姫巫女(五)
「お前たちが教えられたしきたりは、こうであったろう」
この大陸の護り神、水神は姫巫女の祈りを求めた。姫巫女はブランシール家の娘でなくてはならない。
姫巫女に与えられる務めは水神へ祈りを捧げながら後継者を生むこと。伴侶は自由に選べる。
「などという都合のよいしきたりには、続きがある。」
ふたりの王女にだけ、知らされなかったしきたりが。
「姫巫女は後継者を産み落としたあと、すぐに水神の贄となること」
「生け贄……?」
グロリアが王座から腰を上げる。
「あなたはお母さまの最後をご存知で?」
「私を産み落としてすぐ、その美しさに慄き、息を引き取ったと……」
「それはそれは、実に愚かしい美談ですな」
陰陽師はにたり、と笑った。
「あなたのお母さまは今も、水神さまのお腹で眠っておられます」
先代の姫巫女はこのしきたりを大層憎んでいた。先代はアレクサンドラを身籠ると城にこもり、水神に悟られぬよう、ひっそりと産んだ。
アレクサンドラは赤子にして、宝石のような輝きを放った。
先代と王は、その娘を水神へ捧ることなく、一生をかけて護ろうと誓い合った。
アレクサンドラは水神にその存在を知られることなく、王子として育てられた。
まもなくして、先代はグロリアを身籠った。
そのときのつわりがひどく、先代は一度だけ、川へ嘔吐したことがあった。
油断と、おごりもあったのだろう。先代は隠し通せると思っていた。
しかし川の水から、腹の子は娘だと水神に知られてしまった。
先代はグロリアを産み落とすと、その産ぶ声を聞く暇もなく川へ引きずりこまれた。
「そんなっ、お母さまが」
「水神に知られた以上、王はあなたを姫巫女として育てるしかなかった」
グロリアを第一王女、姫巫女として。アレクサンドラを第二王子として。
王は先代との誓いを守り、アレクサンドラを完璧な男として育てあげた。町の子どもと交えても、少し無作法なほどに。
それでも年頃になると、衣裳だけでは隠せないほどの美しさを放ち始めた。
王はセリオスにアレクサンドラだけの、特製の外套を作らせた。
「セリオス王子はアレクのためだけに、魔術を学んだと言っていい」
「アレクのため、だけに」
グロリアの美声が屈辱に震える。
セリオスは正しいしきたりと妹たちの運命を知ったうえで、誰よりもアレクサンドラを大切にしていた。
可愛い妹の正体を水神に知られてはならない。決して。
セリオスは勇者を迎え入れると、アレクサンドラに剣の習練を積ませた。勇者が死した今、ブランシールいちの剣豪とは「番兵隊長アレク」を指す。
自分はアレクの盾となるよう、世界中から名だたる魔術師を呼び寄せ、あらゆる魔術を学んだ。
番兵隊長の外套はその努力の結晶といえるべき代物だ。
「外套は羽織るだけで、王女の輝きや色香を封じ込めることができた。その他諸々含め、世界一の防御服と言えましょうな」
繰り返すが、外套には強い防御力だけではなく、断熱性、保温性を兼ね備え、さらに紫外線防止つきである。
砂漠のなかを何日も歩こうが、高山でオークと一戦交えようが、アレクの白肌にかすり傷ひとつ、そばかすひとつ染みついていない。
「アレクはこの王の間に自分の居場所はないと、ずっと思い込んでいたが、誰よりも愛され、誰よりも大切に護られていたのだよ」
「ぅ……っ、ぁあっ」
アレクの泣き声が強まる。
それを耳触りに思うのはひとり、グロリアだけだった。
「そんな……、それではまるで」
姫巫女である自分こそが、身代わり。姉の身代わりとして、姫巫女に仕立て上げられたのではないか。
陰陽師が言う。
「あなたはその存在を水神さまに知られた以上、為ん方ないこと」
「でも、お兄さまはっ、お兄さまは私よりアレクを愛していたのでしょう!」
「それについては、申し訳ございません。否めませぬ」
「……なんですって」
グロリアは目を三角にしてセリオスを睨みつけたが、セリオスの心はアレクへ真っ直ぐ向けられたままだ。
「これも為ん方ないことです。セリオス王子は誰よりもアレクのそばにいたのですから」
妹を護るために番兵隊へ入隊するも、魔物との戦いは想像を絶するもので、まさに血と血で洗うような争いであった。
死と隣り合わせの戦場で互いの背中を預けることで、セリオスはアレクにどんどんのめり込んでいった。
アレクは泣きごとひとつ溢さない。どんな辛い思いをしても、まず先に仲間を励まし、自分はひとり陰で泣いていた。
愚直で無作法な酒呑み。されど思いやりがあり、どうしようもなく泣き虫。
アレクは冷たい戦場で、誰よりも人間味に溢れていた。
「サーニャは番兵隊の、……いや、ブランシール王国の希望の光だった」
セリオスがうっとりと、言葉を放つ。
サーニャとは、セリオスだけが呼ぶことを許された、アレクサンドラの愛称である。
アレクの素晴らしさは内面だけに止まらなかった。
外套のなかに王女の輝きを閉じ込めながら、女として身体を成熟させていった。
このまま、アレクの美しさを誰にも知られることなく、ずっと側に居られたら。
セリオスはそんなことを、星に願ったりもした。
純粋に妹を、妹として愛していたのだ。
竜の子に嫉妬するほどに。
「アレク。お前は何年か前、黒竜を隠し育てていたな。その竜が魔性を表し、村を焼いたことを悔やんでいたが、お前のせいではない」
セリオスはいつもアレクの肩にべったり貼りついていた竜を憎んでいた。
ある日、みな寝静まった頃、セリオスはアレクのベッドで眠っていた竜を、呪いの呪文を浴びせながら川へ放り落とした。
竜が魔性を表したのは、それがきっかけだ。翌朝には山が三つ、四つ燃えていた。
「すまない。本当に、すまなかった……!」
セリオスは非を認め、未だ泣きじゃくるアレクへ頭を下げた。
「育て続けていれば、アレクは世界ではじめて魔物を操る人間になっていたことでしょう。まあ、育てあげたところで、魔王の消滅と共に竜もまた消えていましたが」
そうなれば、アレクは陰陽師を憎んだだろうか。今となっては確かめようがないが、少なからず陰陽師はセリオスに感謝していた。
今まで花嫁を護ってくれた義兄に。
「さて。話し終えましたので、そろそろお暇します」
未だ泣き止まぬアレクの手を取る。
これにはさすがのグロリアも動揺を隠せない。
「陰陽師さま……? なぜアレクの手を」
娘と引き離され、王もまた顔をあげた。
「姫巫女を花嫁にと。あなた様は仰いました」
「ええ、確かに。ですから、今一度アレクに祝い着を着せてやってください。それと、これを身につけるよう」
「それは……!」
グロリアは陰陽師の手のなかを覗き込み、王座の階段を踏み外した。
「その首飾り、私に仕立ててくださったのでは」
「いいえ?」
陰陽師が持っているのは、アレクが水神に飲み込まれたときに身につけていた、魔法石の首飾りだ。グロリアがその前日に陰陽師とふたり、装飾品屋へ出向き、作らせていた。
「ふたりの婚姻の、証しに……!」
「あなたのためではありますよ。あなたから、お姉さまへのご祝儀に調えさせていただきました」
「そん、なーー」
グロリアはあまりの屈辱に、ついに両手をついてへたり込んでしまった。まるでアレクへ謝罪するかのような格好で。
陰陽師は見ぬこと清しとばかりに、王を急かした。
「さあ、花嫁の支度を」
「待て」
ここへきて、陰陽師へ物申す人物がいた。セリオスだ。
「貴様は本当に王国の味方なのか」
「……それは、どういった意味でしょうか」
「魔王の消滅。すべての計画が狂い始めたのはそれからだった。世界は平和になったが、魔力のすべてが消え去った」
魔力を失った魔物は魂のない傀儡となり、魔術師はただの人間になり下がった。
セリオスはパッセで魔力を取り戻したとき、悟ったのだ。
「陰陽師。貴様が世界中の魔力を吸い取ったのだ。水神さまがおかしくなられたのも、それからだ」
魔王が消えてからというもの、水神は満月の夜になると城へ上ってきては、姫巫女をせがんだ。
その度に王は叫ばなければならなかった。
姫巫女は後継者を生んでいない。まだそのときではないと。
水神はたまに理性を失ったかのように城壁を壊したり、川で洪水を起こした。
セリオスは番兵隊を退位しアレクから離れ、城を護らねばならなくなった。
「水神さまと居合わせないよう、サーニャには出来るだけ城から離れた場所へ遠征させた」
幸いか、魔物が消えたあとも奇妙な事件が目立った。そちらにアレクの気を回させ、城は必死に平和な面構えを保った。
「エドワルド王子を迎え入れたのは、もちろんサーニャを隣の大陸へ逃すためだ」
海を渡れば水神といえども、追って来れないだろう。
そう考え、泣く泣くエドワルド王子を番兵隊へ受け入れた。
第二王子を選んだのは、あちらの王家のしきたりに縛らせないためだ。
アレクのためだとわかってはいても、ふたりを引きあわせることは、セリオスにとってまさに地獄といえた。
アレクを王女と知り、そばに居れば誰だってすぐに心を奪われる。
「エドワルド王子は面白いくらいにサーニャに溺れた。サーニャが二十歳になるまで理性を保つことができるか、心配なほどにな」
隣のフランベ王国では男女とも、二十歳の成人を超えなければ婚姻できない。
そしてアレクの二十歳の誕生日はまさに、今日。
「おめでとうとサーニャを祝うその前に、陰陽師よ。貴様にすべてを明かしてもらいたい」
なにゆえ魔王を滅ぼし、魔力を得たのか。同じころに水神がしきたりを破り、荒んだのか。
「現に魔物が消えた今、貴様の言う妖とやらが人びとを恐怖に陥れている。あれは貴様の化身ではないのか」
ーー妖。
その言葉にアレクは涙をとめ、ようやく王の肩から顔を離した。
妖とは、魔物と異なる異形のもの。陰陽師に教えられるまで、知り得なかったもの。
もしも、陰陽師が創り出しているのだとしたらーー。
陰と陽。
妖には善悪が存在する。
セリオスは未だ光る杖を陰陽師へ向けた。
「アレクとの婚姻など到底許せぬ。場合によっては貴様を魔王と呼ぶことになる」
「なるほど……。今話さねば、帰れないようですね」
王がアレクに支えられ、立ち上がる。
屈辱で息を荒くしたグロリアもまた、立ったまま耳を傾けた。




