第四十幕 「亜音速戦闘術」
死を覚悟する。
時間の流れが緩やかに感じる。
集中力が極限まで高まり、脳が全力で生きる方法を模索しだす。
なのに余計なことまで考えている気がする。
これが走馬灯?
「存外、頻繁に見るものだぞ。矢面に立つとはそういうことだ。」
化け物。
最初に俺の頭に思い浮かんだ言葉はコレだ。
動きを目で追うことなど不可能だった。視界の端に白い何かが一瞬映ったと思った次の瞬間、気がつけば彼女は魔獣の懐へと潜り込み初撃を巨躯へと打ち込んだ。
と、思われる。
動きが見えてないから想像でしかない。
辺りに衝撃音が響き渡ったと思ったら、四つ足で駆けていた5mを超える魔獣の体が宙へと浮かび上がり、身体はのけぞって頭部が吹き飛んでいた。あの巨体が持ち上がるだけにとどまらず浮き上がってしまい、さらにその膂力はあの堅牢な頭蓋を備えた魔獣の頭を一撃で粉砕したのだ。
紫がかった血液と、嫌な色に変色した肉、黒ずんだ頭骨の破片が飛び散るのが目に映る。
魔獣の中身はあんなふうに変異してしまうのか。
巨体で繰り出される猛威の突進を、更に尋常ならざる力で止める。いや、押し留めるどころか真逆方向へ捻じ曲げられた魔獣の身体は、ひしゃげるように2つに折れ曲がった状態のまま―
『ズゥン!』
哀れで巨大な魔獣の骸が地面に落ちると同時に重い音が響き地面に振動が伝わる。
あとに残ったのは開いた右手を天へと掲げ、残心とともに周囲へと視線を配っている華奢な少女だけ。
構えは崩さず、一切の油断などしていない。
その佇まいは一見すると練達の武術家のようだ。
というか、あれは掌打なのか?
そんな攻撃を、いったいどれほどの力と速さで打ち込めば魔獣の頭が砕け散るのだ。
恐ろしい。
一瞬そんな考えが頭を駆け抜けた。
その直後。
『バァン!!』
俺の左奥の方の倒木が轟音とともに弾き飛ばされ、別の魔獣が我々の眼前へと躍り出た。左翼に展開していた軍人たちが体勢を落とし武器を構えて迎え撃つ姿勢を取るのが見える。
だが奴の意識は軍人達や同族を屠った彼女、まして俺の方などへと向いては居ない。
視線はゴミ山の中央へと向けられている。負のマナを喰らわんと一心不乱に脇目も振らず。ヨダレを撒き散らしながら我先にと目標へと駆けつける。
魔獣の目的は負のマナのみ。そういうことなのだろう。
そんなことを考えていたのは、ほんの数瞬だったはず。
『バカァアン!』
轟音とともに土が大量に弾け飛ぶのと白い影が真横に飛翔するのと、魔獣の巨体が横向きに吹き飛んだのは同時だったと思う。
だって音が一つしか聞こえていないから。その音も、鼓膜を突き破るかのような激しい衝撃を伴って俺の身体を打ち付ける。
猛進の勢いをそのままに横薙ぎに蹴りぬかれた熊の魔獣は、地面を転がりバタバタと四肢を振り回しながらのたうち回っている。
よく見ると頭頂部が吹き飛んでいる。
地面に降り立ち低い体勢でしゃがんでいる彼女の目の前に、何かを引きずったような跡がある。かなりの深さで地面がえぐれて彼女の突進の勢いの凄まじさを物語っている。
彼女の右足に履かれているブーツの踵が紫色の体液で汚れている。
今度はひと蹴りで魔獣を屠ったのか……?!
1、2秒。
だったと思う。
彼女が2頭の魔獣を斃すまでに要した時間だ。
背筋がゾゾゾっと粟立つのを感じる。
驚嘆と賞賛と疑問と恐怖がごちゃまぜになった感情が胸に溢れる。
足が竦む。
「彼女に呑まれるな!集中しなさい!!」
師の声が響き渡った。
体がビクリと反応して散漫していた意識がもとに戻った。
そのはずだった。
実際は、正面の魔獣の骸と左側の視界の外に横たわる魔獣に意識が向いたままだった。
「正面!更に2頭来ます!」
彼女が叫んだ。
(えっ。)
最初の魔獣の骸を飛び越えるように、3~4mはある茶色い巨体が跳んできているのが視界の中央に見える。
(……あれっ? これはもう、俺は奴の間合いに入っている?)
そんな悠長なことを考えてしまった。
次の瞬間、体に電撃が走ったような緊張感に襲われる。
(ヤバい!奴の進路上にいる俺は小石やただの倒木だ!このままじゃ吹き飛ばされる!)
ほんの数瞬反応が遅れていたとおもう。奴の通過点へいる自分を守ろうと身体の重心を落として盾を正面に構えようとした。
(これ、間に合うのか?!)
そう思いつつも他に選択肢がないことを恨みつつ、必死に自分を守ろうとしたが、やはり絶望的に時間がたりない。
最悪が頭を過ぎりかけた次の瞬間。
『シュバァン!!』
凄まじい風切り音が右から左へと突き抜けた。
荒れ狂う真空の刃が、俺へと飛び込む魔獣を捉えてその猛烈な勢いを逸らした。俺にぶち当たるはずだった魔獣の巨体は、ギリギリのところで俺の左側へと抜けた。
この風魔術は!
「フィン!何ぼうっとしてるんだ!こいつは俺等でやるぞ!!」
見慣れた男が叫びながら、剣を構えつつ魔獣への追撃を放つべく突進している。
リアムの風魔術『一陣の刃』!
「いいぞぉ!若き騎士よ!その小さいのはお前たちに任せた!後続は私が引き受けよう!!」
そういってヴァルド隊長が槍斧を構えて前方へ突進する。
小さい?!
4mの巨体が?!
「フィン!援護を頼む!!」
そう言って相棒が風をまといながら魔獣へと突っ込んでゆく。
ええい!
本当にお前は何も考えずに突っ込むのか!
わかったよ!
集中すりゃいいんだろ!!
今度こそ集中を取り戻した俺は火のマナへと想いを馳せる。
精霊の応えを感じつつ体内のマナを練り上げる。
地面から立ち上る炎が相手を舐め尽くし、相手の表皮や体毛が黒焦げになる情景を思いながら、マナを解放する。
瞬間、魔獣の辺りに橙の火花が舞い踊り、次には轟々と燃える炎が奴の全身を包みこんだ。
炎に巻かれて怯んだ魔獣は立ち上がって火を払いのけようと暴れだす。
「いいぞ!さすがフィンだ!」
そう言うとリアムは燃え上がる炎を物ともせずに間合いへと飛び込み、風を纏わせた長剣を両手で持ち、根本から魔獣を切り上げた。
鋭い真空を伴う剣戟が魔獣の皮膚を切り裂き、続いて巻き上がる上昇気流を生み出す。空気をたっぷり孕んだ風が炎を撫ぜると、火勢は一気にその強さを増して竜巻となって魔獣を包み込む。
『ゴオォォォォ!!』
小さな火炎旋風となった火柱が再び魔獣を飲み込み、奴は更に暴れまわる。
「バッチリだ!次行くぞォ!」
そう叫ぶと武器を構え直して強く踏み込んでゆく。
テンションが上がってゆくリアムをよそに、俺は相棒の猛進さに呆れた。
そして感心する。
本当に何も考えずに突っ込むとは。
すげぇやつ。恐怖はないのだろうか。
「リアム。あまり先行すると攻撃をもらう。同時だ!」
「っと!そうだった!ちょっと興奮していた!!」
慌ててたたらを踏みつつ、体勢を整える相棒。
そんないつものちょっとだけ抜けたリアムの姿を見ていて肩から力が抜けた。正直ありがたかった。
「左右同時に牽制から追撃だ!行くぞ!!」
「応!!」
仕切り直し、タイミングを合わせた俺等は同時に駆け出す。
俺の視界には興奮気味に目をギラつかせる相棒の勇姿と、相手すべき標的のみが写っていた。
今は目の前の奴に集中しよう。
それで良い。
化け物の動きに惑わされず、己の最善を尽くそう。
そう思った俺の中には、恐怖と迷いは消え去っていた。
「両翼!2頭ずつ来ます!」
私の掛け声に流れるように反応する彼ら。
迎撃の為にたった一列で展開しているだけなのに、その安心感はさすが軍人と言ったところか。魔獣との間合いをしっかり保ち、両隣の仲間と連携しつつ魔獣をゴミ山へ一切近寄らせていない。
着実にバイタルダメージを稼ぎ、魔獣を追い詰めている。
さっきフィンが私の動きに呆気にとられて、正面から来る二匹に意識が行ってないのに気づいた時はヤバいと思ったけど、リアムがそれをカバーしてくれた。一応トマスがしっかり動きを見ていたし、一瞬私に視線を投げつけてきて手出ししないように言ってきたので、不安だったけど我慢した。
リアムの気勢に普段を取り戻したのか、しっかり連携できているので安心して胸を撫で下ろす。
そしてヴァルド隊長が凄い。
小隊長クラスの人間が魔獣を一人で相手している。
軽快な動きで魔獣の動きを躱し続けながら、長柄の武器を軽々と振り回し魔獣の急所を次々と攻撃している。
新装備の効果なのか、魔術的に動きが強化されている気配もある。
あの様子なら一人で戦う分には問題ないだろう。
私は索敵のために再度周辺の気配へと意識を向けた。
未だに複数の気配がこちらを目指して集まっているのが感じられる。
乱戦気味になっている戦場の気配が邪魔して、遠くの方までは精緻に感じ取ることは出来ないが、数は問題なさそうだ。
もっと同時に来たらマズかったかもしれないけど、この程度ならフォローできる。
気になるのは崖上の存在。
謎の5名の気配は既に追えなくなっている。その代わりにとてつもなく大きい気配がゆっくりと近づいてきているのが解る。全力で慌ただしく移動してくる他の魔獣とは違い、この個体は明らかに動きが違う。
おそらくこれが黒毛の熊魔獣、討伐任務対象の長命個体。
まだ距離があるが、状況をうかがいながら徐々に近づいてくるその振る舞いが尋常ならざる知恵の高さを思わせて嫌な気分になる。
やはり、極寒の死地で戦ってきた魔獣たちのように、環境適応種としての知性を備えていると思っていいだろう。奴らは連携を取ったり波状攻撃によりこちらの損耗を狙うくらいの戦術はとってくる。
どうやら黒毛の個体はトリを務める腹づもりだ。
そんなことを思っていたら再び正面から接近していた2個体が戦線に到達してこようとしている。
さて、もう少し私が手を貸すとしましょうか。
そう思い、私は再び自身の身体能力を『理力』によって強化する。
全身に意識を張り巡らせて自身の骨、筋力、血管、皮膚、神経に至るまで強度と靭性を強化する。心臓と肺の稼働を高め、脳の動作を加速させて血流と神経伝達を劇的に高める。視覚と聴覚を強化し周囲の状況を把握しつつ、次に備えて体勢を低く構える。
森の木々の切れ間から魔獣の巨体が見えた瞬間、爆発的な脚力によって一瞬で十数メートルを真横に跳躍。
魔獣の目が私を捉える間もなく、私の間合いに相手を収める。
突進力をそのままに運動エネルギーを込めつつ、頭部へと狙いを定めて利き足で蹴りぬいた。
まるで新雪を蹴り飛ばすようなサクリとした感触を足に感じつつ、ほとんど抵抗もないまま対象の頚椎を切断する。
今回はついでに風のマナで鋭利な衝角を形成して、それを足に纏わせながら対象を突き抜けた。これをやると、返り血が装備に付着しづらくなるので重宝するのだ。
一瞬の亜音速機動にて風と共に駆け抜ける。慣性軌道は体幹操作と風のマナによって制御し、地面に着地して減速。
これが一番周りに被害が出ない。
続けざまに森から出てきたもう一体の個体が目に写る。
だけど今回は加速距離が足りないかな。
私は一足飛びに跳躍し魔獣の眼前へと躍り出た。音速とは言わずとも常人離れした機動力。突如として眼前に現れた者に驚いた魔獣は、地面をえぐりながら急停止しつつ、私を打ち据えようと丸太のような剛腕を振り下ろす。
風切り音と共に真横から迫りくる魔獣の左腕を、私は右手の甲で打ち払う。
『バキャッ!』
という破壊音と共に魔獣の強靭な骨と大きな爪が砕け散る。
肉も皮も弾け、裂けた表皮から骨が飛び出す。
「ヴオゥ!!」
眼前の小さな生き物によって自分の腕が破壊されたことに驚いた魔獣が、退きつつ距離を取るために上体を起こそうとした。
瞬間、地面を蹴りぬき軸足で回転跳躍しつつ振り抜いた後ろ回し蹴りで魔獣の顎を蹴り抜く。
やや高い打点で急所に届かなかったが、頑強な顎が砕ける勢いで蹴りぬかれた魔獣は驚愕によろめいて動きを止めた。
私はその隙を逃さない。
土のマナを行使し、私の形成できる最高硬度の円錐状の1m以上ある石杭を眼前に形成した。そのまま円錐底面を渾身の掌底にて打ち込む。
標的は不気味な鼓動を打ち鳴らす魔獣の心臓。
『ドシュッ!!』
硬い体毛と皮を貫き、肉を切り裂き肋を削りながら杭は心臓を捉える。
自身を貫いた鋭く大きな異物にびくりと身体を硬直させる魔獣。
私はそのまま後方へと跳躍し、魔獣との間合いを取った。
直後に肋をひっかくような動きでもがき苦しむ魔獣。心臓から石杭を生やしたまま、苦しみ暴れていた熊の魔獣はゆっくりと体勢を崩し地面へと倒れ伏す。
「ヴォッヴォッ!」
荒い息を吐きながらまだ暴れている。
しばらくして呼吸音が途絶えビクビクと痙攣した後に魔獣は沈黙した。
これで4体。
周りを見回して状況を確認する。
両翼に展開していた特務班たちは魔獣を2頭ずつ倒し終えている。
ヴァルド隊長もとっくに倒し終わっていて、リアムとフィンの戦いを観戦していたようだ。
しかし誰一人油断せず武器は構えたままだ。
負傷している様子は無いみたいで、私はホッとする。
リアムとフィンに視線を戻すと、ちょうど魔獣を斃したところだった。
盾に何発か貰ったのか、フィンの金属製大盾が酷く歪んでいる。あれはもしかしたら腕を怪我しているかも。リアムの頬にも傷と出血が見えた。
肩で大きく息をしながら、それでもしっかりと立ったまま魔獣を睥睨している若い騎士二人。余裕は無さそうだが、ホッとした表情だ。
師であるトマスは満足げな笑顔で二人を見守っている。
これで10体。
まだ2~3体の気配が接近してきている、だがこの様子なら問題ないだろう。未だ崖上で姿を現さない黒毛の個体の存在は気になるが。
迎え撃つ余裕は充分ありそうだ。
私は治療の為に騎士二人の方へと駆け出した。
ライダーキックってなんで上に跳躍するんだろ……
その跳躍に使われるエネルギーを直接ぶっけたら?
落下エネルギー?
重力加速度から得られる運動エネルギー+跳躍力>水平跳躍力はわかるんだ。
……時間は?相手にぴょーんする間待っててもらうん?
ていうか、その脚力で蹴られたら……。
演出?
アッハイ、超大事。




