第三幕 「重なる音」
ときどき不安になる
心が求める振る舞いに従うのは正しいのか
自分自身のエゴなのではと
だからときどきは立ち止まって自分を見つめ直す
「ま、やりたいことやったほうが良いのかも。後悔はしたくないし。」
「雨、なかなか止みませんねぇ……。」
グリーンリーフ村を発ってから三日目の夕方。
どうもこの3日間、秋雨による悪天候は弱まる兆しを見せず。時折ほんの一瞬だけ雨脚が途絶えるものの、どんよりとした雲が晴れることはなく。ぐずついた空と肌寒い風に見舞われる生憎の日々となっていた。
「まぁここらの秋は例年こんな感じらしいわ。ちょうど前線の境目に位置しやすい地形と気候らしくて、冬もけっこうな大雪になる地域で有名よ。」
私はため息混じりにどうでも良い知識を話す。
「セレナの身を寄せ合って焚き火を眺めるのは好きですけど、こうも雨続きだと色々と台無しです。」
相変わらずの真っ直ぐな好意を向けてくるリリスだが、ここ数日二人きりを良いことに常にこんな感じなので、私の方もいい加減に耐性がついたのか変に照れが表に出たりすることもなくなった。
「どうあがいても薪が乾かないから仕方ないわよ。枯木を削り出して中の乾いた部分で火起こしすることも可能だけど。」
「でもこうやって毛布にくるまって二人で温め合うのも良いかもしれません。悩ましいところです。」
「貴女らしい悩みね。」
くすくすと笑いながら、いつものように私を抱きかかえているリリスに身体もたれ掛かって体重を預ける。
「明日には次の目的地に着けるんですか?」
もたれ掛かってくる私を柔らかく受け止め、包み込むように回した腕をすこしだけ抱きしめながら、私の顔を覗き込みつつリリスが問いかけてきた。
「そうね。特に旅程に問題はないはずだから、昼過ぎには【シルバーハート】に到着するはずよ。」
「私、実はシルバーハートには行ったことなくって。どんな所か知らないのでちょっと楽しみです。」
「最先端の技術と流行の都市だからね、宗教や文化的側面の調査には向かない所だもの。お父様も興味は示さなかったでしょ。」
「むしろ人が多すぎて危険だから行かないようにって言われてました。」
「さすがリリスのお父様ね、聡明だわ。」
「危ない都市なんですか?」
「たぶん治安が悪いって理由ではないんじゃないかしら。シンプルに人が多いことを警戒してって意味だと思うわ。そういうところでは必然的にトラブルが増えるものよ。」
「秘匿結界範囲内に人がいる時に変なこと喋っちゃわないように、会話の内容と指環の効果範囲に気をつけなきゃですね。」
「まぁそこは心配してないわ。ディダがちゃんとしてくれるわよ。」
「……あっ、そうでした。昨晩の夢見の終わりにディダさんがそんなこと言ってましたね。」
さては忘れてたな?
すっかりぽけぽけ淫魔め。
ちなみに「そんなこと」とは、昨晩の夢見の着せ替えパーティーが終わる頃、リリスのリクエストに応え続け疲労困憊のディダが、最後に言ってきたこと。
「……つい今しがた『雇い主』から許しが出たから伝えるよ。指環の機能を一つ解放してあげる。今後君たちが声を聴かせたい範囲を広げたり第三者を会話に混ぜたいという意図的な状況以外では、常に君たち二人だけのコミュニケーションは隠匿されることになる。
通常状態として君たちが5m以上離れていなければ、間に他人が居ようと障害物があろうと君たちは意思疎通をする事ができる。伝えたいと念じつつ、喋らずに思うだけで大丈夫だよ。」
つまるところ、私とディダの念話と似た機能。
指環を装着した者同士5m以内なら、意図的な思念通話が可能とのことだ。
短距離の魔導通信の思念版ような物と考えて良いだろう。
『便利といえば便利よね。これ。』
私はおさらいを兼ねて念話でリリスに語りかける。
『むふふ。私とセレナだけの秘密のお喋りができるのは、なんだかすごく嬉しいです。』
さらにギュッと抱きしめながらリリスが返答してくる。
「でも、セレナの可愛い声もちゃんと聞きたいので、普段は普通にお話してくださいね?」
「はいはい。ご要望であれば仰せのとおりに。」
「ふふっ。」
「それにしても、この洞窟。自然窟って感じじゃなさそうよね。」
いま私達がいるのは街道から少し外れた場所に見つけた洞窟。
そろそろ今夜の野営地を決めようと、手頃な場所を探すために知覚強化により周辺状況を探った所。風鳴りの空洞音を捉え、近場に洞窟があることに気付いて探しあてたものだ。
「古い焚き火の跡がありますし、物をおいたり寝床に出来そうな場所があって、そこかしこに手が入ってる感じがありますね。」
「しばらくは使われてないみたいだから使わせてもらってる訳だけど、おかげでコイツからテントを出して設営したり片付ける手間が省けて助かったわ。」
そういって私は左手首に付けた魔導具のバングルを翳して見せた。
キラリと白霊銀の金属光沢がランタンの明かりを反射する。
旅道具を一式収納できて便利なのは間違いないが、設営や片付け、手入れまでは手動だ。当然と言えば当然だが。
「雨に濡れたテントは出すのも仕舞うのも大変ですもんね。」
「洞窟で夜露はしのげるし、ラグと寝袋があれば寝床には十分。」
「それに、こうしてセレナを抱っこしていれば心も体もぽっかぽか。」
「ご好評で何よりよ。」
私に頬ずりしながらスキンシップを楽しんでいるリリスに、あえて淡々と返事を返す。
「もー。セレナももっと甘えてくださいよー。」
「十分甘えてるわよ?私の近しい者や旅の仲間がいまの私を見たら、目をひん剥いて驚くに決まってるわ。」
「そうなんですか?」
「仮にも聖女である私が、同性とはいえ……こんなに他人にくっついて寛ぐなんてあり得ない事だもの。」
「……他の人とこういう事したことないんですか?」
「幼い時はどうかしらないけども、少なくとも物心ついてからはないわね。」
「えへへー。」
「ご機嫌で私も嬉しいわ。」
「言葉が淡白なのは照れ隠しって事なんですね!」
ぐえ、当てられた。
隠すつもりもないけど。
「そうそう。貴女が素直に甘える分。私は厳かに甘えるわ。」
自分でいっときながらアレだが、厳かに甘えるってなんだろ。
「なら今はこれで良いです。いつかちゃんと甘えてくださいね。」
「ちゃんと甘えるって何よ……。」
「わかんないです。ふふふ。」
そういって再び頬ずりしながら強く抱きしめてくるリリス。私もこの状況は素直に心地よいので、彼女のやりたいようにやらせておく。
リリスの胸に抱かれるのは本当に不思議と落ち着くのだ。
グリーンリーフ村で夢見に裸の触れ合いが必要だと言われて、泣くほど恥ずかしがって狼狽えていた自分がウソみたい。
彼女のふくよかな乳房の柔らかさもなんか良いのだが。
伝わってくる体温と柔らかい香りが……やはり一番安らぐ。
あ。
「そういえば……リリス、今日はお風呂いいの?」
「あー……えーと、洞窟内を水浸しにしちゃうのもどうかと思いまして。」
「別に気にしなくていいのに。どうとでもなるわよ。」
昨晩もテントを張るやいなや入浴を最優先にしてたから、よっぽど湯浴みが好きなんだと思っていた、そうでもないみたい?
何やら歯切れの悪い反応をしているが、私の思い込みなのかも。
「……に、匂います?」
「はい?」
「いえ、あの。セレナを抱っこするにあたって臭うのはまずいなぁと思ってまして。身ぎれいにするように努めてるんですけど……。」
「……うん?」
「今日はずっと肌寒かったし、汗もかいてないから……だ、大丈夫かな。って思ってたんですけど。」
「けど……?」
「え、っと……臭うんだったら抱っこするの我慢するので、離れても――」
よく判らんが汗臭いと思われるのを警戒してるのだろうか?
別に汗の香りはしないと思うけど……胸大きいと蒸れるっていうし、当人は気になるのかな?
そう思った私は、くるりと身体をひねってリリスの胸に顔を埋めると、めいっぱい鼻から深呼吸をしてみた。
「ひぃぇ!?ちょちょ、セレナぁ!」
唐突な私の行動に驚いて身を強張らせるリリス。
何を今更恥ずかしがってんだろ?
んで、別に汗臭くもないし。
相変わらず凄くいい匂い。
「別に汗くないわよ?私的にはリリスに抱っこされてる時の香りは凄く心地よくて好きなんだけど。」
胸に顔を埋めたまま上目遣いでリリスを見つつ、もごもごと感想を述べる。
「ぁひぃ!セレナ!そのまま喋らないでぇ!くっ、くすぐったい!!」
「あ、ごめん。」
リリスの反応に驚きつつ、埋めていた顔を引き抜く。
顔面に感じていた温もりがなくなって、洞窟の冷たい空気が顔面に吹き付ける。
「脇腹だけじゃなくて、ここも弱い?」
「お、おっぱいなんてくすぐられたことはないので分かんないですけども。セレナがそこで喋るとピリピリ刺激がして背筋がぞわわわってなりました。はぁ……びっくりした。」
顔を真っ赤にして自身の胸を抑えながらリリスが騒ぐ。
「……でかいからですかね?」
押しつぶされてたおやかに歪む乳房をみて、何か私の胸中にモヤッとした仄暗い感情が湧き出す。
「ひっ。怖い目しないでください。」
「そうは仰られましても?脇や横っ腹がくすぐったいという感覚はわたくしも理解いたしますけれども。胸触られてくすぐったいって感覚はわたくしの人生において一切ないことでございますし。体験したことのないこと、できないことを理解しろという方が理不尽だとわたくしは思いますけれども!」
「セレナはおっぱいのことになるとキレるの止めてくださいぃ!理不尽です!ていうか口調が丁寧すぎて怖い!許して!」
「そういうリリス様も、未だにわたくしに対して丁寧語を使うのをお止めになられていませんけれども!」
「精一杯努力してま……してるよぅ!怒んないでぇ~!」
「べーつに怒ってなんかおりませんけどもー!?」
「じゃ、じゃあ私が同じ事してセレナがくすぐったがらなかったら私が変ってことでいいから!声上げたり、反応したらおあいこ!」
「ほー?面白い!やったろーじゃないのー!」
「おわ、乗り気だ?意外!」
「ほれ!遠慮なくかかってきなさい!」
そう言って私はリリスから身体を離すと両手を広げて構える。
リリスの温もりが全身から消えて、洞窟の寒さが肌を刺してゆく。
ちなみにリリスも私も、まだ下着やら肌着やらは着てます。
「え……と。じゃ、じゃあいきまーす。」
私の目と胸部を交互に見つめた後、頬を染めながらおずおずと顔を近づけてくるリリス。そーっと近づきながら彼女がごくりと喉を鳴らす。
何緊張してんねん。
私の控えめで残念な乳房まであと少しという距離でリリスが口を開き、浅く呼吸をする。秋口とはいえ冷え込んだ洞窟の空気により、彼女の呼吸が白い吐息になって目に映る。
ごくり。
あれ、なんで私も生唾飲んだんだ。
緊張してる?
そんな私をよそに、彼女の口から漏れたはぁっという吐息が肌着越しに私の肌へと触れるのを感じる。
その瞬間、背筋にさわわっと何かが駆け抜けた。
ほぁゎ?!
あれ!?何だこれ!?
不本意な事態に「ちょっとまって」と言おうと息を吸い込んだ次の瞬間。
リリスの唇が私の小さな胸に触れ、ぷるんと柔らかい感触と熱い吐息の熱が薄手の布を貫通して伝わってきた。
「ぁひぅっ」
背筋を電撃が通り抜ける。思いもよらない刺激が身体を貫いたせいで、びっくりした肺が更に膨れて勝手に息を吸い込んだ。そして脊髄反射的に喉が音を鳴らす。
自分でもびっくりするくらい、艶めかしくて情けない声が漏れた。
「……。」
先ほどと逆転した体勢。リリスの目が点になって私を上目遣いにみてる。彼女も私のこんな反応を予想していなかったらしく驚いたように固まっている。
というか「まだ喋ってすらいないのに?」と言わんばかりの表情。
「せ、せへあ?」
彼女が半開きの口のままおずおずと喋るせいで、そのたびに熱い吐息が私の乳房に熱を伝える。
「んぃっ!ひっ!?」
また脊椎にしびれる様な感覚が駆け抜けた。
あかんこれ。
意思と無関係に身体が反応しとる。
私の胸はこんなに敏感だったのか?!
とにもかくにも、私は広げていた両腕をばっと閉じてリリスの頭後がっしり掴み、力強く彼女の頭を引っぺがした。
「わ!?」
「よしわかった。私が悪かったわ。これを続けるのは危険よ。なんなら私の負けでいいので、この件は終わりにしましょう!」
絶対に顔が真っ赤になっていると確信できるくらい、自身の顔の熱を感じながらリリスをじっと見つめつつ宣言する。
「……は、はい……」
なんかリリスの表情が……唖然と驚愕と歓喜に満ちた顔になってる。
ていうか、あれ?
「リリス。あなた目が……。」
「ふぇ?」
半開きのままの口から間の抜けた返事が返ってくる。
「目が魔族特有の縦長の瞳孔に……なんか赤みも強くなってない?
ていうか、リリス。よだれが垂れてるわよ。」
「おわぁ!?」
じゅるっ!と、豪快な音をたてて垂れ下がっていた涎を吸い込むリリス。
そう、口角からわずかに溢れてるんじゃなくて、唇から垂れ下がるほどの量で涎がでてたのだ。もう完全に得物を目の前にして興奮しきってる猛獣そのもの。
「貴女の素性を知ってるから驚かないし怖くもないので別にいいのだけど。……大丈夫?正気は保ててる?」
普通に心配になって思わず聞いてしまった。
「えっ、あっ。は、はい!だっ、大丈夫でじゅ。うひっ!?」
言った傍から涎が溢れて、慌てながらじゅるりと啜り上げている。
これはアレかな……
サキュバスの本能を完全に刺激したとかかな?
「すごいわね。理由はわからないけど指環の擬装が適用されなくなるくらいの心理状況になるなんて。どうやら角は出てないみたいだけども。」
「……。」
無反応。
リリスが無言で私の胸を凝視しておる。
やっぱ正気を失っとらんか、この子。
おかげで私は逆に冷静になってきたわ。
てゆーか。ねぇ、ディダ。
大丈夫なんでしょうねこれ。
『問題ないから存分に戯れるといいよ。できれば正気に戻してから寝てね。そのまま夢見に来られるとめんどくさそうだし。』
即応された。
辛辣に。
はぁ……まぁいいけど。
私は短くため息をつくと、くるりと身体を回転させつつリリスの胸に背中から飛び込むようにもたれ掛かった。いつものように体重を預けて、彼女の腕をつかむと自分の体を抱きかかえさせる。
「はっ!?私は何を!?」
私が飛び込んだ衝撃でハッとするリリス。
「サキュバスに性的興奮を押さえつけろなんて無意味な気がするから、お願いに留めておくけども。抱っこしていいから正気に戻ってくれないかしら。」
ぐいぐいと背中で彼女を押しつつ、頭上の彼女を見あげながら様子を伺う。
勢いとはいえ自分の言動によって彼女が今の状況に陥ってるのであれば、相応に責任を取らねばなるまいとは思うが。
少なくとも実技に至るようなことは避けたい。
どうにかコレで。
「あ……いえ、大丈夫です。心配してくれてありがとござ――」
「敬語。」
「……ありがと。」
ふー……、っと長いため息をつきながらリリスはぎゅっと私を抱きしめた。
なんか上の空って感じの惚け具合。
「どういたしまして。……本当に大丈夫?」
「うん、本当に大丈夫。」
「こんなことになるのね、貴女。」
「……セレナが疲れて寝ちゃった夜もメイにも教えてもらいました。目が魔族の時と同じになっているって。」
え、初耳。
あの夜私が寝てる間に何があったんだ。
「感情が高ぶったり夢中になると素になる。って感じかしら?」
「セレナが寝てる間にメイと協力して、お風呂で洗っただけなんですけど……セレナの赤ちゃんみたいな肌を見てたらそうなりました。」
「別に私の裸なんて見慣れてない?毎晩寝るときに触れてもいるし。」
「ですよね……だからこそ良く解んないんですけども。」
「ま、お互い色々と知らなきゃいけないことがある。ってことが知れたから良しとしておきましょ……。」
「はーい……。」
釈然としないけど、解明はまたの機会にしよう。
今はとりあえず、このやたらと煩い鼓動の音を二つとも鎮めなければ。
「「はぁ……」」
綺麗に重なった二人のため息が洞窟にしみわたる。
また、ふたつの鼓動の音がどくんと大きくなった。
ちょっと人の目から離れて二人きりになるとこれです
まったく困ったもんだいいぞもっとやれ
……しばらくずっと、こうですからね?
おあづけ食らって涎が出そうな方は頑張ってください
じゅるり




