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異世界陰陽師  作者: 紫はなな
8/21

白牛酪(二)

薪の爆ぜる音がする。

肌が溶けるような火の熱を煩わしく思い瞼を開けると、屋敷のなかであった。どっかの愛想のない屋敷とは違い、火色にまとめられた鮮やかな内装だ。暖炉を囲うようにして置かれた長椅子には自分以外にも、横柄な態度の男が座っている。

陰陽師である。


「水の王国の番兵隊長どのが、まさかかなづちとはな」

「うるさい!」


恐らく城で禁句であろうその言葉に、アレクは頭を上げた。

水を飲んだか、胸やけしたように気分が悪い。そこで頭に浮かぶは馬の蹄であった。


「落ち着け。馬小屋で休ませている」

 

 声を荒げる前に、陰陽師に言い聞かされる。


「お前が助けてくれたのか」

「身を投じたのはそこのコボシだ」


アレクの足元で突っ立つ坊主が照れくさそうに頭をかいた。


「コボが? そんなちいさな身体で、私を」


穏やかな水面と違い、水中は流れが早く、一歩踏み込めば川底が見えぬほどに深い。アレクはディーバの手綱ひとつ掴むことができず、意識ごと流されてしまった。

アレクは冷えきった身体を温めるようにコボシを引き寄せ、抱きしめた。


「コボは私の命の恩人だな」

「ちなみにお前を着替えさせたのもコボだ」


そういえば髪はじっとりと湿り気をまとっているが、服は乾いている。侍女の代わりとして従えてきたところ、その務めをこなした譯だ。


「私は助けを呼んだ」


陰陽師は得意満面に言った。呆れたもんだ。


「まあいい、部屋を貸してくれた屋敷主に礼を言わなくては」

「それが偶然にも、目の不自由な姫君の住んでいた男爵家でな」

「なおさら話しを聞きたい。男爵はどちらに」


見張りに置かれたであろう、うら若き侍女が扉の前で弱々しく首を横に振った。


「あいにく外へ出ている。男爵の護衛兵が魔物とやらを捕らえたらしい」

「そうか。私も行こう」

「そういえばお前の部下はどうした」

「城に居る」


こたびの命に番兵隊は連れていない。絡新婦の件で死人を出してしまったのだ、隊長として続けて犠牲を増やすわけにはいかない。

そのためにも陰陽師を連れ出したと言うに。


「部下にかなづちを知られたくなかっただけだろう」

「私にだって隊長としての矜持がある」

「私を土産で釣っては、矜持もなにもないぞ」

「土産で釣ったといえ、私がお前を連れ出せるのもまた矜持ではないか」


アレクは自分の胸からコボを引き剥がすと、立ち上がり首を鳴らした。いかにも、陰陽師を屋敷から連れ出せる人間はこの世界でアレクただひとりであろう。


「思い上がるな。これっきりだ」


陰陽師は憮然たる面持ちで部屋を出た。

その後を追うコボシ。

扉に立つ侍女は尻もちをついてふたりを見送った。


「大丈夫か」


手を取れば、震えがアレクの肩まで伝わってくる。それは異常なほどの恐怖を表すものだ。


「なにをそんなに怖がる」

「だって、陰陽師さまも、お連れの子も、確かに川へ御入りになったのに、少しも濡れていないんですもの」

「陰陽師も、入ったのか」

「はい」


言い知れぬ引っかかりがアレクの胸に生まれる。

そういえば、コボシは自分の着替えを持っていただろうか。頭の乾きの早さは解すが、抱き寄せた肩は濡れていなかった。

では陰陽師はどうだろう。

着替えたとしても、腰まである御髪はさっするに、乾くまでに日が傾く。


「川は深かった。……一歩踏み込めば、頭まで沈むほど」


部屋を出て行く陰陽師を思い出す。

川のように、さらりと宙に泳ぐ陰陽師の御髪を。





ぼんやりと屋敷を出ると、濡れた濡れていないなどという疑念が頭からすっぽり抜け落ちる情景がアレクを待ち受けていた。

 護衛兵たちが膝の高さもないかわうその群れを縄で締め上げ、槍をむけているのだ。


「なにをしている!」

「おお、アレク隊長殿、ご無事でなにより。見ての通りですよ」


 男爵であろう、豊かな髭を撫でながら得意気に言うが、恰幅のよい男がよってたかって可愛らしい小動物を襲っているようにしか見えない。

 赤ん坊のようにちいさなかわうそまでもが助けを求め、きゅうきゅうと泣いている。

 アレクにとって、弱いものいじめほど憎むものはない。番兵のなかでいやと言うほど見てきたからだ。この情景を見過ごす人間も許せるものでない。

 ここにいる全員を締め上げようと周りを見渡すと、コボシもまた陰陽師の袴を手拭いにしてめそめそと泣いていた。


「こら、やめい」


 陰陽師は片足を振りコボシをひっぺはがすと、アレクへ願い出た。


「早くかわうそを解き放つよう、お前から男爵へ言うてくれ」

「言われなくとも」


 アレク隊長は少々手が早いと巷ではもっぱらの噂である。

 腰の朱鞘にアレクの左手がかけられると、それだけで男爵の髭がこわばった。


「お待ちください隊長殿、こやつらが川に棲み着く魔物であったのです。人間に化け、子どもを騙し沈めたに違いないのです」

「ばかな」

「間違いありません。護衛兵だけでなく、家のものも見ております」

「まことか」

 護衛兵のひとりに訪ねる。

「は、はい。何度も。先程ここで、人からかわうその姿へ戻るところを目撃し、捕らえるにいたりました」

「隊長殿を、川へ突き落とした犯人ですよ」

 男爵が指を差す。

「このかわうそが、私を」


 かわうそは手を縮こまらせ、様子を窺っているようにみえた。

 実に可愛らしい。


「ばかな。仮にこのかわうそが人に化けるとして、襲うとは限らん」

「なんですと!? 魔物ですぞ!」


男爵はそれ以上の抗弁を許されなかった。

陰陽師の高笑いに思考ごともっていかれたのだ。

得体知れずのその男の笑いにみんなは呆然としたが、アレクは一寸癪に障った。


「なにが可笑しい」

「だってお前、なんにも知らないくせに、もっともらしいことを言うから、のう」


話を振られたコボは嬉しそうに頬を染めた。


「ときに男爵、かわうそは人に化けるが、魔物ではないぞ」

「魔物ではなければ、なんだと言うのだ」

ようだ」

「よう……? なんだそれは。隊長殿、そもそもこやつは何者ですじゃ」


男爵に話を振られたアレクはあからさまに困った顔をした。

陰陽師を陰陽師と名告らせ、果たしてよいのだろか。

 この世界で陰陽師とは魔王を滅したとされる、いわば伝説の勇者なのだ。

 たった五年で伝説と言われるほど、その存在は不確かなものだ。

 思えば人前に出たこの男を初めて見る。深淵に籠るくらいなのだから、ここはごまかすべきだろうか。いやしかし、男爵の屋敷では既に、侍女に陰陽師と知れていた。知れているなら礼儀として隊長の口から紹介すべきか。

などと考え、言葉を詰まらせることは至極無駄ないっときであった。


「私は魔導師だが」


 本人の口から、こうもあっさり嘘が吐かれようとは。


「いつも人たるものとか、道理とは、とか説教たれている男がなにを」

「隊長殿は少し黙られては」


 睨み合うその姿は少しは真しやかに見えただろうか。


「ああなるほど、セリオス王子が王室に戻られ三年。ついに新たな魔導師を迎え入れたのですな」


男爵御一行は都合よい方向に解釈した。


「セリオス王子とは」


 陰陽師が小声で尋ねる。


「第一王子だ。番兵隊専属の魔導師として仕えていた」


セリオスはブランシール王国の王位継承権を第一位にもつ、歴とした王子でありながら、魔導師として大いに国に貢献したひとりだ。男爵のいった通り、魔王が消えてからは王座の間で呪文ではなく、上奏を読み上げている。

 番兵隊の証である外套も、かつて魔導師セリオスが直ぐに羽織れる防具服として作り上げたものだ。


「それでは今後、魔導師殿が羽織られている御衣裳がのちのちの隊服となり得ますのかな」

「それはない」


アレクがきっぱりと異を唱える。その横で陰陽師はいささかつむじをまげた。


「なぜだ」

「雪山ならばともかく、そんな真っ白では目立って仕方がないし汚れやすい。ついでに言わせてもらうが、なんだその袖と足元は。重くて動きにくいだけだろう。はっきり言って布の無駄遣いだ」


 言われ放題である。


「浄衣を侮辱するとは、神への冒涜だ」

「おや、神に着せられていたのか。失礼した」


 陰陽師は完全につむじを曲げた。

 この男、機嫌を損ねると饒舌になる。


「とにかく、かわうそは無実だ。今すぐ解き放て」

「ま、待ってください、縄を解けばまた犠牲が出ます」

「縄を解かねばいずれ男爵が困ることになりますぞ」

「私が?」


男爵は頰を引きつらせ、言った。


「魔物が消え、なぜ困るのです」

「遺体があがってしまうからだ。遺体と共に、子ども殺しの証拠が浮かぶ」


 ーー子ども殺し。

 葉音のようにあやしく、男たちがざわめく。

 

「かわうそは人に化け、ときに人を惑わすが縄張りを荒らされぬ限り温厚な生き物だ。動きが鈍く餌を捕ることが苦手で、さわがにばかり食べている。川底に獣の残骸が沈めば、ありがたくそれらをせせるだろう。子どもの死体なんぞ、御馳走よ」

「そ、そんな、死体は底に沈んでいるのではーー」


 男爵はそこまで言うと、はっと息を引きそのまま口をつぐんだ。


「水面だけを見ていれば、流れは激しい。死体は下流へ流されるとみな思い込むでしょう。しかし男爵のおっしゃるとおり、川底は見た目よりずっと深い」


 アレクとディーバを引き上げようと、陰陽師が潜ってみれば広い淀みがあった。淀みは沼地のように穏やかで、泥や砂利が滞留し、視界が悪い。

陰陽師は笑う。にたりと笑う。


「男爵はそれを利用し、子殺しを買って出たのでは? 実の娘を沈め、淀みから死体があがらぬことを自らお確かめになったとか」

「なにを、馬鹿げたことを」

「しかし可笑しいですな。水死体は重しでもない限り、一度は浮かんでくるものです」

「なぜだ」 アレクが尋ねる。

「死体は腐ると膨らむものだ。腐ればな」

「死体は腐らなかったと」

「腐る前に、なくなったのだよ」

「なくなった。どこに」

「どこに」


みな揃って、かわうそを見据える。

かわうそは揃って自分の腹へ首を落とした。

野生にしてはぼってりと肥えている。


「ば、バカな、証拠はない」

「ええ、ありません。その上で申し願うているのです。かわうそを解き放て、と」


 解き放てば、ほら。



「子ども殺しも、捗りましょうーー」



静寂が辺りを侵す。

後は男爵の自白を待つばかりであったが。


「かわうそが子どもの肉を食べるなど、想像できん」


アレクのこのひと言でまた陰陽師がつむじを曲げた。

このあと、アレクだけでなく男爵や護衛兵たちは寒空の下、かわうその捕食について延々と、聞かされるのであった。


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