薬喰い(五)
「このたびは、ほんとうにありがとうございました」
「ああ」
「領主さまがいない今、我々が献げられるものは、こんなものしかないのですが」
「……ああ」
アレクは町民からの土産を肩に担ぐと、ぼんやりと笑って見せた。
「ありがたく、いただいていくよ」
頭を下げたり、手を振ったりして感謝を表す町民の奥で、噴水が華やいで見える。
パッセの水もう二度と枯れることがないだろう。
採掘場毒水は抜いたが、これからも鉱山の水は汚染される危険性にあったため、川から新たに水を引いたのだ。
アレクがみつけた近道にそい、掘り進めるだけの単調な作業だったが、その間も街への水の供給を続けなければならなかったため、街へ川を繋げるまでにおよそひと月の時を費やした。
「それでは」
踵を返せば、部下が馬車の扉を開け待っている。
「帰ったら……、そうだな」
かわうその一件から働きづめの彼らを、盛大に労わねば。
退位表明はそれからだ。
決意を固めたアレクが馬車の椅子に腰をかけると、目の前に湯気がたちのぼった。
囲炉裏だ。
アレクは思った。
後々訪ねるつもりであったから、みずから土産を調える手間が省けた。
「お疲れ様」
「……ああ」
「ほれ、土産。土産」
言われるがままに、土産を下ろす。
縄で縛られた肉のかたまりはごとりと、骨のにぶい音がした。
「鍋の準備は整っているが、それではさばかねばならんな」
「血抜きはしてある。私がやろう」
腰からナイフを抜くと、慣れた手つきで骨から肉をはぎ始めた。
魔物を食べてきただけはある。骨についた肉まで器用に削ぎ落としていく。
陰陽師はその手先を見つめながら酒を呑んでいたが、鍋の番も飽きたのか、しばらくしておのずから語り始めた。
「少年の遺体は井戸に埋めてやったか」
「ああ。お前の言うとおりに」
地下水路には水を塞いだまま石化し息絶えた竜のうろこが、今もそのまま壁に埋まっている。
その真下には少年の墓碑と共に、朱い鳥居が建てられた。
「お前のことだから理由があるのだろうが、あの朱い門のようなものはなんだ」
「神地である証しだ。そのうち町民は彼女たちを神として祀ることだろう」
「彼女たち……?」
「蛟と、少年のことだ。彼女たちは夫婦だった」
蛟ーー、アレクはその名を知っている。
パッセへやってきた夜、宿屋からこの屋敷へ場所を移すと、チーズとワインを嗜みながら聞いた。
時おり、頰をくすぐる黒い肌を思いだす。
「カムイも……祀られるのか」
陰陽師から言葉は返ってこない。
セリオスの魔法で一時的に石化したアレクが意識を戻したのは宿屋のベッドの上だった。あれからなにがあったのか訊こうにもすでに、セリオスと陰陽師は街から離れていた。
ひとり母井戸へ足を運びカムイを捜したが、壁にみっちりと埋まるうろこをみた瞬間、このなかなのだと悟った。
蛟とは、この世界の竜とは少し異なる。
蛇の身体に手足をもつ、毒をもった「妖」である。
火を噴く黒竜との違いは明確であり、水のなかに棲む。本来、川を好むが毒気の強い鉱山の水と、街のひろい水路に惹かれ、パッセに棲みついていた。
「むしろ今まで井戸水が飲めたのは、蛟が毒を吸い取っていたからかもしれないぞ」
蛟は街を住処とする代わりに、危険な採掘を繰り返す子どもたちのことを見守りもした。
子どもが息継ぎのチューブを見失えば握らせてやり、気を失えば水を飲まぬよう、口をふさいで上まで運んだ。
「蛟とは、良きものだったのだな。最後は命をかけ民を守ったというのに……救うばかりか」
遺体を晒しものにしている。
「どのみち彼女は助からなかった」
井戸水に毒が流れ込んでから、ひと月あまりもおのれの身体を栓にしていたのだ。水圧に堪えながら毒を吸い続ければ、妖とて命を削られる。
少年は彼女の無事を願ったが、命を救うには遅すぎた。
陰陽師は彼女の願いを叶えた。
ーーどうか、いつまでもふたりで幸せに暮らせますように。
「今ごろ天界で、仲睦まじくしていることだろう」
「魔物と人間。相容れぬ種族が結ばれるとは」
「妖、だ。面白いものだな、男と女というのは」
陰陽師は妖艶に笑ってみせた。
少年は教会でもっとも年長者で、今年十四になったばかりであった。
弟たちに少しでも楽をさせようと、誰よりも水に長く潜っていた。
ふたりの出逢いは必然といえた。
その日も少年はみなを帰してからひとり、掘り起こしたばかりの水底へ潜った。三日ぶんはあるだろう大ぶりの石をみつけると、息継ぎを忘れ夢中で掘りおこそうとした。
大きな道具と人手がいると、諦めたときには息継ぎのチューブは泥水に紛れ、見えなくなっていた。
命綱を辿り、上を目指すが当然、息が続かない。
死を覚悟し、意識を手放した少年はいつの間にか水溜まりの外にいた。
ーーいけない、喉に落ちてしまう。
気づけば、女に口を吸われていた。
女は口のなかの水をすべてなめとるように、舌を這わせた。
「蛟は百年に一度の繁殖期になると、人に化け姿を現わすといわれている」
少年が目を開けると、黒い御髪の女の顔があった。女はひと糸纏わぬ姿で、少年を抱いていた。女は少年を男へ変えてしまうほどには、充分に美しかった。
それからというもの採掘に費やした夜は、甘く幸せなひと時へと代わった。
しばらくして女は子を身篭った。
その子こそ、カムイである。
十日かからずして卵を産み落とし、少年におのれが蛟であることを語った。
女はもう二度と姿を現さないつもりであったのに、少年がそれを許さなかった。
女が本来の姿を見せても、どんなに恐ろしげに振る舞っても、少年は愛することをやめなかった。
おのれの命とひきかえに陰陽師へ助けを乞うほど、愛していた。
「命あるもの寿命があり、蛟と人とではそれぞれ異なる。何百年と生きる蛟にとって、人の老いは一瞬のことだろう。いつか引き裂かれていた運命よ、これでよかったのかもしれないな」
馬鹿を言え、などと叱咤が飛んでくる。そう思っていたが、いつまでたっても相づちすら返ってこない。
アレクはただ黙々と、肉を切り分けていた。
「煮えきってしまう前に、食べるか」
陰陽師は切り終えた肉を箸ですくうと、鍋へ泳がせた。
色が変わってすぐ、とろとろに煮込んだ野菜とともに鉢へ移す。受け取ったアレクはようやく声を出した。
、
「泥水みたいなシチューだな」
「お前な」
やれやれ悪態はつけるのかと、呆れる。
「江戸ではひとむかし前まで、表向き肉を食べなかった」
「美味いのに」
「そう、美味い。ゆえに当時は薬喰いといって、こうして鍋にして密かに食べられたという」
「薬喰いか」
「滋養があるからな」
まあ食べてみろとすすめられ、ようやく鉢へ口をつけた。
ひと啜りで目を見開く。
「美味い」
どろりとした舌触りの汁から、香味が溢れ出す。
「なんだ、これは。またなにかの出汁か」
「味噌だ」
「みそ?」
「大豆に米麹を合わせて作る調味料だ」
「また米か」
米とは、それほど奥深いものであったか。そのままでもじゅうぶん美味いのに、美味い調味料や酒までできるなんて、万能すぎやしないか。
とまらず鉢のなかが具だけになってしまったので、陰陽師に汁を注ぎ足してもらう。
さて味噌に絡む肉はどれだけ美味いのか。
陰陽師に習ったばかりの箸ですくうと、肉を麺のように啜った。
「ああ美味い」
シカ肉だ。
秋にたくわえた栄養がまだ残っていたようだ、脂がほとんどないはずなのに、味わい深い。また肉のうま味と味噌の合うこと、合うこと。
終いにはほろほろと、口の中でほどけた。
「こんなに、やわらかい肉を食べたのは久しぶりだ」
「初めてではないのか、贅沢ものめ。それは味噌のおかげだ」
「魔法のようだな」
「そうだな。鍋は人を元気にさせる」
陰陽師がやわらかに笑む。
その笑みも声も。
鍋のくつくつ煮える音も、屋敷のすべてがあまりに優しいので、
「……ありがとう」
アレクは恥ずかしげもなく、ひとすじの涙を流した。
「ど、どうした、あらたまって。食え、食え」
涙に弱いのか、陰陽師はアレクから目をそらすと、今度はおのれが口を閉ざした。
しばし静寂の時が流れる。
陰陽師は鍋をつつかず酒ばかり煽った。顔が真っ赤だ。
アレクは鍋を平らげると、今度は自分から話を切り出した。
「お前は採掘場で採れる石のことを、知っていたのか」
「よくは、知らない」
「……そうか。あれは水の精霊の恩恵を受ける魔法石で、この国でしか採れないんだ」
採れる鉱山は少ないうえに、普段はカメレオンのように、周りの石に同化する。石は水と魔力を帯びて、はじめて碧く光るのだ。
「隣国、火の王国と謳われているフランベでは、とんでもない高値で取り引きされている。領主は国を通さず、売買を繰り返していたようだ」
「街の井戸水が枯れて、潮どきと考えたのだろう。しっかり逃げる準備を整えてから、国へ要請したのだな」
逃げ果せるとでも思ったのか。
セリオスと陰陽師は空から飛行船で後を追うと、領海を目前にして領主を捕らえた。
「教会にいた子どもたちは、どうなった」
「引き取り手をみつけるには難しく、未だ変わらずだよ」
豊かに見えていたのは街並みだけで、子どもを養える家は少ない。街の外で募ろうとすると、今度は子どもたちが嫌がった。
そこでアレクは教会の運営を国へ移した。
今まで領主の寄付で成り立っていたため、牧師は共犯して子どもたちをぞんざいに扱っていたからだ。
仕事が欲しいとせがまれたので、真っ当な採掘業も与えてやった。といっても、シチューの仕込みや休憩所の掃除など、おもに街の採掘人の手伝いである。つまらないと愚痴をこぼすが、それでいい。
シスターのしつけは厳しいし、暮らしは楽とはいえないが、それでも街から、ーー故郷から、離れることはないだろう。
「……子どもの言っていたとおり、あの辺りにはちいさな集落がいくつかあったらしい」
その集落もまた村を失った人びとの寄せ集めで、鉱山の魔物から身を守るため要塞を建て、かたまって暮らしていた。
しかしそれもつかの間のことで、要塞は空からの敵襲に意味をなさなかった。
黒竜の爪は要塞の壁をはがし、炎はすべてを溶かす。
それを知った大人たちは、竜にかすり傷も負わせられないとわかっていながら、大砲を撃ち続けた。そうして竜の気を反らせている間に子どもたちを森へ逃すと、要塞ごと焼かれて死んだ。
「私は……、なんてことを」
集落を全滅させた魔物の正体はアレクの育てた黒竜であった。
遺された子どもたちの身は国に匿われたのち、新しくつくられたパッセの街へ移された。
領主は彼らの能力を知るとすぐに、使い捨てのように扱った。朝から晩まで、肌が毒でふやけるまで水に潜らせた。それでも彼らは喜んで潜った。彼らにとってあたたかなシチューと寝床ほど、ありがたいものはなかったのだ。
「子どもたちが親を失ったのも、すべては私のせいだ」
そう言いながらもアレクは寂しそうに、自分の肩を撫でた。
大罪を犯したというのに、未だ恋しい。
性根が腐っているのだと自分でも思う。
「やれやれ。鍋を食べ終えたら、元どおりか」
陰陽師は誰かを呼ぶように一度、手を叩いた。
「〆か」
「お前な。まあ、鍋を雑炊にしてやってもいいが、その前に会わせたいものがいる」
「会わせたい……?」
「キュウ」
つい先ほど撫でたばかりの肩から、愛おしい声がする。
「カムイ……?」
「キュウ」
「カムイ……! ああっ、無事だったのか!」
アレクはカムイのわきの下へ手を潜らせると、何度も抱き上げ、頬ずりをした。
黒い糸くず程度であったカムイはこのひと月で、アレクの腕の長さまで成長していた。
「ああ……っ、よかった、よかった……! 陰陽師、お前が助けてくれたのか」
「まあな。雄を屋敷に入れることには迷ったが、蛟は色々と役に立つから」
「カムイを、育ててくれるのか。その……」
育てあげる覚悟はあるのか。まわりに危険はないか。
思い浮かんだのはおのれが成し得なかったことばかりで、言葉に詰まる。
「まあ、そんなに自分を追いつめるな。屋敷へくれば、いつでも会えるぞ。土産を持ってくればいつだってーー」
陰陽師もまた言葉に詰まった。
アレクは涙をせき止めることもなく、笑っていた。
その優しい笑みは誰がみても、訣別を表していた。
「それはない」
「ない? もう、ここへは来ないと、そう言ったのか」
アレクは腕いっぱいをつかってカムイを抱きしめると、陰陽師の問いかけに、ゆっくりと頷いた。
それから言った。
「姫巫女さまが、お前をお呼びだ」




