第十八幕 「ローム兄妹」
ローム兄妹教訓
いかなる時にも、いかなる可能性をも忘れるな
目の前の障害は己で打ち砕け、助けがあるとは限らない
強き者へ立ち向かい、弱きものを助けよ、信じるものを裏切るな
雨の日も風の日も雪の日も、雷が落ちようとも、嵐がこようとも、ただ前に進め
何が有ろうとも、己を通せ、前に進め、目的にたどり着け
常に備えよ
コンコン。
隣の部屋の扉をノックする。
少し長めの間が空いた後、中からくぐもった声。
「誰ですか?」
女性の声だ。
「光、輝く導き。」
私は呟く。
「……付き纏う、闇。」
中から返ってくる符丁。
「共に世界に在りしモノ。」
再び私は返す。
グリーンリーフを出た後、ローム兄妹と取り決めた合言葉。
簡潔にやり取りを済ませ、身分を確認してもらうための符丁。
カチャリ。と鍵が開けられる音が小さく響く。すぐさま扉が開かれて中からエミリアが出てきた。
「入って下さい。」
彼女は人目を気にするかのような仕草で声のトーンを落として私を急かす。
まぁ指環の効果で私すら見えてないんだけどね。
それを知らない彼女が警戒するのは至極当然の動作。
「失礼いたします。」
そう言って私は隣部屋に潜伏していたローム兄妹の泊まっている宿部屋へと訪れた。
「セレナ様……我々の部屋に訪れるのは予定にありません……不用意に接触されますと、お互いの関係や正体が露呈する可能性があります。極力控えて頂きませんと……。」
かつて村で話したような明るく気のいい女性行商人の顔ではなく、どちらかと言うと軍人じみた諜報員らしき振る舞い。内容は私の突発的な訪問についての小言だが。
「やはり本職の顔のほうがさまになっていますわね。」
彼女の苦言を無視して私はエミリアの印象を述べる。
「良かったじゃないか、エミー。ソッチのほうが似合ってるってさ。」
ベッドに寝そべったルーカスが開口一番に軽口を叩く。
「ルーカス、茶化さないで下さい。」
不満げなエミリアはそのまま静かに扉を閉め、再びカチャリと小さな音で鍵が閉められる。
「夜分に恐れ入ります。少々相談があって参りました。」
私は丁寧に礼をして部屋の中央へと歩み出る。
「にしてもいつシルバーハートへ入られたのですか?人を配置してずっと全ての門を監視してたのですよ?」
不思議でならないといった表情でエミリアが問いかけてくる。
街の保安員以外にもそれらしい気配があったのはソレか。
陛下は本格的に私のサポートとリリスの監視を決めたのだろう。
『深き影ども』以外にも『仲間内からの目』に気を配らないといけないのはちょっと大変だけど。まぁ仕方ない。
ちなみに『深き影ども』の存在についてはグリーンリーフ村を出た後のルーカスの馬車内にて、いろいろな懸念事項の一つとして彼から報告を受けている。
なんだっけかな、金次第で何でもやる諜報と暗殺を生業とする貌のない犯罪集団だったっけ。世界中に構成員を忍ばせている為に実質組織を崩壊させるのは不可能だ、みたいな話を訓練時代に習ったことがある。
それはさておき。
「秘密でございます。」
私はエミリアの問いにニッコリ笑顔で返答を拒否する。
「……」
難しい顔になるエミリア。行商人のふりをしている時よりも自然な振る舞いがやや新鮮だ。
「エミー。セレナ様方は相応に傍聴対策をされている。それは我々が諜報に苦労していることからも理解してるんじゃないのかい?」
私たちを支援という名目で追跡調査をしているローム兄妹。
その追跡対象の目の前で堂々と「我々はあなたへの諜報に大変苦慮しております。」と言われた。
諜報員が調査対象に仕事ができねぇって文句言うのは斬新すぎない?
「ですから今後の行動報告も含めてこうやって相談にまいりましたの。」
ルーカスの文句をかるーく受け流しながら私は室内の様々な気配を探る。伏兵や別の人物の気配はなし。不審な魔具や魔導具の類も感知されない。
とりあえず大丈夫そうかな。
「座っても?」
「あ。もっ、申し訳ありません。どうぞ!」
エミリアが慌ててソファに放り投げられて転がっていた道具やら装備やらを片付け始める。
「お勤め大変そうですね。ちゃんと休まれておりますか?」
私は呆れ顔でルーカスへと向きなおり視線を投げかけた。
「ご心配ありませんよ。セレナ様の動向が掴めるまで休んでいましたので。仲間からの発見情報が来なかったのは不本意ですが……まさかご自身がこんな時間に直接来るとは思っても見ませんでしたがねっ……と。」
そう言ってルーカスは寝転んでいたベッドから上体を起こし此方へと近づいてくる。
「セレナ様、お茶でよろしかったですか?」
エミリアがポットに湯を注ぎながら注文を聞いてきている。部屋に備え付けの茶葉だから、さっき私たちが飲んでいたのと同じものだろう。
「お気遣いありがとうございます。いただきます。」
「で、こんな夜半にどうしてわざわざ?」
私の対面の椅子に腰を掛けたルーカスがそう問いかけてくる。
……全部正直に話しておいたほうがいいかな?
よし。
エミリアからお茶を受け取り一口飲み込む。
そして私は話を切り出した。
「亜人保護法に抵触する不当な人身売買に関する事案を確認いたしました。違法薬物の使用も同時進行している可能性があります。」
私は端的に告げる。
「……ッ!」
エミリアの顔がサッと曇る。
「我々に協力要請、ということでよろしいですね?」
ふむ。といった具合に事態を咀嚼し始めるルーカスの落ち着きようは妹とは真逆だ。
でも二人ともこの言葉だけで何が起きてるかだいたい察しているのだろう。
反応こそ違うが顔は真剣そのものだ。
私はルーカスの問いに首肯する。
「今現在、私の方でお一人の猫人族を保護しております。この街の商会取締役……ボロスという男が3名の旅の猫人族を不当な手段で囲いこもうとしております。私が保護した彼女は命からがらその男の屋敷から逃げてきて偶然私と遭遇、今回の経緯を知るに至りました。」
「猫人族……獣人特需案件ですか。」
「ゲスどもがッ……!」
珍しく深刻な表情で考え込むルーカスと、ぎりりと歯噛みするエミリア。ていうか、仮面を被らないエミリアは結構激情家なのね。
村でも率先して行動し困っている人を助けようとする辺り、そんな性格の片鱗はみえていたけども。
相変わらず良い人だ。
「ボロス……と言いますと、カスーリ商会のボロス・ウリマルクですね。シルバーハートにおいては主に日用品を取り扱う商会ですが、販路がルミナ大陸を中心にシルヴァ大陸やアイアン大陸まで伸びており、商業規模はとても大きいです。取り扱う商品が日用品なので黒いうわさはまったくないですが……。」
手帳をパラパラとめくりながらエミリアが情報を確認している。
おー……事前に色々な情報を持っているのね。
流石というか、ありがたいというか。
立派に諜報員してるね。
「それが表向きの顔となり、裏ではあくどい商品を取り扱う仮面となっている、と。珍しくもなんともない話だね。近年における亜人保護法の違反事例は別に業界が限定されていない。機会と売り手さえ見つけてしまえば行商人だって取り扱えてしまうものだからね。」
淡々と所感を述べるルーカスの表情は言葉と裏腹に真剣だ。
「ともあれ状況と詳しい作戦の話については私の部屋で、よろしいですか?」
「あまり部屋の移動をしたくはないのですが。」
ルーカスが懸念を表明してくる。
まぁ当然だ。
「問題ありません、私について歩いてきていただければ入室はおろか、退室する時も偽装されます。」
私はにべもなくそう言って立ち上がった。
「セレナ様はそんな優秀な魔具をお持ちなのですね……。」
「やれやれ、仕事ができないわけだ。」
二人とも感心するより実感の伴った諦観の方が大きそうだ。
「明かせぬこと以外はお伝えします、お仕事頑張ってくださいまし。」
「従者リリィ様のご出身は?」
「南方諸国だと聞いておりますわ。」
「……さいですか。はぁ……。」
間髪入れずにルーカスが遠慮なくぶっこんで来るので、私も遠慮なくぶっこいておく。
彼はわざとらしくため息をついて追及をやめた。
まぁ陛下もリリスのことは調べてるだろうし。矛盾がある時点で明かせぬことだという察しはついてるのだろう。
『正体不明で明かせぬ事情がある』ということが判明するだけでいろいろな推察ができてしまう。これは仕方のないことだ。
せいぜい灰色の存在として取り扱ってもらうしかない。
「まいりましょう。すぐ後ろをついてきてくださいまし。」
そう言って私は率先して鍵を開け扉を開く。
「承知いたしました。」
「了解。」
零番隊特務官諜報員らしい極小の足音を私の耳に響かせながら二人がついてくる。
隣部屋とはいえそこそこの大きさの一等室同士。
廊下を歩く距離もそれなりだ。
二人は明らかに緊張と警戒をしつつ私の後ろについて歩く。
私に接触した人物という時点で『深き影ども』の監視対象になっている可能性が高い。二人はあくまで外向きは行商人として装う必要がある。
だから私とリリスは『街に入る時』も『宿に入る時』も『部屋の出入り』も徹底して偽装することにしている。
こうしておけば少なくともローム兄妹と私たちの関係性に対する印象は「グリーンリーフ村で出会った聖女と行商人」のまま、疑いが深まることは避けられる。
ほんと、『対の指環』さまさまだ。
「こんばんは、ルーカス様、エミリア様。」
従者モードのリリスが丁寧なお辞儀をして二人を出迎えた。
ミアはリリスの陰に隠れて人見知りの真っ最中。
「こんばんは、リリィ様。キミもこんばんは。」
「数日ぶりですね!リリィ様!……で、こちらが例の猫人族の方ですか?」
挨拶を交え、笑顔でミアに話しかけるエミリア。
なんか凄い顔が……腑抜けてる?
「……ミァですャ。」
リリスの陰に体を隠したまま、ちょこんと顔だけ出して。おずおずと挨拶をするミア。
かわいい。
「ミア・アシュアさんです。ちょっと人見知りみたいで。」
自分の腰にしがみつくミアに苦戦しながら、代わりに彼女を紹介をするリリスは母親のようだ。
「……」
エミリアの顔がふにゃっと崩れている。
どうやらかわいい物好き?
「『灰の一族』の方ですか。珍しい氏族ですね。」
そういってルーカスがしゃがみ込んでミアと目線を合わせる。
「こんばんは。行商人のルーカス・ロームといいます。こっちは妹のエミリアです。よろしくお願いしますね。」
「よろしくね!ミアちゃん!」
何とも珍しい景色。
あの飄々として人を食い物にしてそうなルーカスが、子供相手に凄い朗らかな笑顔と態度で挨拶をしている。
子供好き……ってわけじゃないよね?
小柄な私には辛辣だし。
……無礼だし。
「よろしくお願いしますのャ……。」
私らとの初顔合わせとはだいぶ違う態度のミアだが、二人を交互に見つつも挨拶はちゃんとできているみたいだ。
えらいぞシャルとティガ。
教育がしっかりしてる。
「かわいい……きゅんきゅんします。」
そしてエミリアは既にメロメロだ。
「実家の猫に会いたくなりますね。」
ルーカスはしみじみしてる。
あー、猫好きなのか。
ていうか、二人ともミアを見てから明らかに落ち着きがない。
あからさまに彼女を撫でたくてうずうずしてる。
エミリアはともかくルーカスが似合わなさ過ぎて面白い。
まぁ話を進めてる間に打ち解けるだろう。
「さ、事態は急を要するわけではありませんが、それなりに深刻です。しっかりと計画の打ち合わせを行いましょう。」
そう言って私はソファ前のローテーブルに紙を広げる。
ボロスの屋敷を図面に起こした作戦図のようなもの。夢見の後にぱぱっと作成した簡易的なものだが、零番隊特務官とやり取りをするには十分な情報量だろう。
「お二人とも、どうぞソファへおかけ……く…」
資料を広げおえた私はローム兄妹へと声をかけながら振り返る。と―
「わー、ミアちゃん毛並みがふわふわだー。兄さん、毛質はウチのベルと良い勝負のツヤじゃないですか?でもティコみたいなふわふわの毛並み。すごい、ずっと触ってられる。」
「確かに。ミアさんは毛並みが本当にきれいですね。ウチってシルバータビーの子には出会えたことがないんですよ。今まで20匹以上お迎えしてきてて、どれも素敵な出会いには違いありませんけども、この模様の子には未だに巡り合えてません。ミアさんは何かお好きな食べ物とか何ですか?良ければ今度ごちそうしますよ。」
「あ、あの。えっと、ミァはお魚が好きですャ……」
「いいですね。ことが済んだら御姉妹も一緒に魚料理三昧しませんか。ぜひ。ここは食事処も凄く充実してるので美味しい魚料理も堪能できます。もちろん素材の味を生かすために素朴な味付けで猫人族の方にもご満足いただけるとても良い料理を出す店を知ってるんです。お店にとっても舌の肥えたネコさんが居てですね、真っ白で上品な方なんですけども、ユキっていうお店の看板猫なんですよ。」
「あー、ユキちゃんにも会いたいなー。元気にしてるかなー。ミアちゃんも絶対気に入ると思うんですよ。すごく上品なのに甘え上手で。じっと私を見てくるんですよ!?もう逆らえないのでお料理をちょっとおすそ分けすると『ニャー』ってお礼言ってから食べるんです。すごく可愛いんです!」
「うャ……よ、よろしくお願いしますのャ……ぁふャ。」
既にミアを挟んで頭やら首やらうりうりとかわいがりつつ、真剣な顔で饒舌にしゃべり続けるローム兄妹。
ミアはミアで至福の表情、されるがままだ。
「……」
リリスが呆れた顔で3人を見つめ、やや引いて立ち尽くしている。
猫好きじゃなかったわ。
猫下僕だわ、コレ。
キャラが崩壊しすぎだろう……
おもろいけども。
ローム兄妹裏教訓
いかなる時にも、ネコを忘れるな
目の前のネコを愛でよ、次があるとは限らない
ネコへと歩み寄り、ネコを助けよ、ネコを裏切るな
雨の日は守り、風の日は庇い、雪の日は温め、雷が落ちれば慰め、嵐の日は寄り添え、ただネコを信じよ
何が有ろうとも、ネコを求め、ネコに寄り添い、ネコを求めよ
ネコを愛せよ




