第三十幕 「後始末」
わたしたちの ほんのう いきる すべ
それは ほんとうに こんなこと?
こんなものに すがらないと いきていけないの?
ずっと ぎもん だった
「その答えは貴方がくれたんだよ?
だからね、今でも私は感謝してるんだよぅ。」
ぱちりと目が覚める。
目の前には褐色の艶やかな肢体。
やや目線を上にずらすと、眉間にやや皺を刻んだリリスが目に映る。
小さなうめき声をあげ、口もきゅっと結ばれている。
なんか苦しそう…?
……サキュバスが悪夢を見てるのかな。
ははは、そんな馬鹿な。
……案外あるのかな…?
そんないい加減な事を思いつつ、するりと身体を滑らせてベッドから抜け出す。昨日と比べるとやや肌寒い秋の空気を感じる。
鎧戸から差し込む朝日が僅かに部屋を照らしている。差し込む光を目で追い、入り口の扉近くにある時計に目をやると6時を回ったところ。今日の予定である森林調査は8時集合だから、十分に支度する時間は有る。
とすとす絨毯の上を歩き、ローテーブルへ。
昨日買い物をした時に新調した下着やら肌着やらの衣類を紙袋から取り出す。
ルーカス曰く、魔導工学によって繊維に伸縮性を持たせ身体にピッタリ合う新製品だとかなんとか。今までは紐を結んで留めていたので、結びが甘いとほどけたりして不便だったので試しに買ってみたのだ。
……工学がどうやって衣服の伸縮性や使用感に関与するんだろう。
そんな疑問を頭に思い浮かべつつ紐の無い下着に足を通す。
ウエスト部分を引っ張るとすごい伸びるけど、指に全然抵抗感が無い。
なんか凄い。
これなら肉感溢れるご婦人方の大きなお尻も難なく通り抜けられるね。
ちなみに、私には一切の難も苦もない。
残念ボディめ…。
指を離すとパチリと小気味の良い音を立ててウエストから股下までをぴったりフィットさせた状態になる。
……すごいな、これ。
全然擦れないし、締め付けも感じない。
やや不安になるくらい穿いてる感が無い……。
感動のあまりデザインが統一された胸当て用の下着もつけてみた。
私は絶壁なので、今までこの類の下着を使ったことが無かったのだが……
うん。
特に変化はない。
残念ボディめ!
まぁあえて利点を述べるならフィットした胸当てによって乳房全体が押さえつけられるので乳首が擦れなくて良いかも?
まぁ理力で皮膚も強化してたので今は気にしてないのだが……。
これが胸の大きい女性なら色々と有難いのだろうけど……。
……。
残念ボディめ!!
私はやや憤りを感じつつさっさと肌着と服を着こみ、化粧台に座って髪をブラシで手入れする事にした。
やや荒い手つきで髪を梳くたびに花の香りが鼻腔をくすぐる。
昨晩使った香料入りの石鹸の香りを愉しんでいるうちに苛立ちも霧散する。
ちょっと上機嫌になりつつ髪の手入れを続けていると、背後からもぞもぞと動く気配がした。リリスが起きたようだ。
ブラシを化粧台に置き振り返ると、ちょうど彼女が上体を起こしたところ。
やや青ざめた顔でこちらを見てる。
すっかり目が覚めているようだけど……無言でこちらを凝視してる。
珍しくシーツを掴んで胸を隠すように握り締めている。
「……おはよ。どしたの。」
「……よかった……夢だった……。」
ふにゃっとした顔で安心したように脱力するリリス。
シーツを掴んでいた手も投げ出され上半身が露わになる。
「……サキュバスも夢見るの…?」
ていうか夢見ても制御できるんじゃないの…?
「あまりにも現実的な状況で……夢じゃないかと思ってました。」
ややげんなりした様子で答えるリリス。
現実的な夢だとしてもダメでしょ、サキュバスが夢にうなされたら……。
「まぁ、目が覚めたのなら支度しましょ。8時には集合だから朝食の時間も十分取れるし。……ていうか、メイは起きてないの?」
私にそういわれて視線を左下に向けるリリス。
彼女の顔を見たであろう瞬間、ビクッと驚いたように身体を跳ね上がらせた。
「…起きてるよ。」
ポツリ、と呟くメイ。
「セレナがベッドから抜け出した辺りで目が覚めたから。ね…。」
ぼそぼそと喋る彼女の声だけ聞こえる。
身体を起こす様子はない。
「……あの、メイ…?」
恐る恐る声をかけるリリスが怯えている。
「起きてるけど……起きれないんだよ。ね…。」
そんなメイの発言を聞いて、ようやく夢見の最後らへんのやり取りを思い出す。やっぱ、記憶の定着に問題が有ったのかも。
「……その様子だと、やっぱり大変なことになってるみたいね。」
私は立ち上がりながら声をかけ、メイが寝ているベッドの方へと歩み寄る。
リリスは未だ状況が理解できず、おろおろしてる。
「……野盗に凌辱された事は果実が落ちてきてたんこぶが出来たぐらいの事だ、みたいな話したの……覚えてるかい?」
相変わらず微動だにせずに口だけを動かすメイ。
「言ってたわね、そんなこと。王都の乙女たちが聞いたら卒倒するようなことをのたまっている、なんて思ったわ。」
やや呆れた口調で私は喋りながら彼女の背後に立った。
「訂正する。私にも羞恥心が存在していた様だ。よ……。」
最後は消え入るような声で呟き、シーツを巻き込みつつメイはうずくまってしまった。
「あの……セレナ?メイに一体何が……。」
狼狽えたままのリリスはようやく私に助けを求めてくる。
「まぁ、貴女が私に掛けた魅了の効果が凄かったってことよ。」
私はそういうと、毛布だけを剥ぎ取ろうと手を伸ばした。
「みみみ見たら泣くよ!本気で泣くからね!!?」
今度は横目で私たちのやり取りを観察していたメイが大慌てで狼狽える。
「毛布取ってシーツで包むだけよ。大人しくしてなさい。」
そういって私は毛布を勢いよく剥ぎ取った。
「わー!待って!そうは言ってもだね!?実際に深刻な状況になってるのは下のシーツなんだからね?!このまま私を包んでも上を剥いだらバレるに決まって―」
声を大にして御託を並べるメイを無視して、私は掛けてあったシーツで彼女を包んで持ち上げた。
「ちょっ!?セレナ!鬼なのかね!?待ってって言ってるのに!ていうか本当に泣くよ!?騒ぎを聞きつけて人が集まってきていよいよ私の立場が!!あ、だめだ!これ泣いたらダメだ!」
狼狽えて混乱してるのか理由のわからないことを喚くメイをシーツで包んだまま、昨晩のままになっている水場へと抱きかかえていく。
ていうか指環の自動結界化で外へ音は漏れて無いんです。
安心して騒げるよ。
手帳に記載されてなかったんかなー…。
「っていうかセレナ、凄い力持ちだね?!聖女の権能による逸話は色々知ってるけど、これは物理的に変じゃないかな?!昨晩話した視覚の話しを覚えてる!?私の頭は今大混乱だよ!!」
メイの視覚の話。アレも大概謎の話だよなぁ。
私の理力並に意味不明な能力だ。
魔術的な要素……無いとは言わないけど、メイに魔術の高い素養がないことは彼女自身が語っていた。だから多分別物だろうし……シルヴィアの様な精霊術とかに有るのかな…?
いや、やっぱそれも違うだろ。
絶対にディダと主の仕業。
たぶん。
「ねぇ……セレナ。後生だから後はひとりで始末させてくれないかい……別に足腰は砕けてないんだ、後は自分でできるからぁ…。」
あ、やべ。
理力で思考強化せずに色々考えていたらメイが本当にべそかき始めた。
「もとよりそのつもりよ、シャワーの魔道具そのままになってるから使って洗うと良いわ。あっ、石鹸も使っていいわよ。」
慌てて取り繕うように、私はメイへと伝えると水場の扉を閉めた。
「ぐすっ……ありがとぅ…。」
すっかり意気消沈した天才を水場へと運び終えた私は改めてベッドの方へと目を向けた。
メイが寝ていた所にはしっかりと水濡れのシミが出来ていた。
んで、ベッドの中央には素っ裸で呆然としているリリス。
「しっかしまぁ……盛大に濡らしたわね。」
夢見内で行われた魅了による効果が現実の体にフィードバックされた。
そんなところだろうけど……あの性に無頓着なメイをもってして「気が狂う」とまで言わしめた魔術の効果。
その実態をまざまざと知らしめる痕跡を見て、思わず私は感想を零す。
「あの、セレナ?一体何が起きてるんです…?」
リリスは呆然とした表情で再び問いかけてきた。
視線はベッドの大きなシミへと注がれているのに、彼女の反応は状況が理解できていないことを如実に語っている。
どないなっとんねん、この淫魔の性に関する知識は。
「……本当に解らないようなら、今度本腰を入れて教育してあげるわ。とりあえず今はベッドから退いて服を着てちょうだい……。」
そう言いながら私はテーブルへと向かう。
テーブルの上には昨晩3人で堪能したスコーンの包装紙のゴミとバスケット。そしてお茶をいれるのに使ったポット。
私はポットを手に取って少し振ってみる。まだ中に液体が残っているのを音で確かめ、そしてそれを手に持ったままベッドへと戻る。
実態はとんでもない状況だと言うのに。
孤児院で年少の子のおねしょの後始末をしている気分になってきた。
珍妙にもほどが有る。
「まぁとりあえず……リリスは今後、魅了の魔術を控えるべきね。」
おずおずと素っ裸のままベッドから退いたリリスへそう言い捨てると。
私は昨晩入れたお茶が残ったままのポットの中身をベッドのシミに向けてぶちまけ、急いでシーツを剥ぎ取った。
これでヨシ!
「まぁ……リリスがサキュバスに有るまじき価値観の持ち主だっていうのは、なんとなく察してたんだよ。ね。」
身体を洗い終え、身体も拭き終え、既に着替え終わっているメイはローテーブル脇に備え付けられているソファへと腰を掛けている。
私が淹れ直したお茶を啜りながら、鼻をすんすんと啜っている。
「誠に申し訳なく。平にご容赦を。」
ソファの脇には、膝を畳んで床に座り……身体を折り曲げて腹を太ももに、頭を床に擦り付けるようにして微動だにしないリリス。
もちろん両手は揃えて床に差し出してある。
当然、服は既に着てる。
メイが身体を洗ってる間に、彼女の身に起きたことの概要を説明してあげたのだけど……メイがどうしてああなって、体がどうなったかを理解したリリスは真っ赤になった後すぐに真っ青になった。
そしてメイが風呂から出てくるのを待つように床に座り込み、着替えたメイがソファに座る頃にはこの体勢になっていた。
「だから、別に怒ってないから頭をあげて欲しいな……。状況は予想……以上だったけど……予感的中で恥ずかしかっただけだから。ね。」
困った顔でそう言うメイだが、顔はまだ赤い。
「ていうか、リリス。土下座知ってるんだね。」
私はテーブル脇の椅子に腰掛けてお茶を啜りながらコメント。
人族の文化において古式ゆかしい謝罪方法として有名。
やってるところを見ることはほぼ無いのに、不思議と知ってる。
「はいっ。以前拝読いたしました『今日から使える便利なビジネス会話全集!丁寧語から謙譲語までありとあらゆるシーンで有用な社会人必須の教本!全三巻!』の問題解決編にビジネスシーンにおける最大限の謝辞を示す手段として載っておりました!」
あー…載ってたっけ?
アホくさくて飛ばし読みしたかも。
「何だね?その頭悪そうなタイトルの本。」
メイは耳を疑うかのような態度で頑なだ。
まぁ実際頭悪そうなタイトルだと思う、長すぎるんよ。
しかし網羅している情報量は本物だったので有用なのは間違いない。
故に誠に遺憾ながら―
「結構役立つのよ、言葉遣いの勉強に。」
などと、私も一応フォローはしてみる。
「大いに学ばせていただきました!」
変なスイッチが入ったかのように言葉遣いが堅くなってしまったリリスは相変わらず地面に伏したまま。
「リリス。その地面に頭擦り付けるの止めてくれないと本当に怒るから。ね。」
ソファーに座ったままリリスを睥睨するメイが冷たい口調で言い放つ。
「はい!止めさせていただきます!」
そういってガバっと上体を起こすリリス。
「口調も戻して。ね。」
追加注文。
「はい!ごめんっ…なさい!」
言葉の選択に迷いが見て取れる。おもろい。
とはいえもう良いだろう、そろそろ終わらせないと話が進まない。
「さ、もうお終い。リリスもお茶飲んで一息ついて。」
私はそう言い放ちリリスに椅子に座るよう促した。
「なんでこんなサキュバスが存在するのか。ね。」
とぼとぼと歩き椅子に座るリリスをじっとりと眺めながらメイが呟く。
「どんなサキュバスが正常なんでしょうか……。」
性に疎い淫魔。などという矛盾を抱えた当人は困惑の只中に在りながら答えを求めることを止めず。健気なことこの上ない。
「リリスは単純に箱入り娘ってことよ。サキュバスの知識を本能的に持ちながら性に関わる知識を表層だけ持ってるから、実体験に基づく証明が済んでないの。別にいいじゃない、これから知っていけば。」
私なりの見解を述べつつ茶を啜る。
「そんな事よりシーツをどう処理したのか教えてほしいんだが。ね……。」
再び顔を赤らめながらメイがベッドを横目に見ている。
「そっちもご心配なく。昨晩の残ってたお茶ぶっかけて偽装した上で、マーサに『申し訳有りません!お茶をシーツにこぼしてしまいまして!!』って慌てながら洗濯場に持っていったわ。」
なんでも無かったですよ、と言った具合に説明。
実際マーサもあらあらと良いながちゃっちゃと染み抜きしてたし。
「……シーツ下のマットレスは無事だったかい…?」
さすが天才、細部にまで注意が行き届く。
「水のマナ操作によって粘性を調整した水を生成しメイのに浸透させた後、風のマナにより局所的に振動を起こすの。表面張力が調整された誘引性の高い液体がメイのを吸着。最後に風のマナによって上方向への風圧を掛けつつメイのヤツごと水分を別のタオルに吸収。凄いのよコレ、大抵のシミなんて綺麗サッパリ取れちゃうの。細かな振動を起こす操作が難しいのがネックなんだけどね。」
ここぞとばかりにこと細やかに挙げ連ねてあげる。
普段の饒舌のささやかな仕返し。
ちなみに洗剤が無い時に服についた血のシミをどうしようかと頑張った時に見つけたオリジナル洗浄方法、名付けて『超振動洗浄法術』です。
凄いぞ私。
「とても気を使っていただいてくれたようで嬉しいよ……。だけど毎度私由来の成分について触れるのはお願いだからもう勘弁してくれないか。な。」
メイが再び顔を紅潮させてまた泣きそうだ。
「ええ、もう止めておくわ。これで私も嫌がらせをしたということで同罪ね。今後は気を使う努力を怠らないわ。二人共ごめんね。」
まぁ、こうしておけば両成敗ということで後腐れもない。
私なりの処世術だ。
「……セレナは凄く優しいけど、ずるいです。」
「私も同意だね……優しいのに酷い。ね。」
二人揃ってじっとりした視線を投げつけてくる。
あまり評判はよくなさそうだね。
「この世に絶対的に正しい立ち位置なんて存在しないの。だから、多少悪ぶった方が動きやすいものよ。聖女の立場なんて窮屈過ぎて何も出来ないんだから。」
こっちはこっちで苦労してるんだから、多少のワルぶりは許して欲しいアピール。
「それを言われると弱いです。」
「全くだ。ずるい。」
やはり不評。
「そ、私も充分ずるくていい加減なの。仲良くしてね。」
そんなブーイングを無視して、私は全力の笑顔を二人に向けた。
どうだ、可愛いだろう。
「「ずるーい。」」
ハモられた。
「さ、もう下行きましょ。マーサにシーツを持っていった時に朝食の用意を頼んだの。7時には向かうって伝えたから、そろそろ行かないと。」
私は入口ちかくの時計に目をやりながら二人を促す。
「「はーい。」」
またハモった。
「良い返事。どんなメニューか楽しみね!」
私は立ち上がるといそいそと扉へと向かう。
実際の所お腹ペコペコなのだ。
「夢見で時間を有効に使えるのは魅力だけど、起床後の飢餓感はちょっと問題かもしれない。ね。」
どうやら同じく腹ペコらしいメイも足早についてくる。
「……私、実は夢見をすると謎の充足感を得られてます。」
下腹部を抑えながら、何やら嬉しそうな顔をしているリリス。
ちょっと。怖いこと言わないでよ。
「…私ら、リリスに何か吸われてる……のか。ね?」
少し青ざめた顔で懸念を零すメイ。
足取りが少し重くなっている。
まぁ、貴女は昨晩いろんな物をサキュバスに提供したと思うわよ。
「えへへ。多分『優しさ』とか『楽しさ』とかですよー。」
やっぱり嬉しそうな顔で能天気な主観を述べるリリス。
メイとは対照的に足取りが軽い。
「ま、実害が無いので確認のしようがないわ。問題なーし。」
とりあえず当たり障りのないコメントを残して、私はさっさと部屋を出る。
さー、今日も忙しいぞ。っと。
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どうかな、でかいシノギの臭いがせんかね?
と思って調べたら既に有った
すげー
効果の程は知らんです




