第四十三幕 「治ることのない病」
この身に宿る炎は何なのか。
後悔や復讐、無念……誰かの潰えた命が遺された者に訴えかける
それでもこの炎は信じて良いのか。
誰かの死を糧に燃え上がる炎が健全であるはずがない。
「だとしてでも、人にはそれが必要なのです。
それ故に、私はそれを悪とは定めない。」
黒い風は疾風のごとく駆け抜けた。
しかし今度は黒毛へと超接近するわけではなく、周辺を縦横無尽に飛び回る。両手の剣を振るうことも無く、ただ飛び回る。
時に木を足場に跳躍し、時にゴミ山の頂上から飛翔し、時に地を擦るように駆け抜けた。
『グルルルルル……』
間合いの外で高速に飛び回る影を目だけで追いつつ、黒毛は低くうなりながら警戒をしている。
相手の出方を伺い、状況を観察し、最善を考察する。
だが相手の黒い風は終始黒毛の周りを飛び回るだけだった。
黒毛は状況を理解する手札が足りず手をこまねく。
黒毛はその知能の高さ故に不用心に動くことができなかった。
そんな異様な戦闘状況を遠目に観察していた私はふと気づく。
彼が飛び回るたびに、何か細かい靄のような……かすかにきらめく何かが舞い散っている。
……あれは土埃?
それにしてはやや金属のようなきらきらした質感に違和感。
答えが出ぬまま飛び回り続ける彼を見続けること1分ほど。
やがて老兵は飛び跳ねるのをやめて、黒毛から離れた位置へと降り立った。
黒毛は何やら鼻をスンスン鳴らしているだけだ。
やはり状況を判断しかねている様子。
そんな黒毛を睥睨しつつ老兵は口を開いた。
「私は昔から攻撃魔術が苦手でね、固いつぶてを素早く飛ばすことも、風の刃で相手を切り裂くことも、炎の槍で焼き貫くこともできなんだ。」
地面に降り立った老兵は、黒毛を見つめながら淡々と話す。
彼の言葉に、私は眉をひそめる。
いま、すごい変なこと言わなかった?
「風を起こそうにも、吐息のような風しか起きん。せいぜい向きを自在に操れるくらいだ。」
老兵の言葉に風の精霊が笑っている。
くすくすと囁くように、小さな風が巻き起こる。
ふと周囲に緩やかな風が吹いていることに気づく。
黒毛の起こす風ではない。
弱く穏やかな内巻きの風が、黒毛の方へとそよいでくる。
「いくら土のマナを練っても、手元に鉱石の粉くらいしか生成できん。必死に大地にマナを流しても分厚い土壁がやっと出来るくらいだ。」
老兵の言葉に土の精霊が笑っている。
ガハハと豪快に笑うように、緩やかに大地が盛り上がる。
小さな地鳴りとともに、大地から大きく分厚い壁が生える。
黒毛は周囲に目を配るが脅威を感じていないのか、スッと一瞥するだけだ。
鈍重な壁もまた、のろのろと遠巻きに黒毛を囲むだけ。
「火のマナなど悲惨だ。できることは小さな炎を灯すのが関の山だ。」
老兵の言葉に火の精霊が笑っている。
一笑に伏すように、鼻息一つで吐き捨てる。
老兵は剣を持った右手を眼前にかざし、人差し指を立てる。
小さく弱々しいともしびが、彼の指先にポッと灯る。
……3属性?
生来の適正は良いところ一つか二つ、才能ある魔導士はその後に精霊との契約を増やし行使を可能とする。
こんな弱々しい、魔術と言えぬ強度しか出せない者が3つも属性を……?
「小さな頃から必死に魔術鍛錬を続けたのだがな。風も土もろくに育たぬ。多少は広く多く事象を起こせるようになった程度だ。
唯一、小さな小さな灯火がすこし離れた所に顕現できるくらいに落ち着いた。さりとて、その程度。なんとも無惨な話だ。」
老兵はため息一つ吐き出すと、指先の灯火を吹き消す。
緩やかに黒毛を囲いつつ有った愚鈍な土壁も、ようやくぐるりと一回り。後は老兵と黒毛の間にある隙間が残るのみ。そこもやがて緩やかに閉じ始める。
「中途半端に知恵が回りすぎるのも考えものかもしれんな。所詮は獣、鉄の匂いは嫌いかね?」
酷く嬉しそうな笑顔で、彼は黒毛が慎重に振る舞うことを嘲笑う。
鉄……鉄粉?空中に舞い散るほど小さい粒子の鉄の粉を撒いている……いや違う、あそこに舞っているのは鉄だけではない、それ以外にも複数の鉱物微粒子が舞い踊っている。
私の強化された嗅覚は少なくとも4種の鉱物らしき微粒子を嗅ぎ分けている。しかし地質学的な造詣が深くない私にはそれぞれが何の鉱物か判断はできない。せいぜい鉄と硫黄が分かる程度だ。
何が起きるのか理解できないと同時に、ワクワクしながら状況を見守る私がいる。
そんないい場違いな期待感を抱いていると脳内に意識が割り込んできた。
『セレナ、警告だ。彼がやろうとしていることがそのまま実行されると土壁もろとも一帯が吹き飛ぶ。リリスの隣へ行ってもう一度魔術防郭を最大出力展開するように指示して。後はボクがやる。』
……おんやまあ?
今までに無い、とても親切な『知らない知識』が頭に流れ込んできた。
絶対に知識の提供の範疇ではないよね、これ。
純然たる『介入』じゃない?
『時間がない、急いで。』
はい。
ていうか、あの老人が何をやらかそうとしているのか、ディダの「一帯が吹き飛ぶ」という言葉でようやく理解した。
私は後方へ跳躍すると、リリスの隣へと引き下がる。
「リリィ様。もう一度防殻魔術を。全力で。」
「えっ。あの、いったい―」
リアムとフィンも何が起きるのか全く判らないといった様子で、師の方を見つめているだけだ。
「早く!」
私は叫んだ。
「あっ。は、はい!」
私が叫ぶのに驚いた彼女は何故か私にしがみついてきて目を瞑る。
「皆様!!伏せて!!」
私はまだ戦闘中だったヴァルド隊達にも叫ぶ。
私の逼迫した叫び声と、老兵が纏う奇妙なマナに優秀な軍人たちは即応する。すぐさま魔獣から距離をとり、姿勢を低く構えた。
リアムとフィンも慌てて姿勢を落とす。
私は再び黒い老兵へと視線を戻した。
既に土壁は閉じられている。
ゆらりと手を伸ばして、人差し指を差し向けた老兵が何をする気なのか。
鉄粉、硫黄粉、その他複数の鉱石粒子。そよ風で制御された微粒子と空気、分厚い土の壁。
そして小さな火種。
つまり、これは―
「塵芥、そよ風と、ただのつちくれ、小さき炎。」
トマスはとても穏やかで落ち着いた表情で呟く。
「貴様が慎重で助かったよ。」
にこり、と彼は微笑んだ。
次の瞬間、彼の指先から小さく弱い火のマナが放たれた。
だが火は指先には灯らない。
ではどこへ?
決まっている、黒毛の居る処、壁の中。
次の瞬間。
超巨大な雷が目の前に落ちたのかと錯覚するほどの一瞬で周囲の空気を吹き飛ばす轟音と、地面が地平まで割れたと思うかのような深く重い振動が同時に起きた。
分厚いはずの土壁が小麦粉のように飛び散るかの如く、四方八方へと膨れ上がったかと思えば、中からは真っ白に燃え盛る高温の炎と全てをなぎ倒さんとするかのごとき苛烈な衝撃波が同時に飛び出してきた。
燃焼する鉱物が色とりどりの火花を撒き散らかし、空気を切り裂く音を響かせながら咲き乱れる華のように眩く舞い上がってゆく。
私の強化した視覚と聴覚と触覚を嘲笑うかのように、光と音の破壊神が刹那の間この場に顕現したのかとさえ思った。
フィルタリングしてなかったら失神してたかもしれない。
思考と知覚を強化しゆっくりと流れるような時間の中で、空間が歪むほどの圧力が放たれ視界が歪むのがわかる。
巨大な熱量と圧力が衝撃波となって再び放たれたことで、ゴミ山広場の周辺にある木々が更に広範囲になぎ倒されている。
リリスとディダによって貼られた防殻が外圧によって軋んでいる。あまりにも強い衝撃と熱量に魔力強度がガンガン削られているのが見て取れる。
「微弱な3種のマナによって生み出される、複数の可燃性鉱石微粒子による積層型圧力拡散粉塵爆発。私はこれをこう呼んでいる。『層塵・星滅華』。
塵によって塵に還るが良い。」
渾身のドヤ顔で決め台詞を披露する、黒い風。
えー…。
背筋に寒気が止まらんのですが。
爺さん、70にもなっているであろう年齢で、ソレか。
心が強い。
私はあまりにもあんまりな光景にしばし呆然とした。
放たれた暴威はあまりにも苛烈であり、リリスの防殻がなければ間違いなく無事では済まなかっただろう。
というかトマス自身も無事じゃなかったはずだ。
普段はどうやってあの爆発をやり過ごすんだろ……。
正直言ってしまうと瞬間的な破壊力だけ見れば、私の仲間である大魔道士ソフィアの合成魔法より強力だ。
彼女の場合はそれがさらに広範囲で長時間にわたって行われるので、戦術的価値は別物になるのだろうけど。
とにかく、もの凄い爆発だった。
「ありがと。リリス。」
私は小声でぽつりと感謝の言葉を彼女に伝える。
先程の爆裂魔具の攻撃の比ではない惨状を目の前に、茫然自失としているリリス。彼女の肩をポンと叩きながら立ち上がると、私はトマスの方へと向かった。
未だ爆心地には煙が立ち込めていて視界が通らない。
立ち込める焼け焦げた臭いでむせそうになる。
しかし、そのような壊滅的な破壊のさなかにあっても。私達同様ゴミ山の保護はしっかりと確保されていた。リリスの防御魔法とディダの最適化のお陰で、証拠となるゴミ山は二度目の難を逃れた。
「やってくれましたわね。」
再びトマスの近くへと戻ってきた私は、開口一番苦言を呈する。
「いやはや、お恥ずかしい限りにございますな。」
さっきまでの攻撃的な雰囲気はなりを潜めて、最初に出会った硬い雰囲気の執事に戻ってしまったトマス。
「リリィ様の防殻がなかったら、トマス様は国家の危機に関する事件の深刻な証拠隠滅罪でございましたわよ。思慮を欠いた勢いに任せ過ぎな行動はお控えくださいまし。」
私はため息混じりに付け加える。
「いえいえ、セレナ様とリリィ様であれば再びご協力いただけると確信しておりましたので。」
眉一つ動かさず、そんなことを言ってのける執事。
「……それと、なんですの?さっきの決め台詞。トマス様の意外な一面を見せつけられて背筋が凍えそうですわ。」
いけしゃあしゃあととんでもないことを言ってきた彼に対し、ちょっとは考えてほしいと思い、とびっきりのダメ出しをしてやる。
「おや、この良さがご理解いただけないとは。まぁ、セレナ様は女性ですので。男が幾つになっても捨てきれないカッコいい物への憧れは理解し難いでしょうな。」
通じてなかったわ。
心が強すぎる。
「はぁ……。まぁ良いでしょう。個人の自由にございます。」
「然り。何者にもこの病を癒せぬのです。」
病気あつかいしとるやんけ。
私はこのことに触れることを諦め、気を取り直す。
そして爆心地へと目をやる。
いまだ立ち込める粉塵と煙、黒毛の魔獣の姿は見えない。
「さて。トマス様、そろそろ真面目なお話に戻りましょう。」
「承知いたしました。」
彼は頷き、私同様爆心地へと向き直る。
その視線は慚愧に堪えぬ面持ちといった風。
「……その様子ですと、お気づきですね。」
「老いてなお、少なからず武を志した者ゆえに。誠に遺憾ながら。」
気流が落ち着き、森の間から吹いてきた風が広場を通り抜ける。
ようやく煙が晴れそうだ。
「環境適応種とはそういうものですわ。あなたは武人としての最善を尽くされ、仇討ちの手札を惜しみなく振る舞われました。充分でございます。」
散ってゆく煙の中には燃え上がる憤怒をギラつかせた2つの光が煌々と輝いている。
奴はまだ無事だ。
体毛が焦げて所々縮れているし、魔晶化した外殻も所々欠けたりヒビが入っている。しかしソレだけだ。
巨躯は身動ぎもせず、極太の四肢はしっかりと地を踏みしめている。
余裕があることを示威したいのか、悠然と待ち構えたまま。意気軒昂といった具合の敵意を静かにこちらへと向けている。
「やれやれ、本当に嫌になりますな。魔獣という存在の理不尽さは……我々が積み上げてゆく鍛錬や命がけの一撃をなんとも思っていない。」
そう言いながら自身の手を眺める老兵は、深く重いため息を吐いた。
「セレナ様、老いぼれめはここまでのようです。……命を燃やせば後一合。刺し違える覚悟は有れど、私めには後釜の育成という役割を投げ出す勇気はございません。」
彼の見つめる自身の手はブルブルと震えている。
恐怖ではない。彼の意志に老いた体がついていかないのだ。
顔をあげたトマスは非常に無念そうな諦観の眼差しを、未だ動こうとしない奴へと向けている。
「承知いたしました。先陣の務め、お疲れさまでしたわ。」
私はそう言って執事の前へと出る。
トマスは追い抜きざまの私に静かに一礼すると、踵を返し後方へと歩いていった。
そんな彼の気配を感じつつ、私はゆっくりと歩み出て黒毛の魔獣の眼前へと立つと、改めて周囲を見回す。
未だ周辺には焼け焦げた臭いが立ち込めている。
黒毛の背後には多少崩れてしまったものの、まだその姿を無事に残しているゴミ山の戦場。私の後ろには何故か戦闘が止まってしまっている魔獣と対峙するヴァルド隊と、私を見守るように立ち尽くすリリス達。
再びなぎ倒され更に見通しの良くなってしまった森に囲まれた広場。
何故か異様に静かになってしまったこの場において、私をじっと見つめていた黒く巨大な脅威の瞳が見開かれ、身にまとっていたマナの雰囲気が変わる。
これは……待望…。
いや、念願が叶う……歓喜?
この場にそぐわない謎の感情を滾らせる相手に私は少し困惑した。
そんな私の戸惑いなど気にすることなく、黒毛の魔獣は大きく口を開いてずらりと並ぶ牙と真っ赤な舌を見せつけながら笑った。
黒毛の魔獣を中心に風のマナが膨れ上がった。奴の周りに立ち込めていた埃と煙が吹き飛ばされる。
『さあ。我が終焉よ、死合いをしようじゃないか。』
そんな声が、目の前から聞こえた気がした。
男の子はなぁ!幾つになってもかっこいいものが好きなんだよぉ!
なお、この世界に厨二病という言葉自体は存在しないが概念はある。
『多感な時期の男児が主に発症する、謎にかっこよさを求めて無駄な事をする病気。』
ただの粉塵爆発じゃおもんないから、複数の鉱石微粒子を緩やかな風で舞わせつつ何層かに制御
着火層+加圧層+衝撃拡散層の複合型にしてみた。
積層型圧力拡散式、粉塵爆発
ちゅうことですな。
『層塵・星滅華』と読みます。
こーゆのが一番たのしいね!




