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異世界陰陽師  作者: 紫はなな
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土瓶蒸し(一)

川へと、靴底の影が落ちる。

それはそれはうすっぺらな、影だ。

木に吊るされた男はれんが造りの屋敷を頭に浮かべ、願った。


「陰陽師さま、陰陽師さま、どうかお願いします」


田舎育ちのその男は世界を救った英雄の屋敷を、よく知らない。

ただ朱いらしい、とだけは聞いていた。

男は思い浮かべた。

きっと村長のお屋敷の広さがあって、立派な塀に囲まれて、私の生き血を吸ったように、真っ赤なのだろうーー。


「迷いびとに、道しるべをお与えください」


男は舌のない口で願った。

男は風に任せ、蝶々のように舞う指を呪いながら、願った。

滴るほどの涙も血も残されていない。


さて願いは叶うか。

願いが屋敷へ届くのならば、男は可哀想に。

木に吊るされて、死んでいるのだろう。







この日のアレクは不機嫌だった。


遠征先で部下を失い、つい先ほど家族に頭を下げてきたところだ。

謝罪はなん百とこなしてきたが、今だに慣れない。

みなのように弔い酒を呑む気にもなれず、早々と城へ帰ってきたのだった。

それが部屋の扉を開ければ、これだ。

本来、天蓋が吊り下げられているはずのベッドが囲炉裏にすり替わっている。

囲炉裏の前では陰陽師が、にやにやと包みにばかり目をくれた。

然して、尋ねる。



「ほれ、何用か」



手に馴染んだ盃で席を指す。横着を決め込んだこの態度に、腹がたつ。


「用はない」

「では言い改めよう。土産はなんだ」


陰陽師の言う通り、遠征先で珍しい肴が手に入ったが包みを開ければたった二本。稀少なのだろうが、食べ方がいまいちわからず、今も腰紐にぶら下がっている。

 だからといって、ただで食われるほど寛容ではない。


「誰がやるものか」

「おや、お前が土産をもらったのは、私の日ごろの教示あってこそではないか。それに酒は調えた」

「城では呑めない。いつなんどき、なにがあるかわからぬ」

「此処は城ではないし、今日ほど平穏な夜はないぞ」


陰陽師が言うのならば、そうなのであろう。

まあどうせ、晩酌に付き合わねばこの屋敷から出られない。

気が抜けたアレクはどうにでもなれ、と涸れたつくばいに外套を脱ぎ捨てた。

勝手知ったる他人の家とはこのことだ。

上がり框に腰をかけ、器用にブーツを揃えると、陰陽師に誘われた向かいの席ではなく、すぐ隣にあったわらふだに腰を下ろした。

 馬の尻尾のように束ねられた繭玉色の御髪が横に枝垂れ、陰陽師の手に触れる。


「どうした。私に甘えたいか」

「甘えたいね。その膝もとの酒に」


屋敷の建つ深淵は表向き、王国の領地とされている。城の番兵隊長であるアレクは陰陽師の屋敷へ立ち入ることのできるたったひとりの人間である。

いち客人であったアレクは今や、陰陽師の友と呼ばれるほどに仲を深めていた。


その艶やかな銀髪と、冷淡ながらも女を惹きつける派手な顔立ちから、氷の美男子として世に名高い。


「まあいいだろう。呑め」

「あっ! 土産はどうした」


寸の間、膝元に置いておいた土産がなくなっている。


「今日の肴には嗜み方がいくつかある」

「嗜み方がいくつかあっても、肴は二本しかないぞ」

「まあそう言うな。出来上がるまで、お前の土産話でも聞こうではないか」


アレクは言い返さなかった。陰陽師の言う通りに自分が語りべとなり、そのまま何刻も待たされたとしよう。

きっと怒りは湧いてこない。


この男に待たされて、損したことなど一度だってないのだから。


座敷を下りるときの自分の腹は、さぞ満足していることだろう。

アレクは涎を舌でせき止めながら、座敷の奥を目端に捉えた。

三寸幅の板三枚向こう側には明るいこちらとは相反し、変わらず墨のような闇が広がっている。ただそちらによくよく、耳を傾ければ、ちゃかぽこと愉快な音が微かに聞こえる。それは皿が擦れ合ったり、湯を沸かすような音で、妙に心が落ち着いた。

この屋敷に小間使いはいない。


「まあ、お前にならば話してもいいだろう」


遠征先であった怪異はこの妖しい屋敷に似合う。

アレクは屋敷の外まで憚るような美しく強い声で語り出した。


それはつい二日前のことだ。

いつものように王より詔を承ると、その足でふた山越えた遠征先へ向かった。

 遠征先は五〇軒ほどの小屋が集まってできた、山あいの小さな村里だ。歴史的に親交が深く、城の旗は村に古くから伝わる刺繍があしらわれている。詔の内容は「山へ入り行方知れずとなった村人を探せ」といったものだった。一度ではなく、立て続けに起きているのだから、極めて深刻といえる。山あいで自給自足の暮らしを営む人間が山へ入れぬとは死活問題にある。

足を急がせたがアレクが村へ着くころには、行方知れずが出てから七日経っていた。

 

「何人消えた」


 囲炉裏の灰からとっくりを拾い上げ、陰陽師が尋ねる。


「若い男ばかりが四人」

「男、か」

「獣の多い森だ。女は入らん」


 ふたつ並べた盃に酒を注ぐと、微かに湯気が立った。

いやおうなしに喉が鳴る。

この屋敷の酒はここだけで呑める代物で、実に美味い。


「ほれ」

「ああ、ありがたい」


盃を軽く手前に持ち上げると、一気に喉へ流し込んだ。


「温まるな」

「冷えていたのだろう」


然り、自分が思うよりずっと冷えていたようだ。盃を持つ指がじんじんと痺れる。この国にも冬が顔を出したらしい、季節の変わり目は旅の終わりでよく気付く。

酒は腹で焼けるように暴れるが、吐息に混じる芳しい香りがたまらない。

いつまでも余韻に浸るので、陰陽師はアレクの細指から盃を奪った。


「それで、行方知れずはみつかったのか」

「ああ、みつかったよ」


手拭いになって。

盃を取り上げられたアレクは苦虫を噛み潰したような顔をして、話を続けた。


村長から事の次第を聞いているさなか、行方知れずになった男の許嫁とやらが、番兵のひとりにすがりついた。

その番兵、たまたま新婚さんで、女に同情を禁じ得ない。

果せる、私が山へ入りましょうと、買って出た。

ひとりで行っては、行方知れずと同じこと。アレクは番兵のなかから屈強なものをふたり選び、共に行かせてみた。

帰ってきた番兵は、新婚さんひとり。

五つほど老けて山から転げ落ちてきた。

 

「お前が選んだという不幸なふたりは」

「……手拭いになって、戻ってきた」

「手拭いとは、身軽なものだな」

「茶化すな。骨もなければ血も肉も骨もない、皮だけとなっていたんだ。いや正しくは、新婚の番兵の腰紐にぶら下がっていた」

 

 新婚さんが語ったいきさつは、こうだ。

 

 村では、はじめて狩りに山へ入る若者のために、獣道にしるしをつける風習がある。紅い手拭いで、木に吊るされていると村長に教わると、三人はその手拭いを辿り、山道を進んだ。

 山はなだらかで平和なものだ。休みをとらず突き進むと、中腹で古びた小屋をみつけた。

 立ち寄るつもりはなかったが、小屋の前で婆さまが手招きしているもんで、助けがいるのだろうかと近づいた。

 近づけば、婆さまは折り曲げていた腰をまっすぐ伸ばし、ねめるように三人の顔を見比べた。

 婆さまは三人のうち、ふたりに言った。「行くな。死ぬぞ」と。

 ふたりは顔を見合わせ、笑った。「では、こいつは死なんのか」と。

 新婚さんだ。

 新婚さんはふたりに比べると線が細く、とても生き残れそうもない。

 しかし婆さまは新婚さんをじっと見つめ、こう言った。

「行ってもよい。たまさかに逃れられる」と。

 ふたりはまた顔を見合わせた。

 自分らが助からず、どうしてこの軟弱な男が生き残るのか。嫉みもあって、引き下がるわけにはいかない。


 せんずるところ、婆さまの言うことを聞かずに三人揃って、先へと進んだ。


 山道が次第に険しくなるころ、川がみつかる。流石にそろそろ休もうかと、三人揃って川辺の岩に腰をかけた。

 川は城まで繋がっている。

 ふと嫁さんが恋しくなった新婚さんは情けないことに、このまま流されて帰れたらなどと頭に浮かべながら、川を眺めた。

 流れはそこそこ早い。最初は見間違いかと思った。

 人の形をした布切れが、ひらひらとなびきながら直ぐ目の前を流れてきたのだ。

男であった。着物には村伝統の刺繍が施されており、流れ行く間に頭をこちらへ向かせた。

そして言ったのだ、「引き返せ」と。

開いた口から川水が入り込み、男はそのまま沈んで消えた。

ふたりに話したが、怖じ恐れ夢でもみたのだろうと、取り合わなかった。


そんなふたりの頭上で、「引き返せ」と声がした。


見上げれば、四肢ある男の身体が木に吊るされているではないか。

男は風になびいた。まるで道しるべに使われた手拭いだ。泣いているような顔をしていたが、眼窩から涙も目玉も流れ落ちることはなかった。

それからまた言う。


ーー死ぬぞ。引き返せ。


と。


新婚さんはほれみたことかと、手拭いの言う通り一度引き返すべきだと、説得したがふたりは動じない。

魔物が跳梁ちょうりょうしていたころは、これしきのことで隊長へ報告しに戻りなどしなかった。


三人は進んだ。


その間、木に吊るされた男が二度現れた。みな揃って「引き返せ」と言う。引き返せと言うが、それは道しるべでもあった。


引き返さねば、行く先は死であると。


間も無く、松の大木が目の前に聳え立った。

木の下には女が立っていた。血肉たっぷりの、豊かな女だ。

人として妖しく思うほど、恐ろしい美を放っていた。

ふたりは惹き寄せられるようにして、女に近付いた。

新婚さんはそれを遠目で見ていた。

理性が働いたのだ。

女はふたりの手首をとると、胸のなかへ誘い込んだ。着物がはだけ、肌が露わになり、新婚さんは目を瞑った。

妻の悲しむ顔が頭に浮かんだ。


いくばくか、時が過ぎただろうか。

耳もとで声がした。理性がとんでしまいそうな、甘く艶めかしい声だ。


ーーもし、もし、お前さん。


長く連れ添った恋人のように。溢れる想いを言葉にするように。

生温い吐息。おしろいを含んだ女の香り。

思い浮かべていた嫁さんの顔が、川で見た手拭いに変わる。

新婚さんはたまらず、逃げ出した。


道しるべ。道しるべはどこだ。

木に吊るされた、手拭いは。


転げ落ちるようにして山を下れば、頭上から声がした。


「吊るされてるじゃあないか」


婆さまだ。

婆さまは新婚さんを指差し、言った。


「お前さんの、腰紐に」



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