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5章 善悪の天秤


 5章 善悪の天秤


 ヴァニタスが逃げる先は門だ。

 データならともかく生身の人間にとってはただの崖だ。


 教会の裏手にある螺旋階段を上る。

 どたどたとした足音が先に進んでいる。


 錆びた扉が開けっ放しになっていた。


 門の前にヴァニタスの姿を確認し加速する。

 諸々の怒りと借りを解消する為にこぶしを握った時だ。


 ヴァニタスが叫んだ。

 

「タナトス! 願いを叶えてくれ! この状況を何とかする力を!

私が良い人間でいられるように! 私は善良な人間なんだ!」


 ヴァニタスの声に反応して門の中央に渦が現れる。

 渦の中から巨大な天秤が現れた。


 画面に表示されているのはヴァニタスの数値だ。


 善・N/A。

 悪・N/A。

  

『受諾しました。この場の願いは拮抗しています』


 冷然とした声にヴァニタスの表情が消えた。

 振り返り、メメントモリを見る。


 天秤の隣に画面が表示される。

 

『ヴァニタスの今までの善行を考えるべきだ。死んだのは寿命だった』

『怪しげな健康食品に飛びついた馬鹿が悪い』

『騙される方がおかしい、買ったのは自分の意志だ』

『逮捕や裁判は金目当て』


 善の皮を被った公正世界仮説。

 弱きを挫き、悪に媚びる動物の防衛本能。

 

 だが――。

 

『私は不正な手続きを経て遺族のもとに送られました』

『ヴァニタスは私が稼働した後の両親のメンタル悪化に気を払わなかった』

『死者の尊厳と人格の為に、遺族保護の未来の為に、病弱ながらもヒーローに憧れた人間のコピーとして』

『AIエピタフが被害者エピタフに変わり告発を代行します』


「……」


 メメントモリは画面を見つめる。


『逃げたい、貴方を逃がしたいという意見、そして貴方を逮捕するべきだという意見。

タナトスは死者蘇生以外全てを叶えるAI。故に』


 ヴァニタスの身体が黒い霧に包まれた。

 漂う甘ったるい腐臭。


『ヒーローメメントモリ、回答の入力を。両者の願いを受諾し、能力勝負とします』


 巨大な口を開け、粘液を垂らすハエトリグサ、地面に敷き詰められたウツボカズラの穴、食虫植物。

 そして傍にある変哲も無い水に濡れた大樹。

 中央のヴァニタスの周囲に咲くのは黒百合だ。


 大樹が濡れた葉を散らす。

 濡れた葉が顔に張り付いた警官から悲鳴が上がった。


「マンチニール! 毒の木だ、近付くな!」


 植物の正体を看破した誰かが叫んだ。


 警官達が後方に引き、出入り口を塞ぐ事に執心する。

 メメントモリは暴走を始めるヴァニタスを見る。


『ヒーローメメントモリ。回答の入力を』

「私の足を引っ張るなあああああああああああ!」


 植物の蔦がこちらに襲い掛かってきた。

 崖の一部が蔦のはたき落としで崩れる。


 幸いにして、毒ガスを撒いている、という事はなさそうだ。

 襲い来るハエトリグサを避けながらメメントモリは状況を見る。


 ウツボカズラの蔦はメメントモリを捕えようとしている。

 中に呑み込んで消化する為だろう。


 蔦やハエトリグサ自体はただの植物だ、金属という訳でも何でもない。

 問題はその巨大さと多さ。


 火を扱う能力でもなければ決め手が無い。

 被弾覚悟でヴァニタスを殴りに行くかと決めた時だ。


 メメントモリの両背後から銃を持った腕が伸びた。

 急いで耳を塞ぐ。


 掌を貫通する銃声。

 ハエトリグサや蔦に無数の穴が開く。


 ヴァニタスが叫んだ。


「ピエロぉ!」

「ちょっと~~? まだ依頼達成の10,000ドルが払われてねぇのよ。

アンタがメメントモリを妨害してくれって頼んだ分のお・か・ね~~!」

 

 そう言いながらピエロが物陰にメメントモリを引っ張る。

 いつの間にか警官達の封鎖を潜り抜けてヴィラン達が銃を構えていた。


「金払いの悪い奴は死んじゃおうねぇ~~! 体重増やして医者に叱られてきなぁ!」


 一斉掃射。 

 銃声と罵倒が飛び交う。


 ピエロが声を潜めてこちらに話しかけてきた。


「で? なんかあんでしょ?」

「?」

 

 何の事、という視線を投げるとピエロが目をひん剝きながら地団太を踏んだ。


「あの坊ちゃんに俺を紹介する時の言い方~~!

何だ知らない他人って、もっと気の利いた言い方あんだろ。

L(彼氏)とかF(ダチ)とかB(兄弟)とかで始まるやつ!」

「Other(他人)」

「そりゃそうだろ俺らこの人に銃向けたのに」


 傍に居たヴィランの1人が呆れたように言った。

 その言葉にピエロが喰ってかかる。


「ヒーローはそんな事気にしない!」

「ビンタしていい?」

「いいよ!」

 

 フルスイングでビンタした。


 ピエロをビンタした後、戦闘に戻ろうとする。

 まぁ待て、と引き留められた。


 ヴァニタスがピエロを睨み付けている。


「ピエロっ……! ふざけやがってこの愉快犯の引っ掻き回し野郎……!」

「あらヴァニタスちゃん余裕無いわね~~。依頼してきた時からずっとそう」


 イヒヒ、と甲高い笑い声。

 その笑い声が水溜りに落ちた雪の様に消えていく。


「金ピカの豪邸を思い出しな。おめぇ誰の怒りを買ったか忘れたか?」


 影の無い金の豪邸。

 この対策が効果を成す人物など1人しかいない。

 

「コケにしてくれたものだ」


 影の中からズブズブと音を立ててヴィランが出た。

 ヴァニタスの背後をカルペの声が刺した。


「報酬に数値の加算など。ヴィランはヴィランである事に価値がある」

「みっ、ミスターカルっ……!」


 頭一つ背が高いからか自然とカルペがヴァニタスを見下す格好になる。

 カルペがヴァニタスの腕、手首より少し上を掴んだ。


「待ってくれ! アンタと敵対する気は」

「本来なら首を捩じ切る所だが後の事もある」


 腕だけで済ませてやろう。


 ボキリ、と音がし悲鳴が上がる。

 ぶら、とヴァニタスの腕が逆方向にぶら下がった。


 あーあ、と誰かが天を仰いだ。

 ヴァニタスに戦闘経験は無い。 


 普通ならここで戦意喪失だろう。


『ヒーローメメントモリ。回答の入力を』


 だがタナトスの声が投げかけられる。

 まだ終わりではないのだろう。


 メメントモリは少し考えて言った。

 一流の仕事には一流で応えねばならない。


衣装スーツだ。ヒーローには必要な物だろう」


 蔦で折れた骨の応急処置をしながらヴァニタスがメメントモリを睨む。

 その目は憎悪と呪詛に満ちていた。


「アレは俺が善悪関係なく止める。この仕事に相応しい衣装を寄越せ」

『回答の入力を確認しました』


 タナトスの声と同時に走り出した。

 目の前に現れた光の輪を潜る。


 黒いスーツが白いスーツへ。

 革靴がピンヒールへ。

 白い舞踏会用のマスクが着けられた所で足元を薙ぎ払う蔦を飛んで避けた。


 ヴァニタスが折れていない方の腕を振り上げる。

 ピンヒールの踵でヴァニタスの足の甲を貫いた。



 トドメと言わんばかりに思い切り捻じ込み、足を踏みつけピン止めを行い胸ぐらを掴む。

 拳で何度も殴りつける。


 ヴァニタスの鼻が折れ、白い服が返り血で汚れた。


 上からハエトリグサが口を開けて襲い掛かると同時にヒールを引き抜く。

 ドロップキックの要領でヴァニタスに蹴りを入れ、距離を取った。


 土煙の向こうに鼻を抑え立ち上がるヴァニタスが見えた。

 先程の憎悪が消え、鼻血を浮かべながら驚愕の表情を浮かべている。


 何か勘違いをしていたようだが元より聖人を気取っていた気など無いのだ。


「がああああああ!」


 驚愕から怒りに変わり、。

 マンチニールの葉が渦巻く。

 

 メメントモリは飛び上がり、猛攻を避ける。

 地面から真上に、塔の様にメメントモリを追う様にハエトリグサが生え、

ウツボカズラが落下物を受け止めるように待ち構えている。


 黒百合を枯らし、マンチニールの葉に焼かれながらヴァニタスが笑った。


 ハエトリグサを蹴り、もう一度飛んだ。

 足から降り、蔦を足場にしポールダンスの様に回転しながらウツボカズラを避ける。


 毒の葉に顔を焼かれながらメメントモリは敵を捉える。

 メメントモリを捕らえるようにヴァニタスの手が伸びた。


 ヴァニタスの顔面に蹴りを入れた。

 再度、吹き飛ばされた体は天に手を伸ばし、脱力する。


「!」


 黒い霧が晴れる。

 メメントモリは気絶したヴァニタスを見下ろし、空を見上げた。


 もうすぐ日が昇る。


 ●


 スポンサー逮捕の一報を受け、ヒーロー協会では深夜にも関わらず記者会見が行われています。

 テンプス・フーギトが会見に現れました。


『はい、詳しい事は裁判で明らかになってからですが事実ならばとても残念です』

『彼は協会にとっても良きスポンサーであり、私個人としても良き友人でした』

『え? 協会は今回どこまで指示していたのか、ですか?』

『いいえ何も。信頼していました。彼は、メメントモリはヒーロー協会所属ですから』


 ●


「よろしいんですか?」

「えぇ、これ以上捜査を止める訳にはいかない」


 ヴァニタスは救急車で運ばれ、一通りの調査が終わった頃。


 騒ぎが落ち着いた門の前。

 エピタフとその両親が一緒に立っていた。


「そして貴方が言ったように、息子の生と死を同時に認識する事は耐えられないでしょう」

「……」


 メメントモリは塔を見上げる。


 この門は役目を終えたAI達の行きつく先、巨大な本棚への入口。

 彼らはここで今まで見た事を仕舞い、再び次の仕事に向かう。

 

 転生へ向かう門。


 3人は長く、強く抱擁をしている。

 そして名残を惜しむようにゆっくりと離れた。


「……スコリオン」

「?」


 ミサの呼びかけにエピタフが首を傾げる。

 両親が微笑みながら言った。


「あなたの名前。エピタフの為に戦ってくれた、私達の息子」

「!」


 3人は再び抱き合った。

 啜り泣きく声が聞こえる。


「ありがとうございます。……ありがとう」


 そう言って少年は門へと走っていく。

 そして振り返った。


「また、またいつか」


 門が光り、エピタフ――スコリオン――が手を振る。

 強い光が目を眩ませた。


「……」


 目を開くと風が吹いた。

 門の前には誰もおらず、太陽は昇り切っていた。

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