姫巫女(四)
アレクは陰陽師とふたり、門の前で並んだ。コボシとカムイは話をややこしくするので、置いていくという。
老婆ーーウンディーネはわらふだに腰を据えたまま。わざわざ訊かずともついて来そうにない。
「念のため聞いておくが、城のどこへ出る」
「王の間へと直接つなぐ。下手に廊下へ出て、エドワルド王子と行きあいたくないからな」
「それは同感だ」
「白状なやつだな。王子は今もお前を諦めきれず、毎日川を眺めているというのに」
そう言うわりに、陰陽師は嬉しそうな顔をしている。
「悪いが、謁見前にひとっ風呂浴びたい。川湯へつなげてくれないか」
「いいかげん、気づけよ。その必要はない」
「しかし歩き続けて汗だくーー、ぁあ!?」
アレクはドレスをたくし上げ、目を丸くした。
ひきちぎったレースもスパンコールも、花の刺繍ひとつ見当たらない。
ただ真っ白な布に身を包んでいた。
もちろん見覚えがある。というより、隣に揃いで立っている。
「なぜ私がじょうえ、だったか。これを?」
「お前……、裸同然だったのによくそんなことを言えるな」
消化を始めていた水神の体内は沓のヒールだけでなく、アレクのドレスをも溶かしていた。吐き出されたときにはコルセットすら残っていなかった。
「そうか。またコボが着せてくれたのだな」
「あのエロ坊主になんぞ、二度とさせるか」
「ではウンディーネ様が」
「私だ」
変な沈黙が流れる。
アレクはまたも腰に鞘がないか探した。
「貴様……、私が女と知ってわざとか」
首を絞める勢いで陰陽師に食ってかかったが、なぜか絞める前から顔を赤くしている。
「わ、私は、ちゃんと、お前の父親の承諾を得ている」
「なにぃ!? ……王に?」
「そうだ。嫁入り前の娘の裸を、親の承諾なしに見るなんて悪い趣味は、私にはない」
「律儀か!」
心底呆れ返る。
「王に向かって、よくそんな承諾を得ようと思ったな」
「なにを言う。お前が王女であるからこそ、必要だったのだ。土瓶蒸しのときも、よく堪えたと我ながら思う」
「なぜ今、土瓶蒸しが出てくる」
「お前に私の苦悩はわかるまい」
ここまでこじつけるのに、何年かかったと思っているんだ。などと、ぶつくさ呟く。
「まあいい。着替えの件は目を瞑るとして、汗を流したい」
「それも必要ない。私がくまなく拭いてやった」
次の瞬間、陰陽師の身体は王の御前に沈んだ。
「このとおり……、ぐふっ、アレクサンドラ王女を傷ひとつなく、取り戻してまいりました」
みぞおちを押さえながら陰陽師が言う。
アレクはその姿に既視感を覚えた。ああ、自分を吐き出した水神か。
川音すら上ってくる静かな王の間に、ひとりぶんの拍手が響き渡る。
グロリアだ。
「陰陽師さまは、やはり世界の救世主だったのですね……! 水神さまのお腹から人間を、傷ひとつなく助け出すなんて! 陰陽師さまに、お怪我は?」
グロリアはアレクの名すら出さずに、うずくまる陰陽師だけを気遣った。まるで陰陽師こそが自分の伴侶にふさわしいとでも言うように。
「怪我はありません、たぶん。ごほ、ごほ」
腹を抱えながら立ち上がる陰陽師に反し、アレクは腰を落とした。
「ただいま戻りました」
王の顔色をうかがうことなく跪き、真紅の毛氈へ突っ伏す。
すると、アレクのこめかみからひと粒の汗が滴り落ち、毛氈を黒く汚した。
アレクは川湯へ行かなかったことをひどく悔やんだ。
身体の汚れを気にしているのではない。
心の準備が欲しかった。ひとりで覚悟を決める時間が少しでも欲しかった。
父や兄の、冷淡な顔をみる覚悟を。
傷ひとつくらい残して帰ってくればいいのにとでも言いたげな、冷ややかな顔を。
「お、おお……」
頭上で王の嘆声とも聞こえる呻き声があがる。
「水神さまは、ご納得されたのか」
「はい。これより先、生け贄を求められることは未来永劫、ありますまい」
「これより先……、永遠に? では娘はもう二度と、狙われることはないのか」
「はい」
「求められることはないのだな?」
「間違いなく」
「外套を羽織らずとも、外の明るみへ出られるのだな?」
「私の命にかけても」
王はそこまで念を押すと、言葉を断った。
アレクは突っ伏したまま、ある疑念を抱いた。
生け贄とはなんだ。ウンディーネ様も確か、そのようなことを言っていた。
しかし今まで、姫巫女を生け贄にしていたなどという歴史を耳に入れたことがない。
姫巫女とは、水神に祈りを捧げながら後継者を生み、安らかな一生を終えるのではなかったか。
それに王にとって娘とは、ひとり。
姫巫女のグロリアただひとりである。
グロリアは城から出ていないわけではない。たまに町民に化け、買い物や食事を楽しんでいた。確かにフードを被って出ていたが、姫巫女という身分を隠すためではなかったか。
水神さまから身を守るためであったとは。
アレクは素直に言葉に出していた。
「姫巫女さまは水神さまに命を狙われ、ずっと不自由を強いられていたのですね。無知な私を、どうかお許しください」
しかしまあ、水神さまも慌てん坊だ。グロリアと自分では、間違えようもないのに。グロリアの美しさは見間違えようもないのに。
そんなことを考えながら毛氈を睨みつけていると、黒い染みが増えていることに気づいた。
ひとつ、ふたつ。
はたはたと、雨粒のように降ってくる。
アレクは顔を上げた。
「ぉおおお……!」
嗚咽が王の間に轟く。
王の泣き崩した顔は一寸しか見えなかった。
次にはきつく、抱きしめられていた。
「お父……さま?」
アレクは王を父と呼んだ自分に驚いた。
なにゆえか、考えるまでもない。
この抱擁が父と呼んでいいと、許していた。
そして王の涙は語った。
王はアレクサンドラの父であり、娘のアレクサンドラを、
心から愛していると。
「わぁああ……!」
アレクは父の腕のなかで、子どものように泣いた。
互いの肩を涙で濡らし合った。
アレクの背後からも微かに、泣き声が漏れる。
兄のセリオスだ。
セリオスもまた手で顔を覆いながら、泣いていた。
グロリアはひとり、王座に腰を据えたままこの事態に眉をひそめていた。たかが元番兵隊長の帰還ではないのか。
陰陽師が言う。
「王も王子も喋られそうもないので、私がご説明致しましょう」
お前もよく聞きなさいと、アレクの震える背中を叩いた。




