第十幕 「シルバーハート到着」
ふと思い出す。
何も気兼ね無く暮らせたあの日々。
何も無い心安らぐ皆といたあの日々。
もう遠い昔に消えてしまったあの日々。
「誰のせいだとかはどうでもいい。ただひたすらに懐かしい日々。」
【大都市シルバーハート】
ルミナ大陸における最大人口密度を誇る。商業と流行の最先端都市であり、ありとあらゆる人材と品物が、ここでは高値で取引されている。
優秀な各業界の大手企業が鎬を削っており、日夜商品の開発と売り込みに汗を流している。またそれに伴い観光施設や娯楽施設の発展と変化も目まぐるしく、それを目的とした外部からの人の流出入も激しく行われている。
商業区画の隣にある繁華街では酒場と飲食店がひしめいており、少し通りを奥に行けば風俗店と賭場が立ち並ぶ。貧民街とは別物の危うさが漂いつつも、欲望と享楽を一心不乱に楽しみたい連中でごった返している。
居住区画もどちらかと言うと一般人向けではなく、仕事で来る者向けの低賃金な安宿に始まり、期間就労者向け中流宿泊施設が大部分を占める。一部は高級賃貸物件であり、ごく少数の大手商会関係者以外は自分の土地を持たない。過去に流通の要所として宿場街から始まったこの都市は。その歴史の面影を残しており、地元民という考えの住民は少ない。
まさに不夜城といった具合で、この大都市には一日中人が蠢いている。
だから旅行客の数名が街に来ても誰も気付けない。気にもしない。
そんな都市の南側にあるゲートの正午を少し回ったころの事。
秋の寒さも厳しくなりつつある今日このごろ。先日まで降り続いていた雨は今朝方にやっと止んだ。
秋晴れといった感じの気持ちの良い日差し。おかげで今日からはしばらく気持ちの良い日々を過ごせそうだ。
門の詰め所の担当兵士は、あたたかな日差しを浴びながらそんなことをボーッと考えていた。
クソ真面目に往来の出入検査なんて、ここ数年やってない。
なんせ人と物の出入りが多すぎて時間がかかるもんだから、商業組合からクレームが入ったのを境に、門での検査をやめちまった。
戦時中の人と物の出入りの激しさを見ていた身としては、ほんと検査がなくて助かった。
今しがた南門をくぐって町の中に入ってきた一人の女性も、多分外部の人間で旅行者かなんかだろう。背が高くて色白美人な俺の好みのねーちゃんだな。銀髪も似合ってる。あのメリハリのある肢体をピッタリ包んだ白いローブもたまらん。
きっとこの後繁華街にいくんだろな。
新人かな?今度の非番の日に探してみようかな。
くらいにしか考えてない腑抜けっぷりだった。
背の高い色白銀髪美人の女性は、一人そのまま宿場街へとむかう。
街の各所には保安所が設置されており、外国の旅行客は簡単な手続きを経て一時滞在許可証を発行してもらう必要がある。旅行客は宿場街にある保安所にて手続きを行うのが早い。
自国民は身分証があれば問題ないが、何かあった時に滞在許可証がないと詳しい取り調べを受けるはめになる。
色白美人は保安所にて無事手続きを終え、次に宿を探すようだ。
宿場街の幾つかは馬車も停められる大きな店構えの物が幾つかある。
徒歩で来たはずの彼女は、そんな宿屋に入っていった。
「リサ・ストレイア様、ですね。3名で五泊六日のご宿泊ということですが。お連れの方はいつ頃ご入室されますでしょうか?」
「えっと、夕方まで街を見て回り食事を摂るとのことですので。夕飯過ぎには来るかと。」
「承知いたしました。料金前払いでいただいておりますので、お連れ様がいらした際の当施設側への手続き・ご連絡などは不要でございます。ご延長、ご退室の手続きに関しては――」
彼女は慣れた様子で宿泊の受付とやり取りを済ませると、彼女は大金貨を5枚カウンターに置くと、涼しい顔で一等室の鍵を受け取り二階へと上がってゆく。
「どうぞごゆっくりお寛ぎください。」
受付の女性は深々と礼をして彼女を見送った。
色んなものが出入りするこの商業都市では金払いがものをいう。
つまるところ、良くも悪くも上客への詮索はしない。
一等室に3名、5泊で延長予定ありの前払いともなればそんなものだ。
2階最奥の部屋に入った彼女は扉を閉めて施錠すると、部屋の中央へと進んだ。室内を一通り見まわして満足そうな笑顔で――
「思ったよりも広い部屋でしたね。」
そう話しかけた。
「まぁ、これくらいなら指環の効果範囲内だから大丈夫。ルーカスからの指定宿だから変に豪華だったらどうしようかと思ったけども、値段相応って感じね。」
彼女の隣にずっといた私が応える。
「でも、なんでわざわざ姿の擬装を?しかも私だけ。」
色白美人の彼女はグリーンの瞳をくりくりさせて小首を傾げて見せる。
「一番の理由はミアの存在を探している連中を危惧して。もう一つは私という存在がシルバーハートに入ったという情報を隠したいから。かしら。」
セレナは荷物を抱きかかえたままソファへと腰かける。
「ミアちゃんのことはわかりますけど。なんでセレナまで?」
色白美人の女性の周りに紫煙が纏わりつき、彼女の全身鳴りを潜めてを隠す。
煙が晴れる頃には輝く銀髪はいつものアッシュグレーの髪に、色白だった肌も健康的な褐色肌へと戻る。白いローブも暗色系の活動的な出で立ちへと替わり、いつものリリスの格好だ。
「陛下が救済の旅のお触れを出している以上、何かしらの待ち人が出入口を張っている可能性があるからね。」
「あー、奇跡の癒しを求めて。ということですか?」
「それだけじゃないわ。例の跡をつけてきている連中の仲間や、聖女を利用しようとする商魂たくましい一般人。あるいは物見遊山の他愛のない連中。そこら辺を全部回避したいのが正直な所ね。」
「むー。そういうのもあるんですね。聖女ってだけで大変ですね。」
「ええ、大変よ。だから今はミアの姉妹を救うことに集中したいから、このような行動をとったわけ。」
「でも……病気で困っている人まで良いんですか?」
「大丈夫よ。シルバーハートはありとあらゆる技術の最先端が集まる場所だから、治癒院の充実っぷりも凄いの。もちろん難病を抱える人も来るけども、大抵は金持ち向けの施術を目的とした施設よ。『本当に困ってる人』は極まれだわ。」
「はー、なるほど。」
「それに私は全ての人を救うことに疑問は抱かないけども。救うべき順序と機会は選ぶつもりよ。救うべき命とそうでない命を見極めるのも大事。」
「世界中の困っている人を救うなんて無理ですもんね。」
「そゆこと。そしてそれは為政者の仕事よ。」
「ごもっとも。」
リリスは感心したように、うんうんと頷いている。
「にしても、慣れてたわね。偽装して宿泊手続き。」
「えっへん。いつものことですので!」
「調査で色んな宿に泊まっていたっていうのも納得よ。」
「リサ・ストレイアはその時によく使う偽名でして。一応、偽造の身分証ももってたりします。」
「万全ねぇ……やるじゃない。」
「抜かりなし!って奴です。」
そういうとリリスはふんぞり返って胸を張った。
デカいのがたゆんたゆんしとる。
しっかりムチムチ淫魔め。
「なので、安心して良いのよ。ミア。」
未だ私の身体にしがみついているミアに声をかける。身長差がないから動きづらいことこの上ない。
早くどいてくれないかな。
「ミアちゃん。そんなにしっかりセレナにしがみ付かなくても大丈夫ですよ?」
「ほっ、ほんとにかャ……?」
小声でミアが応える。
「うん。平気だよ。」
リリスがニッコリ笑顔でミアの頭をなでると、ようやく彼女の手から力が抜ける。
「ふャ……生きた心地がしなかったャ。」
そのまま私からにゅるりと流れ落ちるように離れると、ソファへと倒れ込んで座面へと染みわたるように広がる。
液体か。
「本当に誰もセレャもミァも気付いてなかったのかャ?」
ソファへと突っ伏したまま顔だけこちらに向けたミアが不安そうな声で尋ねてきた。
「そうよ、少なくとも私たちを見て驚くような、そんな気配はなかったから安心なさい。」
ちなみにどういうことかというと。『対の指環』による偽装効果でリリスはいつも宿泊時に扮していた人物『リサ・ストレイア』なる人族の恰好になっており、私は完全に姿を消した状態でリリスについて歩いていた。
そしてミアは私に抱きかかえられるようにして一緒になって隠匿状態になっていた。
ほぼ身長の変わらない人物が抱き合いながら町中を歩いている。
普通に見たら頭が沸騰してんじゃないかと疑われる有り様だ。
でもそれに気付く視線は一切なかった。
早い話が、ディダの計らいによってミアの姿も隠せたのだ。
『基本的には指環の装着者を中心とした範囲内であれば、意図的な人物に対して指環の視覚と聴覚への偽装は可能だよ。子爵と執事との会合の時もそうだったでしょ?人数なんかも気にしなくていい。ただそう念じてくれれば後はボクがやるから安心して。』
とのことだ。
会合の時、範囲の遮音と一部の仕草を偽装が行えることは、事前に緑葉亭で実験をしたから出来ることを把握していたが……まさか移動中の完全隠匿まで出来るとは思わなかった。
魔術的な隠匿技術の感覚でいうと、停止物体の範囲偽装と移動物体の範囲偽装は指定座標の難易度が天地の差らしいので、まさかここまでとは思ってもみなかった。
至れり尽くせりでありがたい。
やっぱ凄いね、『対の指環』と『ディダの気遣い』。
「さて、夕方までは少しあるわね。ちょっと小腹が空いたし、買い物ついでに外で食べましょうか。」
「せっかく隠れたのに出ちゃうんですか?」
「ちゃんと擬装して移動するわよ。」
「でも……大衆食堂とかいったら3人分も頼んでたった独りだと目立ちますよ?」
「そういう目の無い個室付きレストランとか行きましょ。」
「おー、さすがセレナ。……あ、でもミアちゃんの恰好はどうします?」
「私の服を貸すわ。ゆったり系の服なら入るでしょ。」
胸とか。
尻とか。
「個室レストラン……。た、高くないかャ……?」
「何遠慮してんの。しっかり英気を養わないと。今夜から動くんだからしっかり食べないと大変よ。」
「私もセレナもお金持ちっぽいので大丈夫ですよ!」
「そういえばリリス。あなたさらっと前払いで50万出してたわね。ちょっと感心しちゃった。」
「んふふふー。ようやくお役に立てた気がします。」
「何言ってんの……今までさんざん活躍してるわよ?」
「えへー。」
「ごじゅっ……!?ミ、ミァそんなに払えないャ!!」
「ミアちゃんは気にしなくて良いのですよー。こう見えても私はお金持ちさんなのです。セレナもぽんと大金貨2枚出すくらいにはお金持ちですし。」
「にじゅうまんでぃるをぽんと!?」
ミアが感心と驚愕半々って顔になってる。
「まー、リリスの言う通り別に財布には痛くはないけど。あの時はルーカスが高額な代金を要求してくるとは思ってなかったから……ちょっと驚いたわね。あ、でも浪費家ではないので勘違いしないでね?」
「ルーカスさんから買った道具はセレナからのプレゼントですから大事に使います!」
頬を染めたニコニコ笑顔でリリスが息まいている。
そんなに喜んでもらえてたとは思わなんだ。
ともあれ、笑顔で何よりだ。
何はともあれ、そろそろ行動しなきゃ。
そう思って私は口を開き――
「んじゃー出かけるために着替えるわけですけども。」
そう言いながら、くるりとミアの方を見る。
「あー……そっか、実は私も気になってました。本当ならゆっくりしたいところですが、とりあえずささっと済ませちゃいましょか。」
リリスも嬉しそうな笑顔でミアを見つめる。
「ふャ?」
一人何も理解できていないミアがソファから上体を起こした。
「な、なにかャ。なんで二人ともミァを凝視するのかャ。」
何かを察知したミアが身構える。
「まぁ、十中八九嫌がるでしょうから。」
「苦手って言いますもんね、猫人族に限らず、獣人族の方。」
「あら、鳥人族は大好きらしいわよ。」
「なんャ!なんなんだャ!二人とも目が据わって怖いャ!!」
「ほらほら、じっとして。」
「なんで腕掴むのャ!!」
「私先に脱いで準備してきますね。」
「なんでリリシュは脱いでるのャ!」
「あんたも脱ぐのよ。」
「なんで…っ!!ぐにぁ!見えないャ!」
騒ぐのでミアのシャツをまくりあげて巾着にしてしまう。
そして理力ありの早業で私も脱ぐ。
「うわ、セレナが一瞬で脱いだ。すごい、面白い。」
「っぷわぁ!って、うわ!もうセレャもすっぱだャ!?ティガ姉より早いのャ!!わけわからんのだがャ!!」
巾着から脱したミアが目を点にして驚いている。
まぁ0.1秒もかかっとらんからね。
『纏燐』も一瞬使ってある。
「何するかわかったャ!でも嫌だャ!!」
案の定、嫌がられる。
「観念なさい、ミア。貴女、傷は治っても髪や尻尾の奥まで泥に浸かってたのよ。しっかり念入りに洗わないと、レストランに入れないわ。」
ドレスコードはさておき、泥と埃っぽい汚客は断られかねない。
「さー、ミアちゃーん。綺麗にちまちょうねー。」
リリスはウッキウキで風呂道具一式を持っている。
ていうか何その口調。
変なスイッチ入ってる?
ともあれ、素っ裸に剥き終わり私の手の中でもがくミアを担ぎ上げる。
「ぬわー!いやだャー!」
「往生際悪いわね。」
「大丈夫だよー、怖くないでちゅよー。」
口調と笑顔が怖い。
「お風呂は嫌だヤャァァァァ!!」
猫そのまんま。
物語で貨幣価値に複雑さを持たせるのは無意味なので
1円=1ディル 大金貨=十万 金貨=一万
銀貨=千 小銀貨=五百 銅貨=百 小銅貨=五十 賤貨=十以下でばらんばらん
くらいのイメージ
3人5泊で50万だから、一人一泊3万ちょい
……ブルジョワめ!
風呂回で酷い目に遭わせるぞ!




