酒蒸し(二)
「きば? あれは、ユニコーンという魔物です。かつての魔王の騎馬であり、角には毒があります」
客人はよく知っている。ユニコーンの角の毒は強く、剣を交えれば、たちまち綻び朽ちてしまうことを。
陰陽師の言うタマムシとやらが気になるが、尋ねれば長くなりそうなので、話を先へ進めた。
「病もなく、死んだ馬は二十頭に及びます。もう少しはやく知らせてくれていれば、犠牲を減らせたのですが」
魔物の討伐となれば国への要請が必要となる。それは民間人にとってとても億劫なことだ。
廐舎主が国に助けを求める頃には仔馬五頭と、牝馬一頭を残すだけとなってしまった。
「その牝馬とやらがほかでもない、あなたの愛馬を産んだ母馬でしたな」
「そうなのです。私の馬を悲しませたくはないし、それにこれからも同じような名馬をきっと産んでくれる。だからこそ、死なせたくないのです」
客人は国に仕える番兵であり、その務めは馬ありき。要請に従いすぐに廐舎を訪ねたが、状況は崖っぷちといってよいものだった。
なんと残された五頭の仔馬は牡ばかりであったのだ。
種ばかりあっても、土がなければ実らない。一頭きりの牝馬をいま失えば、名門廐舎は地に落ちてしまう。一日も早く馬を救ってほしいと廐舎主に泣きつかれ、そのときに手渡されたものも、網袋であった。
「あれは美味かった」
陰陽師がよだれを垂らす。
そう、客人が網袋を持ってきたのはこれがはじめてではない。廐舎を訪れたばかりのその日、廐舎主を引っぺはがし外へ出ると、そこは陰陽師の屋敷であった。
水平線までひろがっていた春の空は新緑で遮られ、なめらかな砂浜は儚さのかけらもない砂利石に変わっていた。
「私がこの屋敷に招かれたのは、アサリ欲しさであったとは」
「もちろんそれだけではありませんよ。いやあしかし、旬のアサリがあれほどまでに美味いとは」
客人は思った。このだらしない顔をみて、こやつは陰陽師さまではないと確信したのだ。
今でもとても信じられない。
しかしながら、陰陽師の力添えで廐舎小屋が助けられたことには違いなく、そして自分もまたこうしてアサリを調達し、屋敷へ赴いている。
「あの日あの時、あなた様はアサリの汁をすすりながら、こう仰りました」
あなたの剣で妖は切れない、と。
そうして渡してきたのだ。
布切れ一枚を。
両手いっぱいに広げてもタネも仕掛けもない、白いばかりの布。剣より布切れ一枚が勝ると言うのか。
酒も手伝ってよく思い出せないが、兵士としての矜持が許さなかったのだろう。布を放した手は盆をひっくり返し、わらふだをブーメランにして暴れたように思う。自分がこぼした酒に足を滑らせ頭を打ったか、気づけば城のなかだった。
客人は陶器のような白肌を恥辱の色で染めた。
「あなた様の仰るとおりでございました」
その日、城で我に返った客人は自堕落なおのれをいさめるように、鶏鳴を待たずして海岸へと愛馬を走らせた。
穏やかな海の静けさのなか。
なんの運命か。
月明かりか、ありがたいと見上げた夜空に、煌めく馬が浮かんでいた。
今まさに、馬が馬の命を狙おうと、廐舎のうえを回遊していたのだ。
おのれユニコーンと、客人は怒りに身を任せ、愛馬から廐舎の屋根へと飛び移った。
馬は角で威嚇したが、毒に恐るる客人ではない。かつての勇者から譲り受けた伝説の剣だというのに、使い捨てるように乱暴に振るった。
刃先は届いていた。
貫くことができなかった。いや、ユニコーンの体躯に刃を入れることを、許されない。そんな感覚さえあった。
たとえ弓矢を向けようとも、眩しくて的を絞ることが叶わなかっただろう。
なおも剣を振るいなおす客人をあざ笑うかのように、角は厩舎の真下へ向いた。
牝馬の眠る方角だ。
藁にすがる思いであったと思う。
客人は空へ蛮声を浴びせながら陰陽師の託した布切れを広げ、馬へ投げつけた。
その光景がいかに滑稽なものか、想像するにたやすい。布はどんなに力いっぱい投げても、誰かを傷つけたりはしないのだから。
しかしどうだろう。
布は惹き寄せられるように馬の背中へ掛かると、自らその総身を広げた。いや、やおらに羽織ったようだった。
客人は目を細めた。
夜が明ける薄闇のなか確かに、光輝く馬の背にみえたのだ。
「嬉しそうに布切れをまとった娘を」
馬は狂瀾のごとく空を暴れ回り、襲いかかってきたかと思うと、次には跡形もなく消えていた。
光源を失いはっ、と我に返る。
置き去りにしてきた愛馬を砂に足を取られながら探せば、廐舎のなか。尻尾を振りあるじを迎えた愛馬のその奥で、牝馬とその仔たちは健やかな寝息をたて、生を育んでいた。
「あれからひと月経つでしょうか。馬の怪死はなくなり、ユニコーンの姿も目撃されておりません」
「そりゃあ娘さんにとって、あの布は馬の皮よりずっと価値があるから」
酒がまわってきたのか、少しくだけた様子で陰陽師が言う。
「馬の、かわ……?」
「馬に乗った娘さんの姿がみえたのでしょう。彼女は生前、馬を盗んでは殺し、剥いだ皮を売って暮らしていたのです。今でもその暮らしから抜け出せず、いい毛並みの馬をみつけてはついつい、殺してしまう。しかし」
「しかし?」
「年頃の娘さんだ。美しい着物が手に入ればそちらに目が移る。私があなたに託した布は絹の反物で、江戸では良いお家のお嬢さんしか着られませんでした」
「えど? たんものとは」
「まあ、その話はおいおい。とにかくあなたにとって布切れの価値でも、娘さんにとっては羽織ってもよし、売ってもよしの、憧れの品であったのです」
「あの布が……」
袖を通したことはないが、城のクローゼットには同じような布が腐るほどあるように思う。
「しかし酔いしれて一年でしょうから、度々調えてやってください」
「一年に一回? 待ってください、その娘とやらを完全に消し去ることはできないのですか。あなた様が魔王を滅したように」
廐舎がこれからまた名馬を何頭も産みだし、持ち直せばまた娘は現れるに違いない。
「できかねます」
「なぜ」
「馬の皮剥ぎを繰り返していた彼女はいま、馬の魂を鎮めることで生前の罪を償っているのです。それはもう何百年、何千年と」
「何千年、……永遠に?」
「永遠に。食用、着物に武器ーー、世界じゅうで殺されている罪なき馬の魂が荒ぶることのなく天へ導かれるのは、馬魔あってのこと。彼女は馬を愛しみながらも、皮剥ぎをやめることができない。そんな地獄を永遠繰り返している」
馬が死ぬたびに空に轟く鳴き声は慟哭であり、レクイエムであったのだ。
客人は「げせぬ」とつぶやきながらもほろり、涙をこぼした。
かわいそうだ。娘も、馬も。
「少しでも憐れと感じるのでしたら、あなたが捧げものを選ぶべきだ。場所は厩舎でよいでしょう。一年に一度、あさりが採れるころ。彼女に似合いの布、もしくは着物を捧げなさい」
「怠れば」
「馬が死ぬ」
陰陽師と客人のはざまを湯気が遮る。
「話はおしまい」
涙を拭った手のひらで湯気をかくと、またいつのまにやら囲炉裏に大鍋がのっていた。
心地よいほどのアサリと、酒の香りが舞い上がる。
アサリの酒蒸しだ。
客人はなにか言い返そうとしていたが、忘れてしまった。代わりに心のなかで建て前やら、理性やらが、貝の擦れるような音をたてながら崩れた。
腹が減っているのだ。
「いただきましょう」
陰陽師はアサリを取り鉢に盛ると、客人の手もとに差し出した。否応にも喉が鳴る。
「いただきます」
客人は礼もそこそこにじゅるり、小気味好い音をたてながら貝にしゃぶりついた。
「ん〜〜! これこれ!」
次に舌鼓を打つ。
陰陽師がにたり、笑う。
「旬のアサリは、一に飲み、二に食んで三に飲む。でしたかな」
「そのとおり!」
海岸で採れる春のアサリは王族から平民まで、みんなの舌を愉しませてくれる。魔物消滅の通達が広まれば、浅瀬には潮干狩りに精を出す家族が増えることだろう。
厩舎のあたりは国一番の遠浅の砂浜で、採れるアサリは弾むように身がぷっくりとしている。それを裏あごで刹那に愛しみ、敢えて噛まずに喉越しを愉しむのだ。身を嗜むのはふた口目でいい。
み口目はもちろん、出汁でいきたい。
「ああ、これだ」
客人は口じゅうに貼りつく旨みを至福と受け止めながら、思った。
この屋敷でいただく酒蒸しはどうも国のそれと異なる。
酒蒸しといえば出汁を味わうと最後にぶどう酒や薬味の香りか残るものだが、それがない。
味気ないのではなく、妙にたまらないのだ。
鼻に抜ける鋭い香りが。
陰陽師はそれを、米か、こうじといったか。
いまやどうでもいい。
「美味いな」
白濁したつゆは舌をなめらかにする魔法でもあるのか。客人は無作法に輪をかけ言葉を崩すと、その美貌すらをも砕けさせ、笑った。
気のせいか、陰陽師の顔があからむ。
「出汁もよいが、酒もよいぞ」
「酒蒸しに、酒を煽るのか」
あからんでいるのは、酒のせいか。
「暴れて倒していったぶんの酒を、今日は呑んでもらおうか」
「望むところだ」
客人は膝元にあった盃を一気に干すと、手をのばし陰陽師のお酌を望んだ。
「いやあしかし、この屋敷の酒は美味いな」
「甚だしい」
「酒の席はいつだって、無礼講だろう」
「城で生まれ育ったとは思えんな」
「なんだって? まあ許せ、次はタマムシ色? だったか。そんな色をした貝をもってきてやるから」
「ほう、それは愉しみだな」
その夜、客人は酔いどれた。まあ酔いどれた。酒では口説けぬ酒豪と悟り、日の本でいう丑三つ頃、陰陽師はなにかを諦めた。
客人がわらふだを枕にして眠り込んだのは、夜明け前。
陰陽師は消え入るような声で、客人に尋ねた。
「名はなんと言ったか」
すると客人、目を瞑ったままはっきりとこう返した。
「アレクだ」
陰陽師が目を瞠る。
「そうか。私の名はーー」
「なあ陰陽師よ。それより、つぎに娘にやるドレス……、なに色がよいかな……」
むにゃむにゃと再び、深い眠りにつく。
寝言であったか。
「それよりとは」
陰陽師は溜め息ひとつ、
「美人は三日で飽きると言うが、あなたはどれだけ私を楽しませてくれるのか」
などと、ぼやいた。
表座敷には酒蒸しの湯気に似た色香漂う熱気が、いつまでもたなびいていた。




