思疎通により撤退の陣形が決められる。
まさかボロス関係者が襲ってくることはないと思うが。
万が一に備えて警戒しているのだろう。
私も理力と魔力による周辺警戒は怠らない。
「では。」
そういってルーカスは歩き出し部屋を出る。
彼に続いて皆一様に縦並びに動きだす。
これで要救助対象の保護、証拠の秘匿確保が完了だ。
万事つつがなく。最良の状態で事態は進んでいる。
あとはボロス側が自棄を起こしたりしない限りは問題ない。
廊下を歩きロビーを目指す。
すでに集められたボロスと家人たちの気配を私の知覚が捉える。
うん、変に浮足立ったような気配もない。
ただ、事情を知っている一部の人物は絶望に打ちひしがれているようだが。
せいぜい肝を冷やすといい。
我々がロビーに到着するのに合わせて2階からも2名の隊員が下りてくる。
たぶんノウズって方の隊員が合流したルーカスに短く耳打ちする。
(証拠の確保、執務室および裏帳簿秘匿金庫の原状回復は問題ありません。ただ、問題にならない要素で一点不明なこともありました。後ほど。)
ルーカスは彼の言葉に小さく頷いた。
なんだろ?問題にならない不明な要素って。
私の強化された聴覚が拾い上げた彼の発言に、少々嫌な予感を覚えるが……まぁ、今は考えても仕方がない。
「各々、傾注ねがおう!」
ルーカスが声を張り上げた。
ロビーに集められていた邸内の人たちの視線が彼に集中する。
「夜半遅くへの調査協力を感謝する。情報通り、重体の猫人族一名を確認した。彼女は我々で保護し治療することとなる。同時に付き添いの彼女もだ!」
家人の何名かがざわつく。
その様子は、どちらかというと安堵とか不安からの解放によるもの。
ごく一部の者だけが苦そうな顔をしている。
とうぜんボロスもだ。
「情報によると、もう一名の猫人族の少女が居ることになっているが。邸内には発見されなかった。何か情報があれば今のうちに正直に伝えて欲しいのだが?」
ルーカスが待機中の一同を睥睨しながら訪ねる。
「そ、それについては当家でも調査中でして……理由は不明ですが、彼女が当家から、とうぼ……いえ、外出したまま戻っておらず。家人からの情報を集めている所でございまして……」
ボロスがあたふたと取り繕う。
滑稽。
「そうか。何かわかり次第、管理局まで報せよ。必ずだ。当局でも情報を集め調査を進めることとする。良いな?」
「は、はい……。あ、あの……それで当家への処分の沙汰は……?」
もはや神に縋る思いといった具合に、血の気の失せた表情と脂汗まみれになりながら奴がルーカスに問いかけた。
脂ののった白金魚。
好事家が高く買いそう。
「処分の沙汰?どういうことだ?当局は重体の亜人族が当邸宅に保護されているとの情報を得て急遽対応しに来たまでだ。亜人保護法違反に関する調査については、貴殿らの正当性を確認するための……いわば通常業務だ。それについても執務室にある業務記録によって問題がないことが確認されている。」
ルーカスが不思議そうな顔をして答えた。
うーん、役者。
「はっ……?」
呼吸を忘れてポカーンとしてしまう脂白金魚。
「カスーリ商会の業務実績、収支記録と決算内容において。当局が把握している情報と照らし合わせても不審な点は見受けられず。不当な雇い入れと不審な点は見受けられなかった。よって当局は重体の亜人保護、および行方不明の一名を捜査のみに任務が移行される。詳しくは特務権限により複写した資料を持ち帰り精査するが。現場担当の概略調査においても問題はなかった。」
「……」
まだ呼吸ができていない魚。
良い反応だ。
そりゃそうだ、己らの悪事が日の下にさらされ、商会ともども裁きの炎に焼き尽くされ、自分たちは断頭台に上る順番くらいしか選べない。
そんな思いだったのだろうから。
そんな絶望に打ちひしがれていたら。
「どったの?病人助けにきただけよ??商会も優秀だよ?帳簿もみたけど問題なかったよ??」
って言われてんだから。
「付き添いの方から高額な霊薬の提供についても聞いた。その代金補填については後日別の担当官を寄越して、当局による補償対象とする。その時に代金と物品の確認を行うので……まぁ二日後以降になるだろう、それまで待っていて欲しい。なので、霊薬の瓶はベッド脇のテーブルに置きっぱなしだ。問題あるか?」
「ひっ、あっ。いえ、問題ございません。おっ、お気遣いいただき……あ、ありがとうございます。」
掠れ切った声でボロスが答える。
やっと事態を飲み込めたか。
彼はようやく呼吸を再開し、悲壮感に染まった顔に光が差す。
執事や、一部の家人も同様の様子。
『九死に一生、首の皮一枚で助かった。』
各々の反応はそんな感じだ。
実際は違うんだけどね。
もう君らの悪事の証拠は全て押さえ終わってんの。
後々それは裁きに用いられる。
今ではないだけだ。
せいぜい偽りの安寧を過ごすがいい。
私は聖女の仮面でにこやかに場を見守りつつ、そんなことを考えつつロビーに集まった一同を見ていた。
ふと、その時。
一人の女性が私を必死に見つめていることに気付く。
ボロスの娘、ローザだ。
年のころは二十代前半。
平均的な身長だが端正で女性らしい体つき。
上品に手入れされているであろうロールした長い髪は綺麗な薄茶色。
理性的で知性的な強い光のある琥珀色の眼差し。しかし疲労と心労によりくたびれた表情。目の下にはうっすらと隈ができている。
服装は上等な寝間着の上に上品なナイトガウンを羽織っていた。
夢見の時に彼女の容姿を見た時も思ったけど、商人の一人娘というより、どこぞの貴族って感じ。ひたすらにボロスの娘とは思えない、気品ある佇まいを醸し出している娘だ。
そんな彼女が私と目が合ったことに気付くと、何かを訴えかけるかのように必死な様子になる。
逡巡、迷いと必死の願い。そんな雰囲気を纏っているのだ。
ミアのことでいろいろと聞きたいのかな?
さて、どうしたものか……
そう思っていた矢先、覚悟を決めたかのようにキッと強く眉を結んだ彼女が口を開いた。
「あのっ、申し訳ありません!ボロスの娘、ローザと申します!行方不明の猫人族の調査について、私も協力させてくださいませ!」
不安げに震える声。だが確固たる意志を籠めた強い気迫。
必死に思いを伝えようとする彼女が声を荒げて我々に訴えかけた。
ボロスが驚愕に染まった顔で娘の方へとふりかえる。
周りの家人たちも同様だ。
「ミアが居なくなる直前まで……ずっと一緒にいたのは私でございます!彼女が居なくなったとするならば……何かを考えて行動したとするならば私との交流に関する情報も十二分に調査に値するかと思います!ぜひ協力させてくださいまし!!」
「ろ、ローザ!何を言い出すのだ!!お前が疑われる必要などない!すべて管理局にお任せしてお前はまっていろ!!」
「いいえ!お父様!私も行かせてください!ミアがどこかで一人ぼっちでいるのであれば一刻も早く助け出してあげなければ!!彼女が哀れでなりません!!私の情報がその助けになるのであれば、私は管理局の皆さまのお力になりとうございます!!」
「し、しかしだな……」
「お父様……私を気遣い、心配してミアのことを隠していらしたのですよね……?そのお心遣い、本当にうれしく思います……でも、私もあの子のことが心配なのです……あんなに可愛らしくて、大人しい子が……今たった一人で怯えているかもしれないなんて……私はそれだけで心が引き裂かれそうなんです!!どうか……どうか!私を連れて行ってくださいまし!!」
おお……凄い気迫だ。
ローザが何かを訴えかけてくることは予想していたが。
この方向性と必死さはわりと想定外。
ミアの記憶で覗いたローザの部屋のことを思い出す。
彼女と彼女の私室を見た時の第一印象としては、ほんとただの箱入り娘。引込み思案の読書好きっていうか、それだけ。そんな感じ。
ただし、彼女の読書の傾向は、商業だとか流通だとかの商いに関する本。あとは、世界各地における民族の文化や風習などが記載された物が主だった。
たぶん彼女は父親の商人としての才能と実績を尊敬している。
そして自ら勉強し、本によって世界を知っていたのだろう。
いつかは父の役に立つと信じて。
健気な努力家ってやつだ。
それはさておき。
ローザのあまりの必死さと、隠し事をしていた引け目からか、ボロスが再び顔面蒼白で狼狽えている。
彼女を説得し抑え込む理由が考えつかない様だ。
ルーカスは私をちらりと見て。
「どうしますか?」と目で問いかけてくる。
ローザも必死な形相で私を見ている。
「どうか……お聞き入れを!」と涙目で必死に訴えかけてくる。
なんで管理官じゃなくて私なのかといえば。
そりゃもう。
『慈愛と導きの女神に仕える聖女』だから、ね。
ふむ……
ならば、ちょうどいいかな?
私はゆっくりと数歩前に出て周囲の注目を集める。
「ローザ様……貴女の真摯な態度、他者を思う気持ち。自責に明け暮れるその痛ましい姿。私もとても心配しております。
女神ルミナスは貴女のような心の持ち主を決して無碍にはいたしません。管理官の方々も、どんな小さな情報でも必要としているでしょう。
どうか残りの御一人の捜査にご協力いただいて、一刻も早く彼女を見つけ出すのにご協力ください。」
「!!」
ローザの顔がぱっと明るくなる。
「ッ!? せ、聖女様……ローザはこのようなことには慣れておらず……その、ご無礼を……」
苦し紛れに何とか引き留めようとするボロス。
「あら、それはまったく問題ございません。私も今でこそこうですが。もとより孤児の出でございます。無礼だなんてそんなことは考えたりしません!」
少しおどけて見せながら、砕けた物言いでボロスの言い分を封じる。
「しかし、このような夜半に……」
「ご安心を、上級管理官と管理官4名も居ますし。魔王討伐隊が一人『聖女セレナ・ルミナリス』の名において、ローザ様の身の安全と絶対の正義を保証いたしますわ。」
にっこり笑顔で食い気味に封殺してやる。
「あが……」
ボロスが口を開けたままで言葉を詰まらせてしまう。
ここまで言われて食い下がるのは、たとえ商会の長とはいえ無理だろう。
そして調査協力の要請があり、当事者として、最も関係の深い身であるローザの調査は必須。当人が協力を申し出て、その身分の安全は聖女によって保障された。
八方ふさがりってやつだ。
私はダメ押しのニッコリ笑顔をボロスに向ける。
「わかりました……ローザをお願いいたします……」
がっくりと肩を落として、ボロスは折れた。
「ありがとうございます!お父様!!私支度してまいります!!」
そう言ってローザは2階の自室へ向かって駆けだす。
さっきまでの悲壮感が嘘みたいに足取り軽く飛ぶような動きだ。
不安と心配の気配は纏ったままだが、自分が役に立てることへの嬉しさが、彼女の全身からにじみ出ている。
「よろしいのですか?」
隊列に戻ってきた私にルーカスが小声で聞いてきた。
「むしろ望ましい展開です。」
私も小さく答える。
「ふむ。承知しました。」
そういってルーカスは女性管理官へと向き直る。
「サウリス、彼女の出立の支度を手伝ってきてくれ。身一つという訳にもいくまい。」
そういってローザを気遣い、手伝うように部下へと指示をだす。
既に階段を駆け上がり廊下に続く扉の向こうへと消えたローザを追いかけて手伝えとのことだろう。
「あら、ルークリウス様。多分それは気遣い無用ですわ。」
彼女はくすくすと笑いながら動こうとしない。
ローザが消えた扉を見つめて実に面白おかしそうだ。
「…? それはどういう……」
ルーカスが訝しげな表情でサウリスの視線を追う。
扉むこう廊下は何やらドタバタ騒がしい。
あー、そゆことね。
私の聴覚に届く音。
廊下の奥から聞こえる彼女の荒々しい足音。扉を開けて私室に入り何かをひっつかんですぐさま部屋を出る。
ものの数十秒で廊下を戻ってきて、2階ロビーへと姿を現すローザ。
「お待たせいたしました!!」
大き目の旅行用バッグを両手で抱えてローザが声を張り上げる。
「私が家人の皆様をここに集めようと部屋を巡回してた時。彼女、荷造りの最中でしたの。きっと一人で探しに行こうとか考えていたに違いありませんわ。」
可愛らしい物を見るような、面白いものを見るような。そんな眼差しをローザに向けながらサウリスが説明してくれた。
つまるところ。
ローザはミアを心配するあまり、自分一人で探しに出ようとか思ってたのだ。すでに荷造りを終えて明日朝にでも家を出ようとか、そんなことを一人画策していたのだろう。
なんとも箱入りの世間知らずで人思いで無謀なお嬢様だ。
呆れるルーカスや唖然とするボロスと家人たち。
そんなことしったこっちゃないといった具合に、嬉々として階段を駆け下りながら両手に抱えた想いに振り回されそうになる彼女。
慌てた足取りが危なっかしくて仕方ない。
わたしは思わず両手を広げて笑顔で迎え入れた。
こりゃほっとけんわ。
常識のない箱入り娘って……是非が別れますよね。
それが健気で純朴だったりして無謀に行動したりすると、もう手がつけられません。
世間知らずっていうのはそれだけ危ういんで。
その純真さは良いのだけどね。
キライじゃないんだけど、スキになるのは難しいです。




