断章 「うごめく影」
静かに忍び寄る影
だけど静かに行動するにはゆっくり慎重に、鉄則です
だからちょっと手出しが遅れることも
遅れを取り戻そうとして変なことをしなきゃ良いけど
「そういうのボロを出すっていうのよ」
あの日の夜の、とある一室。
一人の男は苛立ちに満ちた顔をしていた。
司教クラヴィス・モルド
ルミナス王国の国教、ルミナス教の大神殿に所属し布教派としての活動を一心不乱に務める敬虔なる信徒として名高い彼だが……普段、民衆の前で見せている穏やかな表情とは似ても似つかぬ醜悪な顔を暗闇に潜ませていた。
清貧を誓うルミナス教徒にしては恰幅が良すぎる彼は、その手に高級酒をなみなみと注いだ杯を持ったまま唸っていた。
―なんたる失態。
彼は一人考え込んでいた。
(あの聖女がたかが林業を営む小さな村に立ち寄るとは……予想しろという方が無理がある! だいたいなぜあんな森から離れたところに魔獣が出現したのだ?! 実験場から離れているどころか、森が途切れてから相当距離があるはずなのに、なぜ魔獣は森を出たのだ!
奴らが『灯台下暗しということもある、まさかゴミ捨て場が我々の魔獣開発実験場だということに誰が気づくものか』などと言ったから私の管轄に組み込んだというのに! 連中が実験場を失った責任を私に押し付けてきたら、組織における私の立場が危うくなるではないか!!)
『深き影達』の報告書に記載されていた4日前の内容を思い出しつつ、あの時の心情を思い返して歯ぎしりをする。
王都近隣に末期個体の魔獣が出たなどと噂が立てば国民に不安を訴える声が上がり、王国部隊が動くことは想定の範囲内だ。
むしろ時期が来たら実験を兼ねて騒ぎを起こす計画もあった。
だから魔獣たちが森を出ないように常に一定数の『影』を配置し、『負のマナ』による誘導を行っていたはずだった。
だが、あの日。
一頭の熊魔獣が突如狂ったように駆け出し、一心不乱に森の外へと走り出した。そして更に最悪なことにその発狂した個体が目指した先に居たのは『あの聖女』だった。
その一文を読んだとき、聖女が負傷でもしたりしたら大騒ぎになって実験場が露見するという予感が頭を過った。が、なんとあの小娘は素手の2撃で魔獣を屠り、自ら解体して食ったというのだ。
極寒の死地帰りの中でも特級の化け物ぞろいである魔王討伐隊の5名。
かの地を2年もの間行軍した奴らが尋常ならざる時を過ごしたことは容易に想像がつく。きっと魔獣の1体や2体は何の苦もなく狩り、食料として充てていたのだろう。
吐き気を催す壮絶さだ。
だがその中で一番の化け物は実はあの『聖女セレナ・ルミナリス』だったのではないか。
最初の報告書を読んだときにクラヴィスはそう思った。
そしてその翌日に上がってきた報告書を読んだとき、クラヴィスは卒倒しそうになった。
村の名士が野盗により拉致されており、その一味を聖女が拿捕したという報告だ。
報告を読んだのは聖女が村に着いた翌日の昼過ぎ。
神殿での礼拝が終わった後で遅きに失した。
すぐさま残りの野盗を消そうと『深き影達』を動かそうとしたが、既に遅かった。朝早く聖女たちが連中のアジトに乗り込み、残党狩りを終えた後で、全員が村の保安所内にある留置所に捕らえられていた。
尋常ならざる事の運びの早さ。
捕まった連中を殺せと命じるも、やたら老練な執事風の強者と寝ずの騎士2名により、暗殺は不可能との報告を受けた時。怒りのあまりに机を思い切り叩いて手を怪我したことを思い出す。
まだ疼く治療跡を撫で、杯の酒を一気に煽る。
野盗連中に『銀の筒』を『生産所』から運ばせていたこと、森に潜む『深き影達』にゴミ山での実験と情報記録、魔獣の管理を行わせていたこと。
全ては数年間、何の問題もなく順調に進行していたというのに……あの聖女がたったの四日で全てを露見させた。
いや、まだ我々と『影』について何もわかってないはずだ。
だが王国の零番隊が動いた情報は既に組織にも伝わっている。
あれが動けば当然ながら実情は明らかになっていくだろう。
先ほど読んだ今回の報告によれば今日にでも特務部隊が森へと派遣され、聖女達もゴミ山の調査へと向かうとのことだ。
だが準備は抜かりない。
あのゴミ山を一撃で吹き飛ばす証拠隠滅装置は準備してある。
大型バリスタの矢に大量の爆裂術式を封入した魔具を装着した、あの長距離爆撃装置。あれが作動して着弾してしまえば超一流の防殻魔術部隊でも居なければ防ぎようが無いはずだ。
『影』にも状況露見に伴う証拠隠滅手順の指示は出してあり、状況次第では現場判断にて即時実行を指示してある。
あの小娘が強固な防御魔術を使ったという話も一切聞かん。
南方諸国の信者が同行したという話は有ったが、その褐色女も大した魔力を有しておらず、いっぱしの魔術も使えんただの珍しい南方信者だとの話だ。
神の奇跡でも起きん限り事態は闇へと葬られるハズだ。
大丈夫だ、問題ない。
野盗の方も審問官の一団に我々の手のものを潜ませた。
王都に着く前の街道途中で暗殺を済ます手筈になっている。
こちらの証人を消すのも十分時間の余裕がある。
全て対応できている。
大丈夫だ、問題ないはずだ。
そう思えば荒んだ気分も少し落ち着いてきた。
クラヴィスは酒をもう一杯飲もうと立ち上がり、高級酒のボトルが並ぶ棚へと歩み寄った。
その時。
チリリ。
と、小さな鈴の音が聞こえた。
『深き影達』の伝聞役が来た音だ。
「証拠隠滅の報せか!」
クラヴィスはボトルと杯を持ったまま、いそいそと私室の角にある小窓へと向かい、蓋を開けて耳を傾けた。
「……審問官に潜ませた部隊が、野盗を消すのに失敗しました。街道に出る前に王国軍の強襲部隊に審問官含む全員が捕縛され、証人は国王の庇護下に入りました。」
何の抑揚もない、淡々とした口調の小声。
聞き間違えようもない忌々しい事実が鼓膜を揺らした。
クラヴィスの顔は一瞬で真っ赤に染まり、怒りに震えだす。
彼はでっぷりとした両腕を振り上げ、すぐさま振り下ろすとボトルと杯を床に叩きつけた。
白霊銀の杯が柔らかな絨毯で跳ね返り部屋の隅へと転がってゆく。
高級酒のボトルは割れて四散し、たっぷりと残った中身を床にまき散らした。
「無能どもめが!!」
クラヴィスの叫びが閉ざされた部屋だけに響き渡る。
その後には興奮した彼の荒い息遣いだけが静かに部屋に残った。
セレナ達が森の奥深くで死闘を終え、クロ達の骸に静かに祈りを捧げていた頃の出来事である。
お話における悪役の失態は大事な要素
ちょっと失敗してくれる方が扱いやすいです
なんせ反動が付けれますから
さあ、彼が打つ次なる手はいかに!
どうしよかなー……




