第二十九幕 「刻まれた記憶」
彼女の思いが伝わってくる
偽り無く、純粋で飾らない思いが
こんなにも満たされる思いを自分が抱けることに驚く
こんなことも知れずに朽ちてゆく仲間たちの事を思い嘆く
「お前のおかげで覚悟が決まった。
何度目かは判らないけど、何度でも言葉にしよう。
お前が居てくれて心から感謝している。
『ありがとう。』」
リリスは自分の目を袖でぐしぐしと拭き上げると、顔を上げた。
涙の跡は消えていたし、目の赤みも無かった。
夢見の世界では化粧直しの必要はなさそうだ。
便利だね。
「すみません。ちょっと取り乱しました!」
そういって自然な笑顔を見せたリリス。
「私の想いが励ましになってくれたのなら、素直に嬉しい。ね。」
メイもまた自然な笑顔で答えた。
「はい!」
リリスの元気な返事。
どうやら彼女自身もちゃんと立ち直ったようだ。
もう安心だね。
「さ、じゃあ話の続きだ。」
メイもまた安心したかのように話の続きを語り始める。
「リリスのパパの目的は『魔族を元に戻す』その最終目的と方法については記載は無く、古代遺跡の研究がそこに繋がるという確信のもと彼は行動していた。ここまでは良いね?」
おさらいをする教師のごとく、リリスの目をじっと見つめながら問いかけるメイ。
「……完全な答えが得られるとは思ってませんでしたが、とりあえず大丈夫です。遺跡の謎を解き明かすことが父の意志を継ぐことになるのは確認できましたので。」
講義を受ける生徒のごとく、真剣な眼差しで頷くリリス。
「碑文に書いてあった『永遠の都』については記載はあったのかしら?」
そんな二人をよそに自分の疑問をどんどんぶつけていく生徒?の私。
「彼の手記にそれに関する情報は無かったと思う。古代遺跡、もしくは古代の都。彼は研究対象をそう呼んでいるだけだった。」
メイはシンプルな答えを返してくる。
つまるところ、例の遺跡がどのような物かの実態に関する研究はまったく進んでいない、そういうことになるのだろうか。
「父はどういう意図で手帳を記し、私に託したのかわかりますか?」
今度はリリスが手を上げて質問をした。
「手帳を記した意図については幾つかの理由が記されていた。後で翻訳したものを読んでくれれば理解できると思うけど。私個人としての見解を述べるとすれば……『魔族の力だけでは彼の悲願は達成しえない、他者の協力が必要不可欠であり最もそれに適したのが人族である。』そういう意図であの手帳を記した可能性が高い。ね。」
自らの意見を述べるメイ。
その感想を待つかのように私たちの方へと視線を向けて反応を待つ。
「自ら考案した代替文字がエリシア語の体系を成していたこと。リリスに人族の文化を調べさせていたこと。そこら辺が見解の理由かしら?」
私は少し考えてメイの期待するところであろう反応を返す。
「流石セレナだ。私もそう考えている。そして彼は人族が持つ特性についても手記にて触れていた。ね。」
私の回答を肯定しつつ、彼女は更にそれに付け加える。
「種族や思想、過去にとらわれず、柔軟に文化や技術を吸収する。それでいて根幹を成す自己を失うことなく先を目指せる物。宗教に依存することなく自らの生きざまに教えを落とし込む。己を律する為に他者を尊重できる存在。彼は人族をそのように評価していた。」
……やや呆れた。
リリスの父君は人族を買いかぶりすぎではないだろうか。
「それはまた……ずいぶんと高く買ってるようね。」
私が何とか感想を絞り出す。
「ふふふ。セレナの反応には私も同意だ。セレナのパパは人族の評価がやや高すぎると思う。」
メイが私の反応を見て予想通りだと言わんばかりに満足げ。
こんにゃろう。
「……私も人族を調べていて父と似たような印象を持ってますけども……お二人は違うのですか?」
やや腑に落ちないといった雰囲気のリリス。
「そういう人間がいないとは言わないけど、そうでない人間の方が大多数を占めているのが現状だ。私の個人的な感想はそんなところかしら。」
私は当たり障りのない返事をした。
「……私は、セレナがまさにそういう人だと思ってるんですけど。」
さも当然かのように、私という人間を評価するリリス。
「ぶふぅ!」
メイが噴き出した。
「……ずいぶんと高い評価をしていただいてる様で恐縮よ。」
私はメイを睨みつつ、何とか反応して見せた。
背中がむず痒い。
「つまるところ、父は手帳の秘密を知るべき人物をそういった人物であれと望み。その判断を私に託した。そういう意図だったんだとメイは言いたいのですよね?」
きょとんとした顔のままリリスは続ける。
「うん、その通りだ。リリスのパパは『リリス自身が信じた者になら、手帳の内容が正しく伝わる。』と信じて託したんだ。……どうかな、リリス自身の感触として、パパの希望は叶えられたと思うかな?」
ニヤニヤしたままのメイはリリスへと再び問いかける。
きっとまた面白い反応を期待しての事だろう。
「はい!セレナを頼ってここまで道が繋がり、セレナを手伝ってメイを助け、そして信じたら手帳の謎がここまで明かされたんです!うまくいきすぎて怖いくらい……セレナとメイを信じてよかったです!」
リリスは満面の笑顔で何の迷いもなくそう答えた。
メイの目が点になって頬に朱がさす。
「よかったじゃない、メイ。あなたも『そういう人』みたいよ。」
私はすかさず報復してやった。
噴き出さなかっただけほめて欲しいくらいだ。
「う。う……ぬぅ。そうやってまっすぐ褒められるとむず痒い。ね。」
居心地悪そうにメイが応える。
はっはー、そうだろう。
「何はともあれ。リリスは今までの選択で正解を引き続けたようね。すごいじゃない。父君の『意図』を何の情報もなく汲み、進み続けた貴女の行動力は立派よ。父君も喜んでらっしゃるわ。」
私は妙な場の空気を払拭すべく話を進める事にした。
嬉しそうな笑顔で私の言葉に頷くリリスを尻目に、私は放置気味だった傍観者の方へと視線を移した。
「それで、ディダ。あなたは今までの内容に何かあるかしら?」
ぜひ感想を聞きたいわね。
そう思いながら私は彼女にも話を振った。
ずーっと笑顔のまま私たち3人を見守り続け、微動だにせずに傍観者を貫き通したディダ。
彼女は一つ頷くと口を開いた。
「前も言ったとおりだよ。ボク個人が目的とする物は存在しない。ボクは役目に準じてここにいて役目が終われば去るだけだ。ボクの意思や意見を確認する必要は無い。」
期待通りの期待外れな答えが返ってきた。
リリスはディダの答えに少しほっとしている。
メイは意外そうな顔をしていた。
「相変わらずね。『雇い主』様からの伝言や指示は?」
例の存在についての確認も忘れずにしとこう。
「そちらからも現状は特にないよ。安心してキミ達が思うところに従いキミ達が思うがままに進むといい。」
相変わらずだ。
「……じゃあ、質問をしてよいかしら。」
「どうぞ。」
「リリスの父君が『対の指環』と呼ぶこの物体。私はリリスの教えてくれた情報と体験を元にこの指輪の性能をある程度は把握したつもりだけども。……ここいらで指輪について何か教えてくれないかしら?」
せめて指環に対する考えの正否だけでも。
「それに対する答えなら『考え方は間違っていない。だがそれだけではない。』かな?これからも色んな経験を経て指環の性能を判断し解き明かし、存分に指環を用いて自らの道を切り拓くといいよ。」
そう言い捨てて、彼女は外見通りの少女らしい屈託のない笑顔を私たちに向けた。
「……そう、間違ってないのなら嬉しいわ。」
ケチ。
どの考えが合ってるのか間違ってるのか答えてないじゃない!
「よかったですね!」
そういって同じく屈託の無い笑顔で私に向き直るリリス。
彼女を見ていると真相究明に焦っているのは自分の方じゃないかと不安になってくる位、彼女の表情は安堵に満ちていた。
リリスが良いなら、私も納得するしかないか。
「ま、よしとしましょ。」
私はため息を一つこぼすとメイへと向き直った。
「さ、ではいよいよ三つ目の情報『目指す場所』について―」
私はメイに向かってそう言いかけた。
「リリス、そろそろ朝になるよ。」
するとディダが口を挟み、朝が近い事をリリスに告げた。
「え……、あっほんとだ。もうすぐ夢見の使用限界だ……。」
ディダに言われてハッとしたリリスは顔を上げて虚空を見つめた。
「ありゃま。そうなの?話していた体感としては3時間も経ってないと思ったけど。ね?」
メイのいう通りだ。
私の体感としても2時間と45分といったところ。入眠した時間通りならまだ午前4時にもなっていないところだ。夜明けにはもう少し時間がある。
むしろメイの治療に要した夢見の時間より短いくらいだ。
「ごめんね二人とも。たぶん3人の思考がちゃんと反映されすぎて魔術強度が限界みたい、これ以上は情報の定着にも支障が出ちゃうかも。」
リリスが申し訳なさそうに説明した。
「あー…私ら色々考えすぎてリリスの負担になってたって事?かね??」
おそらく一番思考を巡らせているであろう天才が、いの一番に反応し申し訳なさそうに頭をかいている。
「負担っていうほどの魔力消費ではないし魔力は残ってるけども、説明が難しいです…。とにかく、そろそろ寝た方が体に負担が無くて良いかも。」
手振り身振りで説明するも、うまく表現できない様子のリリス。
伝えたいけど伝わらない雰囲気に実にもどかしそうだ。
サキュバスとして本能的に行使する夢見の魔術にも、術式としての限界は存在するのだろう。考えてみれば無限に夢に捕らえ続けるならサキュバスだって無限に起きてることになる。当然限界があって然るべき。
なのかな?
あ、やべ。
考えない方がいいのか。
人の事棚に上げてる場合じゃない。
「そういうことなら今日はこれで終わりにしましょ。目的地については目が覚めてから機会を得て行えばいいし。翻訳を見れば判るわけだし。」
そういって私は夢見情報交換会のお開きを提案した。
「ま、そうだね。言いたいことも言えたし。聞きたいことも聞けた。私は問題ないと思う。ね。」
「えーと、私も大丈夫です。お話いっぱいできて満足です。」
二人とも問題ない、との事。
じゃあ、残るひと―
「ボクも当然、何も問題ない。実に有意義なひと時だった。
リリス、メイ、二人ともお疲れ様。ゆっくり休んで。セレナもコレから大変だと思うけど頑張ってね。」
思考を読んだのか、気遣ったのか。
問うより先に応えてくれたディダ。
彼女はそういうと、少し離れた場所で腰かけていた椅子から飛び降りた。
瞬間、彼女の存在感が膨れ上がる。
同時にディダの背後に紫紺の靄が浮かび上がった。
「貴女達が願い思う先、選び歩む道、想い掴む未来。これからも我は、我が主と共に見守っています。
大いに悩み、大いに迷い、大いに苦しみなさい。
大いに楽しみ、大いに喜びなさい。
その先にこそ価値ある物が待つのですから……。
聖女セレナ・ルミナリス。魔族の王女リリス。導かれし子メイ・ハーセル。あなた達が目指す先、楽しみにしています。」
そう言いながら嬉しそうな顔をしたままディダは紫紺の靄に呑まれる様に消えた。
「……最後に、これから大変だぞって言っていったわ、あいつ。」
「セレナなら大丈夫ですよ。あと、あいつなんて言ったらダメですよ?」
「導かれし子ってどういう意味なのか……な。」
色々と最後にしっかり仄めかしながら言いたいことだけ言って帰ったわね。
あいつ、この先もあの調子で私たちを翻弄する気かしら…。
せいぜい愉しみにさせてもらおう。
「まー、とりあえず……今はいいでしょ。」
いつの間にかリリスの捕縛は解けていたので、私はそう言いながら立ち上がる。
そして振り返って二人を見て
「メイ、解読と説明ありがと。リリスもお疲れ様。」
そう言いながら、絨毯に座ったリリスへと手を差し伸べた。
「ありがとうセレナ。メイも……本当に助かりました。私、なんかほとんど人任せで何かした気がしませんけども……今までで一番楽しい夢見でした。」
笑顔で私の手を掴み、立ち上がりながらメイへと礼を述べるリリス。
本当にうれしそうな顔をしてる。
「いえいえ、お役に立てたようで何よりだ。ね。」
そう言いながら椅子から立ち上がり、やり切った顔で背伸びをするメイ。
「さて、と。そろそろ夢から覚めるために寝る支度を?」
私は少しおどけた調子でリリスに視線を向ける。
「はい、私のベッド使ってください。色々と万全を期すならやっぱり元の姿勢に戻るのが一番ですので。」
私の手を引きながら天蓋付きベッドを空いた手で指し示すリリス。
「はー、それにしても……思い起こせばすごい夜だった……。」
メイがボソッと呟く。
リリスがぎくりとしたように動きを止めた。
「ここ数日の私が体験したことは常軌を逸した常人ならざる物だろうけど……今夜は本当にすごい体験だったよ。ね。」
メイが何かを思い起こすかのように腕で体を抱き、身震いをしながら歩いている。どことなく顔が紅潮してるし足取りもお覚束ない
「リリス。メイの魅了、本当にちゃんと解いたんでしょうね?」
ベッドの方を見たまま固まってるリリスの前に回り込み、顔を覗き込むようにしてから聞いてみた。
「ちゃ、ちゃんと解けてるはずなんですけど……メイの記憶力が良すぎて体に刻まれちゃった……かな?」
あはは、とすっとぼけた顔をして視線を逸らすリリス。
「特に異常を感じてるわけじゃないから安心してくれていい…よ。それに別に気に病むことはないよー?」
そういってふらりとベッドへと倒れこんだメイ。
安心して。の言葉にホッとしたのも束の間。
私たちも慌てて逆側へ回り込み天蓋の幕を除けて中を覗き込んだ。
「本当に大丈夫?メイ。」
ベッドの左側に突っ伏してる彼女をみて、さすがに不安になる。
「いやねー、これは予想というか……予感なのだが。リリスは今回の夢見において記憶の定着を確実にすべく、魔術的に何かしらの強化を意識して臨んだんだよね?」
首を少しだけ捻り、左目だけ覗かせたメイがもごもごと喋る。
「は、はい……。」
リリスは肯定しつつも、おずおずとベッドへの中央へと移動する。
なんとなく居心地が悪いのか動きが控えめ。
「そっかぁ……なら仕方ないかねぇ……。」
メイが左目だけで遠くを見つめている。
「……あー…そゆこと?」
察してしまった私は思わず声を漏らした。
「えっ、何ですか!?そゆことって、どういう意味ですか!?」
未だメイの懸念と私の理解に考えが及ばないリリスが狼狽えた。
ベッドの中央で寝転べずに左右を交互に見回している。
「やっぱセレナも、そう思うかい?」
リリスの背中越しにメイがこちらを見つめる。
ちょっと潤んだ眼をしないで欲しい。
私は無実だっていったはずだ…。
「寝て起きればわかるでしょ……。」
そう言い捨てて私もベッドの右側に仰向けになりつつ、リリスを左手でベッドへと引き込んだ。
「きゃっ!」
突如私の手に引かれて驚いたのか悲鳴をあげるサキュバス。
その反応、役割が逆じゃないかな……。
「メイ、安心して諦めなさい。貴女がどうなろうと私たちの関係は変わらないから。」
私はそう零し、大きくため息をついた。
「あー、さすがセレナ。心強いよ。不安で押しつぶされそうだ。ね。」
そう言いながらメイはもぞもぞとリリスの方へと身を寄せた。
「えっ、あのっ?本当に二人が何を言ってるのか理解できなくて……私このまま夢見解いても大丈夫なんですか……?」
身を縮こませつつ両手のひらを胸の上でわなわなと迷わせている。
「いいからいいから……もう夢見を解きましょ。」
そういってリリスの方へと半身を起こし身を寄せ、右手で彼女の手を掴んだ。
握った瞬間、怯えるようにビクッと身体が跳ねる。
だから逆じゃろがい。
「まー、運命だと思って受け入れる努力はするよー……リリスも気にせず夢見の終了をよろしく頼むねー…。」
もうどうにでもなれと言わんばかりに投げやりな口調と仕草のメイ。
投げ出されたメイの右手がリリスの手を握ると、更にリリスはびくっと怯えた。
「あ……あの?」
未だ状況を掴めないリリス。
「ま、いいから。寝ましょ。」
本人の悩むところ察するにあり余り。
されどアホくさ、すきにしてくれい。
そんな心境の私はひたすらに先を促す。
「うぅ……メイ?本当に大丈夫ですか?」
いまだ怯えるサキュバスは被害者に助けを求め縋る。
「だいじょうぶさ、なるようになるしなるようにしかならんさー。」
平坦な口調で諦めを強調するかのようなメイ。
加害者を励ます被害者。
酷い有り様だ。
「ほら、二人とも。さっさと寝なさい。」
いい加減馬鹿らしくなる前に私は目を閉じて力を抜いた。
「は~い。寝ま~す…。」
間延びした声でメイも力が抜けきった返事をした。
「……うぅ~、おやすみなさぃ…。」
リリスの潰えそうな弱気な声が聞こえたと思った次の瞬間。
意識が遠のくのを感じた。
やっぱりうっかり淫魔め。
起きたらメイに改めて謝りなさいよ。
そう思った瞬間、意識は途絶えた。
夢で水遊びをしていて、目が覚めたらシーツが……
パラソムニアと言うそうです
へぇー
体験談?
何のことかな。




