第十五幕 「潜入調査」
こんなにも素晴らしい人が
こんなにも恐ろしい事をする
こんなにも美しい世界を造るのに
こんなにも恐ろしい事をする
「私は……どちらのあなたを知るべきなのだろう?」
時刻は24時を回ったころ。
夕方にレストランの個室での食事を終え、宿に戻ったあと早々に寝支度を済ませた私たちは、およそ5時間ほど夢見に居た。
休息を兼ねた夢見での打ち合わせを済ませた我々はそのまま朝を待つことなく、日付が変わる少し前に起床し、次の行動に移った。
私は宿部屋の一角にあるソファに腰を下ろし、行動に必要な情報が揃うのをじっと待つ。
情報を集めに行っているのはリリス。
彼女の飛翔能力と、夢見による情報収集。そして『対の指環』による隠匿技術。
彼女が父君である魔王ザルヴァドスの人族文化調査を手伝っていたころから行われていた、完璧な情報収集能力。それに頼る形で私たちは今、待機を余儀なくされているという訳だ。
不安といえば不安だが……まぁ大丈夫なのだろう。
リリスは私との初めての出会いの時以外、一切やらかしはしていないようだし……今回の侵入先は退魔結界のある神殿ではなく、豪商とはいえただの商人の邸宅だ。相応の防犯対策はしているだろうけど、姿が見えない相手や記憶を読む相手を想定した対策などしているわけがない。
ていうか記憶に関しては対策のしようがない。
よって私はただ信じてじっと待つのみ。
まぁさっきからずーっと、ひっきりなしにうろうろしている彼女の気持ちもわからんでもないが。
「ミア。気持ちはわかるけどちょっと落ち着いてちょうだい。目の前でうろうろされると……さすがに気が散るわ。」
ミアは不安を紛らわせているのか、焦燥感に突き動かされているのか……さっきからずっと室内をウロチョロしてる。
「だ、だって……」
「不安なのも手持ち無沙汰なのも心配なのもわかるけども。このことに関してはリリスに任せておきなさい。彼女はこの手の調査の最上級の熟練者よ。」
これは言えないことだけれども……
何せ数十年もの間、各地で単独調査をこなしてるのだからね。
「うぅ……!」
それでもそわそわが止まらないミア。
今にも地団太を踏んで駄々をこねだしそうだ。
「ほら。そんなに動いてないと落ち着かないなら抱っこしたげるわよ?」
私は冗談めかして両手を広げてミアを招く。
「……ぅヤ!」
一瞬、ミアの顔が驚きと羞恥に染まる。
そしてそのまま拳を握り締めながら俯いてしまう。
無事、ミアの動きが止まった。
ちょっと意地悪だったかな?
私はふっと小さく笑いながらミアから視線を外し、部屋の窓へと視線を向けた。リリスが調査のために出ていったカギが開けられたままの窓。
そこから綺麗な夜空が見える。
今朝まで長く続いた雨模様が嘘みたいに晴れ渡った秋の夜空。
ちょっと肌寒いこの頃の夜空は少しだけ寂しい感じがする。
……私自身、リリスが無事かどうか不安がないと言えばウソになるが。
ここは信じて待つよりほかない。
ま、何かあったら秒ですっ飛んでって全員締め上げてやるだけよ。
ボロッカスのズタボローザにしてやるわ。
娘は多分関係ないけど。
そんなことを考えつつ夜空を眺めていたら、とぼとぼとミアが近寄ってきてソファに倒れ込むように私の太ももの上に頭をなげだした。
ボスっという音と共に、ソファが揺れる。
……結局来るんかい。
バツの悪そうな顔でちらりとこっちに視線を寄越した後。
「……頭撫でて欲しいのャ。」
ポツリと甘えてくるミア。
「はいはい。まったく……貴女いったい何歳なの?」
私は彼女の要求を快諾し、ミアの頭を撫でてやる。
すぐさま耳がぺたりと畳まれて、私の手に頭を擦り付けてくる。
しっぽもゆらゆら揺れている。
くそう。
やはりかわいいな。
「多分……6つだがャ。」
うひ、予想より低い方だった。
人間に換算するとたぶん12才に満たない。短命種としては成人するかしないかぐらいかも。
にしても甘えんぼには違いない。
「貴女の気持ち、わからないわけじゃないけどね。私も両親の記憶がないし、血のつながった家族と呼べる存在をもってないから。」
私の言葉にミアの可愛らしい耳がぴくりと動く。
「……セレャも父ちゃん母ちゃんおらんかったのかャ?」
どことなく申し訳なさそうな口調。
「そうね、物心つく前からルミナス教の孤児院で過ごしてたわ。」
そのことを悲観した記憶がない私はあっけらかんと答える。
「ごめんなさいだャ……」
本気で申し訳なく思ってるのか、畳まれた耳は完全にへたり込んでしっぽも動かなくなってしまった。
「謝る事でもないけどね。私はその手の寂しさに苛まれたことないし。」
「……一人で寂しくないのかャ?」
「孤児院の仲間がいて……そのあとも目まぐるしく忙しい人生だからね。そう思うタイミングがなかったわ。」
「うャ……」
良いことなのか悪いことなのか判らないけども事実その通りだ。
ミアもなんて反応したらよいのか判らなくなったのだろう……耳と尻尾をへにゃらせたまま押し黙ってしまった。
はて、こういう時はどうすればよいのやら。
ええい、面倒くさいな。
私はふんっと一つ、鼻息をあげると。
寝っ転がっていたミアの脇に手を差し込みグイッと持ち上げた。
「うャ!?」
そのままミアを足の上に座らせて抱っこする。
「……せ、セレャ?」
彼女が狼狽えておる。
うむ。
私も失敗したと思ってる。
なんせ身長差がほぼないので、前回同様抱っこしてもミアの頭の位置が私のより高けぇ。
考えなしに行動してしまった。
どうすんだコレ。
「あの……ミァはどうしたらいいのだャ……コレ。」
膝上に座ったまま微動だにしないミアが問いかけてきた。
ねー?どうしたら良いんだろね?
「よし、寂しい私を抱っこするがよい。」
もうやぶれかぶれよ。
「ぶふっ!」
ミアが噴き出した。
おい、笑われたぞ。
どういうことだ。
「うははは!セレャが変だがャ!」
さらに嘲笑された。
なにごとか。
「すんごい可笑しいのだがャ!」
「うるっさい。苦肉の策よ。」
「はー……おもろいのャ。ミァ久々に笑ったのだがャ!」
「それは良いことね。下ろすわよ。」
「うャー!嫌だがャ!」
そう言ってミアが私の頭を抱きしめてきた。
もふりとした感触で、私より立派な双丘が顔面に押しつけられる。
ちくしょうめ。
「……セレャはアレだがャ。」
「何よ。」
「意地悪なのに、凄い優しいのャ。」
「……最近よく言われるわね、ソレ。」
「凄いのャー。」
「お褒めに預かり光栄よ。」
「ふふふ、おもろいのャ。」
いつの間にかミアが纏っていた焦燥感や不安は薄れつつある。
「なー、セレャ。」
「何かしら。」
「ミァは……姉たんと姉ちゃんを救えるのかャ。」
「……救うのよ。」
「ミァに出来ると思うかャ?」
「あんた以外に誰が出来るってのよ。」
「うャー……そうなのかャ……」
「そうよ。頑張んなさい。」
「わかったのャ。頑張るのャ。」
私の顔を抱きしめながら顔をスリスリこすり付けつつ、喉をグルグルと鳴らし始めるミア。
すんごい耳元でどるるんどるるんって音がして割とうるさい。
ネコが鳴らすこの音って……喉の動きどうなってんのかしら。
そんな感じで私の頭を抱きかかえながら甘えるミア。
目の前で鳴り続ける轟音の隙間、強化していた聴覚に屋根瓦を踏むコツコツという音が微かに聞こえる。
続いてキィという窓がきしむ音。
「おかえり、リリス。」
「ふャ!」
ミアが驚いて私の上から跳び退く。
『対の指環』の効果で私にしか音が聞こえてなかったのだろう。
私の声に続いて急に現れたリリスの気配に、本気でびっくりしたミア。毛が逆立っている。
「はーい。ただいまもどりましたよー。」
スンとした顔で淡々と窓を閉め鍵をカチャリとかけるリリス。
彼女はそのままの表情でニコリともせずに私の前に立ち、じっと私を見つめる。私と目が合うこと数瞬。
この子……目が据わっとるわ。
そしてやはり表情を動かさずにくるりと振り返りミアを凝視した。
「ウギャ!」
ミアが聞いたことない悲鳴を上げて身体を屈めて毛を逆立てた。それでも目は決してリリスから離さない。
何そのリアクション、怯える猫か。
……猫だったわ。
「ミアさん。」
リリスが口を開く。
ていうか、敬称。
え。なに?
怖。
「えっ、さん……あっ、はいャ……?」
ミアもリリスの違和感に気付く。
「セレナは取っちゃダメですからね?」
どうしたリリス。
「えっ……?」
困惑するミア。
「ダメですからね!?」
語調を強めてきっぱりと言い切るリリスが面白い。
「は、はい!」
「セレナはあげませんからね!」
「わっ、わかりましたャ!!」
「いつからリリスに私の所有権が移行したのかしら。」
いい加減話が進まんので止めに入らねば。
そう思って目の前の物体に声をかける。
「少なくともミアさんよりはあるかと!」
何をいってんだろう、このサキュバスは。
「落ち着きなさい、リリス。貴女混乱していて、いろいろと台無しよ。」
「でもぉ!」
「はいはい。抱っこしていいから落ち着きなさい。」
「わーい!」
私が言うやいなやリリスは急に態度をやわらげ、猫なで声になって私を抱え上げて抱き寄せた。迷いゼロ。
逆に凄いわ、この子。
「ミアちゃんもどうぞ!」
私を右腕に軽々と抱きとめると、そのままソファへと腰を下ろして座り込む。そして左手を差し伸べてミアを呼んだ。
その変わり様は逆に恐怖なのだわ。
「……。」
無言で微動だにしないミアが哀れでならない。
あれは完全に脅威を目の前にして、闘争か逃走に備える猫だ。
「ミア、気にしなくていいわ。この子たまにこうやって本気でふざけるのよ。……周りにわかりづらい方法で。」
そういって私は抱えられたままリリスへと身体を傾ける。
さっきからギュッと私を抱き寄せているリリス。
別にミアに私が取られるとか疎外感を感じたとかじゃない。はず。
そもそも嫉妬心みたいのは『対の指環』で無効化されてる。はず。
じゃあこの子がなんでこんなことをしているのか。
抱き寄せられた時に、彼女の手が震えていることに気付いた。
心臓がドクドク脈打っていることに気付いた。
瞳孔が狭まって、僅かに瞳が揺れている。
不安と緊張。
少し前のミアの様に、リリスは怯えきっている。
「ミア、こっち来て。この子を助けると思って。」
私の真剣な様子と、リリスの妙な雰囲気に気付いたのか。
ミアは恐る恐る、こちらへと近寄ってきた。
「あの……リリシュ?……どうしたのだがャ?」
リリスが纏っていた良くない雰囲気を、動物的な感覚で気取ったのだろう。彼女を見たミアからすぐさま不安な気配があふれ出る。
「……リリシュ?シャル姉たんとティガ姉たんは……?」
途端に目が潤んでくるミア。
近づいてきた彼女の香りで思いを悟ったリリスの顔が申し訳なさそうに歪む。自分の浅慮に後悔するかのような、そんな気配。
リリスは黙って腕を伸ばしミアを抱き寄せた。
そのまま強く私とミアを抱きしめる。
リリスの顔が見えない。
「……不安にさせてごめんなさい。……お二人は生きてます、姿もちゃんと確認してきました。ミアちゃんの言う通りでした。」
心底申し訳なさそうに、辛そうな声。
「じゃぁ……リリシュ、なんでそんなに……?」
自分が教えたこと以上の『何か』をリリスが知ってしまった。そのことに気が付いたミアの声が不安に震える。
リリスは答えない。
ふと、私の右肩にぽつぽつと雫が落ちてきていることに気付く。
「リリス。このままでいてあげるから……落ち着くまで少しそうしてなさい。」
「…はい……」
力なく返事をしたリリスは、小さく嗚咽を洩らして泣きだした。
そんな彼女にミアはどうしたらいいのかわからず狼狽える。
―私は
ときどき、人の業というモノの底なしの悪意に
……いや、悪意すらない欲の深さに
本当に嫌になることがある
この子はボロス達の記憶を覗いて
何を知ってしまったのだろう……
私はリリスの背中をゆっくりゆっくりと擦ってやった。
女たらしのセレナちゃん
寂しがりやのミアちゃん
嫉妬に狂うリリスちゃん
……別に狂ってはいなかったわ
狂ってんのは「人の欲」さね




