第七幕 「ミア・アシュア」
どうしようもないんだ。
彼女が悔しそうな顔をしてそういった。
嫌だ。何か手が有るはずだ。
諦めたくなんか無い。
「でも、どうしようもなく私は……こんなにも無力なんだ。」
猫人族の少女が目を覚ましたのは、もうじき夜が明けようとする頃だった。
このミァと自らを呼んだ少女は、結局あの後ずーっと起きるまでリリスの乳房を揉みしだき、私の小指をしゃぶりつくした。
おかげでリリスは顔が真っ赤に上気しまくってヘトヘトだし、私の右手小指はすっかりふやけてしまった上に、ちょっと皮がすり下ろされて赤くなってる。
そして当の本人はというと。
リリスの乳房に顔を埋めたまま上目遣いで、自分を覗き込む私たちを見つめて固まってしまっている状態だ。
「うャ……おねーさんたちは、誰……ですか。」
お、えらい。
甘えんぼさんかと思ったらちゃんと敬語が使える。
だが自分が置かれてる状況は呑み込めてないようだ。
「えーと、ミァさん?で良いですか?出来れば、その……そろそろ私のおっぱいを解放して頂けないでしょうか……私、もうくたくたでして。」
息も絶え絶えといった具合で、直近の問題を解決しようとリリスが懇願している。
慈愛と気遣いが身を滅ぼすこともあるんだね。
うーむ、勉強になる。
「あわわ!ごっ、ごめんなさい。人違いですャ!」
跳ねるように慌てて体を捻って隙間を空けようとして今度は背中が私にぶつかる推定ミァ。
およそ四時間ほどに渡って、人違いで乳を揉みしだくとは豪気だ。
「身体の調子はどう?まだ痛んだり、違和感のある場所はない?」
そういって私は彼女の右肩の辺りをさすってあげる。
「え、あっ!うャ!?ミァの怪我……治ってるャ!」
ふにゃふにゃと身体をくねらせながら、自分の体のあちこちを確かめるミァ。流石猫人族、関節が尋常じゃないくらい柔らかい。
「大丈夫そうね、よかったわ。」
そう言いながら私は起き上がり、理力を行使して自分の右小指に意識を向ける。淡い光が小指にすうっと集まって、ふやけて赤くなった皮膚をあっという間に元通りにしてしまう。
「うャ!ミァも裸だャ!!なんでャー!」
「覚えてないの?貴女が助けてって言ったから治療して、私とリリスで温めてあげたの。びしょ濡れだった身体を拭いてね。」
私は枕元の下着を手に取り履きながら答える。
「ふぅ……ミァさんはこの洞窟に入った直後に、気絶して動けなくなってたんですよ?」
リリスも生成りのロングシャツに首を通しつつ補足してくれた。
「あ……そうャ。ミァ……その、実は……。えっと。」
何かを思い出したかのようにハッとした顔の後、言い出しづらそうに口ごもる彼女。予想通り、何か事情があるようだ。
「落ち着いて。まずは服を着なさいな。」
私は畳んでおいてあったミァの衣類を手に取ると、彼女の目の前に差し出した。ちなみに私の『超振動洗浄法』で血やら泥やらはある程度落としてある。生乾きだけど。
「ありがとう……ございますャ。えっと……。」
「セレナよ。セレナ・ルミナリス、よろしくね。」
「リリスって言います。よろしくお願いします。」
「み、ミァ・アシュァですャ。」
おや、獣人族で氏持ちだ。
どこぞの氏族の血統なのか。
「ミァ、貴女お腹すいてない?夜が明けるまでには時間があるわ。私もちょっとお腹減っちゃったし一緒にどう?」
さっきこの子を丁寧に治療したこともあって、やや空腹な私はささやかな食事会に彼女を招待してみる。
「あっ、あの……そんな、そこまでごめいゃくは――」
わたわたと衣類を着込みつつ彼女は答えるが。
クキュゥ。
舌っ足らずでやや訛りの在る遠慮を述べようとしたところで、本人の意思とは無関係に彼女の腹の虫が「是非に」と応えた。
「ふふ。遠慮しなくていいですよ。一緒にどうぞ。」
「あぅ……」
ミァが耳をへたっと寝かせて恥ずかしそうにしている。
かわいいね。
私は小さく微笑みながら左手首の魔術バングルから調理道具やら携帯食やらを取り出し、少し早い朝食の準備をする。
ちなみに実は調理用の火はあったりする。
ルーカスから購入した旅道具に魔導具の調理火器。非常用として動力用の魔導器も買ってあるが今は私の魔力で問題ない。
焚き火の様に暖を取るにはやや火力不足だが、暖かい料理を作るのには便利。昨晩もこれで夕食を作った。
うーん、便利になったものだ。
凄い時代。
朝からペミカンはちょっとくどいので、乾燥野菜を粉スープで煮戻したものと炙った干し肉、同じく炙ったパンとジャムを用意する。
ちなみにこのジャムの手持ちにはグリーンリーフ村の緑葉亭で購入したアレもある。リリスが気に入った青い奴。今は並べてないけど。
「携帯食料で悪いけど、味は結構いけるわよ。」
煮て炙るだけの調理を終えた私は、ラグの中央に置いた鍋敷きにスープの煮立った鍋と木製の食器を並べて料理を盛り付ける。
「どうぞ、召し上がれ。」
服を着終わってちょこんと座ったままうつむくミァに食事を勧める。
「食べましょうミァさん。」
リリスはにこやかな笑顔でそう言って、ミァの器にスープをよそって彼女の目の前に置いた。私もパンと干し肉を自分の皿に取り分けてリリスからスープの器を受け取る。
「「いただきまーす。」」
準備を終えた私たちが食事を始めても、ミァはなかなか料理に手を付けようとしない。うつむいたまま料理をじっと見つめたままだ。
そんな彼女をリリスが心配そうに横目でちらちらと気にしている。
「苦手な物でもあるのかしら?」
見かねた私がミァに声をかけると、ビクリと肩を揺らしてミァが顔を上げた。
「あのっ……ちがくて。セレャとリリシュがっ、やざじぐ…ってぇ。」
目を潤ませながら、くしゃりと顔を歪ませた鼻声のミァ。
リリスが驚いて固まっている。
「ミァ……一人になっちゃっでぇ……シャル姉たんもティガ姉もづがまっちゃっでっ……どうじだらいいがぁ、わがんなぐでぇ!」
見る見るうちに涙と鼻水を溢れさせながら嗚咽を洩らすミァ。
リリスが一瞬で悲痛な面持ちになってミァを見つめている。
「うわあぁぁん!」
ついに大声で泣きだしてしまったミァ。
そんな彼女を見つめていたリリスも目からぽろぽろ涙をこぼして、すぐさまミァの傍へとにじり寄ると、何も言わずに彼女を抱きしめた。
リリスの柔らかな抱擁を受けたミァは、もう感情が溢れてとどまらなくなったのか、さらに大声で泣き出す。
なんかすごく見覚えのある光景だ……
私はこっそり小さくため息をつくと、腰をあげてミァの隣に座り、すっかり耳が閉じてしまっている頭をやさしくなでて、泣きわめいている彼女をあやす。そうやって二人が泣き止むのをしばらく待つしかなかった。
リリスが抱きしめたミァの耳元で「大丈夫、大丈夫だから……!」と呟く声がかすかに聞こえた。
10分ほど経っただろうか。
ようやく泣き声は収まったものの未だにすんすんと鼻を啜るミァ。そして彼女を優しく抱きかかえて背中をさすり続けているリリス。
私は手持ち無沙汰なのでリリスにもたれ掛かって彼女たちが落ち着くのを待っていた。
ふとミァを見ると、じっと私の事を見ている事に気付く。
何かな?と思って、聖女モードな笑顔で微笑みつつ―
「何か聞きたい?」
そう尋ねてみた。
「……セレャは……聖女さまなんゃ?」
私の問いかけに、一瞬だけ目を伏せた後。懇願するような眼差しと縋りつくようなマナを纏いながら、ミァは質問してきた。
「そうね、そう呼ばれる立場ではあるわね。ミァは私のこと……ルミナス教の聖女こと知ってるの?」
ミァが小さく頷く。
意外と言えば意外だ。
私はルミナス王国におけるルミナス教としての聖女という立場であり。民族的に関わりが薄い獣人族の一氏族であるミァにまで、聖女という存在が浸透しているとは考えてなかった。
彼らの特殊な境遇は、文化的に人族と隔絶された暮らしをしている者が大多数であり、宗教的な観点でいえば彼らは土着信仰のような宗教形態だったはずだと記憶している。
だからって私が彼女を助けない理由にはならないが。
「あのっ……!」
決心したかのような、それでもまだ迷いの在る瞳で口を開くミァ。
そんな彼女に私は――
「安心して。シャル姉さんとティガ姉さんを助けたいって話なら、出来ることはするわ。ミァ、あなたはとりあえずちゃんとご飯食べて元気になりなさい。話はそれからよ。」
遮るように、だが急かすでもなく。ゆっくりと言い聞かせるように、彼女の目をじっと見つめながら私は言い切った。
ミァの琥珀色の瞳が大きく見開かれ、驚きに染まる。
そして再び目にいっぱいの涙を溜めると。
「みやぁー…」
母猫を探す子猫みたいな声でさめざめと泣き出してしまった。
……やれやれ、リリス以上に泣き虫な子だ。
私がびみょーにげんなりした様子で呆れていると、リリスがじっとりとした眼差しで私の事を見つめている事に気付いた。
リリスは私と目が合うと、キッと強い目つきになると。
『もっとやさしくしてあげてください!』
あやしながら思念会話で怒られた……。
しかも目には涙を浮かべながら。
すごい器用。
『あと私はそんなに泣き虫じゃないです!』
なぜばれた!
あ、そっか『感情の匂い』か。
流石リリス、油断してたわ。
さて、何はともあれ、まずは―
『おかーさん。食事冷めちゃうからミァを早く泣き止ませて。』
ふつーにお腹が空いてるのです。
ごはん食べたい。
そんなことを考えていたら、
「はぁ……。セレナ……このいじわるは、私嫌です……」
肩を落としたリリスが、凄く悲しそうな顔で私を見つめて言ってきた。
「はい……ごめんなさい。調子に乗りました。」
嫌われたくないので素直に謝る。
ピッと姿勢を伸ばして正座する私。
「はい、わかりました。許してあげます。じゃぁミァさん抱っこしててくださいね。」
「いや、流石に私が抱っこするには身長差が……」
実はミァの体格は別にそこまでちっちゃくない。ていうか寧ろほとんど私と同じくらいかやや小さいくらい?こんなの抱っこしたら……
「抱っこしててくださいね?」
そう言って、問答無用でおかーさんは私にミァを預けた。
ぐすぐすと鼻をすすりながら私にも抱きついてくる彼女は、私の足の上に座る形になるので身長差がない私たちは、必然的にミァの方が頭が上になる。
だからミァ抱きつくのは私の頭。
……色々とちがくない?コレ。
あとコイツ、私より胸大きくない?
泣きそう。
1、2分で戻ってきたリリスが手に持っていたのは蒸しタオル。温水式魔導具を使いタオルに熱湯を含ませて絞ってきたのか。
リリスの意図を理解した私はミァを頭から引っ剥がす。
「ほら、ごはん食べる前に顔拭きなさい。」
「ミァさん、これをどうぞ。」
ほかほかと湯気を上げる程よい暖かさのタオルを差し出されて、不思議そうな顔をするミァ。どうすれば良いのかわかってないようだ。
「もう……リリス、貴女がやってあげて。ミァは目を瞑ってなさいな。」
「はーい。じゃあセレナはミァさんを支えてあげてくださいね。」
そう言われた私はすっと足を開きつつミァの身体をくるりと反転させた。
「うャッ」
ストンと私のあぐらの中におしりが落っこちたミァが小さく声をあげる。私は自分にもたれかからせるようにミァの身体を引き寄せるとリリスに声をかける。
「はい。じゃ拭いてあげて。」
「もー……親切なんだか乱暴なんだか。」
親切だよ?
そりゃもう心の底から。
リリスは少し呆れた顔のまま、目を瞑るミァの顔をやさしく丁寧に拭き上げたあと、たたみ直したタオルで目を覆う。なされるがままのミァがグルグルと喉を鳴らしている。
猫のこういうのって無意識な反応なんだろな。
「ミァさんもそろそろ泣き止んでくださいね?……セレナは本当に頼りになるし優しい人ですから、安心して任せて大丈夫です。それに私も精一杯協力しますので。ね?」
甲斐甲斐しく世話をしながら泣き虫なミァを諭すように、優しく優しく語りかけるリリスもまた、目尻に少し涙が溜まったままだ。
「よし!きれいになりましたよ。」
そういってリリスは安心したかのようにミァの頭を撫でている。
「リリス、貴女もちゃんと涙を拭きなさいよ?」
「いじわる。」
「あら、気遣いよ。」
「しってますぅ。」
よかった。
じゃ、安心だ。
「さ、ミァ。ご飯食べよ。もうお腹ぺこぺこ。」
「うャ……ごめんャ。」
「そこは『ありがとう』でいいんですよ、ミァ。」
「……ありがとうャ。」
「スープが冷めちゃったわね。もう一度温め直さなきゃ。」
「あっ、ミァはこのままがいいですャ。熱いのニガテャ。」
「ありゃ、猫舌ってやつですか?」
「ミァも舌がざりんざりんだもんねぇ。パンと干し肉だけ軽く炙り直してあげる。座っときなさいな。」
「あぃ。」
「ミァ、よかったら私のところに座って食べませんか?まだ体の調子が悪いなら食べさせてあげますよ。」
「にャ!……う、うャー。」
え、いいの?あっ、でも……
みたいにころころ表情が変わる。
面白い子だ。
「……あまり甘やかしたらダメよ、リリス。」
「もー、死にそうだった子に甘やかすもなにもないですよ!」
「……リリスおかーさん、さっきから私に厳しくない?」
「そんなことありません!ちゃんとセレナも可愛いです!」
ぷりぷりしながら何いうてんねん。
まぁリリスの言うこともごもっともか。
そんな感じで私たちはようやく食事にありついた。
時間は5時を回ったところ。
秋口の夜明けもそろそろといったところだ。
さて、この子はどんなトラブルに見舞われているのか。
色々話を聞いてみなきゃ。
何にせよ。
これはほっとけないもの。
私は猫アレルギー持ちの犬派です。
なので猫は苦手です。
あんなにふわふわもふもふで柔らかいのに目が痒くなるんです。
毎回我慢して触ってから手を洗い、衣類を消毒して目薬もさしますが、どうしても痒くなる。
なんどやってもダメですね。
なので私は犬派です。
猫も好きですけど。




