第十四幕 「覚める心」
身体に流れる何か。
熱き血潮?漲る力?迸る気合?
体験したことのない興奮が私を満たす。
あぁ……そうか、これが――
「自分に……こんな事ができるなんて、夢にも思わなかった。」
「想像以上。と言ったところかしらね。」
私はミアの動きを見て思わずといった具合に感想を零した。
「わっ、私はもう目で追いきれません!」
リリスはあわあわと狼狽しながら緊張した面持ちで目の前の状況を見守っている。見えてないらしいが頑張って目で追って見守ってる。
健気。
あのあと、ミアが再現したボロスの屋敷の構造把握と、警戒対象として思い浮かべさせた人物の把握は既に済んでいる。
ついでにミアを可愛がっているローザという娘についても。
思っていたのとだいぶ違う印象の娘だった。
では何をしているのかというと―
今現在私たちが居る場所、夢見で作られた空間には……ジャングルのような鬱蒼とした木々と生い茂る深い緑の風景が広がっており、目の前ではミアと『魔獣』による激しい戦闘が繰り広げられている。
魔獣化した生物において、厄介とされる種類は幾つかあるがその中でもトップクラスに危険なのは「高い機動力を有した魔獣」だ。
獣本来の五感の鋭さ、反射神経の高さを強化しつつ、筋力と持久力の強化を尋常ならざる領域まで押し上げる『魔獣化』という現象。
その中でも機動力を限界まで押し上げるのが、飛行を可能とする生物と樹上性の陸上生物。
前者は空中機動戦において比類なき速さを獲得し迎撃を困難とする厄介さ。
後者は複雑な立体地形において厄介極まる動きで補足を困難とする厄介さ。
平面を二次元的に疾走するだけの敵に対して、立体的な機動を可能とするこの二つの例は、一流の戦闘力を有するものでも最大限の警戒対象として扱われる。
目の前のサル型魔獣も後者だ。
長い四肢を精緻な動きで操りつつ、生い茂る木々の中を立体的に動き回る魔獣。時折威嚇するかのように吼えながら、草葉の陰から飛び出して攻撃して来たかと思うとすぐさまその身を隠してしまう。
神出鬼没の縦横無尽な動きで獲物を狩ろうとする殺意。
ミアはその脅威を相手に、すでに十数体もの霊長類型魔獣を相手に一人で立ち回っている。
自分の無力さを嘆いて怯えていた小さな猫人族だったのが嘘のような、驚異的な集中力と身体能力により、順調に魔獣を戦闘不能に陥れている。
「ひいぃ!ミアちゃん危ない!!」
「危なくないわよ、しっかり見えてるし反応もできてる。最低限の動きでサルの爪牙を躱しつつ、しっかりと反撃を入れられてるわ。」
ミアは魔獣とのすれ違いざまに、腱や急所に的確に刃を滑り込ませる。
堅実に避けつつ、着実に相手を追い詰めている。
最初こそ彼女も相手の爪牙に対して『ミアらしく相応に』怯えていたのだが、何回か刃を交える頃には、その表情は嬉々としたものに変わっていた。
ちなみに状況はただの訓練。
私の魔獣に対する知識と経験を流用した、リリスの夢見の権能による仮想敵との戦闘訓練であり、ミアに対しては理力による身体的強化を施してある。
骨から筋肉、体表へ至るまでの身体的強化に加えて、呼吸器系・循環器系の強化。もちろん、知覚の強化も施してある。
そのおかげでミアは超人的な戦闘力を獲得している。
私の理力による『他者への』強化は、他人に対しては『ある程度の強化』にとどめた上で慎重な調整を重ねて実施するという、実に面倒な手間が発生する。簡単に言えば、個人の動きのクセを狂わせない程度に収める為。
数年間の訓練と二年間の実践を共に過ごした討伐隊の仲間ですら、身体への強化は『ある程度』しかできない。
その程度は、私が自身へと施す最大強化値の『数%程度』だ。
他者の動きのクセを把握するということはそれだけ難解を極める。
しかし本能的に体を動かす生物への強化は意外なほどすんなりいく。
つまり家畜や野生動物への強化だ。
多くの個体が生まれてすぐから立ち上がり、本能的に体を動かすことを強いられる野生動物は、訓練と教導を経ることなく自身の体の動かし方を識る。
立ち上がり方、歩き方、走り方、羽ばたき方、泳ぎ方、その他もろもろ体の部位の動かし方。
それが出来ねば生き残れないからだ。
私がエミリアの愛馬であるフェデルに強化を施した時に、彼女はそれに対し瞬時に順応した。彼女が走るということに対して並みならぬ熱意を持ってることも含め、馬という生物が走るという行動を本能的に練達した生物だからできることだ。
彼女は軍馬としての訓練を受けた個体であるはずなのに、本能的に走ることが好きなために私の高い強化に即応した。
だから私は彼女を「素直だ」と評価したのだ。
ミアも同様だ。
私の強化による身体の駆動に対し、動物的な本能に従い即時順応した。
大事をとって段階的に強化を施す安全策はとったものの、既に討伐隊の仲間へと施していた強化値の数倍をたたき出している。
突如として自身の体へと刻まれた万能感。
戸惑うことも振り回されることもなく、十全に使いこなし適応した。
これが獣人族の潜在能力の高さゆえか、ミアの本来の資質なのかはわからない。いずれにせよ彼女の本来の戦闘力の高さは私の想像をはるかに越えていた。
もしかしたら……ミアが『獣化』が出来ないのは、もっと別の理由なんじゃないかな。
彼女の自虐的な性格や臆病な面を改善するために、自信をつけさせようと始めた夢見戦闘訓練だが……思いもよらぬ結果と予想が生まれたわね。
そんな考えを頭に思い浮かべたころ。
「ズダァン!」
と、よい音を響かせながら巨躯のサル型魔獣が地面へと叩きつけられた。
魔獣の胸板の上には小さく体を屈めつつ、奴の心臓に深々とナイフを突き立てたミア。
「いいわ。終わりにしましょう!」
決着がついたのを見届けた私は声を張り上げて終了を宣言した。
ゆっくりと立ち上がり、抜き取ったナイフを握る手を見つめるミア。
「……すごいのャ。」
彼女は小さく呟いた。
形作られた仮想の戦闘訓練空間と仮想敵が紫煙となって霧散する。
霧が消え去った後には白塗りの空間が現れ、数拍を置いて『月影の間』がすうっと音もなく再形成された。
「本当にそう思うわ。私の強化にここまで対応できた人は貴女が初めてよ。」
「み、ミアちゃんケガとか大丈夫なんですか?!」
狼狽えまくったリリスがミアの周りをおろおろしながらうろついている。
ケガしても大丈夫だろうに……
リリスの権能である『夢見』で作り出した仮想訓練であることを『夢見』の主導者である貴女が忘れてどうする。
それに――
「大丈夫だがャ。あいつ等の攻撃は一切あたってないのャ。その前に戦った狼型や熊型も全部避けたャ。」
ミアの言う通り、彼女は最初から最後まで一切の攻撃を掠らせてもいない。最初はオーバー気味に避けてたが、途中からは完全に見切っていた。
「わぁ……ミアちゃん凄い。」
「まったくね。ミアはもともと目が良いんじゃない?戦闘において最も重要な要素の一つだわ。」
この子は私がリリスを神速で小突いた時も、しっかり反応して避けていた。
反射じゃない、反応だ。
事実リリスは叩かれるまで反応できてなかった。
「でもこれは女神さまのちからとかじゃないのかャ?」
未だ自分がやった体の動きが夢のことだと感じているのだろう。
実際、夢の中での体験だ。
だが――
「いいえ。貴女は現実でもこの動きが可能になるわ。安心なさい。」
夢見における身体と近くの強化に差異がないことは私自身で確認済み。リリスが再現した夢見空間の精度と魔獣の動きについても現実に対して一切遜色ない物だ。
彼女は超一級の戦闘力を有している。
私の強化込み、って条件付きだけど。
そして、もしかしたらだけど……彼女はこの体験を元に……
いや、これについては今は良いか。
「なんか……ちょっとだけ自信がついたのャ。」
強がりでもカラ元気でもなく、実感を伴った自分の力への認識。
しみじみと噛みしめる様に、ミアは落ち着き払った様子で言った。
ちょっとだけ。
って印象は多分謙遜だろう。
今のミアの様子は……目の動きも呼吸も心音も、先ほど覚悟を決めやや緊張していた時とは比べ物にならない程に安定した状態。
印象としては、熟練の強兵と何も変わらない。
たったの2~3時間で、この変わりっぷり。
……本当に凄いわね。
訓練を終えた私たちはディダの元へと戻ってくると、元の位置の椅子へと座る。
ちなみにディダはずっと私たちのことを後ろで見守るだけ。テーブルにいつの間にかティーセットを出現させて、お茶や茶菓子を楽しんでた様だ。
暢気か。
「とりあえず、これで事前に確認したいことはだいたい終わったわね。相手の位置情報と人相、ミアの心身の備え。どちらも期待以上の物が得られたわ。」
『貴女のおかげよ、リリス。』
『いえいえいえ、これはセレナの発想あってのことですから!』
無論、夢見による敵情視察も戦闘訓練も私のアイデア。
リリスはずっと「なるほど……夢見にこんな利用法が……」と感心していた。
「ミア、貴女も個人的に確かめておきたいことがあったら今のうちにね。」
「うャ。ちょっと考えてみるのャ……」
そう言って、彼女は椅子に座ったまま押し黙る。
「ふたりとも、一息つくといいですよ。『月影の語り場』でもこれ位は準備できます。召し上がって。」
ディダがそういうと、テーブルにお茶とお菓子が音もなく現れる。
『セレナもリリスも手持ち無沙汰でしょ、これを嗜みつつミアを待とう。』
ディダからそんな思念が飛んできたので、私はティーカップを手に取り口にした。
程よい温かさと香りが舌と喉を滑ってゆく。
……あれ。
これ緑葉亭で出てたお茶?
よく見れば茶菓子も緑葉亭で食べたスコーン。セドリック子爵のメイドに持たされたお土産のやつと瓜二つ。
『ねえ、ディダって――』
私がそんな思念をリリスとディダに送りかける。
『ここでの飲食では現実の腹は膨れないし、出した物は珍しくもないけど。我慢してね。』
ディダが思念を被せてきた。
『わー、緑葉亭のお茶だ。私これ大好きです!』
リリスはいつも通り、素直に楽しんでいる。
私が言いかけたのは二人に対しての思念会話。
そしてディダに対しての私が持つ認識についての内容。
……まぁリリスに聞かせたくないってことか。
まだまだ色々隠したいってことね。
『そ。セレナは聡明で助かるね。ボクについてボクから話すことは避けたい。そのことに関しては機が訪れるまで待ち続けてくれるかな。』
私だけに語りかけた内容であろう思念が脳に染み渡る。
いつだったか言ってた、因果がどうこうって話か。
……ま、いいでしょ。
『セレナのそういう所、ボクは好きだよ。』
うひぇ。
思わずディダに対して胡乱気な視線を送ってしまう。
彼女は月影の女神の姿のまま、柔らかな笑顔と涼しげな目でスコーンを上品に食べてるだけ。
やっぱ向こうの考えていることが読めないのはズルいと思う。
そんなことを考えつつ、相変わらず表情をピクリともさせないディダを傍目に。私は次の話題を切り出すことにする。
「さて、二人とも。そのままお茶しながらでいいから聞いて。この後のことについての話になるのだけども。私はシャルとティガを救い出す前に、もう一つ知っておきたいことがあるのよ。」
ぴくりとリリスの視線とミアの耳がこちらを向く。
「私が知りたいと思ってるのは、ボロスの意図とローザの心境。ボロスが何かしらの目的に従い、ミア達を分断するのは解ってるけども……それに関わっている第三者への意図を知っておきたいのよね。
ミアがローザの相手役として求められているのはわかるんだけど、シャルとティガの扱いに関しては別の意図があると思われて仕方がないの。」
これはミアが聞いたという手下の話からの類推でしかない。
だが獣人族という戦闘向きの種族を、あくどい手を使って囲みたいというのには相応の理由があるはずだ。
本当に何となくでしかないが、私はそこにすごく嫌な予感がしている。
手下の話していた言葉も気になる。
「人形」「ボロボロにする」
戦闘向きの手駒とする割には、何やら使い捨ての意図が散見される。
危ない橋を渡って獣人族を囲う割に、目的が短絡的なのだ。
であるならば「そうなった」後に「誰が彼女をどうするか」が重要になってくる。「誰か」はボロスか第三者か。いずれにせよ関係しているであろうボロスから情報を集めたい。
私はそういう考えであることを皆に伝えた。
「なるほど……わかりました。そこでボロスを調べるのに私の出番ということですね?」
二コリ、とドヤ気味の笑顔でリリスが答える。
相変わらず頭の回転が速い。助かる。
「頼めるかしら?」
リリスの諜報能力について、実感的な評価がない私にとってこの提案はやや不安なのだが。
「従者リリスよ。貴女の経験なら何の問題もありません。ルミナスの慈悲をあまねくすべてに分け与える為、正しき魂の救済の試練の為。存分にその力を振るうと良いです。」
ディダがそう言ってフォローしてきた。
つまるところ――
私の懸念は大した問題ではない。存分に調べてこい。
って、意味だ。
神格の太鼓判付き。
ならまぁ、いっか。
「お任せください!」
やや興奮気味で嬉しそうな笑顔で、彼女は強く頷いた。
張り切りすぎて……ドジっ子をやらかさんでね……?
「ミア。貴女の方からは?何か思いついたかしら。」
私はずっと考え込んでいた彼女にも確認をとる。
「えっと、女神さまはミァの記憶にある物を戦う相手に再現できるんだがャ?」
顔を上げたミアは真剣かつ意気込みのある目でそういった。
「ええ。貴女が詳しく知っていれば知っているほど……その者の再現は可能よ。貴女の印象以上にも、それ以下にもできますよ。」
そういってリリスの代わりに応えるディダ。
相変わらず自然な反応。
「じゃあ思いついたことがあるのだがャ……。お願いできますかャ?」
「よし!じゃあそれを最後にして現実での行動を起こすとしましょ!」
再び私は立ち上がり、その場を仕切る。
「はい!頑張りましょう!!」
リリスもバッと立ち上がると元気よく呼応する。
「うャ!ミァも頑張るのャ!!」
ミアが我々に続く形で飛び上がった。
うむ、各々いい返事!
準備は万全を期して。
懸念事項には細心の注意を払うべし。
そうして私たちはミアの思い付きとやらを確認するために、再びテーブルを離れた。
月影の女神は……ただひたすらに暖かい笑顔で3名を見守っていた。
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