第四幕 「救われる命」
きっともう私は死ぬんだ
こんなにも呆気なく
こんなにも淋しく
こんなにも無意味に
「そこから救われたことで気付いた。
その意味。この思い。あの記憶。
いまでもはっきりと思い出せる。」
異変は突然訪れた。
変に緊張していた二人の鼓動がようやく落ち着き、お互いを見合わせ照れ笑いをしながら、そろそろ寝ようかと話し合っていた時。
常に強化されている私の聴覚と嗅覚が異変を捉える。
やたらと小さく弱々しい足音と小さく跳ねる水音。
なのに疲労と焦燥の混じった荒い呼吸音。
そして、血と汗の匂い。
この洞窟を目指して接近しつつある第三者の気配。
『リリス。誰かが洞窟に近づいてる、ランプを消して。』
私は思念会話で端的に指示を出す。
「えっ。あ……」
唐突な私の行動にうっかり口を開いて慌てるリリスに、私はなるべく柔らかい思念をイメージして再送する。
『慌てないでリリス。まだ距離があるから大丈夫。明かりを消したら指環の隠匿結界を。ディダ、頼んだわよ。』
何の音も兆しもないのに私の強化知覚が違和感を訴える。
自分を本格的に隠匿してもらったのは初めてだけど、エコーロケーションで把握していた洞窟内の反響音が明らかに変わった。まるで私達はここに居ないかのような強烈な違和感。
凄いなコレ……
『対の指環による隠匿結界』はちゃんと機能したようだ。
『ごめん。ちょっとびっくりしちゃって。誰か来るの?』
『多分。すごく弱々しい足取りだけど、まっすぐこちらに向かってくる。』
『一人だけ?』
ランプを消し終わったリリスが思念で問いかけてくる。
『そうよ。』
私は意識を集中させ現状の手法による状況確認の精度を高める。
『精霊対話』は使えない。
アレを無暗に使って相手が高位の魔導士だった場合に相手を無意味に警戒をさせる。
聴覚を超強化し音の帯域フィルタリングを行う。環境音の雨音と風音をカットし指向性のある聴音に切り替える。
視覚を超強化して真っ暗な洞窟内から外の様子を伺う。秋雨を降らせてる薄めの雲を透過して、ほんのわずかに降り注ぐ月の明かり。その光の微弱な反射を強化した視覚でとらえて暗闇の動きを観察。
嗅覚は相変わらず途絶えることのない、対象の血と汗の香りを捉えている。
洞窟の入り口を抜けて、左手の森の中。
既に私の知覚によって対象がどういった状況化を掴みつつある。
荒い呼吸音から判断して性別は女性。小柄ながらしなやかな筋肉の動き。しかし足取りは重く、半ば引きずるような歩調はとても不安定。肩口から出血しており、緊張と興奮で大量の汗をかいている。
そして……布擦れと固めの革が擦れる音、装備品の金具音、そして金属製の装備品が鳴らす独特の移動音。
ケガ人は女性、治療もせずに必死にこの洞窟を目指している。ただし武装している。
『リリス。相手はケガ人で女性よ。でも武器と防具を身に着けてる。まだ判断しかねる。まだ様子見しましょう。』
『でも……ケガしてるんですよね?大丈夫でしょうか……。』
素性も解らない他人を心の底から心配するリリスの思念が伝わってくる。
本当に素直で優しい想い。
『相手が慮外者だった場合、手負いの相手への不用意な接触はお互いに取って危険よ。……安心して、危険性がないと判断できたら、死なない限り私が治すから。』
『そうだね……セレナの判断に任せる。』
そんなやり取りをしているうちに、対象の女性が洞窟入り口前までたどり着く。やはり洞窟へ入ろうとしているのだろう。
だが足取りはもはやギリギリ立っているくらいの弱々しさだ。
そして彼女はあと少しで入り口といったところで、足を滑らせて派手に転んでしまう。
バシャッと大きく水が跳ねる音が私の耳に届いて、思わず身体が動きそうになるがぐっと堪えて状況を見守る。
数拍置いて、彼女は左腕で身体を支えながら何とか起き上がり、這う様にして洞窟内へとたどり着いたが、再び手の踏ん張りがきかず顔面を地面へと叩きつけている。
それでも彼女は比較的乾いた地面を目指し、ずりずりと這いつくばる。
怪我した肩口をかばいながら、必死に前へと進んでいた。
やがて、動きも止まる。……もう体力も限界なのだろう。
呼吸は浅く短いし、手足が疲労と痛みで痙攣しているようだ。
ここまでね。
これ以上は彼女が死んでしまう。
『リリス、そのままそこに居てね。私は彼女を診てくる。』
『はい、気を付けて。』
短くリリスとやり取りをして私はすっと立ち上がった。
その瞬間、彼女の耳がピクリと動いた。
……私の動きに反応した……?
「だれ…か……いるの……かャ?」
首だけ僅かにもたげ、なんとか私たちの方をみながら、小さく弱々しく口を開いた。
「おねがい……たすけ……て…―」
それだけ言うと、彼女の全身から力が抜けて。
そのまま気絶してしまった。
私はすぐさま彼女の傍へと駆け寄り、理力を行使する。
あふれ出た淡い光が私の腕を伝って、倒れ伏した身体へと流れてゆき、音もなく傷だらけの体へと吸い込まれていく。
理力による生体走査。各部位の血流と神経伝達系反応検査による異常の有無の診断。
心音は微弱で不安定。
呼吸も今にも消え入りそうな弱さ。
全身に擦過傷と裂傷。
右肩に大きな切り傷。
骨も何か所かは骨折している。
前面から背面、両側面。至る所に打撲跡と裂傷。
内出血も至る所にある。
戦闘による負傷。
しかも一対多数。
でも問題ない、治療は可能だ。
「リリス。治療するから手伝って。」
「はいっ!」
「明かりをお願い。それと例の携帯型温冷式水浴び魔導具で熱めのお湯を用意して。」
「はいっ、わかりました。」
リリスは良い返事をするとぱっと行動に移る。
私は彼女をそっと抱き上げ、先ほどまで私たちが居たラグ敷いてある毛布の所へと揺らさないように慎重に運び、静かに降ろす。
運んでる間、彼女はうめき声すら上げない。
完全に意識を失っている。
それならそれで都合よい。
さっさと治療してしまおう。
私は手早く彼女の装備品を外して、服まで脱がしてしまう。再び体勢を整え、彼女の傍らに正座して手をかざす。
目を閉じ、大きく深呼吸をしたのち理力を行使した。
小さく暗い洞窟内に淡い光があふれ、岩壁が照らされる。
数分が過ぎたころ。
全ての治療はつつがなく終え、彼女の内外の傷は余すところなく治療した。
右肩口の大きな傷に始まり体中の外傷、内出血から骨折にいたるまで全て。
彼女はその間ほとんど反応を見せず、骨を治すときに小さく呻いただけ。
私は外科的治療とは別に、彼女に理力による少しの生命力付与と心肺機能の微弱な強化を行い回復が早まるようにした。
そうやって私は一通りの治療を終え彼女を見下ろす。
呼吸は安定してるし、鼓動も回復。
痙攣も収まってる。
よし大丈夫。
「セレナ、お湯の準備できましたよ。」
「ありがと。じゃあ彼女の体を綺麗にしてあげましょ。血やら汗やら泥だらけやらけだし、このままじゃ可哀そう。」
「はい。お手伝いしますね。」
「うん、おねがい。」
リリスと私は短くやり取りをした後、黙々と彼女の全身を拭いてあげた。
細くしなやかな四肢と躰、大きく可愛らしい耳と、毛の生えたしっぽ。
「獣人族の方だったんですね。」
「そうね。多分、猫人種。小柄だけどすごく柔軟で綺麗な筋肉。」
「この子は……子供でしょうか?」
「どうかしら。亜人種は氏族によってまったく体格が違くて年齢判断が難しいから。」
「私も、獣人族の方とは交流が一切なかったのでさっぱりです。」
「ま、年齢はともかく。このままだと彼女風邪引いちゃうかも。」
そういって私は彼女の額に手を置く。
ヒヤッとした感触。
猫人は比較的体温が高いっていうのは聞いたことはあるけど……今の彼女は多分私達より体温が低い。
「セレナの理力で助けられないんですか?」
「できないことはないけども……正直、獣人族の代謝の尺度がわからないから匙加減が難しいわ、弱った躰に無理やり生命力を流し込んで異常を来さない保証はないし。」
それに『知らない知識』のフォローもない。
「むぅ、じゃぁどうしましょう……。」
「ま、私達で温めてあげるしかないでしょ。」
そう言って私はシャツとキュロットを脱いで下着姿になると、魔導バングルからもう一枚毛布を取り出すとマントのように羽織る。
「なるほど、じゃあ私もー。」
そう言ってリリスもロングシャツを脱ぎ去り素っ裸になると元々二人で使っていた毛布を羽織り、ごろりと彼女の横に寝転ぶ。
ロングシャツの下は真っ裸だったんかい。
そして知らない人の前で裸になることへの躊躇のなさよ……。
さすがは、ばっちりムチムチ淫魔。
いや、いうて私も知らない人の前で下着になるくらい平気になったあたり、相当リリスに毒されているのではないだろうか……。
慣れってこっわ。
「セレナ、早くこの子を挟んであげてー。」
心配そうな顔をしたリリスがかけてきた声で、ふと我に返る。
ちょいちょいと手招きしながら私を急かしてくるリリスにやや呆れつつ、私は彼女を挟んでリリスの逆側に毛布を巻き込むようにして寝転ぶ。
「リリスは背中側を温めてあげて。私は前から挟むから。」
「はーい。」
「うわ。体が思ってたより冷たい。しっかり挟んであげて。」
「よいしょっ……わ、この子見た目よりもずっと軽い。」
「ホントね。こんなに体が柔らかいのに、しっかり筋肉質なうえに見た目よりもほっそりしてる。」
「毛がもふもふでくすぐったい。」
「ちょっとだけね。リリスは寝ていいわよ。私ちょっと起きててこの子の様子をみてなきゃだし。」
「いいですよぅ、私もおきてるから。」
「そ?じゃ、暇つぶしにお喋りでも。」
「いいですね。私セレナに一つ聞きたことがあって――」
未だ降りしきる雨音が洞窟の入口から聞こえてくる。
その他に私の耳に届くのは、目の前で嬉しそうにおしゃべりするリリスと、いつの間にかグルグルと小さく喉を鳴らし、寝息も安定してきた猫人の女の子。
時折、燻るランプの芯が燃える音。
洞窟内に反響するかすかな空洞音、風の音。
しばらくして。
二時間はおしゃべりしてただろうか。
あれやこれやと、会ってからの事合う前のことを話していて、ふと聞きたいことがあったのを思い出す。
『ねぇ、リリス。私も聞きたかったこと一つ思い出したわ。』
あえての思念会話。
すこし不思議そうな顔をしたあと、笑顔で応えが返ってくる。
『聞きたいこと?なんだろ。』
『私が王都を出て最初の晩、貴女が言っていたことの意味をずっと考えていたの。』
『えぇっと、どれのことだろ……。』
少し恥ずかしそうに、はにかむリリス。
『貴女がベソかきながら言ってたことよ。もう私しか頼る人が思いつかなかった。って。あれってどういう事なのかなって。』
『あぁ……その事かぁ。』
照れくさそうに微笑む、だけど少しだけ寂しそうな笑顔。
『私はね、貴女とちゃんと話した記憶があるのは、あの時が初めてなの。でも貴女の言った言葉の意味を考えると、もしかしてだけど……』
『はい、流石セレナです。』
私の思念に被せるように、リリスが食い気味に返答をよこした。
『私とセレナは、貴女が凄くちっちゃい頃に……一度会ってるんです。』
『やっぱそうなのね……ごめんね、全然覚えてないの。』
『ふふふ、いくらセレナでもちっちゃい頃の記憶は残せてないんですね。』
『そりゃまぁ……そうでしょう?で、会ったのは孤児院の頃かしら?それとも神殿に移ってから?私、神殿での最初の頃の記憶もほとんど曖昧よ。』
『……10年ほど前になるんでしょうか。当時、ルミナス王国で文化調査をしていた私の耳に一つの噂が飛び込んできたんです。』
リリスは思い出すように語り始めた。
『小さな孤児院で奇跡の癒やしの業を成した女の子が見つかった。
筆頭司祭のマティアス卿が聖女として神殿に迎えることになった。
そんな噂でした。』
驚いた。
私の孤児院時代、建設現場の事故で死にかけた子どもたちを癒やした直後の話だ。
『聖女という存在がルミナス教において宗教上何を意味するのか判らなかった私は聖女に関する情報を調べて神殿入りの日取りを知ったんです。』
『聖女の何を知ろうとしてたの?』
『何を……というよりも、聖女がどんな子なのか見てみたかったのだと思います。何をするどんな存在なのかも知らなかったので。』
『聖女が神殿へと受け入れられる式典が終わって、参拝者たちが長蛇の列を成して聖女を一目見ようと集まっていました。』
『私はその列に混ざって会ってみようとしたんです。』
『凄い大胆ね……。指環があるとはいえ魔族が神殿に入るって発想が凄いわ。だって確か神殿は……』
『そうです、セレナの言う通り。神殿には退魔族用結界が張ってあったそうです。でも幸運な事に私はそれが理由で会えなかった訳ではなく、私の順番が来るだいぶ前にその日の参拝時間が終わってしまったからなんです。結界の存在に気づきもせず、私はその場を離れました。』
『そんなに人がいたの……行事が会ったことは知ってるけども、当の本人は肝心の式典の記憶が全然ないわ。』
『実は近くでは見れなかったけど、遠目にちらっとだけ見えたんですよ?人族の4~5歳くらいのちっちゃな可愛い真っ白な女の子が、ぶかぶかの高位司祭ローブを着て、すんごくつまらなさそうにしているのが。遠目に少しだけ見えました。むちゃくちゃ可愛かったです。』
そりゃ覚えてないわけだ。事故の話だって御義父様から聞いただけだし、聖女として神殿入った頃なんて全然覚えていない。
でも『会ったこと』というニュアンスにしては印象の弱い話だ。
『それで私、会えないのが悔しくて。なぜか夜の神殿に侵入しようとしちゃったんです。』
うっわ。そゆこと?
むちゃなことを……
『バカですよねぇ……一般解放されてる場所まではすんなり入れたものの、聖女と呼ばれる女の子がどこにいるかもわからない私は、指輪の力で姿を隠して夜の神殿内をウロウロしたんです。』
なんたる無謀……。
ちょっと呆れる。
『そして、日中存在すら気付くことのなかった退魔族結界に触れてしまったんです。魔力感知が下手くそな私は、自分の体にその結界が触れるまで一切存在に気づかず、退魔結界の侵蝕を受けた背中から肩口にかけての大火傷を負いました。皮と肉も裂けるような大怪我だけど、結界が傷を焼いたせいで出血はそうでもなかったんです。』
……痛そう、では済まされない話ね。
『結界の作動により、神殿内は一気に慌ただしくなり、警戒状態に。私は必死に痛みをこらえ傷口を布で押さえながら神殿内を逃げ回り徘徊しました。見つかってはいなかった筈です、それでも向かう先向かう先で歩哨や簡易結界が展開され、私は徐々に退路を失いました。』
淡々と当時のことを語るリリス。
異国の敵地のど真ん中で一人おいつめられていく事態。察するに有り余る、相当な恐怖だったと思う。
『やがて追い詰められるように神殿の奥の角へと移動した私は、食料倉庫のような所に逃げ込んだんです。他に行けそうなところはなかった。』
『姿を消しても、簡易結界によって部屋を調べられたり聖灰を撒かれれば我々魔族が見つかるのは時間の問題。でも食料庫から出られそうな所は高いところにある。せめて背中が無事だったら翼を出して逃げることもできたのですが。』
『え、あなた飛翔魔術使えるの。』
飛翔魔術は割と人族においても高位な魔法技術だ。魔道士でも杖を媒介に飛ぶ人はいるけど、数はそう多くない。
『ええ、ちょっとだけ。背中の翼を魔術媒介にして飛べます。速さは出ませんけども、多少の高度まで飛べますよ。』
『わー。いいなー……』
『セレナだって100mくらい飛んだじゃないですか。』
『あれは飛翔じゃなくて跳躍!ジャンプして落下すんのとかわんないの!』
『単身で羽もなく、そこから落ちて無事なだけで私より凄いと思う……。』
『で?食料倉庫からどうなったの?』
『……』
リリスの反応がなくって気になった私は、彼女の方を改めて見た。
リリスがじっと私のことを見ている。
慈しむような、感謝と好意と信頼の眼差し。
そして懐かしむように笑い、彼女が口を開く。
「そこに居たんですよ、私の命を救ってくれた方が。」
イエァァァァァ!!!
ケモノォォォ!!!
ネコっ娘ぉ!!!
私はケモナーLv4です。




