第十六幕 「残酷」
どんなに気丈に振る舞っても隠せない
不思議とキミは気づいてしまう
なぜなんだろう、こんなにも嬉しいのに
それがとても辛くて仕方ない
「きっと、キミが優しいだけじゃダメなんだ。
自分が自分を許せない限りは。」
私たちは寝室のソファに三人並んで腰を下ろし、温かいお茶を飲んで一息つくことにした。
だが重い空気が室内に満ちている。
焦れるミアをなだめるように、私は彼女を撫でながらリリスの言葉を待っていた。
そんな雰囲気を察してか、リリスがすうっと息を吸い込み口を開く。
「……結論から伝えます。ボロスという商人が、シャルさんやティガさんをミアちゃんから引き離し、バラバラに売りさばこうとしているのは間違いありません。」
泣き止んだリリスが最初に口にした言葉。
私が用意したお茶の入ったマグカップを両手で持ち、口に運ぶことなくじっとその水面を見つめていた彼女だったが、相当な時間をかけて……絞り出すような悲痛な声でそういった。
何かに怯え、悲しみに震える声。
ミアが無言で歯を食いしばって息を吐く。
だが耳も尻尾もうなだれて、毛だけが弱々しく逆立つ。
騙されていたことへの怒りか、悲しみか。
「……リリス、貴女は何を見たのかしら。」
シャルやティガをどのようにしてミアからひき剥がす予定だったのか。
彼女がこうなってしまうほどの何か。
人の欲が生み出す残酷で醜悪な何か。
私たちは『それ』を知らなければならない。
私はリリスの言葉を待ち続け、彼女はそれに応じるように続きを語る。
「……シャルさんがシルバーハートに来てしばらく経ってから体調を崩したのは旅の疲れ慣れない生活などの偶然やたまたまじゃありません、第三者の人為的な毒物によるものです。意識を失い、混濁させる……ゆっくりと心身を蝕む毒です。
裏社会での需要を満たすための猫人族の旅人の情報。金次第でどんな汚いことでもやる下種。用意したのは死なない程度に対象を弱らせる毒。たまたま居合わせたように振る舞い、親切そうに治療を申し出る演者。治療と称した……危険な違法薬物による洗脳。
全てはボロスが主体となって計画された、ミアちゃんの懐柔と、シャルさんの洗脳と、ティガさんの篭絡を目的とした……すべては一連の流れとして金によって動かされた連中によって仕組まれたことでした。
ミアちゃんは娘のローザさんのために無傷で捕らえる必要があるため、家族のように仲の良い猫人族のミアちゃんたちが狙われたんです。そしてシャルさんは薬物で洗脳状態にして別の金持ちに信じられない値段で売り渡す気です、ティガさんも、そんなシャルさんを釣り餌にミアちゃんから離れさせようとしてるんです。」
ミアはリリスの口から飛び出してくる断片的ながらもあまりに残酷な言葉たちに、しばし呆然としていた。
「……なるほどね。愛娘へのプレゼントに人懐っこい氏族の若いミアに目を付けた。恩を売り、献身によって姉が救われるという甘言で雇い入れ、囲い込む。機を見てシャルの容体が悪化したとかいって……ティガごとミアから引き離す。あとは段階的に個別の洗脳なり懐柔をじっくり進めて、目的の相手へと売り渡す。シャルが体調不良を起こしたのは遅効性の毒物、治療薬と称して依存性の高い神経麻薬のような薬物を投与している。……そんなところかしら。」
私の予想を聞きながら目を見張るリリス。
ミアの顔もどんどん悲壮感に染まってゆく。
「……セレナ、そんな残酷なことを正解させないでください。」
それを話し終えた私を見て、再び泣きそうな声でそういった。
「ごめんね、リリス。でも、そういったことに目を背けては戦えないの。どんなに残酷で醜悪なことでも、それから目をそらしたら救う機会を見逃してしまうの。だから……」
「でも……!酷すぎます!!」
リリスが叫んだ。
「どうして!自分の娘のために……愛する家族のために!別の家族を……ミアちゃんたちを引き裂くようなことができるんですか!?」
泣きそうなリリスがその身に纏うのは悲哀、憐憫。あるいは……疑念。
彼女は怒ってるんじゃない。
悲しんでるんだ。
しかもそれは自分のことと重ねてじゃない。
平和のためにと称されて敬愛する父親を殺されたことなんて頭にない。
ひたすらにミア達のことを思って悲しんでるんだ。
そういう子だというのは、今までの彼女を見ていたら判る。
なんて優しい子なんだろう。
そして我々の世界は、どうしてこう在ることができないのだろう。
「ごめんね、二人とも。悲しいけども……これが人なの。
欲のためなら何でもできてしまう。
金のためにどんな悪事にも手を出してしまう。
愛されるという目的のために手段の是非を見失ってしまう。
自分の世界を守るため……その世界を構築する何かを優先するあまりに、他者の存在をないがしろにしてしまう。
弱いのよ。私たちは。お互いに他者を信じることができないの。」
「セレナが謝ることなんかじゃないじゃないです……」
凄く不服そうに、リリスが愚痴を零した。
「そうね。……でもリリスやミアに人を嫌いになってほしくないの。」
そんな言葉が口を突いて出た。
ミアの耳がぴくりと跳ねた。
リリスの体が少し強張ったように固まる。
我ながら、なんて恥知らずな言動だ。
「私はセレナを嫌いになったりなんかしません!」
「ミァもセレャを嫌いにならんがャ!?」
食い気味に否定してくれる二人。
二人とも私の方をみて、必死に気持ちを伝えてくれる。
「……ありがと。嬉しいわ。でも私だけじゃなくてね……誰も憎んでほしくないのよ?私は本当にそう思ってる。」
ミアの目を見ながら私は続けた。
「……それはっ…」
ミアが声を荒げかける。が――
「私は! ……それも何となくだけどわかります。難しいことだし、理不尽だとしても。誰かを憎んで生きてたらダメだってことは……わかるんです。だから……!」
ミアの声を遮るようにリリスが必死に話している。まるでミアにそうなってほしくないかのように。
そんな彼女を見て、ミアは勢いを失う。
ミアも理解してるんだ。憎んでもどうしようもないことを。
「そうね、本当に難しいことだわ。……二人とも凄いわよ、それを理解し自分に言い聞かせられる人なんてほとんどいないわ。」
心がジクジク痛む。
私は偉そうにのたまってはいるが……すぐ隣に居るのは自分が殺した相手の娘だ。「どの口が」と言われても仕方のない相手なのだ。
リリスが私を心の底から赦していることは……たぶん本当。
でも、どうしても不安になるのだ。
こんな私が、人の道理を説くのがすごく滑稽に思える。
私は『親殺し』。
しかも同族を思って我が身を削る
……この上なく稀有で理性的な人を殺した。
これは変わりようのない事実。
私は罪を犯したのに。
それを清算し終える前に、他人を救おうとしている。
……でも私は言わなければならない。
そうしないと私の罪は贖えないから。
「だからね。私は目の前に居る誰かを救わなきゃいけないの。」
私は、私の膝の上に頭を載せているミアに向かってそう呟く。
ミアはキョトンとしている。
私が何を言っているのか理解できてないのだろう。
「ミアの気持ちを無視してる訳じゃないことだけは信じて?」
そんな彼女に、自分の想いを伝えるために付け加える。
そんな私の言葉を聞いて、ミアがハッと目を見開く。
「……セレャは。ボロスも助けたいのかャ……?」
通じた……のかな?
「助ける、というのは少し違うわ。彼は自分の罪相応の罰を受けるべきだし、それを贖うべきだと思う。でもね、裁いて終わりにしたくないの。」
そんな私の発言に、ミアがまた難しい顔になってしまう。
「ごめんね。わかりづらいかもだけど……罪を犯して罰を受けたものは、そのあとに救われなきゃいけないと思うの。何か罪を犯した者はそれを認めて、罰を受け入れ、それを贖った後。
自分の悪事を相応に清算したものが、延々とその罪のために迫害され続けたら……また誰かを傷つけてしまうかもしれない。そう思うのが悲しいのよ。」
ミアはじっと私の目を見て話を聞いてくれる。
「だから、罪と罰と贖いと救いは全部一緒にないとだめだと思うの。」
瞬きもせずに私の目を覗き込むミアの瞳は、何かを見極めようとしているかのように微動だにせず開かれていた。
「……なんとなくだけど……わかったのャ。」
その瞳が何かを捉えたかのようにキュッと細まり、ミアは笑顔でそう言った。
「ありがとう、ミア。」
そんなミアのまっすぐな瞳が、私の考えを受け入れてくれたかのように思えて、自然と感謝の言葉が口から紡がれた。
そっと彼女の頭を撫でた。
「……ねえ、セレナ?」
リリスはしばらく前からずっと私の方を見つめながら、黙って話を聞いていてくれた。そんな彼女が、ミアを撫でていた私に声をかけている。
……正直いうと、今はリリスの目をまっすぐ見られる気がしない。
彼女の父君を手にかけたという負い目が再び私を臆病にさせている。
きっと今の私の目には迷いが生まれている。
それが凄く申し訳なく思う。
だから私はリリスを見ず、私に撫でられて目を細めるミアを見たままで―
「何かしら?リリス。」
必死に平静を装って応えた。
「……セレナ。こっちをみて。」
語気を強めながら、リリスが再び声をかけてくる。
……なんか、怒ってる?
「なによ、怖い声だし―」
「こっちを見てください。」
思わず口を突いて出た言葉。
だが私のその言葉をはっきりと遮ってリリスが三度呼びかける。
心臓の鼓動が強まる。
彼女をみて顔を見た時、憎悪に染まった表情をしていたらどうしよう、とかそんなことを考えてしまう。
でも私には逃げることは許されない。
だから、なんとかリリスの方を向く。
目を見るのが怖くて、視線を伏せたままおずおずとリリスの方を向いた。
「目をみてください!」
そういうと彼女は両手で私の顔を掴み、ぐりんっと上を向かせる。
「ちょっと!無理矢理は―」
そう言いかけた私は、リリスの顔をみて言葉が詰まる。
心底心配そうで、不安そうで、悲しそうで。
なのに優しくて慈愛に満ちた顔。
その顔がキッと覚悟を決めたかのように引き締まった。
リリスはそんな奇怪な表情のまま、目と鼻の先まで顔を寄せる。
ふにっと小さくて柔らかな感触が、ふたつ。
「セレナ。貴女は罪なんて犯してない!……たとえ貴女がそうだと思っているのだとしても、私はそれを赦したし。貴女は既に私を救ってくれてたはずだよ!?」
ばれてた。
というか、私の顔に触れた感触に頭が混乱する。
心臓がばっくんばっくんと爆音を鳴らしている。
突然すぎて何が起きたのかわからんのですが。
えっ?
今何が起きてるの??
「だからね……そんなに苦しまないで!私はセレナを信じてるしっ……私のことを信じてくれてるって信じてる!」
自分の心臓の音がうるさ過ぎてリリスの叫んでいる言葉がよく聞こえない。
「前も言ったよね!不安になったら何度でも言ってって!何度でも許してあげるって!!なんなら抱っこしますよ?ミアちゃんごと!!」
顔を真っ赤にして涙目になってるリリス。
……やばい
顔が熱い。
たぶん私の顔も今まっかっか。
なんで?
キスされそうかと思ったから?
いや、おもったけどちがったし。
ていうか裸で一緒に寝てる間柄だし?
そんなの今更ではないでしょうか?
じゃあなんなんだこのドキドキは!
あばばば!
こ、このままだと心臓がもたない。
何か、なにかいわないと。
「あの……りりす、さん?」
混乱してて言葉が変になるぅ。
「なんでしょうかぁ!」
「あの、つのが……当たってます、よ?」
「しってますぅ!」
「あの。えっと?」
「なんですか!はっきりいってください!!」
「おもってたより、やわ……らかくて…熱いんですね?」
「そりゃもうそうでしょう!今死ぬほど恥ずかしいですからねぇ!?わたしぃー!」
額を突き合わせた状態。
目の前には、涙目でキレ顔で真っ赤に染まった頬のリリス。
鼻息を荒げ羞恥心に悶えるかのような彼女を見ていて、あまりにもその有様が可愛いので……なんか、一周回って冷静になってきた。
えー……
今、私のおでこにはリリスのおでこが触れている。
そして、『対の指環』の力で見えなくなっている角が当たっている。
あんなに見せるのも嫌がっていて、必死になって触れられるのを避けていたリリスの可愛らしい小さくて白い角。
なんか、陶磁器みたいに綺麗で、角だから硬いのかなって思ってたけど。
私の額に押し付けられている感触は……
なんというか……ぷにぷにでつるつるだ。
新感覚。
でね、凄い熱い。
なんか、どくんどくんしとる。
脈動、してる?
見えないから触覚だけでの印象だけど。
……。
ちがう!
こんなこと考えてる場合じゃない!
えーと、リリスにとって角は恥ずかしい部位だからー?それを触れさせてまでも私を励ましてくれているというのはー……そのー、あれだ。ほら。信頼の証というか、自分をさらけ出す行為というか、そういう系の!
なのでー、ええーと。
あかん、混乱してて考えが!
そう!あれだ!
とりあえず!
「あ、ありがとう。ございます。」
「……どういたしまして。」
未だ真っ赤な顔で睨むような目つきになりつつあるリリス。
既にちょっと泣いてる。
こわい。
つぎ、どうしよ。
頭が真っ白。
「なーなー?」
顔面零距離の一触即発危険地帯の下から、ミアの間延びした声がした。
そうだ、ミアがいた!
なんかこう!
うまく話を次に!!
「つのってドレだがャ?」
「「……」」
私とリリスの呼吸が止まる。
たぶん鼓動も止まった。
あんなに熱いと思っていた顔面から、サーッと血の気が引いてゆく。
リリスも同じく、額で感じる熱が驚くほどの速さで冷めてゆく。
「なー?リリシュのつのってどこに生えてるのかャ。」
私、完全にやらかしたわ。
「心臓の音、ピッタリだがャ。」
隙あらばいちゃつきよる
キスじゃねーですよ
ツノですよ
つるつるぷにぷにで柔らかくて熱くて、どくどく脈動するんです
でも、ツノですよ?
誰がなんと言おうと
なんでツノが……?
って方は、あとでちゃんとお話しますので待機してて下さい
脱がなくて良いです




